焦燥



鷹山は、バイクのスロットルを全開にして急いでいた。

「ざまあみろ、お前も苦しめばいいんだ!」

五年前に鷹山が逮捕した犯人。
彼の犯罪は傷害致死。男が因縁つけて喧嘩をした結果だった。
彼が収監されている間に、妹が犯罪者の妹と責められ、レイプされ自殺した。

鷹山は恨まれていたのは知っていたが、それがまさか相棒へと向けられるとは。

迂闊だった。
ぎりっと奥歯を噛みしめる。

男の言葉が頭の中で繰り返される。

「さあ、間に合うかな?」

冷や汗がじっとりと背中を覆う。
男が投げて見せた写真には、大下と立花が倒れて写っていた。

「俺の商売、覚えてるかな」
「!」

鷹山はまるで雷に打たれたようにビクリと立ちすくむ。

「そう、製薬所の研究室勤務。ちょっといじった薬を打ってある。あんたの運とこいつらの運が良ければ、助かるかもなぁ」
「きっ…さま…」
「いい顔だ。それが見たかったんだよ」
「どこだ! 二人は!」

鷹山は男の襟首を掴み、絞り上げた。
男の呼吸を止めるような絞り方だ。男の顔が紅潮し、表情を瞬間歪めるが、ニヤリと笑った。

「江東の…中光倉庫だ、よ」
「薬の組成は!」
「勝手に調べろよ。それも含めての運だ」

さらにぎりりと襟首を締めるが、男は頑として話さない。ぐぅっと苦しそうにはするが、絶対に口を割らない。
鷹山はそのまま背負い投げをかけ、みぞおちへ蹴りを入れて男の意識を飛ばすと、たまたま通りかかった人に警察を呼ぶように言い、自分のバイクへとまたがって江東へと走らせたのだった。

「さあ、間に合うかな?」

男の言葉が頭の中で、まるで呪文のように繰り返される。

倉庫はバイクで10分ぐらいの場所にあった。前には、立花が乗ってきたであろう覆面パトカーが止まってる。
倉庫にたどり着くまで、数時間もかかったような感覚に、ドアを開ける手が震えていた。

立花をダシに、大下が呼び出されたのだ。

「ユージ!」

目の前には、男に投げられた写真そのままで倒れている二人がいた。
ざっと血の気が引く。

「ユージ! ユージ!」

大下の名前を連呼し、顔を覗き込む。
その声に大下が微かに目を開けた。

「た…かぁ」

が、目の焦点は自分には合っていない。冷や汗は止まらない。

「こ、…うは」

鷹山はすぐ側に倒れている立花の様子も確認する。
息遣いは感じられるが、大下より状態は悪い。鷹山の問いかけに、大下の様に答えることもない。

「…っ」

ふと床を見ると、割れた注射器の破片が散らばっていた。
鷹山は手早くそれを集めてハンカチへと纏めた。自分の手を傷つけない様に、中の液が残っているのを期待しつつ、ハンカチでも床の上を少し拭く。

「た、か?」
「大丈夫だ、まだ息がある」
「そ、か…よか…」

そのまま目を閉じようとするのを、慌てて頬を叩き、起こす。

「いたた」
「起きてろ! これからコウを運ぶから、お前は自力で立て!」

無茶な話なのは重々承知だが、そうとでも言わないとこのままここで死ぬのではないかと、焦っていたのだ。

「立て、るかよ」
「じゃあ起きてろ、一気に二人は無理だ!」
「…おけ」

まだ目の焦点は合っていない。
だが、会話ができる分、マシだ。
立花を抱え上げると、覆面パトカーへと運ぶ。

「コウ、おい、しっかりしろ」

力なく下げられた手。全てが弛緩した身体。いつもより冷えた体躯に焦りが増す。
後部座席へと運ぶと、パトカーの無線機へと手を伸ばした。

「こちら特機2! 警視庁応答せよ!」

カチカチと無線のマイクの操作をするが、反応はない。
鷹山は舌打ちをした。男が無線を壊していたのだ。
試しに車のセルを確認してみると、こちらは特殊コードでの起動だったため、エンジンはかかった。
鷹山は安堵すると共に、眉根をひそめた。
車のエアコンを入れて、倉庫へと引き返す。

「ユージ!」
「…た…」

刻一刻と迫るタイムリミット。鷹山へと微かに向けた笑顔に、血の気が引く。

「行くぞ。ちょっと恥ずかしくても気にするな」
「気に、するよゆー…ねー…よ」
「それだけ言えれば上等」

鷹山は大下を抱え上げると、狭い通路をまた走る。
息遣いが聞こえている。かなり細くなってきている。

猶予はない。
鷹山は覚悟を決めた。

大下を助手席へと運びシートベルトをかけると、鷹山は運転席に座った。
その行動に伴う振動に、大下が眉根を寄せた。

「た、か?」
「お前らを病院に送る」
「あ、いや、あの、ね? おま、最近ライセンス、取り直した、ばっか、だよね?」

常日頃、刑事時代からの癖で運転は大下なのだが、遠出することが発生することもあり、探偵になってから鷹山は失効していた免許を取り直したのだ。

「で、電話、しよ、んで、俺ら」
「大丈夫、この車オートマだから」
「…いや、Rじゃなくて、良かったけど、あのね」

Rというのは、西部署の誇る特別機動車。3台あり、大門軍団時代から数えると2代目になる。そちらは機動力を考えて、未だにミッション車なのだ。

「お前は平気でも、コウがヤバいんだよ」

その言葉に、大下の体が硬直する。

「それに、もう警察に連絡はされてる。あとは時間勝負だ」

いくら昔運転したことがあり、取り直しも一発だったとはいえ、取り立ての人間の隣というのはただでさえ恐怖であるというのに。
この状況は、確実に、自分であっても運転は荒くなる。タカじゃどうなるか!
自分の命も危ないのはわかっているのだが、別の意味で危ないと思い、運転を代わりたいのだが動かない自分の体を憎んだ。

車は急に動き出す。
大下の視界はぼやけていて、鷹山へのアシストも出来ない。もう、なる様にしかならないと思い、シートへはりついた。
その荒い運転に、つい大下が口を挟んだ。

「おま、俺の隣で、何見てたんだよ…!」
「お前の運転」
「はい、すみません…」

大下はシートの中で小さくなった。

すると、車の前に見慣れた人間が現れた。

「え?」

鷹山が目を丸くして、慌ててブレーキをかける。

「龍? 何でここに!」
「りゅ…?」

高崎龍。本名立花隆。立花の兄で、一流芸能人。
本来ならばこんな場所にいる人間じゃない。

「変われ! 鷹山!」

運転席のドアを強引に引き開け、シートベルトを外すと、高崎は鷹山を引きずり出して自分が運転席へと座る。
降ろされた鷹山は、後部座席で立花を支えて座った。
大下は生きた心地を取り戻す。

「良かったぁ…」

その一言に、鷹山はムッとした顔をしたが、当然大下には伝わらない。

「病院でいいな」

高崎はステアリングを軽くさばき、車はスムーズに進む。パチリとスイッチを入れて、パトカーはサイレンを鳴らして、緊急走行モードへと移行した。

「何やってんだ! 鷹山ァ!」

普段の彼からは感じられない、まるで般若の様な表情で、バックミラー越しに鷹山を責めた。

「すまん。けど、どうして…」
「たまたまな、この近くで撮影あったんだ。それを見学してたパトカーの無線を聞いたんだ。そうしたら、俺のコウが行方不明っていうじゃねぇか。それですっ飛んで来たわけ。車で走るより、直線で公園突っ切った方が早かった」

軽く500mはある距離を、そんなに息を切らすこともなく走るとは、と鷹山は驚いた。その様子を見た高崎は、

「お前らの思ってるよりハードなんだよ」

と言った。

「大下、大丈夫だ。すぐに着く」
「さん、きゅ…」

ふっと息をつき、そのまま大下は気を失った。その様子を横目で見た高崎は、さらにスピードを上げた。

その道中、延々と、懇々と、鷹山は高崎に愚痴られることとなった。

「運が良かったんだ」

鷹山は取調室で男と対峙した。

「そうみたいだな。残念だ」

男はにやりと笑った。

「今度は、俺を狙え。全力で相手してやる」

鷹山のその言葉にも、嫌な笑みは崩さなかった。

「今度俺以外の人間を狙ったら」

鷹山は男の襟首をつかんで、ぐいっと引き寄せた。

 

「俺がお前を殺す」

 

男と同じ笑みで、鷹山はそう言い放った。



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