旧制第一高等学校寮歌解説

向ヶ丘に

昭和17年第52回紀念祭寄贈歌 京大

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1、向ヶ丘に吹き荒るゝ    春の嵐の寒けれど
  木々の綠は萠えんとし   若き心はひたぶるに
  新しき世を望むなり

2、暁清き紅の         群雲(むらぐも)破り昇る日は
  秋津島根に照り映えて   廣茫萬里大東亞
  今黎明の鐘は鳴る

5、丘の三年は過ぎ易く    黄金(こがね)なす日は逝かんとす
  友よ思ひの盡きせずば  今宵篝火(あか)き夜に
  乾せよ(うたげ)の杯を
譜に変更はない。左右のMIDI演奏は、全く同じである。
作詞作曲は直木孝次郎・孝太郎兄弟、兄弟による作詞作曲寮歌は一高ではこの歌だけである。
 七・五調、5行の歌詞を、11小節に作曲。最後の5行でサビの「新しき世を望むなり」は、ややゆっくりと歌うために、リズムを変え、また七語、五語とも弱起として3小節余りに、他の行の歌詞は、寮歌伝統のリズムでタータタータと力強く、各2小節に収めている。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
向ヶ丘に吹き荒るゝ 春の嵐の寒けれど 木々の綠は萠えんとし 若き心はひたぶるに 新しき世を望むなり 1番歌詞 向ヶ丘に吹き荒れる春の嵐は寒いけれども、木々は緑の芽を吹こうとしている。若き心は、ひたすら新しい大東亜共栄の世を望むものである。

「向ヶ丘に吹き荒るゝ 春の嵐の寒けれど 木々の綠は萠えんとし」
 「吹き荒るゝ春の嵐」は、春先に吹く強い風。文字通りの春の嵐の他に、学園の戦時体制移行を含意する。具体的には三高戦の廃止、軍隊の寄宿舎宿営、軍施設への勤労奉仕と報国隊編成の要求、徴兵猶予短縮問題、修業年限の6ヶ月短縮等々。

「若き心はひたぶるに 新しき世を望むなり」
 「新しき世」は、2番で「曠茫萬里大東亜 今黎明の鐘は鳴る」の世である。作詞者に直接、この寮歌についてお伺いする機会があった。大先輩は、「若気の至り、この寮歌は、2・3・4番を除いて、1・5番を歌ってくれ」とおしゃっていました。
暁清き紅の 群雲(むらぐも)破り昇る日は 秋津島根に照り映えて 廣茫萬里大東亞 今黎明の鐘は鳴る 2番歌詞 清々しい夜明け、真っ赤に燃えた太陽がむらがった雲を赤く染め、これを突き破り東の空に昇る。日本に照り映えた朝日は、限りなく広々とした大東亜に夜明けの鐘を告げる。

「曉清き紅の 群雲破り昇る日は」
 「群雲」は、あつまりむらがった雲。「昇る日」を日本とみれば、「群雲」は、中国および米・英・蘭などの対戦予想国であろう。

「秋津島根に照り映えて 曠茫萬里大東亜 今黎明の鐘は鳴る」
 「秋津島根」は、日本の異称。大和の一地名アキズが広がって日本全土をいうようになったもの。「廣茫萬里」は、万里の先まで広々としているさま。「大東亜」は、「大東亜共栄圏」のこと。日本の主導による東アジアの新秩序圏域で、昭和15年8月頃から「(大)東亜新秩序」に変わり、公式にも使用された。具体的な範囲は日本本国とその植民地を中心に、日本が支那事変などで占領した中国や東南アジアの諸地域をさすが、将来の目標としては、極東ロシア・印度・オーストラリア・ニュージーランドなども含めて語られた。まさに、「廣茫萬里」の広大な地域である。「黎明の鐘」は、東アジア諸国の欧米列強からの解放、大東亜共栄圏の誕生を告げる鐘である。
鐘打ち鳴らす任重き 向陵男兒奮ひ起ち 冬の眠を覺め出でて 希望の歌を(たか)歌ひ よろこびの日を迎へなん 3番歌詞 東アジアの新秩序形成を世に訴える一高生の使命は重い。一高健児は永い眠りから覚めて奮い立ち、大東亜共栄圏が一日も早く成就するように希望の歌を高歌って、歓びの日を迎えようではないか。

「鐘打ち鳴らす任重き 向陵男兒奮ひ起ち」 
 「鐘打ち鳴らす任」は、一高生が負っている世を導く任の重い使命。「向陵健兒」は、一高健兒。

「冬の眠を覺め出でて 希望の歌を高歌ひ よろこびの日をむかへなん」
 「冬の眠を覺め出でて」は、国を護る一高生の喚起を呼びかける。「希望の歌」は、大東亜共栄圏の成就を願う意気。

 「歌詞は、淡々たる叙述の中に、向陵健児の新世への希望を讃え、太平洋戦争の緒戦の大戦果によって限りなく開けた祖国の前途を担うべき寮生の責めの重きをうたっているが、之亦、当時の国民一般の偽らぬ感情であった。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
春風吹いて花ひらく 櫻の國に生れきて 大いなる世の御民吾れ 生ける甲斐ありいざ共に 國の護りとならんかな 4番歌詞 春の風に誘われて花ひらく、桜花の国に生れ来て、我こそは、大日本帝国の臣民である。だから我には、天皇のために尽くすという生き甲斐があるのだ。いざ共に、護国旗を捧げ、醜の御楯となろうではないか。

「春風吹いて花ひらく 櫻の國に生れきて」 
 「櫻の國」は、日本。
 「黒潮たぎる絶東の 櫻華の國に生れ來て」(明治43年「柔道部部歌」5番)
 本居宣長 「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」

「大いなる世の御民吾れ 生ける甲斐ありいざ共に 國の護りとならんかな」
 「男子われ生ける甲斐あり あひあひて聖代に生れぬ」(昭和16年「時計臺に」5番)
 万葉966 海犬養岡麿「御民われ生ける験あり天地の栄ゆる時に遇へらく思へば」
丘の三年は過ぎ易く 黄金(こがね)なす日は逝かんとす 友よ思ひの盡きせずば 今宵篝火(あか)き夜に 乾せよ(うたげ)の杯を 5番歌詞 向ヶ丘の三年間は、夢のように過ぎて行き、(みのり)多き日は終わろうとしている。友よ、向ヶ丘に名残が尽きないので、今宵、篝火が赤々と燃え上る夜、紀念祭を祝って、杯を交わそうではないか。

「丘の三年は過ぎ易く 黄金なす日は逝かんとす」 
 「黄金なす」は、輝かしい。また、収穫の多い意。
 「三年の春は過ぎ易し」(明治44年「光まばゆき」4番)
 「三年の春」は、向ヶ丘三年。高校の修業年限。学年は、この年から6か月繰り上げ、さらに2年に短縮されたので、この年3月の卒業生は、向ヶ丘三年を過ごした戦前最後の卒業生である。
 「嗚呼三とせ夢の旅路も やがてしも疾くぞ盡きぬる」(昭和16年「時計臺に」1番)
 「三つ年の勵みにをりて 収穫こそ貧しかりしが」(昭和9年「空洞なる」6番)
 「えがての心友をわれ得たり 思へば恩恵饒きかな」(昭和17年「彌生の道」迷3節)

「友よ思ひの盡きせずば 今宵篝火明き夜に 乾せよ宴の杯を」
 「篝火」は、寮歌祭の篝火。午後4時半から午後8時まで、グラウンドで行われた。「宴の杯」は、紀念祭祝宴の杯。ただし、この年の紀念祭行事には、時節柄遠慮したのか、茶話会、晩餐会などはなかった。翌日、紀念祭にあわせて、三年生送別の全寮晩餐会が催された。
 「無限の 感慨を籠めて いでや舞ひ いざや歌はん」(昭和17年「障へ散へぬ」5番)
 「(1月31日)同夜はイーブ(イブ)とて寮生は外出したが、12時頃にはみな帰寮し、全寮がストームの嵐にわき返り、水泳部の河童踊りも加わった。
 翌2月1日(日)は朝から急に雪となり、一面白銀の中で、式典・講演・慰霊祭(日華事変以来の戦没先輩21柱)が執行された。午後1時からは、降りしきる雪の中を家族や友人がぞくぞくと各寮に来て歓談を重ね、一方で各種の催し物も行われたが、最後に午後4時半から積雪約5寸に及ぶグラウンドで、午後8時まで大寮歌祭が挙行され、これですべての諸行事は無事終わった。」(「向陵誌」昭和16年度ー17年2月紀念祭)
                        

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