旧制第一高等学校寮歌解説

若駒の嘶く里に

昭和11年第46回紀念祭寮歌 

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          【序】
若駒の嘶く里に        大いなる黎明(あさ)は來れり
微風(そよかぜ)は梢をわたり       萠え出でし野末の櫻花(はな)
春淺く新映(にひばえ)つくり        ほのぼのと流るゝ微光(ひかり)
野よ、杜よ、柏葉の兒よ   槐安の夢より醒めよ

          【祭】
移轉(うつり)()て此の丘の()に  陽熾(ひさか)りて影を(あや)どり
花衣曠野(ひろの)を織りて       新しき生命を(きほ)
蒼穹(おほぞら)(はてし)知らざる      荒岩の消滅(ほろび)知らざる
永遠(とこしへ)榮光(はえ)の日祈り     友よ舞へ今日の饗宴(うたげ)に 
譜に変更はない。MIDI演奏は左右とも同じです。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
若駒の嘶く里に 大いなる黎明(あさ)は來れり 微風(そよかぜ)は梢をわたり 萠え出でし野末の櫻花(はな)は 春淺く新映(にひばえ)つくり ほのぼのと流るゝ微光(ひかり) 野よ、杜よ、柏葉の兒よ 槐安の夢より醒めよ 【序】 若駒の嘶く駒場の里に、ついに朝が明けた。そよ風は梢をわたり、野の桜は蕾をふくらませ、春浅い柔らかい陽射しが新芽に降り注いでいる。野よ、杜よ、一高生よ、夢より醒めよ。

「若駒の嘶く里に 大いなる黎明は來れり」
 一高が本郷から駒場に移転し、新向陵の建設が始まったこと。
 「若駒の里」は、新向陵・駒場のこと。駒場の地名にちなみ、一高生を若駒に喩えた。江戸時代、駒場の地は、将軍家の鷹狩の場で、この辺りに馬を繋いだという。農科大學跡ではあったが、馬が放牧されていたわけではない。

「萠え出でし野末の櫻花は 春浅く新映つくり」
 「萠」は、草木が芽吹くこと。ただ、「櫻花」としていることから、この芽は花の芽、すなわち蕾をいうものであろう。「新映」は、新生(にいば)えが春光に映えた光景をいうか。野の桜が、吉野の桜系統の山桜でありとすれば、染井吉野とは違い、花の蕾と新芽が同時に吹く。

「野よ、杜よ、柏葉の兒よ 槐安の夢より醒めよ」
 野よ、杜よ、一高生よ、夢から醒めよ。「野よ、杜よ」は、野は「萠えでし野末」、杜は「若駒の嘶く里」。「柏葉の兒」は、柏葉兒、一高生。「槐安の夢より醒めよ」は、駒場の建設が始まる。眠っている場合ではないの意。「槐安の夢」は、南柯の夢ともいう。夢のこと。また、はかないことのたとえにいう。唐の淳于棼が酒に酔って庭の槐の木の下で昼寝し、槐安国に遊んで国王の娘と結婚し、南柯郡の太守となって栄えた夢を見た。目が覚めてみると、槐の根もとに蟻の穴があって、蟻の女王が住んでおり、また、穴の他の口が槐の南の枝に通じていたという小説に基づく。
 「四海にふるへ柏葉兒」(大正2年「春、繚亂の」5番)
 「起てよ一千柏葉兒」(大正5年「實る橄欖」4番)
(あかつき)の鐘は響きて 花の夢駭かしつゝ 遠空(とほぞら)の雲に消えたり 諧音(うましね)の五音の調べ 戰闘(たたかひ)詩諧(うた)を刻むか 朗々と維新を叫ぶ 此の朝柏葉の兒の 若き胸何をか憶ふ
濁世(にごりよ)沈淪(ほろび)を離れ 絶域の丘邊に籠り 粗壁(あらかべ)高樓(うてな)に立ちて 千載の時流(とき)に嘯く 遙かなる丘の希望(のぞみ)は  ()の如く胸に()ち來て 鋭心(とこゝろ)はわゝなきふるひ 法悦(よろこび)の涙溢るゝ
【想】 駒場の里に朝を告げる鐘は、野に響きわたって、花の蕾を開かせながら、はるか雲の彼方に消えて行った。駒場に響きわたる新向陵建設の心地よい槌音は、戦いの雄叫びのように、大きな声ではっきりと古い形骸化した伝統の破棄を叫ぶ。本郷から駒場に移ってきて、若い一高生の胸のうちは、新向陵建設以外に何を思うというのか。巷を遠く去り、俗塵を絶った駒場の丘に籠って、荒壁の時計台に登って思う。遠い将来を見据えた遠大な駒場の理想は、日が昇るが如く胸に溢れてきて、一高生は、身を震わせ感激して、喜びに涙が溢れるのである。

「曉の鐘は響きて 花の夢駭かしつゝ 遠空の雲に消えたり」
 「曉の鐘」は、序の歌詞の一行「若駒の嘶く里に 大いなる黎明は來れり」を告げる鐘。 
「花の夢」は、春になり花を咲かせようと蕾をふくらませている花の夢。「駭かし」は、驚かせる。ここでは目を覚まさせるの意。蕾をふくらませ、花咲かせると解した。

「諧音の五音の調べ 戰闘の詩諧を刻むか 朗々と維新を叫ぶ」
 「諧音」は、調子のよい、整った音。新向陵建設の槌音。「五音」は、昔の中国・日本の音階。宮・商・角・徴・羽の五つの音、またその構成する音階。「朗々」は、声が大きい上に、語尾がはっきりしている様子。「維新」は、物事が改まって新しくなること。新向陵の建設、形骸化した古い伝統を捨て、新しい伝統の建設をいう。

「此の朝柏葉の兒の 若き胸何をか憶ふ」
 「此の朝」は、黎明の鐘の響く駒場に移ってきて。「柏葉の兒」は前述のとおり一高生。「若き胸何をか憶ふ」は、新向陵建設以外に思うことはない。

「濁世の沈淪を離れ 絶域の丘邊に籠り 粗壁の高樓に立ちて」
 「沈淪」は、深く沈むこと。「絶域」は、遐域。俗塵を絶った地。
 「駒場なる向ヶ丘は 俗巷去り澄むや朝風」(昭和10年「彌生の丘45年」4番)
 「『絶域』は極めて遠く離れた地。軽薄な俗世から遠く離れた場所の意。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「粗壁」は、荒壁。工事中で上塗りのしていない壁。「高樓」は、「うてな」とルビがあることから寄宿寮でなく、一高のシンボル時計台。
 「茫茫たる駒場の雑草と荒壁なる自治の三城が我等を待つ。・・・この地こそ向陵永遠の発展をなすべき處なり。吾人は孜孜として努めざるべからず。自治寮の理想に向かひて、げに一日としてこれ努めざるはなからざるべし。」(「向陵誌」昭和10年、本郷最後の文章)

「千載の時流に嘯く 遙かなる丘の希望は 旭の如く胸に溢ち來て」
 「千載」は千年、長い年月。「嘯く」は、ほえる。詩歌を口遊む。(月や花をながめて)息をつく。「丘」は駒場の向ヶ丘。

「鋭心はわゝなきふるひ 法悦の涙溢るゝ」
 「鋭心」は、とごころ。鋭い心、しっかりした心。そのような心を持った一高生。
 万葉2894 「聞きしより物を思へば我が胸は ()れて砕けて利心(とごころ)もなし」
移轉(うつり)()て此の丘の()に 陽熾(ひさか)りて影を(あや)どり 花衣曠野(ひろの)を織りて 新しき生命を(きほ) 蒼穹(おほぞら)(はてし)知らざる 荒岩の消滅(ほろび)知らざる 永遠(とこしへ)榮光(はえ)の日祈り 友よ舞へ今日の饗宴(うたげ)に  【祭】 移って来た駒場の丘には、燦々と陽の光が降り注いで、日影が綺麗な模様を織なし、野には一面、花々が美しく咲きみだれ、新しい命を競っている。大空に涯がないように、荒磯に揺るぎなく立つ堅岩のように、新向陵・駒場が永遠に栄えるように祈って、友よ、今日の紀念祭で舞え。

「移轉り來て此の丘の上に 陽熾りて影を彩どり 花衣曠野を織りて 新しき生命を競ふ」
 「移轉り來て」は、前年昭和10年9月14日、一高は本郷から駒場に移ったこと。「熾」は、盛んなこと。「花衣」は、桜襲、はなやかな衣装、桜の花が散りかかった衣装をいう。ここでは、桜に限らず、いろいろな草木の花が春の野に咲き競い、花衣を織りなしていると解した。

「穹窿の涯知らざる 荒岩の消滅知らざる」
 「蒼穹の涯知らざる」は、大空に涯がないこと。「荒岩」は、荒磯の堅岩の意か。「荒岩の消滅知らざる」は、打ち寄せる荒波にも砕けることのなくそそり立つ堅岩。

「永遠の光榮の日祈り 友よ舞へ今日の饗宴に」
 「永遠の光榮の日祈り」は、新向陵・駒場が永遠に栄えるように祈り。「今日の饗宴」は、紀念祭。
 駒場での最初の第46回紀念祭は、寮内各室の飾り物を廃し舎外で実施し、一般観衆の寮舎内参観も廃止した。
 「鉄筋コンクリート製の永久建築物となった新寮舎を、これをきっかけに汚損することを避けたいという考慮によって、(飾り物の寮内展示、一般観衆の寮舎内参観を)あえて廃止することにしたのである。」(「向陵誌」昭和11年)
                        

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