「なんで勇次が?」
『分からんよ。でもそのヌイグルミを背負った男は大下らしいし、そっちに向かっているのも事実だ』
なんとしてでも止めてくれ、鷹山は吉井にそう念を押されて無線を切った。
すでに管内の移動車両には通達されているらしく、パトカーがひっきりなしに辺りを徘徊していた。
「どういうことなのかねぇ。大下がそんな殺し屋まがいのこと」
「恐らく誰かに脅されてるんだろう。でなきゃ勇次が榊原議員を狙う理由が無い」
今榊原を狙う人物がいるとすれば、それは間違いなく彼の元雇用主であった三津谷だ。しかし三津谷は政界を追われて後、身体を壊して療養中と聞く。
彼が雇った殺し屋・・・
まさか金に目が眩んだ訳でもないだろうしな・・・まさか・・・な。
「あの・・・止めるってどうやって?拳銃つきつけでもするんですか」
町田が困惑気に問う。日頃、大してお世話になっていない先輩でも、一応心配ぐらいはするらしい。
しかし鷹山は答えず、考え込んでいた。
「鷹山?」
田中に扇子の先でつつかれて、鷹山は我に返った。
「ナカさんとトオルは勇次を止めてくれ」
「お前はどうする」
「俺は・・・」
タキシードに猫のヌイグルミ。ピンクのリボン・・・
はっきり言って、目立ちすぎる。
暗殺者にしてはお粗末だ。見つけてくださいと言わんばかりの姿である。
とすればこれは・・・陽動だ
鷹山は確信した。
本命の殺し屋は、直ぐ近くで榊原議員を狙っている。
「道化じゃなく、本物の殺し屋を探す」
大下は住宅街の裏道を歩いていた。
バスでホールまで近づくことは出来なかった。俄かに沸いて出たパトカーが数台、バスを追い抜いて行ったとき、大下は一番近いバス停で降りたのだった。
気分は逃亡者だ。
実際は悪夢のプレゼントを届ける、真夏のサンタクロースなのだが。
どうやら自分は警察に追われているらしい。同業者の感で、それがただの不審者狩りとは違うことにも気付いていた。
恐らく大下の目的が、いや、あのホテルの男の目的が警察内部に漏れたのだろう。
「で、俺はどうしたら良いワケ?」
これを届けなければ関係の無い人たちが迷惑する、男はそう言った。何処かで自分を見張っているとも言った。
なんとしてもシンフォニーホールに着かなければならない。
しかし奴の目的は榊原議員を殺すことだ。現職刑事が現職議員を殺害。洒落にもならない。
止め方は榊原の娘が知っている・・・
どういう意味なのだろうか。
大下は歩きながら考え込む。
たしか、『ジュリア』と言った。それが榊原の娘の名だろうか・・・
「わっかんねぇな」
ものの数秒で、大下は考えるのを止めた。
じりじり照りつける日は傾き始めている。しかしその分、アスファルトの照り返しは強くなっている。
「兎に角、あっちへ行けばタカがいるしな」
他力本願を絵に描いたような割り切りを示すと、大下は辺りの気配を伺いながらひたすらホールを目指した。
シンフォニーホール前の広場の真ん中に、瀟洒な時計台がある。現在四時半。既にオレンジ色の西日が白い建物と広場の敷石を照らしている。
ホールの中では発表会が終了し、皆がロビーで挨拶やその日の感想を述べ合っていた。その中には榊原とその夫人、恵美子。そして本日五歳の誕生日を迎える榊原の娘、樹里亜の姿があった。
ロビーのガラス越しに見える三人の笑顔は、眩しいくらいに明るい。その様子から榊原は血の繋がらぬ娘を、本当の娘同然に愛しているのが分かった。
狙うなら、ホールの玄関から出て車に乗り込むまでの短い時間
鷹山は三人から目を逸らすと、辺りを慎重に見渡した。
広場の前には迎えの車が数台と、先にホールを出た数組の家族。怪しげな姿は無い。
焦りを感じ始めたとき、無線お呼び出し音が鳴った。
「鷹山」
『た、田中だ・・・逃げられた。あいつ、足早くて・・・』
無線の向こうでは走っているのか田中が息も絶え絶えに叫んでいる。
鷹山は額に手を当て天を仰いだ。
「何やってんの。ちゃんと捕まえてよ」
『俺が追いつくより、大下がそっちへ着くほうが早いと思うぞっ!』
ナカさんは兎も角トオルはどうしたんだ、と言いかけて、鷹山は動きを止めた。
広場前の道路を渡る歩道橋の上。
去り行く家族連れとすれ違う一人の若い男。
上品なスーツに、大仰なカサブランカの花束。
それだけであれば、恋人か誰かの祝いの席に駆けつけるありふれた姿に見えたことだろう。
しかしその男を見つけたのは鷹山だった。
刑事の勘が、鷹山の胸に警鐘を鳴らす。
突然鷹山の背後にざわめきが起こった。びくりとして振り返ると、ホールの玄関扉が大きく開け放され、ロビーにたむろしていた人達が一斉に外に出てきたのだ。
談笑しながら出てくる人々の中に、榊原議員の姿もあった。
鷹山は唇を噛んで視線を歩道橋の上に戻した。
男が立ち止まっている。そしてゆっくりと花束の中に手を突っ込んだ。
鷹山は駆け出していた。ホール前の広場を横切って歩道橋の下までおよそ50メートル。視線は男に定めたまま、ホルスターからマグナムを抜く。
男がカサブランカの中から取り出したのは、銃身の長い拳銃だった。
「止まれっ!」
歩道橋まで後数メートルのところで、鷹山は銃を構えて叫んだ。
鷹山の鋭い静止の言葉に、男はびくりとしながらもすばやく反応した。ロングバレルの銃を構えたまま、くるりと45度回転する。
銃は横の動きに弱い。しかしそんな定説を覆すほどの鮮やかさだった。一瞬で照準が鷹山に合わされる。
広場に銃声が響いた。
少し遅れて、人々の悲鳴が上がった。
暫しにらみ合った後、歩道橋の上の男がガクリと膝をついた。鷹山は肩の力を抜いて、まだ薄く煙の残る銃口を下ろした。
足早に階段を駆け上って男に近づく。右肩から血を流して倒れている男は、それでも生きていた。
死なないように撃ったのだ。まだ死なれては困る。
こいつにはあの爺さんの悪事を洗いざらい吐いてもらう予定だ。
歩道橋の上からは、ホールの玄関前で佇む人々が見えた。
のだが・・・
「あいつっ!」
植え込みの隙間から広場に出てきた大下が、よろめきながらホールから出てきた群集に向かって行く。
タキシード姿はこの際目を瞑るとして、背中に括り付けた巨大な猫のヌイグルミは、どう見ても怪しすぎる。
まさか・・・
そんな筈は無い、と思いながらも、鷹山の胸が騒いだ。
まさかここであの爆弾が爆発したら・・・
拳銃を握った鷹山の右手が、ピクリと動いた。
「じゅ・・・ジュリアちゃん!?」
大下はハイソな群集の中に赤いドレスの少女を発見して、完全に膝が萎えた。
知らない人間に拉致られお荷物背負わされ、挙句同僚どもに追い立てられて、人間不信と疲労の局地にあった大下は、泣き笑いの顔で膝をついた。
オーガンジーをふんだんに使った赤いドレス。かわいらしく結い上げた髪に赤い薔薇の髪飾り。
大下の背のヌイグルミと全く同じ衣装を纏った少女は榊原と、少女に良く似た美しい婦人に手を繋がれて、大下を見つめていた。
時計台が鐘を打ち始めた。
大下ははっとして、少女に向かって叫んだ。
「こ、これの外し方を・・・」
「きゃあっ!」
大下の背の物体に気付いた少女は、喜悦の悲鳴を上げて両親の手を振り解くと、大下に駆け寄ってきた。
そしてしゃがみこんだ大下の背後に立つと、その小さな手をピンク色のサテンのリボンにかけた。
「え?・・・ああっ!!それは・・・ダメダメダメダメっー!!」
大下の叫びも空しく、リボンがしゅるしゅると音を立てて解かれる。
この数時間の間背中にへばり付いていた毛玉の塊は、いとも簡単に少女の手によって引き剥がされた。
「勇次っ!」
「タカっ!」
どこから現れたのか、鷹山が駆け寄ってくるのが見え、大下は泣きそうな顔で相棒の名を叫んだ。
五つ目の鐘が鳴り終わり、そして辺りに静寂が訪れた。
静まり返った広場の真ん中で、ひざまずいた大下の耳に小さなメロディが聞こえた。耳慣れたそのメロディは・・・バースデーソング?
「・・・」
樹里亜はキョトンとして、腕の中のヌイグルミを見下ろしている。
音楽が鳴り終わり、再び訪れた静けさの中に低い、しかし温かみのある男性の声が響いた。
Happy Birthday. Dear My Kitten
少女の目が一瞬丸く見開かれ、そしてその可愛らしい小さな唇が言葉を紡いだ。
「パパ・・・」
そして嬉しげに愛しげに、その手に有り余るほどの大きさの子猫のヌイグルミを抱えて、ほお擦りした。
大下と彼を助け起していた鷹山、そして榊原と恵美子夫人。
その場にいた誰もが、その様子をただ言葉も無く見守っていた。
翌日の新聞は、榊原議員の暗殺を示唆したとして、三津谷元国会議員の逮捕のニュースが大々的に報じられた。
鷹山が撃った若い殺し屋は、三津谷に頼まれたことはあっさりと自供したからだ。
先の告発では実刑を免れた三津谷も、今回は逃れることは出来なさそうだ。
そんな中で、正体不明の国際的殺し屋、Mr.Jの姿は、再び日本から消えた。
鷹山と大下は、そう広くは無いが上品な榊原の邸宅で恵美子夫人と対面していた。
二階からはピアノの音が響いている。きっとあの樹里亜が弾いているに違いない。隣にあのヌイグルミを座らせて。
「ご存知だったんですか」
鷹山の唐突とも言える質問に、恵美子夫人は首を横に振った。
「いいえ。三年前に分かれたきり、彼が何処にいるのかも知りませんでした」
「彼は、樹里亜ちゃんの・・・」
最期まで言わせずに、婦人は頷いた。
あの殺し屋と婦人の間にあったロマンスは、だれも踏み込めない領域なのだろう。
生涯二度と会うことの無い、永遠の恋人・・・
「あの人が・・・主人を守ってくれたんですね」
闇の世界で畏れられた、Mr.Jと呼ばれる殺し屋。
蛇の道は蛇。
彼はその筋から、榊原暗殺の件を知った。闇の世界に生きる人間として同業者を売ることは出来ない。しかし愛した女性と娘の幸せは守りたい。
そして考えあぐねた彼が出した結論が、これだったのだ。
大下があの馬鹿げた道化師の役回りを演じきれるか・・・
鷹山が陽動を見破り、真の殺し屋を発見出来るのか・・・
確信など一つも無い状況で、あの男は計画を実行した。
自分の娘と愛した女性の、新しい幸せを願って・・・
「タカぁ・・・」
「頑張ったな」
「頑張ったな、じゃ割が合わねえよ」
大下は不貞腐れたようにハンドルにがんっと頭をぶっつけた。
鷹山はくすりと笑って、胸ポケットから煙草を取り出した。
「結局、爆弾なんて何処にもなかったんじゃん」
よくよく考えてみればホテルでのあの声の主は、『爆弾』などとは一言も言ってはいなかったのだ。
「全く手の込んだ誕生日プレゼントだぜ」
「やられたな。向こうが一枚も二枚も上手だったってわけだ」
「もう引退しろっての」
「気付いてたんじゃないのか」
「何が?」
「あれが本当は爆弾なんかじゃないってことをさ」
「ふん」
鷹山が煙草に火をつけ、大の唇に挟んだ。大下は二三度煙をふかして、そして唐突に身を起すとサイドブレーキを落とした。
「署まで飛ばすぞぉ!」
後日、大下が駆けつけたホテルの裏手に停めた覆面車のダッシュボードには、一枚のメッセージカードが置かれていた。
それにはたった一言、こう書かれていた。
『ご苦労様でした With Love From Your Killer』
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