壊れたラルスが生きている世界

4話

「あれー?あの兎がいない。どこへ行っちゃったのかな。」
 ザンがきょろきょろと辺りを見回す。シーネラルが彼女を見た。
「ラルスなら、もうとっくに歩いていった。」
「何よ、それ。なんか言ってから行けばいいだろー。感じ悪い奴だなー。」
 ザンはひとしきり悪態をついた後、続けた。「……で、あの礼儀知らず、ラルスって言うんだ。」
「そうだ。」
 ラルスには何も言わなかったが、シーネラルはちゃんと思い出していた。ならどうして彼に、お前を思い出したと言ってやらなかったかというと、壊れた者に係わりたくなかったからだ。壊れたこと自体はラルスのせいではないが、だからといって壊れた者が見境のない殺人鬼で有害なことには変わりないのだ。武夫を彼に言われるままに平気で食べようとしたのがいい例である。自分やペテルも食人タイプの妖怪だが、幼い子供に食べろと言われて、はいそうですかとは言わない。相手が大人なら事情もあるだろうから一考するが……。
「ところでさ、あいつなんでこの城に来たのかな?」
「ラルスはギンライの息子なんだ。だから父親へ会いに来たんだろう。」
「ええっ。」
 ザンが仰天するのを、シーネラルは眺めていた。「そうなんだ……。トゥーリナの兄弟なんだ……。」
「そういえばそうだな。」
「何よ、今更。」
「いや……、何故かその繋がりを思いつかなかった。」
「ふーん。普通の人にはそういうこともあるのかねえ。」
 生きていた頃は知能指数が高かったというザンが、皮肉っぽく言った。しかしシーネラルは意に介さず、黙ってラルスが消えた方を見ていた。
 『第一者の性格からして、会っただけですぐ帰すってことにはないだろうな……。奴が城に棲みつく可能性は高い……。だとすれば……面倒なことになるな。』
 そう考えながらも、自分には何の関係もないと思うシーネラルであった。しかし、後に、その考えは楽観的だったと苦笑することになる。


 ラルスは大きな扉の前に立っていた。プレートに第一者の部屋と書かれている。この部屋はタルートリーの時から、ずっと第一者の部屋だったのだろうかとラルスは考えた。プレートに名前が刻まれていないことが、その考えが正解であると思わせた。
 戸を叩く。
「はーい。」
 テレビで何回か聞いた声が返事をした。トゥーリナではなく、彼の二者の堕天使ターランの声だ。扉が開かれた。「……どちら様?」


 堕天使とは、堕落した天使が魂の中に閉じ込められている妖怪の名称である。親の種族に関係なく、美しい天使の羽を有する。
 聖なる生き物である天使にとって、これは、酷い苦痛を長年に渡って受け続けなければならない最悪の罰だ。魔の生き物である妖怪にとっても、天使の聖なる力で魔の力を封じられることになるので迷惑な話だ。美しい羽根は高額な値段で取引されるので、楽に大金を手にできるとはいえ、戦いに生きる者なら、生まれつき弱くなる呪いを受けているようなものなので、大抵本人は喜ばない。他種族からは畏怖の対象ではあるのだが…。


「門番さんから連絡が来てると思うけど、僕、トゥーリナ様のお兄ちゃんのラルスって言いまーす。」
 ラルスはいつものように、にっこりと微笑んだ。


「やっと来たの。遅いから、何かの冗談かと思ったよ。」
 ターランが愛想笑いしながら言った。
「ご免ねえ。下で妖怪に食べられたい男の子と、頭の中が子供の蝶々と、シーネラルさんと、幽霊の女の子に会ってお喋りしていたから……。」
「特徴を良く捉えているね……。それともあの人達が分かりやすいのかな……。」
 ターランが少し呆れた後、「トゥーリナがお待ちかねです。どうぞ。」
 案内されるままに中へ入ると、トゥーリナが立ち上がった。テレビで見るのとは違って、背が低く感じた。彼が低いのではなく、ターランが190センチくらいあるのと、ラルスも背が高いからだろう。テレビでは人と並ぶことがあまりないので、比較対象できなかったのだ。
「よ、初めまして。よく来てくれた。……親父に子供が沢山いるのは知ってるけど、実際に会ったことなかったから、実感なくて……。なんか戸惑ってる。」
 照れくさそうに言うトゥーリナ。なんて話そうか一所懸命考えましたと思わせる言い方が可愛いとラルスは思った。
「初めまして。ラルスって言います。……あの、僕以外にあなたへ会いに来た兄弟って、今までに一人もいなかったんですか?」
「親父が元気な頃は、何人かいたそうだが……。俺は一人も会ったことがない。あんたが初めてなんだ。」
「へー。吃驚だ……。」
 ラルスは驚いていた。彼は自分がどれほど幸運だったのかを知らないので、ギンライに捨てられた子供たちは、大抵幸せに暮らしているもんだと思っていた。「僕だったら、お父さんが病気の時にこそ会いに来るのに……。」
 ラルスの呟きに、トゥーリナとターランが顔を見合わせた。ターランが口を開く。
「自分を捨てた酷い父親が苦しんでいるからって、可哀想ってお見舞いに来ようと思う人って、そう多くない気がするんですけど。」
「えっ、確かに本当のお父さんは皆を捨てたかもしれないけど……。でも……、皆無事に大人になってるんだし……。そりゃ、中には奴隷になった人がいるって聞いた気もするけど、そういう人って少ないんじゃないのかな。」
 トゥーリナとターランはまた顔を見合わせた。今度は二人で会話をはじめる。
「なあ、ラルスってさ、もしかして、とっても運のいい奴とか……。」
「僕もそんな気がするんだよね。捨てられはしたけど、皆がいい家庭に拾われたなんて思っているみたい。」
「やっぱり、そう思うか。」
 トゥーリナとターランがこそこそ話しているので、ラルスはぽかんとした。
「あの……どうしたの……じゃなくて、どうしたんですか?」
「ああ、いや……。」
 トゥーリナは、兄弟皆が幸せになんて育っていないぞと言いかけて、外見はともかく、この人の良さそうな兎にそれを知らせて何の意味があるのだろうと思い、止めた。「ああ、そうだ。あんた俺の兄貴なんだろ。だったら、丁寧語なんて使うなよ。いや、たとえあんたが弟だったとしても、兄弟で丁寧語なんて変じゃないか。」
 ラルスはにっこり微笑んだ。
「トゥーリナ様が……トゥーリナがいい人で良かった。なんとなくそう言ってくれる気がしてたんだけど、万が一、お前が兄貴でも俺は第一者だぞなんていう人だったら、嫌だなと思って、気をつけてみたんだけど……。僕の思ったとおりの人で良かった。」
「そ・そうか……。ま、そんなの当たり前だろ。」
 口ではそういいつつ、少し嬉しそうなトゥーリナであった。



08年9月14日
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