旧制第一高等学校寮歌解説

曙の燃ゆる

昭和19/6年第55回紀念祭寮歌 

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      序ーよろこび
  曙の燃ゆる息吹(いぶき)ゆ     ()れ出でし生命(いのち)清魂(たま)
  静寂(しヾま)なる神處(みやと)森丘(をか)に   久遠(とことは)の悦びこめて
  祝ぎ歌ふ憧憬(もとめ)の歌は    ほのかなる黑潮(うしほ)融流()けて

       もとめ
1、黑潮激(しほばし)るたぎつ荒磯に   旅衣しほたれ()れて
  一人たつたまゆら生命   かヾよへるひとみあぐれば
  遙かなる水波(みなみ)の道を     眞白なる天鳥翔けり

2、天鳥の翔け行くなべに    憧憬(おもひ)なる雲し湧き立つ
  生靈放け揚ぐる呼ばはひ  海丘(うみをか)にどよもひ荒れて
  あめつちの律調荘嚴(しらべすこや)に   きらヽなる天つ日しぶく

       結びーさけび
  神聖(かみがみ)生命(いのち)の歌を      夏(だけ)絶叫(さけば)柏葉兒(をのこ)
  白雲の夕渓こだま      早瀬なす(ちかひ)()みて
  新た()のかぐはしき實を   つゝましく祈らん一日
譜に変更はない。左右のMIDI演奏は全く同じである。MIDIは、序・1・2番・結の順に演奏。

 拍子は4分の4拍子で最初から最後まで変わらないが、調の方は、「序」はニ短調、「もとめ」「おもひ」「たたかひ」は、同主調のニ長調に転調し、「結び」は、再びニ短調に転調して終わる。それほど歌われる寮歌ではないが、歌う時は、通常、序、もとめ(1・2番)、結びを歌う。


語句の説明・解釈

昭和19年の第55回紀念祭は、2年生が長期勤労動員で日立製作所に出かけ不在のため、駒場と日立の2回に分け、昭和19年7月7日駒場で、翌日同じプログラムで日立・望濤寮で、それぞれ開催された。向陵史上、紀念祭を別の場所で2回開催することは初めてのことである。天野禎祐の「学徒の使命」と題する講演、岸本真理のヴァイオリン演奏会が駒場、および多賀(常陸)両会場であった。
 米潜水艦による商船撃墜によって日本の軍需生産は次第に低下した。6月、マリアナ沖の海戦で、日本海軍は主力空母3隻と航空機395機を失い敗北した。その結果、米軍はマリアナ諸島を制圧し、B29爆撃機による本土空襲の出撃基地を確保して戦争の勝利を確実にした。西歐戦線では、昭和18年8月25日、友邦イタリアのムッソリーニが失脚、同9月3日に連合国との間で休戦協定が締結された。そして翌19年6月4日、米英連合軍による大規模なノルマンディー上陸作戦が敢行され、ドイツに対する西方からの本格的反攻が始まった。ドイツ軍もまた、敗戦が濃厚となった。
 このように敗戦が確実となった中で、昭和18年6月25日に学徒戦時動員体制確立要綱が閣議決定され、同10月2日、文科系の徴兵猶予が停止された。同10月21日、神宮外苑競技場で、ペンを銃にもちかえて出征する学徒の壮行会が行なわれた。一高でも文科系生徒119名が出征することとなり、10月15日に出陣学徒壮行の晩餐会が開催された。安倍校長は、「あすしらぬけふのいのちにとことはの いぶきをこめてゆけやますらを」の一首を贈った。そして学徒は「私自身は散っても魂は故郷たる一高に還るだろう」と想いを向陵に残して出征して行ったのである。
 第55回紀念祭寮歌は、この「曙の燃ゆる息吹ゆ」と日立・望濤寮の「嗚呼悠久の」の二つである。「曙の燃ゆる息吹ゆ」は難解な歌詞を含むが「運るもの」と同じく、所謂しり取り歌となっている。全体の脈絡のなかで、詩の内容を理解したい。

語句 箇所 説明・解釈
曙の燃ゆる息吹(いぶき)ゆ ()れ出でし生命(いのち)清魂(たま)の 静寂(しヾま)なる神處(みやと)森丘(をか)に 久遠(とことは)の悦びこめて 祝ぎ歌ふ憧憬(もとめ)の歌は ほのかなる黑潮(うしほ)融流()けて 序ーよろこび 朝日の光から生まれた太陽の子・一高生は、森閑として神々しい向ヶ丘の寄宿寮に起居を共にする。一高生は、自治が永遠に栄えるように願って寮歌を歌うけれども、その歌声は、向ヶ丘に怒濤のように押し寄せる得体の知れない黒い時代の流れに飲みこまれていく。

 「燃ゆる息吹き」は、太陽の光線。陽射し。太陽は真理・正義を象徴。「生命の清魂」は、一高生。「神處」は、神が宿る所、ここでは寄宿寮のこと。「森丘」は、向ヶ丘。「ゆ」は時や動作の起点をあらわす。・・・から。「黑潮」は、黑い大きな時代の波、軍国主義の波。「憧憬の歌」は、自治を求める歌、寮歌。「ほのかなる」は、得体の知れない。「ほのか」は、光・音・様子などが、うっすらとわずかに現れるさま。その背後に、大きな、厚い、濃い、確かなものの存在が感じられる場合にいう。「ほのかなる黑潮に融流けて」は、自治が戦時下という時代の流れにのみ込まれていったことをいう。
 「淋しく強く生きよとて 今はた丘の僧園に」(大正2年「ありとも分かぬ」3番)
 「眞理の子自治燈護る 星空の啓く宮居ぞ」(昭和17年「駒場野に」1番)
 「嚴白檮の神さびにける 丘の邊に瑞雲こめて」(昭和15年「嚴白檮の」1番)

 「かすかな黒潮の香や音に、歌がとけ流れるさまを表すようだが、作者の期待したほどの詩的効果をあげえたかどうか、疑問である」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「向陵に生をうけたことに久遠の悦びをうたう歌声が、『ほのかなる黒潮にとけて』と結句非凡」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
黑潮激(しほばし)るたぎつ荒磯に 旅衣しほたれ()れて 一人たつたまゆら生命 かヾよへるひとみあぐれば 遙かなる水波(みなみ)の道を 眞白なる天鳥翔けり もとめ
1番歌詞
向ヶ丘に時代の波が怒濤のように押し寄せ、かって「嗚呼紅の陵の夢」(大正3年「黎明の靄」2番)と謳われた向ヶ丘の三年は、今や涙にくれる日々となってしまった。明日をも知れぬ己の身を憂い咽び泣き、涙に曇った瞳を上げると、はるか彼方、水平線の辺りを海の青、空の青にも染まず真っ白な天鳥が翔けていく。

 「黑潮」は、序の最後の句の「黑潮」と同じ軍国主義の大波。「たぎつ」は、水がわき返り、逆巻き流れる。「しほたれ」は、ぐっしょり濡れる。また、涙にくれるの意もある。「旅衣」は、旅行中に着るもの。ここでは、人生の旅の途中に立ち寄った向ヶ丘で過ごす三年、向ヶ丘の自治をいう。「旅衣しほたれ破れて」は、戦時下で自治・自由が大きく制約されたこと。具体的には、高校の修業年限の短縮(2年半、昭和18年入学生からは2年)、軍隊式の修練要綱の導入、寮委員の校長任命制、文系生徒の徴兵猶予の停止(徴兵年齢の1年引下げ)等をいう。「たまゆら命」は、明日をも知れぬ短い命。作詞者は、徴兵猶予が停止された文系生徒(文甲19年卒)であった。当時の若者は、いつ戦争にとられ、命を落すかもしれぬ定めにあった。
 昭和18年10月2日、文科系の学生・生徒の徴兵猶予が停止され、明治神宮外苑で東京近郊の学徒の壮行会、12月に第1回学徒兵が入営した。この時の一高生の出陣数は、119名。このため、2年の文科系のクラスの人員はほぼ半減するに至った。
 「かヾよへるひとみ」は、きらきらと光輝く瞳ではなく、涙に曇った瞳をいう。「かかよふ」は、ともし火の影のように、静止したものがきらきらと光ってゆれること。「遙かなる水波(みなみ)の道」は、はるか彼方の水平線の辺り、または潮路をいうか。「眞白なる天鳥」は、一高生が求めるもの、「真理」、「自治」へと導いてくれる。「大和しうるわし」と飛びたった倭建命の「国思ひ歌」や牧水の短歌(うた)が浮んでくる。
 倭建命『国思ひ歌』 「倭は國のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし」
 牧水 「白鳥はかなしからずや 空の青うみのあをにも 染まずただよふ」
 「あらゝぎに登りて仰ぐ 青空に白鷺の舞ひ」(昭和21年「あくがれは」2番)
 「昭和18年10月15日、出陣学徒壮行の晩餐会が開催され、出陣と決まった119名の文科系生徒をはじめ、多数の大学先輩と寮生が参加し、盛会を極めた。征くもの、とどまる者、それぞれから生と死を見つめ合う偽りのない感懐が述べられた。安倍校長は乞われるままに謡曲を演じたうえに、『あすしらぬけふのいのちにとことはの いぶきをこめてゆけやますらを」の一首を贈り、一人一人に『武運長久安倍能成」と署名した国旗を手渡した。」(「一高自治寮60年史」)
 
 「『もとめ』の副題下の第一節はたまゆらの生命ではあるが、自己の青春のいのちの極みない膊動と憧憬とは、天地の荘厳な律動と究極的にマッチしているというふかい体感を吐露し」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 
天鳥の翔け行くなべに 憧憬(おもひ)なる雲し湧き立つ 生靈放け揚ぐる呼ばはひ 海丘(うみをか)にどよもひ荒れて あめつちの律調荘嚴(しらべすこや)に きらヽなる天つ日しぶく 2番歌詞 天鳥が翔けていく彼方の空には、雲がもくもくと湧き立って、自治への憬れが膨らむ。一高生が紀念祭を祝う歓呼の声は、海にも丘にも四方に怒濤のように響き渡り、絶好の日和に、太陽は光り輝き、燦燦と陽射しを降り注ぐ。
 
 「なべに」は、・・・と同時に。・・・につれて。時間的に同時・連続の意を表す助詞。「憧憬なる雲」は、自治の雲。「生霊放け揚ぐる呼ばはひ」は、「生霊」を生きた人間、すなわち一高生のことと解し、「紀念祭で一高生が放つ歓呼の声」と解する。「放け(く)」は、離して遠ざける。一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「『イクタマサケアグルヨバハヒ」で、生きた御霊に遠くから呼びかけ声をあげることを言うのだろう。表現がごたついた感じはヨバハヒによるか。『ヨバハリ』とか『ヨバヒ』という語は、古語・現代語にもいずれにも存在しないのではないかと思われる。」 現在、一高寮歌の会では、「生霊」は、「くしび」と歌っている。「呼ばはひ」は、「呼ばひ」と同根とみて、現代語の呼び合う程度の意と解せばいい。この項の読み・意味などにつき、作曲者の馬場先輩にメールでお聞きしたことがあったが、「作詞者と連絡が取れず、分からない」ということであった。「どよもひ荒れて」は、怒濤のように響き渡って。「荒れて」は、荒廃の意ではなく、ここでは、激しくの意と解す。
 「あめつちの律調荘嚴(しらべすこや)に」は、天地のリズムもすこやかに。すなわち、絶好の日和のことと解す。「すこや」は「すくや(健や)」の転。しっかりしていること。「きらゝなる天つ日しぶく」は、一高同窓会「一高寮歌解説書」は「荒れた海の潮けぶりが天つ日に吹きつけることをあらわすか」とするが、「しぶく」は、「潮けぶり」ではなく、「陽射しが降り注ぐ」と解する方が自然で素直な解釈であろう。「きらら」は雲母のことだが、「きらゝなる」は「きららか」の意、「輝くばかり美しいさま」である。
きらゝなる陽日()に幸きはへし 夏の木實()のうまし子ぞ吾 みづみづし生命の歌は 無明(むみょう)なる人生(ひとよ)深淵(そこ)に 友と今一つこゝろの (まこと)なる縁むすびぬ おもひ
3番歌詞
一高生は、輝くばかりの陽射しを体中に享けて、日に日に大きくなった夏の木の実のように生命力溢れた凛々しい青年である。真理・正義の通らない暗い世の底に突き落とされ絶望に喘ぐ時もあるが、そういう時は、友と寮歌を歌って、生きる元気を取り戻す。向ヶ丘で、悩み苦しみを共にすることにより、友と一つ心となり、真の友情を結んだ。

 「幸きはふ」は、生長の働きが頂点に達して外に形を開く意。「みづみづし」は艶があって若々しいさまをいう。「生命の歌」は、寮歌。一高生に生きる力を与える。「無明」とは仏教用語で、十二因縁の第一、真理を知ることが出来ず無知であること。「無明なる人生」は、真理・正義の通らない軍国主義の世。「信なる縁」は、真の友情。
 「友と今一つ(こゝろ)に 兄弟(はらから)の契り結びて」(昭和14年「仄燃える」2番)
 「行く道の苦しみに挑むべく 共に友と契り合へり」(昭和16年「ほのぼのと明けゆく丘に」2番)

 「『おもひ』の第三節は、初め一行で、あくまでの自己の生命を礼讃しつつ、向陵で心の友とめぐり合ったことの幸福をたたえ」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
巡禮(めぐり)なる星の思想(おもひ)は 運命(さだめ)なれ黙示の丘に 灯のほの洩るゝ頃 紅葉なす(はぐさ)そよぎて 縹緲のさしぐめる頰に 散りそぼつ時雨の愁心(うれひ) 4番歌詞 星の黙示をうけて向ヶ丘で真理を追究するのは、一高生の定めである。夕、寮のともし灯がほのかに窓から洩れる頃、星の黙示を得べく向陵を逍遥する。遠くかすかに、今頃は青々と茂っているはずのえのころぐさが、早や枯れ穂となって風に揺れている。この枯れ穂のように我が身も花咲くことなく枯れ果ててしまうのかと思うと、悲しくなって涙が頬を伝う。愁いは深く、時雨に遭い、身体の芯までびしょ濡れになったように冷たく心が痛む。

 「巡禮なる星の思想」は、真理に憧れて、これを求める旅を巡礼といった。一高生は、人生の旅の途中、向ヶ丘に立ち寄って、真理を追究する。「運命」は、真理追究は一高生の定めであること。「黙示の丘」は、星の黙示を仰ぐ丘。向ヶ丘。
 「黙示聞けとて星屑は 梢こぼれて瞬きぬ」(明治36年「緑もぞ濃き」1番)
 「莠」は、水田の雑草のことだが、ここでは季語が秋である「えのころぐさ」の類をいう。わが国各地の路傍に見られる雑草。茎の高さ20から40センチ。夏、緑色の犬の尾に似た穂を出す。関東ではネコジャラシともいう。「縹緲」は、遠くかすかなさま。はるかに広いさま。「さしめぐる」は、(涙が)出てくる。ふっとにじむ。「そぼつ」は、しみて内部まで濡れる。一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「ここは自治寮のある丘に灯の洩れる頃、莠がそよぎ、紅葉のようにほんのりと朱の色のさした頬に、という意味かとも思われるが難解。」とする。「紅葉なす」は、頬ではなく、青々と茂っているはずの莠が、はや枯草のようになって、と解せば、歌詞の意が理解できるのではないか。時は夏、紅葉は秋である。この季節の違いに注目すべきである。
 「寮生活の中で、かたみに真情を傾け、真理を追究しつつ、莠の紅葉する夕方は、限りない前途への希望と絶望との間に揺れ動く心を、友と時雨の中に語り合う。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
どよもせる愁情(うれひ)たぎりて 階音(しらべ)なす創造(つくり)久遠(とこは) 瑞細矛千足之國(くはしほこちたるのくに)と 成しまさん精進(つとめ)の日々は あからひく血潮に染みて まくろなる色に光彩(ひかり) たたかひ
5番歌詞
相次ぐ敗戦(まけいくさ)の報に、愁いは限りなく湧いてくる。高ぶる心の音にあわせて、勤労動員先の工場の機械は、昼夜を分かたず調子よく音を立てる。精巧な武器の充分にある国を作ろうと、勤労作業に精進する日々に生産される鋼鉄の武器は、一高生の赤い血潮に染まって、真っ黒な色に光っている。

 「どよもせる」は、あたり一面に響き渡らせる。「愁情」は、敗色濃い戦局を愁いてか、向ヶ丘を離れ、勤労作業に駆り出された我が身を愁いてか。以下、前者の意と解す。愁いは音を立てるわけではないが、心の高まりを武器を生産する工場の機械の音に重ねて表現した。 昭和18年のカダルカナル島の撤退、19年のサイパン島日本守備隊全滅、マリアナ沖海戦の敗退と米軍の勝利は不動のものとなった。友邦のイタリアが破れ、米英軍がノルマンディーに上陸してドイツも敗色濃厚となっていた。「たぎりて」は、心が激しく高ぶって。
 「『愁情』は修飾語がドヨモセル、述語がタギルであるのは、そぐわない感じを与える。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「階音」は、快音か諧音か。諧音は、調子のよい整った音をいう。「音」は、動員先の工場の音。「創造の久遠」は、昼夜を分かたない武器の製造。「瑞細矛千足之國」は、精巧な武器の充分にある国。日本国の美称。「精進の日々」は、勤労動員の日々。「あからひく」は、赤い色を帯びる。赤みがさす。「まくろなる色」は、鋼鉄の武器の色。血は酸化すると黒くなる。工場で生産される武器は、勤労学徒の血と汗の結晶である。
 「諧音(うましね)の五音の調べ 戰鬪(たたかひ)詩諧(うた)を刻むか」(昭和11年「若駒の」想)
 「ハンマーの耳鳴り止まず ()(がて)の日立の夜々や」(昭和20年「曉星の淡き」3番)。

 昭和18年 2月 1日、ガダルカナル島撤退開始(1万1千人撤退、戦死・
               餓死者2万5千人)
         5月29日、アッツ島の日本守備隊全滅。
         7月15日、陸軍多摩製造所などに連日590人の勤労動員
                (~7月23日)。
        10月12日、年間3分の1の勤労動員が閣議決定され、翌4月、
               2年生は日立製作所に長期勤労作業のため出発した
               (帰寮は9月と10月、半年に及んだ)。
        11月25日、マキン・タワラ両島の守備隊全滅。
    19年 2月 6日、マーシャル群島のクェゼリン、ルオット両島の
               守備隊全滅。
         6月 4日、ローマ解放。同6日、米英軍、ノルマンディー上陸。
           15日、米軍、マリアナ群島のサイパン島上陸。
           16日、北九州をB29空襲。
           19日、マリアナ沖海戦。
         7月 7日、サイパンの日本守備隊全滅。
今日よりは顧みなくて 大君の夕(づつ)いのち 鋭刃(とば)さやけ肉群(しし)すこやけく 仇つ邦(しこ)腥臊之氣(にほひ)を (はら)ふとて散りしみたまら 神聖(かみがみ)し胸に籠りて  6番歌詞 今日からはこのはかない命を天皇に捧げたのであるから、 もう何の心配もない。刀の刃は冴え、肉体は剛健な学徒が、仇敵の醜悪な汚らわしい匂いを払うと出征した。しかし還ることなく英霊となった同胞は40数柱に上る。その魂は神となって、我々寮生の胸に宿っているのだ。

 「今日よりは顧みなくて 大君の」
 万葉20・4373 「今日よりはかへりみなくて大君の 醜の御楯と出で立つ吾は」
 「夕星」は、宵の明星・金星のこと。「夕星いのち」は、兵士の命で、天皇の命ではない。夕星は、宵のうち1、2時間しか見えないはかない星であって、「大君の、夕星(金星)のように限りない生命を、の意味か」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)と解するのは如何なものか。天皇は日の御子、太陽の子。これに対し金星はヴィーナス、か弱き女性である。「すこやか」は「すくやか」の母音交替形、しっかりしている、力強いこと。「仇つ邦醜の腥臊之氣」は、仇敵の醜悪な汚らわしい匂い。すなわち鬼畜米英。「攘ふとて散りしみたまら」は、出征戦没学徒の聖霊。紀念祭では戦没先輩四十数柱の慰霊祭が挙行された。
 「一身を君国のために捧げ、命を夕星のはかなさに置き、皇国に仇する醜敵撃滅に出で立って、多く戦死したが、その聖霊が、今後輩たる我等の胸に、神として宿っているという。鋭く屈折した表現である。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
               
神聖(かみがみ)生命(いのち)の歌を 夏(だけ)絶叫(さけば)柏葉兒(をのこ) 白雲の夕渓こだま  早瀬なす(ちかひ)()みて 新た()のかぐはしき實を  つゝましく祈らん一日 結びーさけび 寮歌は、同胞英霊の魂のこもった、一高生の命ともいうべきものである。わずかに頂上に白雪を頂いた夏の富士山に向って、一高生は戦没同胞の鎮魂と、眞理を求め絶叫する。その寮歌の声は、遙かかなた、白雲の高伏す山の夕渓(ゆうたに)にこだまする。水の早く流れる瀬のように清らかな友情を誓い合った一高生は、紀念祭の今日一日、戦争が終わって、寄宿寮に自治と自由が甦る平和の新しい日が来ることを祈ろう。

 「夏嶽」は、富士山とした。富士山の頂には、わずかに真理を象徴する白雪が残っていたか。「柏葉兒」は、一高生。「新た生」は、自由自治が甦り、戦争が終結した平和な世。「かぐはしき」は、香りがよい。美しい。
  
 「玲瓏聳ゆる東海の 芙蓉の峯を仰ぎては」(昭和17年「曙に捧ぐ」6番)
 「白雲の向伏す高嶺 七谷を水は落つれど」(昭和4年「白雲の」1番) 
 「第55回紀念祭は、東京と多賀(常陸)の二か所で祝われた。東京では、7月6日に晩餐会が開かれ、校長以下教官十数名、田中館大先輩を始め先輩多数出席して、盛会裡に午前3時に至った。翌7月7日、午前8時から嚶鳴堂において、護國旗入場のもとに第55回紀念祭式典、続いて戦没先輩四十数名の慰霊祭が挙行された。」(「向陵誌」昭和19年度) 寮歌祭は、午後9時から10時半、篝火なく電灯下の寮歌祭であった。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 この作詞は検閲に備えた所謂新古今調とも聊か異なる何か勁烈なひびきとエネルギーのこもった歌詞だ。それは一つには勿論潜在的レジスタンスの為だろうが、二つには作者の多血質な資質(お逢いしたこともないから、確信はないが)にもよる。それと、表現上の若干の無理、強引さが魅力となっている。 「一高寮歌私観」から


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