旧制第一高等学校寮歌解説

寒風颯々

昭和17年 征米英寮歌 

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 1、寒風颯々天に吼え     天狼凍る霜の朝
   正義に燃ゆる皇國の    降魔の利劍今ぞ鳴る
*「劍」は昭和50年寮歌集で、「劔」に変更された。3・11番の「剣」も同じ。

 2、怒濤逆巻く南海に      艨艟怒に嘯けば
   牙城忽ち火を噴きて    太平洋も震撼す
  
 3、切歯扼腕幾そ度      烽火一閃轟けば
   貔貅堂々海を越え     劍光淡し十字星

 6、朝日に匂ふ櫻花      大和民族起たざれば
   正義人道地に墜ちん    東洋竟に醒めざらん

 8、金色(こんしょく)の民手を把らん    眠れる獅子よ眉あげて
   耳かたむけんとよみ出づ  新な世紀(とき)胎動(うごめき)

 9、聞け十億の同胞(はらから)の     重き鎖を解き放ち
   黎明(あかつき)告ぐる鐘の音は    鏗鏘として響けるを

10、あゝ廣茫の大亞細亞    長き迷の夢を去り
   熱き誓ひに結ぼれて    血啜る鬼を追はん哉

11、聖紀めぐりて二十七     曠古の試煉今下る
   米英何ぞ恐るべき      我に道理の劍あり

13、護國の旗のその下に    死なんと呼びし先人の
   烈々の意氣なほ失せず   いざ起たん哉健男兒

14、あゝ起たん哉柏葉兒     自治の炬火(ともしび)うちかざし
   荊棘(いばら)の道を踏み分きて   進む日の本照さなん
音符下歌詞「らん」とあったを「てん」(1段3小節)に訂正した。曲頭のA moll adagio (イ短調 ゆるやかに)は、平成16年寮歌集で、A mollが削除され、adagioのみとなった。

譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じである。
イ短調・2拍子で、付点8分音符と16分音符を連ねる伝統的な寮歌のリズム。これぞ護國の寮歌で、征米英寮歌に相応しい勇ましく戦意を鼓舞する。
 2段3・4小節「しものあさ」の「のあ」は、私自身は、譜を少し修正して、連続8分音符とし、非常に厳しい「霜の朝」を強調し、撥ねるように歌う。4段の「降魔の利剣今ぞ鳴る」は、この歌のサビ部分である。思い切り敵をやっつけるつもりで歌おう。特に、「今ぞ鳴る」の「いま」は、1オクターブ高く上げる。


語句の説明・解釈

第52回紀念祭寮歌は、既に応募を打切った後であったが、太平洋戦争の戦勝祈願のため、特別に「征米英寮歌」を募集することにした。この「寒風颯颯」と「曙に捧ぐ」との二篇が入選、他に寄贈歌として「嗚呼東の」1篇が東大から寄せられた。
 「同日(12月8日)早朝、ラジオ放送は西太平洋における戦闘の開始を告げ、11時半、宣戦の詔勅を放送した。ついに来るべきものが来たという感覚は当時の大多数の国民が抱いたところであり、続いて真珠湾攻撃成功の報に寮にも歓声が起こり、これまでの長い間の何か重苦しい気分がふっ切れたというのが寮生多くの正直な感想であった。委員は寮務室窓ぎわにラジオの拡声器を据えて放送を弥生道に流し、これに聞き入る寮生も多かった。
 12月13日、戦勝祈願の全校生徒の武装行進が行われた。午前7時校長以下整列、7時半、護國旗の正旗を岡委員長が捧げて先頭に立って出発、宮城・靖国神社・明治神宮を巡拝して午後1時半帰校した・・・・・。
 この間、文丙2年片山正義の応召があり、同月22日、昼食時に壮行会が開かれた。その際、同君が述べた。『私一箇は問題ではありません。私は喜んで行って参ります。私は私の出征なぞより、戦後の文化建設の任務を有する諸君の責任の方がずっと重いと思っています。私のことは私にまかせて下さい。』という言葉は多くの寮生に感銘を与えたが、安倍校長も感動し、翌年2月の『第52回紀念祭に臨みて』と題して『向陵時報』に寄せた一文の中でも、同君の言葉を『たのもしく耳底に残って居る』として紹介した。」(「向陵誌」昭和16年度)

 「之を今の時点で、戦争謳歌、軍国主義などと批評するならば、それは、永い間、軍部と官僚とによって言路をふさがれ、自由な、世界的視野をもつことのできなかった国民の大多数の心情を知らざるもので、既にやむを得ざる状況で突入したこの戦争---しかも意外の大戦果の連続に、こういう感激が全然ないというのだったら、却って不健全であり、かつ、従来戦役毎に愛国歌が生れた一高に、かかる時、かかる寮歌が生れなかったとしたら、国士憂国の伝統はいづくに之を見よう。戦争否定は、敗報相つぐ頃から深くひそかに滲透し、特に敗戦後、その真理は光り輝いた。だが誰か知ろう、それを守る松柏の地下百尺の心を。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
      

語句 箇所 説明・解釈
寒風颯々天に吼え 天狼凍る霜の朝 正義に燃ゆる皇國の 降魔の利劍今ぞ鳴る 1番歌詞 狼が天に吼えるように寒風がピュウピュウと吹き、シリウス星がまだ天に冷たく輝く霜の凍てつく早朝、正義に燃える我が皇国の降魔の劍が電光石火、遂に敵米英の頭上に打ち下ろされた。

「寒風颯々天に吼え 天狼凍る霜の朝」
 「颯々」は、風のさっと吹く音の形容。「天に吼え」は、寒風の音が天狼が天に吼える声に聞こえる。「天狼」は、天狼星。大犬座の首星シリウスの中国名。ギリシャ語で「焼き焦がす」の意があり、またギリシャ神話ではオリオンの猟犬であることから、爆撃機を暗に示す。光輝全天随一の青白色恒星で、オリオン座に続いて冬の夜空を飾る。古代エジプトにおいて太陽暦の生れる基準となった恒星として有名。「天狼凍る霜の朝」は、夜が明けきらずシリウス等の星が冷たく夜空に輝いている霜の凍てつく早朝。シリウス星は、夜空に冴えて光っている。やがて朝が明ければ、星は消える。
 太平洋戦争は、冬の12月8日未明、2波にわたり360機の空襲部隊を発進させ、日本時間午前3時25分、ハワイ時間では7日7時55分、ハワイのオアフ島真珠湾の軍港・周辺飛行場を奇襲攻撃することで始まった(実際は、マレー半島コタバル上陸作戦の方が、約2時間早かった)。
 「星も凍る程の霜の朝の寒さをいう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 

「正義に燃ゆる皇國の 降魔の利劍今ぞ鳴る」
 真珠湾への我が国による奇襲攻撃を踏まえる。「降魔の利劍」は、不動明王などが手に持つ、悪魔・魔物を降伏する鋭い剣。「劍」は、昭和50年寮歌集で、「劔」に変更された。3番・11番の「剣」も同じ。「今ぞ鳴る」は、正義の剣が抜き放たれ、キラリと光るさまをいう。
 「降魔の劔腰に鳴る」(明治37年「都の空」7番)
怒濤逆巻く南海に 艨艟怒に嘯けば 牙城忽ち火を噴きて 太平洋も震撼す 2番歌詞 怒濤逆巻く南の海に、我が艦船の砲が火を噴いたので、敵軍港は忽ちにして火の海となり、広大な太平洋に激震が走った。

「怒濤逆巻く南海に 艨艟怒に嘯けば」 
 1番の飛行機による攻撃に対し、2番は、軍艦による攻撃の様子をいう。「南海」は、戦闘地域。太平洋戦争は、昭和16年12月8日、日本軍のマレー半島コタバルへの上陸作戦、真珠湾攻撃、フィリピン・マニラへの空襲により始まった。宣戦の詔勅では、西太平洋方面といった。「艨艟」は、いくさぶね。軍艦。真珠湾奇襲作戦には、空母6隻・戦艦2隻を基幹とする機動部隊が参加、昭和16年11月26日、択捉島単冠(ヒトカップ)湾を出港した。

「牙城忽ち火を噴きて 太平洋も震撼す」
 「牙城」は、広く敵対する相手の本拠地。真珠湾をいう。日本側は航空機29機・特殊攻撃艇5隻喪失。米側は戦艦4隻沈没、航空機188機喪失、死者2400名余の損害を受けた。米側は、これをリメンバー・パールハーバーとして宣伝、戦意昂揚に活用した。
切歯扼腕幾そ度 烽火一閃轟けば 貔貅堂々海を越え 劍光淡し十字星
3番歌詞 何度も煮え湯を飲まされ、歯軋りし悔しい思いをしてきたことか。今、その恨みを晴らすべく、開戦の狼煙が電光一閃、轟くと、忽ちにして我が勇猛な将兵は、波濤万里の海を越え、マレー半島コタバルに奇襲上陸した。敵の抵抗は果敢なく、夜空には日本軍の南方作戦の成功を讃えるかのように南十字星が燦然と輝いていた。

「切歯扼腕幾そ度 烽火一閃轟けば」 
 「切歯扼腕」は、[史記 張儀伝]歯軋りをし、自分の腕を握りしめること。甚だしく怒り残念がること。「一閃」は、目を射るように、ぴかりとひかりこと。
昭和16年7月25日 アメリカ、在米日本資産を凍結(イギリス、蘭印も追随)。
8月 1日 アメリカ、対日石油輸出を全面停止。
10月2日 アメリカ、ハル四原則の確認と仏印・中国からの撤兵要求の覚書手交。
11月26日 ハル長官、野村大使に日本の最終案を拒否し、新提案(ハル・ノート)提示。対米戦への躊躇もあったが、アメリカの対日石油全面禁輸により、統帥部に早期開戦論が台頭し天皇も開戦論に傾斜していった。11月5日の御前会議で、12月初旬武力発動を「帝国国策遂行要領」として決定、大本営は連合艦隊に対米英蘭作戦準備を命令した。ハワイ作戦機動部隊が南千島単冠(ヒトカップ)をハワイを目指し出港したのは、既述のとおり11月26日のことであった。

「貔貅堂々海を越え 劍光淡し十字星」
 「貔貅」は、古く中国で、馴らして戦いに用いたという猛獣(貔は雄、貅は雌)。転じて、勇猛な将士。「十字星」は、南十字星のこと。マレー、真珠湾、フィリピン等の南洋の戦地では、南十字星の四つの星が地上の戦いなど無いかの如く、いつもどおり天上に美しく輝いていた。「劍光淡し」は、敵と剣をそれほど交わすことなく容易に上陸したことをいう。敵の抵抗もむなしく。「十字星」は、南十字星。「剣の光は淡いもの」であったが、南十字星は、燦然と夜空に輝いていた。
扶搖を待ちし大鵬が 青天負ひて羽搏けば 黑雲(くろくも)垂るゝ南冥に 遮るものぞ更になき 4番歌詞 好機を待っていた日本海軍の陸上攻撃機部隊は、英戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパレスがマレー沖に出てきたので、これを撃沈させた。これにより、日本はインド洋までの制海権を得、遮るものは誰もいなくなった。

「扶搖を待ちし大鵬が 青天負ひて羽搏けば」 
 日本が、周辺海域からインド洋までの制海権を確保したマレー沖海戦を踏まえる。3番は、陸軍のマレー半島上陸作戦を詠ったものであるが、4番は、海軍のマレー沖海戦を取り上げた。昭和16年12月10日、海軍の陸上攻撃機部隊が英戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパレスを撃沈した。その結果、日本は周辺海域からインド洋までの制海権を獲得した。航空攻撃のみで、洋上の戦艦が沈んだ最初の海戦で、戦史に残る戦いであった。
「扶搖」は、つむじ風。大鵬はつむじ風を待って、大空高く舞い上がって南の海に向かう。「青天追ひて」とは、太陽を背に、すなわち正義を担っての意。「大鵬」は、日本の空軍機をいう。
 荘子『逍遥遊』 「斉諧(セイカイ)とは、怪を志す者なり。諧の言に曰く、鵬の南冥に徒るや、水の撃すること三千里、扶揺を搏ちて上ること九万里、去りて六月を以って息う者なり。」
 「一搏翺翔三萬里 猛鷲されど地に落ちて」(大正8年「一搏翺翔」1番)
 「圖南の翼千萬里 高粱實る満洲の」(大正6年「圖南の翼」1番)
 「一度搏てば三千里 み空を翔くる大鵬も」(明治32年「一度搏てば」1番)

「黑雲垂るゝ南冥に 遮るものぞ更になき」
 「黒雲垂るゝ」は、轟沈爆破した英戦艦の黒煙が上るの意。「南冥」は、荘子逍遥遊では「南溟」で、南の方の大海。ここでは、マレー半島沖である。「南溟」の「溟」に「冥土」の冥をあてたのは、英戦艦の死に場所の意であろう。「遮るものぞ更になき」は、日本がインド洋までの制海権を得たことをいう。
隠忍此所に幾星霜 非道飽くなき暴虐に 義憤の血潮迸り 凛然立てり光の子 5番歌詞 向ヶ丘にじっと我慢して幾年か、鬼畜米英のアジアの民に対する非人道的な飽くなき暴虐搾取に対し、一高健児は、悲憤慷慨、正義の血潮が迸って、凛々しく勇ましく起つのである。

「隠忍此所に幾星霜 非道飽くなき暴虐に」
 「此所」は、向ヶ丘。「非道飽くなき暴虐」は、日本を含むアジアの民に対する飽くなき、むごい仕打ち。

「義憤の血潮迸り 凛然立てり光の子」
 「義憤」はこんな間違ったことがあっていいものかと、世のため人のために憤慨すること。「光」は、太陽の光で、正義。世を照らす光の自治と解してもよい。
 
朝日に匂ふ櫻花 大和民族起たざれば 正義人道地に墜ちん 東洋竟に醒めざらん
6番歌詞 朝日に美しく映える桜の花、武士の心を持った日本人が、同じ東洋の民を欧米列強の植民地から解放しなければ、東洋の正義も人道も地に落ち、東洋の夜明けは永遠にやってこない。

「朝日に匂ふ櫻花 大和民族起たざれば」 
 本居宣長 「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」
 「我等起たずば東洋の 傾く悲運を如何にせむ 出でずば亡ぶ人道の 此世に絶ゆるを如何にせん」(明治35年「混濁の浪」5番)

「正義人道地に墜ちん 東洋竟に醒めざらん」
 「東洋竟に醒めざらん」は、東洋は永遠に欧米列強に支配されたままである。
東洋今し醒めざれば 正義人道地に伏さば 祖業を繼ぎし八紘の 經綸遂に無に帰せん 7番歌詞 東洋が、今この時、目醒めなければ、また東洋の正義・人道が地に伏したままであれば、開闢以来、歴代の天皇が営々と積み重ねてきた八紘一宇の偉業は、現世代で台無しに潰してしまうことになる。

「祖業を継ぎし八紘の 經綸遂に無に帰せん」
 「祖業」は、祖先伝来の事業。「八紘」は、「八紘一宇」。太平洋戦争の時に、我国の海外進出を正当化するために用いられた標語。日本書紀の「兼六合以開都、掩八紘而為宇」に基づく。世界を一つの家にすること。すなわち、大東亜共栄圏の建設。「経綸」は治国済民の方策。
 「『八紘』は、国の八方のすみずみまでをいう。昔から全国に行われてきた方針や施策についていっている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
金色(こんしょく)の民手を把らん 眠れる獅子よ眉あげて 耳かたむけんとよみ出づ  新な世紀(とき)胎動(うごめき) 8番歌詞 アジアの民よ、手を携えて、アジアを苦しめる英米と戦おう。眠れる獅子中国よ、怒りの矛先を英米に変えて、音を立てて動き出した、アジアの新しい時代の始まりに耳傾けよ。

「金色の民手を把らん 眠れる獅子よ眉あげて」 
 「金色の民」は、アジアの黄色人種のこと。明治37年「征露歌」では、「きんしょくの民」といったが、ここでは「こんしょくの民」と呼び名を異にする。「眠れる獅子」は、半植民地下の中国。「眉あげて」は、怒った様子にいう。昭和16年12月9日、重慶の国民政府は、日独伊に宣戦布告した。怒りの矛先を日本でなく、東亜を植民地支配している欧米列強に向けての意。
 「『金色の民』は、日本の外、関係の深かったドイツ(独)・イタリア(伊)をさすか。あるいは、いわゆる黄色人種(日本の外、中国その他東亜の人たち)をさしていうのか。いずれにしても、日本と深い関係にある国の人々をさしていっている。」(一高同窓会「一高寮解説書」)
 「いふ勿れ唯清人と 金色の民彼れもまた 嗚呼怨なり殘虐の 蠻族いかでゆるすべき」(明治37年「征露歌」9番)
 「金色の民いざやいざ 大和民族いざやいざ 戰はむかな時機至る」(同上の「征露歌」20番) 

「耳かたむけんとよみ出づ 新な世紀の胎動に」
 中国に、黄色人種どうし手を携えて、大東亜共栄圏を一緒に築いていこうと呼びかけている。「とよみ出づ」は、鳴り響きだした。「新たな世紀の胎動に」は、皇紀27世紀の胎動。大東亜共栄圏建設の始まりに。「胎動」は、新しい物事が旧来のものを突き破って生じようとする動きが感じられること。
聞け十億の同胞(はらから)の 重き鎖を解き放ち 黎明(あかつき)告ぐる鐘の音は 鏗鏘として響けるを 9番歌詞 植民地支配に苦しむ東亜10億の同胞の重い鎖を解き放ち、アジアの夜明けを告げる鐘の音は、妙なる音色に響き渡っているではないか。

「聞け十億の同胞の 重き鎖を解き放ち」 
 「10億の同胞」は、東亜の民。昭和15年のアジアの推定人口は約13億人。このうちインド亜大陸の人口は約3億3千万人。いずれにしろ人口統計など整っていない時代、大雑把な数字と理解したい。「重き鎖」は、欧米列強による植民地支配をいう。
 「五億の民を救はんと 大和民族たゝむとき」(明治39年「太平洋の」2番第三節)
 「十億は、東亜の人たちにインドも加えているのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「黎明告ぐる鐘の音は 鏗鏘として響けるを」
 「黎明告ぐる鐘の音」は、大東亜共栄圏を告げる鐘の音。「鏗鏘(こうそう)」は、金石、琴などの鳴る音の形容。
 「この歌の第九節は、複雑な太平洋戦争の本質を、鋭く衝いている。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
あゝ廣茫の大亞細亞 長き迷の夢を去り 熱き誓ひに結ぼれて 血啜る鬼を追はん哉 10番歌詞 あゝ広々として果てしない大アジア。中国よ、長い迷いの夢から醒めて、日本と固い盟約を結んで、アジアの民を搾取して血を啜る鬼畜欧米列強をアジアから一緒に追い払おう。

「あゝ曠茫の大亞細亞 長き迷の夢を去り」 
 「曠茫」は、広々として果てしない。「長き迷の夢」は、中国の抗日反日の戦争。支那事変と解す。
 「長き夢より覺め出でて あかつきの鐘つきならし」(昭和3年「あこがれの唄」3番)

「熱き誓ひに結ぼれて 血啜る鬼を追はん哉」
 「熱き誓ひに結ぼれて」は、欧米列強と戦うために日中が盟約を結んで。「血啜る鬼」は、アジアを植民地支配する欧米列強。米英仏蘭のこと。
 「まづしきものゝ血をすゝり 肉をはむてふ鬼ぞすむ」(明治41年「紫淡く」2番)
 「富者は貧者の血を(すす)り 強者は弱者の肉をはむ」(明治45年「天龍眠る」3番)
聖紀めぐりて二十七 曠古の試煉今下る 米英何ぞ恐るべき 我に道理の劍あり 11番歌詞 皇紀は巡って27世紀となって、未曽有の厳しい試練が今下った。しかし、米英なんぞ恐るべき相手ではない。植民地を解放し大東亜共栄圏を築くという正義は、我方にあるのだから。

「聖紀めぐりて二十七 曠古の試煉今下る」 
 「聖紀」は、皇紀。昭和17年は、皇紀2602年。「曠古」は、未曾有の。空前の。古(イニシエ)をむなしうするの意。

「米英何ぞ恐るべき 我に道理の劍あり」
 「道理」は、アジアの植民地を欧米列強から解放するという道理、正義。
正氣溢るゝ武香陵 若き血潮に彩りし 眞紅の光いや映えて 護國の旗は吾にあり 12番歌詞 正気に満ちた向ヶ丘には、若い血潮で染められた、から紅に燃える護國旗が、ますます陽に映えて輝いている。護國旗は、我が一高の校旗である。

「正氣溢るゝ武香陵 若き血潮に彩りし」 
 「正氣」は、天地に漲っていると考えられている、至高・至大・至正な天地の気。「武香陵」は、向ヶ丘の美称。
 「正氣あふるゝ向陵の 健兒に血あり涙あり」(大正12年「野球部應援歌」1番)
 藤田東湖『正気歌』 「天地正大の氣、粹然として神州に 鍾る。秀でては 不二の嶽となり、巍巍として千秋に聳ゆ。 注ぎては大瀛の水となり、洋洋として八洲を環る。發しては萬朶の櫻となり、衆芳與に(たぐ)ひし難し。 凝りては百錬の鐵となり、鋭利(かぶと)を割く 可し。」

「眞紅の光いや映えて 護國の旗は吾にあり」
 「眞紅の護國の旗」は、から紅に燃える一高校旗・護國旗。護国は一高の建学精神である。
 「染むる護國の旗の色 から紅を見ずや君」(明治40年「仇浪騒ぐ」4番)
護國の旗のその下に 死なんと呼びし先人の 烈々の意氣なほ失せず  いざ起たん哉健男兒 13番歌詞 日露戦争の時に、「あはれ護國の柏葉旗 其旗の下我死なん」と叫んだ明治の先人の激しく盛んな意氣は、我々にそのまま引き継がれている。一高健兒よ、いざ起とうではないか。

「護國の旗のその下に 死なんと呼びし先人の」 
 「護國の旗」は、一高校旗。「先人」は、明治37年寮歌「都の空」の作詞者穂積重遠大先輩はじめ、日露戦争の時、「都の春」を意気軒昂として歌った明治の一高先輩達。
 「あはれ護國の柏葉旗 其旗の下我死なん」(明治37年「都の空」9番)

「烈々の意氣なほ失せず いざ起たん哉健男兒」
 「烈々の」は、血気盛んな。激しいさまをいう。
あゝ起たん哉柏葉兒 自治の炬火(ともしび)うちかざし 荊棘(いばら)の道を踏み分きて 進む日の本照さなん 14番歌詞 一高健兒よ、起とうではないか。行く手にどんな困難が待ち受けていようが、一高生は、自治の灯火をかざして、この日本の針路を照らしてやろう。

「あゝ起たん哉柏葉兒 自治の炬火うちかざし」 
 「自治の炬火」は、自治燈。自治の教え。世の人に仏の教えを示して輝く仏燈になぞらえて、自治の教えを自治燈という。
 「自治の光は常闇の 國をも照す北斗星 大和島根の人々の 心の梶を定むなり」(明治34年「春爛漫」6番)である。

「荊棘の道を踏み分きて 進む日の本照さなん」
 「荊棘の道」は、行く手に幾多の困難が予想される戦争の道。「進む日の本照さなん」は、日本の進むべき道を照らそう。人々に行くべき道を示すのは、一高生の使命である。
                        

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