旧制第一高等学校寮歌解説

嗚呼悠久の

昭和19/6年第55回紀念祭寮歌 

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  望濤の禱り
1、嗚呼悠久(とは)の夢を孕みて    靑霞(あをがす)(うしほ)の流れ
  (すが)し風八雲を靡け        天つ日の目覺むる涯に
  不知火(しらぬひ)の幸を覓めつゝ     ()きし西歐(にし)の大船
  龍骨の運命(さだめ)()きけむ      民あまた海に亡びぬ

7、見はるかす(あした)黑潮       新船の(さき)(かざ)せし
  朱燃ゆる護國旗(みはた)の風に    ()も濡れて集ふ丈夫(ますらを)
  大いなる時代(とき)の行手を     太刀の緒に掛けて禱らむ
  橄欖の永久(とは)の命を       光ある救ひ生まんと
3段7小節「にしの」の「の」の音符シにナチュラル記号が付いていたが、同じ小節内に先行の変化記号はなく不要であるので、省いた。
譜に変更はなく、左右のMIDI演奏は、全く同じ演奏である。


語句の説明・解釈

昭和18年10月12日、高等学校生徒は、年間就学日数の3分の1を勤労動員することが閣議決定された。一高でも二年生が日立製作所に長期勤労作業出動することになった(日立143人、多賀94人、大甕50人、栃木34人)。望濤寮とは、動員先のうち、日立の一高自治寮で、安倍校長が命名した。第55回紀念祭は、昭和19年7月7日に駒場で行なわれたが、動員先でも、日立・望濤寮、多賀・鴻湊寮、大甕・拾鱗寮三寮合同の紀念祭が翌日7月8日、日立で催された(栃木・柏野寮は別途)。この寮歌は、その日立での紀念祭の時に発表された寮歌である。
 「茨城県下の各寮では(昭和19年)6月中旬から紀念祭についての相談や連絡が進められたが、結局、7月7日はイーブ(イブ)をそれぞれの所で行い、8日に多賀会館に三寮集合して紀念祭を挙行することになった。
 7日、大甕では午後3時半から約2時間レコードコンサートがあり、5時半から約1時間、晩餐会を開いた。6時半には安倍校長と天野氏が大甕駅に来着した。
 7月8日朝、午前9時に望濤・鴻湊・拾鱗の三寮生は多賀会館に集合した。レコード音楽約30分の後、
  午前9時30分    記念式典・戦没先輩の慰霊祭
       11時    天野貞祐氏講演 「学徒の使命」
  午後1時~2時半  ドイツ映画
    3時半~4時半  巌本真理ヴァイオリン演奏
  5時半から10時半  武徳殿にて大晩餐会、日立の先輩来訪、会社より菓子代1人宛2円寄付あり。
こうして前代未聞の動員先の紀念祭は無事終了し、各自徒歩帰寮した。」(「向陵誌」昭和19年度7月紀念祭) 
  

語句 箇所 説明・解釈
嗚呼悠久(とは)の夢を孕みて 靑霞(あをがす)(うしほ)の流れ (すが)し風八雲を靡け 天つ日の目覺むる涯に 不知火(しらぬひ)の幸を覓めつゝ 沖()きし西歐(にし)の大船 龍骨の運命(さだめ)()きけむ  民あまた海に亡びぬ 1番歌詞 大東亜共栄圏の建設のために、太平洋をハワイに向った我が艦隊を運んだ黒潮に、爽やかな風が吹いて、多くの雲を靡かせよ。我軍は、波濤万里を越えて、太陽の昇る東の海の果て、真珠湾の敵軍港を攻撃した。停泊する多くの米艦船を大破させ、多くの敵兵が海に沈んで死んだ。

「嗚呼悠久の夢を孕みて 靑霞む潮の流れ 清し風八雲を靡け」
 大戦の初め、択捉島単冠湾を出港して、太平洋上を奇襲攻撃のためハワイ真珠湾に向かう機動部隊を踏まえる。望濤寮の寮室から、広々とした太平洋の海を眺めながら作ったのであろう。
 「悠久の夢」は、勝利。大東亜共栄圏建設の夢。「青霞む潮の流れ」は、黒潮のこと。藍黒色で、犬吠埼辺りで沿岸を離れ、太平洋中央部に向かう。「清し風」は、日本の主導する大東亜共栄圏の風。「八雲」は、多くの雲。東亜の多くの国を暗示する。

「天つ日の目覺むる涯に 不知火の幸を覓めつゝ 沖航きし西歐の大船 龍骨の運命悉きけむ 民あまた海に亡びぬ」
 「天つ日の覺むる涯に」は、遙か東の日出づる涯。一般的に解釈すれば、一高同窓会「一高寮歌解説書」がいうように「太陽が目覚める極東の国」の日本となるが、第一節はどうも太平洋戦争の真珠湾攻撃をいってるようであるので、日本から遙か東の日出づる涯、ハワイ・オアフ島と解した。「不知火の幸を覓めつゝ」の「不知火」は普通、「筑紫」にかかる枕詞で、一高同窓会「一高寮歌解説書」は「不知火(すなわち九州)の幸をも求めて」とするが、意味不明である。この枕詞を「都から多くの日数を尽くして行く地」と解する。「日本から幾千里もかけて、勝利を目指して」ハワイ真珠湾を目指した、となる。「覓」は、「求める」に同じ。「西歐の大船」は、真珠湾軍港の戦艦。沈没した「アリゾナ」や「オクラホマ」をいう。「龍骨の運命悉きけむ」の「龍骨」は、船底を船首から船尾まで貫通する、船の背骨にあたる材。船の運命がつきた。沈没大破したということ。「民あまた海に亡びぬ」は、真珠湾攻撃では、米側に2400名余の死者が出た。

 「東洋を侵蝕した西欧文明の没落をうたいつつ、暗に真珠湾の戦果やプリンス・オブ・ウェールズの撃沈も頭においている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」) ここにプリンス・オブ・ウェールズとは、英戦艦のことで、大戦初め、マレー沖海戦で海軍の陸上攻撃機部隊により撃沈した。飛行機が戦艦を戦没させた世界最初の海戦であった。
 「最も多数の寮生を擁した日立では、寮は日立病院の裏、牛の岡の上に建ち並んだ日立青年学校寄宿舎の最も海側の一棟で、広々とした海が見渡され、安倍校長によって『望涛(濤)寮』と命名された。12畳くらいの部屋が、1階、2階に7室ずつあり、一部屋に11、2名が起居した。山側には幅広い廊下があって机が置かれ自習室を兼ねていた。・・・朝は正副委員長らが廊下をどなりながら寮生を起してまわった。」(「向陵誌」昭和19年度)
亡び行く民の歴史や 濤幾重朱けに染めけむ 七つ(うみ)怒り轟き 渦炎大地(うづほのほおゝち)を捲けど (ひんがし)(くしび)の島ゆ 葦芽(あしかび)常萌(とこも)ゆる子ら 新なる眞實(まこと)の邦を ()()すと御言畏み   2番歌詞 東亜の民を搾取してきた米英は、戦いに負け、海を幾重にも人の血で赤く染めて滅んでいく。世界の七つの海は艦砲射撃の音が轟き、大地は炎の渦が捲き上がっているが、この戦争に勝利して、日出づる日本の国から、真に自由で繁栄する大東亜共栄圏を誕生させるとの天皇のお言葉を、葦の芽のように常に若々しく成長する一高生は、謹み承った。

「亡び行く民の歴史や 濤幾重朱けに染めけむ」
 「亡び行く民」は、真珠湾攻撃、マレー沖海戦で沈んだ米英の民。しかし、昭和18年2月、ガダルカナル島撤退(1万1千人撤退、戦死・餓死者2万5千人)、翌年6月に米軍がマリアナ群島のサイパン島に上陸し、7月、日本守備隊は全滅し、さらにマリアナ海戦で日本は主力空母3隻と航空機395機を失い、敗北した。その結果、米軍は、B29爆撃機による本土空襲の出撃基地を確保して戦争の勝利を不動のものとした。
 「東洋を侵蝕した西欧文明の没落をうたいつつ、暗に真珠湾の戦果やプリンス・オブ・ウェールズの撃沈も頭においている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「七つ洋怒り轟き 渦炎大地を捲けど」
 「七つ海」は、世界の海。時代により地域により具体的な海は異なるが、帆船時代にアラビア人が七つの海と言ったのは、大西洋・地中海・紅海・ペルシャ湾・アラビア海・ベンガル湾・南シナ海である。現在は、北太平洋・南太平洋・北大西洋・南大西洋・インド洋・北極海・南極海をいう。「渦炎」は、陸上戦における爆炎、砲火。

「東の靈の島ゆ 葦芽の常萌ゆる子ら 新なる眞實の邦を 創み成すと御言畏み」
 「東の靈の島」は、日本。「ゆ」は、・・・から。「葦芽」は、葦の芽。
 古事記『神代』 「葦芽の如く萌えあがる物によりて成れる神の名は、うましあしかびひこぢの神」
 「新なる眞實の邦」は、大東亜共栄圏。「御言」は、天皇のお言葉。
昭和18年5月31日 御前会議、大東亜政略指導大綱を決定、マレー・蘭領インドの日本領土編入、ビルマ・フィリピンの独立を決定。
8月 1日 日本・ビルマ同盟条約調印、ビルマ政府独立宣言、対米英独立宣言。
10月14日 日比同盟条約調印、フィリピン共和国独立宣言。
21日 スバース・チャンドラ・ボース、シンガポールで自由インド政府樹立。
11月 5日 大東亜国際会議開催、東亜新秩序を目指す共同宣言を採択。

潮路越え(こと)つ岸邊に ()(めぐ)(ゐつ)の言向け (かな)(がら)珊瑚()しつゝ 打ち寄する島()守れば 虐げの人草今ぞ 甦へる朝明(あさけ)の園に 華やぎの孔雀は舞へど 沖の波猛りも止まず  3番歌詞 我軍は海を越え、多方面に軍を展開し、天皇の威光を以て、刃向う敵を従わせてきた。戦いでは、多くの将兵が犠牲となった。痛ましい死体が海に沈み、珊瑚のように積み重なって、打ち寄せる敵から島を守っている。永く虐げられてきたアジアの民は、今こそ解放されたと喜んでいる。しかし、夜明けを迎えた平和な花園には、孔雀が華麗に羽を広げ舞っているけれども、敵の反攻は止まず、むしろ激しくなった。

「潮路越え(こと)つ岸邊に ()(めぐ)(ゐつ)の言向け」
 「威」は天皇が本来持つ、盛んで激しく恐ろしい威力。激しい雷光のような威力のこと。「言向け」は、言葉の力によって従わせる。

(かな)(がら)珊瑚()しつゝ 打ち寄する島()守れば」
 「愛し骸」を、井上司朗大先輩の「一高寮歌私観」は日本の将兵の散華とし、「一高寮歌解説書」は敵軍の亡骸とする。実際は敵味方の亡骸が漂っていたと推測されるが、詩としては、遠く潮路を越えて異国の地に出兵し犠牲となった我軍の将兵を悼むものと解したい。

「虐げの人草今ぞ 甦へる朝明(あさけ)の園に 華やぎの孔雀は舞へど 沖の波猛りも止まず」
 「虐げの人草」は、アジアの民。「甦へる朝明の園」は、欧米列強の支配から解放された東亜の国々。「孔雀」は、毒蛇を食うことから、仏教では神格化され一切の害毒を除く孔雀明王とされる。占領地を飛行する日本の軍用機を喩えるか。「沖の波猛りも止まず」は、敵の反攻が激しく止まぬこと。
 
昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦、4空母喪失。
12月31日 大本営、ガダルカナル島撤退を決定、翌2月1日、同島撤退開始(1万1千人撤退。戦死・餓死者2万5千人)。
18年1月2日 ニューギニアのブナで日本軍全滅。
4月18日 連合艦隊司令長官山本五十六、ソロモン上空で戦死。
5月29日 アッツ島の日本守備隊全滅。
11月25日 マキン・タウラ両島の守備隊全滅。
19年2月1日 米軍、マーシャル群島のクゼリン、ルオット両島に上陸、同6日両島日本守備隊全滅。
6月15日 米軍、マリアナ群島のサイパン島上陸、7月7日日本守備隊全滅。
7月21日 米軍、グアム島上陸、8月10日日本守備隊全滅。
 
 「忠勇な将兵が南方の島々の攻略に散華し、珊瑚礁に身を沈めつつ、その島々を守ることにより、その多くの住民達が、多年の白色人種の搾取から逃れて新生を謳歌できたが、米英の反攻は漸く激しくなった状況を、『沖の波猛りも止まず』とうあっている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌解説書」)
驕り立つ醜類(しこら)を仇と 口(ひヾ)く我は忘れじ 同胞(はらから)涙拭(なんだのご)ふと  國護(くにもり)の命は振ひ 文措きつ(あらゝぎ)を出で 皇軍(みいくさ)の矛の(そな)へと 鍛へ()す雄々しき業に 柏葉の(かヾよ)ひ新た 4番歌詞 勝軍に驕り攻勢に立つ鬼畜米英軍に今こそ仕返しをしなければならない。その手痛い犠牲を決して忘れないからだ。少しでもお国のために役立とうと、校旗に護國の旗を戴く一高生は振るい立って、勤労作業のため、ペンを置いて駒場を後にした。軍需工場で雄々しく武器を作る勤労に、国を護る向陵の新たなる使命を見出した。

「驕り立つ醜類(しこら)を仇と 口(ひヾ)く我は忘れじ」
 「醜」は、ごつごつとしていかついさま。転じて、醜悪・凶悪の意。「口疼く」は、「山椒の実を口に入れるとヒリヒリするように、敵の攻撃の手痛さをいつまでも忘れまい」という意味で、次の久米歌を踏まえる。
 「みつみつし 久米の子等が 垣本に植ゑしはじかみ(山椒) 口ひびく 我は忘れじ 打ちてし止まん」

同胞(はらから)涙拭(なんだのご)ふと 國護(くにもり)の命は振ひ 文措きつ(あらゝぎ)を出で」
 「國護の命」は、護国旗を校旗とする一高生。護国は一高の建学精神。「文措きつ」は、勤労動員のこと。学業をそのままにして、勤労作業に従事した。「塔」は、一高シンボルの時計臺。
 「(昭和19年)1月18日、閣議で『緊急勤労動員要綱』が決定された。年間4ヶ月継続で、学生も女子も中小企業や商店の人々も、まさに老若男女が根こそぎ軍需産業へ動員されることになったのである。さらに3月7日には追い打ちをかけるように通年動員態勢の確立が決まった。・・・・学校側は漫然とこれを待つことよりも、むしろ積極的に対応し、一高生の教育と健康のために好適な場所を選定すべきであると考え、文化祭が終わると、菊池栄一、市原豐太両生徒主事たちは各地の軍需工場を視察し、・・・その結果都下の工場は、通勤の疲労、空襲時の危険などから不適当であり、むしろ日立製作所の工場が田舎にあって作業環境がまさっているのと同時に、日立が最も一高側の考えを理解し弾力的な対応を示してくれたので、『日立にしたい』と決断し、その旨を寮委員に伝えてきた。」(「向陵誌」昭和19年度)

皇軍(みいくさ)の矛の(そな)へと 鍛へ()す雄々しき業に 柏葉の(かヾよ)ひ新た」
 「皇軍の矛の具へ」は、軍需産業へ勤労奉仕すること。「鍛へ作す業」は、武器製造作業。 
「柏葉」は一高の武の象徴。
 「瑞細矛千足之國(くはしほこちたるのくに)と 成しまさん精進(つとめ)の日々は」(昭和19年6月「曙の燃ゆる」5番)
 「仕事には、鋼工場の電気炉といばりおとしや伸鋼作業の重労働があり、タービンのブレード製作、○○用○○○○の組立とその部品製作の旋盤作業、○○○○○の組立などがある」(菊池栄一生徒主事「若いものの実力ー一高の勤労作業に従ひて」昭和19年9月11日))*○部分は不明であるが、日立工場長の生徒主事に対する説明では、工場は「機関砲の製造にかかる」ということであった。

 「寮生達は護国の使命に振い立ち、・・・学徒動員の本質を素直にうけとめて、それへの挺身に、向陵の伝統の新なる使命を附与している。純真且つ聰明、涙が出るようだ。国中のかかる若き秀れた人材群に、血迷った軍は一体、どのような配慮を与えたであろうか。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 
故郷(ふるさと)のオリブの老樹(おいき) 永劫(とことは)に魂の母なれ 旅衣早やも古りつヽ 新城を守る明け暮れ 片時も措かず慕へど 時つ風(あだ)(すさ)みに (うま)し枝の(おのゝ)きするか 幹こそは永世(とこよ)搖がじ  5番歌詞 橄欖の花さく向ヶ丘は、一高生にとっては、歴代一高生を育んでくれた永遠の魂の故郷である。修業年限が2年半に短縮されたため、向ヶ丘で三年を過ごすことができず、早や卒業も近くなった。勤労動員の常陸の地に遠く離れて、望濤寮の自治を守ろうと明け暮れてはいるが、向ヶ丘のことは片時も忘れることなく懐かしんでいる。橄欖の美しい枝は、時の徒な風に揺れることがあっても、、古い年輪を刻んだ幹は永久に微動だにしない。すなわち、一高寄宿寮の自治と自由は、時の権力により多少影響は受けることがあっても、その根幹をなす長い間に培われた一高の伝統と精神は、永久に不滅である。

故郷(ふるさと)のオリブの老樹(おいき) 永劫(とことは)に魂の母なれ」
 「オリブ」は、一高の文の象徴橄欖。「母」の語は、一高寮歌には珍しい。
 「わがたましひの故郷は いまも綠のわか草に」(大正5年「わがたましひの」1番)

「旅衣早やも古りつヽ 新城を守る明け暮れ 片時も措かず慕へど」
 日立工場への勤労動員は2年生。しかし修業年限短縮で、あと半年余りで卒業である。「新城」は、動員先の日立・望濤寮。
 昭和18年1月21日、高等学校令改正。修業年限を2ヶ年とし、本年4月入学生から適用された。

「時つ風(あだ)(すさ)みに (うま)し枝の(おのの)きするが 幹こそは永世(とこよ)搖がじ」
 「時つ風徒の荒みに」は、時代のいいかげんな風に弄ばれて。「荒み」は、勢いのままに荒れる、もてあそぶこと。

 「第五節は、日立の丘上の、望濤寮に在っても、片時も忘れる暇もなく駒場を慕っているが、その自治と自由とは日毎に圧迫されているようで、憂慮に堪えない、然しその60年の伝統は不動だろうと信頼をよせている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
巨浪(おほなみ)はとヾろに寄せて 赤き月沖を昇りぬ (すなご)踏み環りて我等 ()め唱ふ先人の榮 あゝ生命若き芽ぐみに 嵐こそ試錬(こゝろみ)なりし 幻の昨日には死にて 明日こそは榮え生れなむ 6番歌詞 太平洋の怒濤が音立てて打ち寄せる浜辺に、満月であろうか、東の彼方沖の方から真っ赤な月が昇った。燈下管制で、篝火は焚けない。今宵は月明りの浜辺で砂を踏み輪となって寮歌を歌い、先人の業績を偲ぼう。若い身にとっては、現在の嵐のような苦難も神が与えた試練なのだ。昨日までの負け戦は過去の幻と消えて、明日からは栄えある勝軍に転じて欲しい。

巨浪(おほなみ)はとヾろに寄せて 赤き月沖を昇りぬ (すなご)踏み環りて我等 ()め唱ふ先人の榮」
 前述のとおり多賀会館・武徳殿で紀念祭・大晩餐会が終了したのは午後10時半、実際に寮歌祭を浜辺でやったかどうかは不明。前日7月7日のイーブ(イブ)に、望濤寮の前の浜辺で行った寮歌祭の情景と解するのが素直な解釈である。一方で、「巨浪(おほなみ)」は敵の戦艦・空母、「赤き月」は敵の爆撃機を暗示しているやにもとれる。しかし、マリアナ基地を立ったB29により東京に初空襲があったのは、昭和19年11月24日のことで、紀念祭の4ヶ月余後である。*東京初空襲は昭和17年4月18日、空母ホーネットから飛び立ったドーリットル隊B25/16機によるもの。昭和19年になると6月16日と10月15日、中国基地のB29が北九州を空襲した例があるが、本格的な空襲はマリアナ基地を建設して以降である。

「あゝ生命若き芽ぐみに 嵐こそ試錬(こゝろみ)なりし 幻の昨日には死にて 明日こそは榮え生れなむ」
 「芽ぐみ」は、草木が芽を出すこと。「幻の昨日」は、これまでの負戦。「明日」は、これからの戦。

 「望濤寮の磯辺で、空襲に備え篝火なく、赤き月をたよりに、紀念祭の夜の輪舞をうたいつつ、この国難とそしてやがて出征の運命を、若き生命への一つの試錬と受けとめ、敗戦つづく『昨日』は死んで『明日』こそは勝利の栄光に輝こうと期待している。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 
見はるかす(あした)黑潮 新船の(さき)(かざ)せし 朱燃ゆる護國旗(みはた)の風に ()も濡れて集ふ丈夫(ますらを) 大いなる時代(とき)の行手を 太刀の緒に掛けて禱らむ 橄欖の永久(とは)の命を 光ある救ひ生まんと 7番歌詞 黒潮の流れる見渡す限り広々とした朝の海、ここ動員先の日立でも、安倍校長をお迎えし、望濤・鴻湊・拾鱗の三寮の寮生が多賀会館に集まって第55回紀念祭が挙行された。壇上で唐紅に翻る校旗護國旗を仰ぎ、懐かしさに、またうれしさに涙にくれる寮生達であった。不滅の真理を求める一高の伝統精神によれば、国家存亡の危機を救う光を見出し、前途洋々たる道が開かれると、神に命をかけて祈るのである。

「見はるかす晨黑潮 新船の舳に翳せし 朱燃ゆる護國旗の風に 瞳も濡れて集ふ丈夫」
 「見はるかす」は、遙かに見渡す。見晴らす。「新船」は日立・望濤寮のこと。「護國旗」は、唐紅に燃える一高校旗。日立に持って行ったのは本旗であったか副旗(昭和15年制定)であったかは不明。「丈夫」は、雄々しい一高生。
 「たぎる血汐の火と燃えて 染むる護國の旗の色 から紅を見ずや君」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)

「大いなる時代の行手を 太刀の緒に掛けて禱らむ 橄欖の永久の命を 光ある救ひ生まんと」
 「太刀の緒」は、太刀を腰に下げるための紐。太刀は主に儀仗・軍陣に用いる。「太刀の緒に掛けて禱らむ」は、命をかけて祈ろうの意。「太刀」は、武士の魂である。「橄欖」は、一高の文の象徴。「永久の命」は、不滅の眞理。自治。

 「護国旗の旗の下に感激の涙をもって集ふ寮生を描出して鮮烈、そして日本の大いなる前途を、万葉ぶりに『太刀の緒に掛けて祷らむ」といい、向陵の永久の命に『光ある救ひ生まん』と期待している。暗澹たる時局に対して何という雄々しく健気な受けとめ方であろう。だが、心を潜め、繰り返えし、この秀れた歌詞を読む時、惻々として、空襲の下、明日知れぬ命を生きている若く聰明な魂の嘆きを、きく思いがする。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
                        

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