―果てしない漂泊の旅―

 一方、更家と私の、いつ目的地に着けるとも分からぬさすらいの旅は、まだ何日も続いた。その道が、タイの領地内で、もはや空襲も敵弾が飛んでくる心配がないことだけが唯一の救いだったが、飢えの危機は限りなく私たちを襲った。幸いなことに、私の背嚢の中にはまだわずかだったが下着が残っていた。また、万年筆と腕時計もあったので、道中、人家があればそこに立ち寄り、メーホーソンで習ったいくつかのタイ語の単語に身ぶり、手ぶりを添えて、物々交換をした。もはや、食べる物がまったくない切羽詰った状況の中では、米の値段が高いとか安いとかいってはおれなかった。時計一個が、わずか一日分をつなぐ米と代わった。
 ある日、ニッパ・ハウスで休んでいた時、十人ほどの現地の人が牛の背中に物資を積んで運んでいるのに出会った。その荷が「米だ」と悟った私はすぐ近寄った。そして、背嚢の中をまさぐったが、もう売れるほどの目ぼしい品物はない。仕方なく私は、指先に触れた仁丹の一粒をリーダーらしい年配者に渡し、別の一粒をかんでみせた。同じようにかんでいたその年配者は、口の中に広がる清涼感が気に入ったのか、「もう少しくれないか」と手ぶりで要求した。内心「しめた」と思った私は、知っている限りのタイ語を並べ「仁丹をやるから米をくれ」と交渉、わずかばかりだったがそれを手に入れた。
 

仁丹と米を交換した現地人

 とある小川のほとりでは、豚を解体している二、三人の現地人と出会った。飢えている私はその一切れの肉がほしかった。それがダメなら皮でも内臓でもいいと思った。しかし、交換するものはもはや何もない。仕方がないので川のほとりで解体が終わるのを待った。最後にはきっと何かいらぬ部分を捨てるだろう、それを拾おうと考えたからだ。待った甲斐はあった。彼らは引き揚げる時に、ヒモのような肉の一片をポイと川に捨てた。その瞬間、私は夢中で川の中に入っていた。しかし、拾い上げた一片はなんとブタのペニスだった。内臓の一部か、せめて足先ぐらいはほしかったのに、期待は外れた。でも、そんなぜいたくはいっておれない。私はナイフでそれをこまかく切りきざんで更家に渡した。彼はそれが何であるか知らぬまま煮て食った。もちろん、私もそれが何かはいわなかった。シンがコリコリしていて歯ごたえがあり、味もまずいというほどのものではなかったが、いまそれを食えと出されても私はおそらく固辞するだろう。
 森の中の野生のサルもねらってみた。更家は「サルを殺すと天罰がある」とか「サルの死に顔は紫色に変わり、気持ちが悪くてとても食えたものではない」などといって止めたが、私は強引に彼の銃に弾を込めてサルをねらった。鋼板の分厚い戦車には何の役にも立たなかった小銃だが、サルくらいは撃ち落せるだろうと考えたのは甘かった。銃に弾を込めて見上げた時には、たくさんいたはずのがきれいに姿を消していた。敵もサルものだった。