壊れたラルスが生きている世界

10話

「えお、来てくれ。」
 シーネラルはそう言うと、武夫の側に立った。
「うー……。」
「タルートリーは界間移動の扉を開かない限り、帰ることはない。頼むから、我が侭を言わず、ペテルを静めてくれ。」
 武夫は俯く。父親のズボンを掴んだまま、離そうとしない。「えお、頼むから。こうしている間にも、奴は牢から出てしまうかもしれない。お前は何人死のうがどうでもいいかもしれない。しかし、ペテルがこの城に居られなくなったら、お前だって困るはずだ。」
 シーネラルが何とか武夫を説得しようとしていると、ザンがこちらを向いた。
「満身創痍だね。」
 頭や腕に包帯を巻いているし、まだあちこちから血が流れていた。しかし、シーネラルはそんなことはどうでも良かった。これは仕事なのだ。
「これくらい、なんでもない。」
「凄いなー。あたしだったらさすがにきついかも。」
「俺はこういう事態の為に、ザンから給料をもらっている。むしろ、出来が悪いくらいだ。」
 事態を知ったターランが飛んでこなければ、犠牲者が出たかもしれない。ペテルはそれだけ強かった。彼の強さを侮っていたと、シーネラルは後悔している。「そんなことよりも、急がないと……。」
「そうだったね。」
 ザンが武夫の頭を撫でた。「武夫ちゃん、ペテルのとこへ行こう。ルトーちゃんは、あたしとお話しをしていないから、まだまだ妖魔界にいてくれるってさ。」
 タルートリー本人は今の状況を分かっていないようだ。しかし、ザンと話したいのは事実なのだろう。彼は頷いた。
「りゅ。」
 武夫がタルートリーの顔を見上げた。彼がもう一度頷いたので、シーネラルはほっとした。それを見た武夫は諦め顔で言う。「ちぃー、おんぶ。」
 シーネラルは武夫をおんぶしてやると、ペテルがいる地下牢へと急いだ。


 地下牢。がんっ、がんっ。鉄格子を蹴りつけているのか、揺すっているのかは知らないが、物凄い音がする。ここには看守とペテルしかいないので、彼が暴れているのだろう。怖いのか、武夫の手に力が入る。
「う……。」
「ペテルだと思うから、我慢、我慢。」
 ザンが励ましている。武夫に泣かれると厄介なので、彼女も必死だ。「こわない、こわない(訳=怖くない、怖くない)。」
「ろれ、えおのー(訳=それ、僕の言葉)!!」
 母が自分の言葉を勝手に使った怒りで、武夫は怖さを忘れたようだ。さすが母親だな、とシーネラルは思った。
「ごめんねー。武夫ちゃんの言葉って可愛いから、つい使いたくなっちゃうのよ。」
 へへへと笑うザンに釣られたのか、武夫も笑った。
 そうこうしているうちに、ペテルが入れられている牢の前へ着いた。
「ザン様、ザン様、ザン様あっ。」
 ペテルが声もかれよとばかりに叫んでいる。「うわあああああーっ。」
 叫び、鉄格子を揺する。まさに狂人だとシーネラルは思った。武夫や子供達と本気で遊んでいるあの子供の姿はどこにもない。
 武夫を下ろす。泣き出すのではないかと思ったが、無表情になっている。武夫の周りに漂う妖気と霊気が手の形になった。それがペテルの頭の中に勢いよく入り込んだ。ペテルの目が見開かれ、体が反り返る。彼はよろけながら、座り込んだ。
「え、お……?」
「えおよ。」
 武夫はにっこり微笑んで見せた。
「えおだあ。えおがいるぅ。」
 ペテルもにっこり微笑んだ。「えお、だっこしたい。ねえ、ここから出して。」
「にーよ(訳=いいよ)。」
 武夫が鉄格子に触れる。ペテルの頭から離れた妖気と霊気で出来た手が、鍵穴の中に入ると、かちゃっと鍵が外れる音がした。ペテルが飛び出してきて、武夫を抱きしめた。
「えおに会えて嬉しい。」
「えおもよ。れもね、ちぃーにごめんなちゃー、ちゅるのよ(訳=でもね、シーネラルへごめんさいをするんだよ)。」
「んー? なんでだろ? シーネラル、ごめんね。」
 ペテルが頭を下げた。返事をしようとシーネラルが口を開きかけると、顔を上げてこちらを見たペテルの目が点になった。「えー!? なんでそんなに怪我をしているの? 血が出ているよぉっ。」
「あんたがやったんでしょ。ザン様にあだなす敵だとか、わけわからんことを言ってたじゃん。」
 ザンが呆れ顔になった。ペテルはぽかんとした顔をする。
「何それ。」
「全然覚えていないわけ? ……あんたって、いい記憶力をしているのねぇ。」
「まあ、ともかく。」
 皆がシーネラルを見た。「ペテルも元気になったことだし、こんな辛気臭いところからはさっさとずらかることにしよう。」
「うっわー。シーネラルが盗賊みたいな言葉を使ったよ。」
 ザンが大げさに驚いた。
「元は盗賊だ。それらしい言葉も出る。…お前は知っているはずだぞ。」
「いやー、だって今まではじじむさいことしか言わなかったから、驚いちゃって。」
「俺はもう歳だ。明日にでも皺が出来てもおかしくはない。」
 シーネラルの言葉に、ザンが顔をしかめた。
「皺が出来たら、3日で死ぬんだったよね、妖怪は。」
「そう。」
「若い時代が長いかわりに、皺が出たら死刑宣告か……。いいのか、悪いのか、分からんね。」
 ザンは日本育ちなのに、外国人のように肩をすくめて見せた。



08年9月24日
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