旧制第一高等学校寮歌解説

あくがれは高行く雲か

昭和21年第57回紀念祭寮歌 

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 1、あくがれは高行く雲か    ひたぶるに求めてしもの
   その名 向陵

 2、あらゝぎに登りて仰ぐ    靑空に白鷺の舞ひ
  つゝじ亂れし

 3、四つの城まばゆけれども  歌聲は低く地に落ち
   ものゝふは世をはかなみぬ

11、丘ならで誰か抱かん     去りましゝ(きよ)きみ(たま)
   傷つきし若き心を

12、あくがれは高行く雲か     ひたぶるに求めてんもの
   その名 向陵
譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じである。MIDI演奏は、1.2番、3番・11番、12番を演奏しております。各番最後の句は繰り返しています。
 調はハ短調で全番変わりはないが、拍子は、1・2番(8分の6拍子)、3番から11番(4分の2拍子)、12番(8分の6拍子)で異なる。1.2番のメロディーと12番のメロディーはよく似ているが、12番のメロディーは音程が高くなっている。間違って1番と同じように歌う人も多いので、注意を要する。8分の6拍子はゆっくりと、2拍子は行進するような速さで、ともに歌詞をよく噛みしめ気分を込めて歌って見て下さい。作曲者の廣田哲夫先輩は「こゝに、私も涙を浮かべつゝ作曲したと申し上げても、それは誇張ではありません。さればこの歌は声低くゆるやかに、たヾひとり、うたうべきであると、我と我に信じております。」と作詞者に書いております。


語句の説明・解釈

57回紀念祭寮歌は、私が、まるごしのポツダム少尉として、仙台から葉山の家にかえり、なかば栄養失調の身を、父や姉や弟妹たちのなかにやすめていたとき、とおく駒場の寮をおもって、しるしたものである。」(作詞者宮地 裕先輩から頂戴した「歌十三篇あとがき その1」から)
 作詞の宮地 裕先輩に、先輩が作詞した「あくがれ」と「りょうりょうと」についてコメントをお願いしたところ、快く承諾していただき、次のメールをお寄せいただいた。
 「若き日の歌たちよ―――五十七回の「あくがれは」の冒頭は、もと「恋といふ心は知らず」であった。「あくがれは高ゆく雲か」と直して発表されたので、勝手に直すとはけしからんと、寮委員会室に行って詰問したら、五味智英先生が直されたということだったので、そうかと言って引きさがった。編集刊行した小誌を五味先生にも呈上したかどうか、記憶がはっきりしない。今となってはどっちでもいいような気がしている。五十八回の「りょうりょうと」のほうが、当時も今も、いいと思うし好きでもあるが、それぞれに若き日の思い出として、終生、胸に抱いていくことであろう。(2011・09)」
 作者はこの歌に、「讃向陵」との表題を付けている。

語句 箇所 説明・解釈
あくがれは高行く雲か ひたぶるに求めてしもの その名 向陵 1番歌詞 憬れというのは、空高く行く雲のようなものであろうか。求めても求めても、気高く遠くへ行ってしまう。しかし、ひたすら自分が求めてきたもの、その名は、我が魂のふるさと向陵である。 
 
 原作は、「恋という心は知らず」であった。一高寮歌に「恋」はそぐわないという意見があり、寮歌審査委員であった五味智英先生が歌詞に修正を加えたという。
 「『恋といふ』の句は、もと『恋といふ心は知らず』であって、『恋をしたらばいざ知らず』という気持ちであったが、舌たらずで、しょうがないものだと、おもっている。ただ、そのときは、『だれが変えたのだ』と審査員や文芸部の連中に詰問したのをおぼえている。」(宮地裕先輩「歌十三篇あとがき その1」)
あらゝぎに登りて仰ぐ 青空に白鷺の舞ひ つゝじ亂れし 2番歌詞 時計台に登って大空を仰ぐ。雲一つない青空に、白鳥が舞っている。眼下を見下すと、時計台に沿ってツツジが赤く乱れ咲いていた。

 「あらゝぎ」は一高のシンボル時計台。「白鷺」はダイサギ、チュウサギ、コサギの白い鷺。真理、理想、また志操の清きことを象徴する。空の青、白鷺の白、ツツジの赤と色彩豊かに時計台(茶色)の情景が目に浮かんでくる(さらに時計台の前には、緑色濃き白檮が鎮座する)。
 「つつじ」は、今も時計台の周りに植わっており、春、赤紫色に咲く。「乱れ」は、乱れ咲くこと。乱は、乱発の乱。爛漫の意である。
 「理想に生くる丈夫が 志操の清き光冴えて 白鷺は高く翔るなれ」(昭和11年「陽は黄梢に」1番)
四つの城まばゆけれども 歌聲は低く地に落ち ものゝふは世をはかなみぬ 3番歌詞 戦時中の燈火管制もなくなったので、夜ともなれば四寮の窓は、眩いばかりに赤々と灯がともるが、自治を讃え、友情溢れた寮歌を歌う寮生も少なく、歌声も耳にしなくなった。戦前の一高寄宿寮で、時の権力に抵抗し必死に自治を守ってきた戦士にとって、今の乱れた寄宿寮は非常に嘆かわしい。
 「歌聲」は、寮生の生命ともいうべき寮歌の声。質実剛健、友情に溢れた昔の自治寮の面影がないということ。「四つの城」は、南・北・中・明寮の一高寄宿寮。「ものゝふ」は、武士。自治を勇敢に守って来た寮生。ちなみに、作詞の宮地裕先輩は昭和19年に応召、20年にポツダム少尉として復員後、一高に復帰。
 「恐らくは貴兄も、今日の世相に、又、嘗ては凄壮な光輝に輝いていた丘の人たちの眞劔な精進の相の、あとかたもなく消えて、実質的中学生の衒氣にみちた跳梁の場と化さんとしてゐるこの丘に慟哭し、怒られる方と思ひます。されば、私の稚い感慨も、敢えて私のかなしみの歌として貴兄の詩に賦さして頂きました。」(作曲の廣田哲夫先輩から宮地裕先輩への献辞ー前記あとがき その1から)
 「武士の魂そなへたる 一千人の青年が」(明治23年「花は櫻木人は武士」)

 「第三節に於て、その向陵も、戦後、物心の荒廃をまぬがれず『もののふ』(健児達と一般将兵をふくめて)は、世をはかなんだとしている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
熱きもの友の情を 願ひしに思ひたがひて 幼な兒はさまよひ出でぬ 4番歌詞 昔の寄宿寮のような熱い友情で結ばれた寮を期待したが、見事に裏切られた。まだまだ修養のたらない自分は、旅にさ迷い出た。
 
 「幼な兒」は、作者の卑下。
 「友の憂ひに吾は泣き 吾が喜びに友は舞ふ」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)

 「そこ(向陵)には期待していた伝統の友情すら濁ろうとしているので、寮外にさすらいでた」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
夕月夜椿落つ島 朝日出づ北の雪山 やぶれつる心和まず 5番歌詞 南の島では、夕月のほのかな月明かりに赤い椿がぽとりと落ちるの見、北の雪山では朝日に輝く白雪を見てきた。このように南に北に旅して見たが、敗戦の跡はどこにも生々しく残っており、傷ついた心は、癒されることはなかった。
 国破れて、心を癒してくれる山河すら日本には残っていない。「椿落つ島」は、大島か。椿は一般に花がまるごと落ちる。日の丸を暗に示すか。「北の雪山」は、日光・那須連山辺りか。白旗を暗に示すか。具体的には不明。場所は重要ではなく、南から北まで、傷心の旅に出たが、癒されることはなかったという意。「夕月夜椿落つ島 朝日出づ北の雪山」の短い句の中に、南・北、暖・寒、赤・白、日・月、朝・夕、島・山、明・暗を詠む、非凡である。

 「どこへ行っても国破れては心を慰める風物はない。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
還り來し故郷の城 ひととせに世は危ふくて 若き兒ら起ちて征けるを 6番歌詞 自分も学徒出陣で出征した一人であるが、運よく生きて故郷の寄宿寮に帰ってきた。ある年、日本は戦争をして、敗戦濃厚となったので、学半ばの若い学徒が筆を銃に持ち換えて、この寄宿寮から出征したのであった。

 「城」は、一高寄宿寮。「ひととせ」は、一年ではなく、ある年、先年の意。

 「第六節以下で昭和18年後の日本の敗色濃厚を『ひととせに世は危ふくて』と秀れた描写で捉え、南海で戦死した寮友の水泡のあとを悲しみ、自分も応召出征した」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
(みんなみ)の海に殘せる 一抹の水泡(みなわ)はかなみ われも亦 (つゝ)を執りしが 7番歌詞 出征学徒の多くは、将来あるあたら若い命を、南の海のほんのわずかな水の泡となって、散らてしまったのをむなしく思い、自分も亦、出征学徒の一人として、銃を執ったのであった。

 「南の海」は、南方の戦地。多くの日本兵が散った。「一抹の水泡」は、海の藻屑と散った多くの日本の将兵を暗喩する。「はかなみ」は、むなしく思う。
いつはりの余りに多き 心根を吾と悲しみ 齒がみして(つるぎ)ふるひつ 8番歌詞 この身を天皇のために捧げるといいながら、心の奥底では、なお生に執着する自分の偽りの大きさに苦しみながら、その悲しみを忘れんがために歯軋りして剣を揮うのであった。

 「心根」は、奥底ではたらく心。心底。「歯がみ」は、歯軋り。「劒ふるいつ」は、軍務を果たした。
 「国のために一身を捧げるというモラルと、自己の生命愛借の当然の本能との激しい相克をそのモラルによって辛うじて統一して強い剣を揮う学徒兵の苦しみをさながらにうち出している。之は不朽の章節であると共に、世界の学徒達に、再びこういう思いを味わせてならぬという警告として、世の人達は、うけとめねばなるまい。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
すめらぎのすめらみくには あえかにも美しきもの 桐一葉秋待たで散る 9番歌詞 天皇陛下が治める日本の国は、かよわく哀しい国であった。秋を待つまでもなく、昭和20年8月15日に連合軍に降伏してしまった。

 「すめらぎのすめらみくに」は、天皇陛下が治める日本の国。「あえか」は、 さわれば落ちそうなさま。かよわいさま。原歌は「力なく美しきもの」であった(宮地裕先輩「歌十三篇あとがき その1」)。「桐一葉秋待たで散る」は、昭和20年8月15日の敗戦をいう。
 廣群芳譜 「梧桐一葉落、天下尽知秋」(あおぎりの葉が一枚落ちて、秋になったことを知る)。
敗れにし國に聳ゆる 富士の()の雪をあはれみ かへり來ん友は幾人(いくたり) 10番歌詞 国が破れても、富士山は、太古の姿そのままに雲の上に美しく聳えている。富士の頂きの雪にしみじみ感動して、戦地から帰還できた出征学徒は何人いるだろうか。

 「あはれみ」は、白雪を頂いた富士山を見て、日本に帰ってきたのだと、しみじみ感動する。「かへり來ん」の「來ん」は、「來」(未然形)+推量の助動詞「ん(む)」(連体形)。
 杜甫『春望』 「国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」 
丘ならで誰か抱かん 去りましゝ(きよ)きみ(たま)を 傷つきし若き心を 11番歌詞 戦没同胞学徒の純きみ魂や、傷ついた若き心をやさしく抱擁し癒してくれるのは向陵以外にどこがあるというのか。
  
 「ならで」は、断定の助動詞「なり」の未然形+打消しの助詞「で」。・・・でなくて。「去りましゝ純きみ魂」は、応召し、二度と向陵に還って来れなかった同胞の英霊。
あくがれは高行く雲か ひたぶるに求めてんもの その名 向陵 12番歌詞 憬れというのは、空高く行く雲のようなものであろうか。求めても求めても捉えることができず、気高く遠くへ行ってしまう。しかし、これからも、ひたすら自分が求めていくもの、その名は、我が魂のふるさと向陵である。 

 「最終節は、第一節の繰り返しだが、ただ第2行を『ひたぶるに求めてんもの』として、第一節の『てし』という過去形を、未然形に変えて、向陵への今後の期待を深めているが、この行は、田中隆尚氏(昭和19年文乙)の『茂吉随聞』によると、茂吉にも、『アララギ調だな。なかなか高尚だ。若くてかういふものを作るようになったのだな』といわしめている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                        

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