クンユアムの日本軍 村人と共に働き、お互い協力して生活していた。カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。優しかった日 本兵を私は忘れない。 I know the last one soldier from the first Japanese soldier who has advanced to KhunYuam from whom everyone who returns. A Japanese soldier of KhunYuam lived by working with the villager, and cooperating mutually. It differs from the Japanese army advertised in the museum in Kanchanaburi. I do not forget a gentle Japanese soldier.
ジャルーン・チャオプラユーン(元運輸大臣)
平成17年1月8日 日泰平和財団設立準備総会にて
敗戦前に日本兵がビルマから敗走してきて、お寺、村人の家、学校、村の小さな病院などはほとんどいっぱいになっ
た。そして村の一軒一軒に日本兵が一緒に住むことになった。家の大きさによって違うが、一軒に大体5人〜20人くら いいた。また道のかたわらに野宿する人もいた。
日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。たとえば米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃ
んの子守などやってくれた。
クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことをいやだとは思わなかった。
「第二次世界大戦でのクンユアムの人々の日本の兵隊さんの思い出」
チューチャイ・チョムタワット著から抜粋
開設日:平成15年11月3日 更新日:令和6年5月5日 |