旧制第一高等学校寮歌解説

あさみどり

昭和16年第51回紀念祭寮歌 

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       序
「あさみどり眞澄みわたれる  ひさかたの天つ光に
黄銀杏の豊かにもえし      あたゝかき小春も逝けば
現身に低く誦すかな       冬淋の別れの歌を」

       想
(三節の中、第二節)
「行けど行けど眞理は遙か   孤身(ひとりみ)思索(おもひ)もだえて
白々と夜霧流るゝ         銀杏道迷ひも果てず
破れ衣いとヾ寒きに        聞え來る友の亂聲(らんじょう)

       祭
「あゝ今宵別れの祭        燃えあがる篝火めぐり
はふり落つ涙ぬぐひて       白晶の酒杯かはし
日の本の若き生命の       永劫(とことは)の榮を祈らむ」


*昭和50年寮歌集で、各節の括弧「 」を外した。
イ長調・4分の3拍子ほか譜に変更はない。左右MIDI演奏は全く同じ演奏である。
上の譜は、寮歌集の譜(5段)とは違って、メロディー構成を理解するため各段4小節の6段の譜としてあります。

 1段のソドソミラソ ドレミミレドレと、2段のミファソララソ ドドシドレミドソドソの二つのメロディーの繰り返し。各段3・4小節(モティーフ、歌詞の七語)で差別化を図っている。しかし、4段の「小春も逝けば」と6段の「別れの歌を」がほぼ同じメロディーとなっていて、クライマックスが曖昧となっている。第1大楽節を構成する前述二つのメロディー(1段と2段のメロディー)は、「あさみどり眞澄みわたれる」大空に相応しい清々しいものとなっている。作曲者の吉野龜三郎は、この年、二曲(この寮歌と「ほのぼのと明けゆく丘に」)の寮歌を作曲している。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
「あさみどり眞澄みわたれる ひさかたの天つ光に 黄銀杏の豊かにもえし あたゝかき小春も逝けば 現身に低く誦すかな 冬淋の別れの歌を」 澄み渡った大空に太陽が輝き、日の光に黄葉した銀杏は、黄金色に美しく映えていた。暖かい小春日和の日は過ぎ去り、今は、木枯しの吹きすさむ冬寒の季節となった。生身の身に寒さが堪えるので、身をかがめて別れの歌を低く口ずさんでいる。

「あさみどり眞澄みわたれる ひさかたの天つ光に 黄銀杏の豊かにもえし あたゝかき小春も逝けば」
 「あさみどり」は、普通はうすみどり、新芽の色をいうが、ここでは、「あさぎ」(うすいネギの葉の色)の意で、空の色。「ひさかたの」は枕詞。天・空・月などにかかる。「天つ光」は、天空の光、すなわち太陽の光、陽光。「豊かに」は、チョッと洒落て、黄金色と解した。「小春」は、初冬の暖かく春に似た日和。
 明治天皇 「あさみどり澄みわたりたる大空の 広きをおのが心ともがな」

「現身に低く誦すかな 冬淋の別れの歌を」
 「現身」(うつせみ)は、この世の人。蝉の抜け殻。一高生。「低く」は、身を低くと、低く誦すの両方の意にとった。「冬淋」は、冬季、景物の荒れ寂れたさまの意の「冬ざれ」をいうか。自由のない軍国主義の世を喩える。「別れの歌」は、紀念祭寮歌である。
水々し濃青の眉の 若武者は潮風うけて (あて)あえか千々に匂へる 美しき花を手折ると 勇み駒轡とりつゝ 丘に馳せ登りは來しを
第一節
凛々しく端正な若武者が颯爽と潮風を受けて、磯の邊に降り立ち、向ヶ丘に咲く、色々に美しく咲いた芸文の花を手折ろうと、勇ましく嘶く駿馬の轡をとりつつ、丘を駆け上って来たが。

「水々し濃青の眉の 若武者は潮風うけて」  
 「水々し濃青の眉の」は、凛々しく端正な。「眉」は、人の表情をいう。「潮風受けて」は、一高に入学のために、船に乗り向ヶ丘の磯に降り立った若武者の颯爽とした姿を描写する。「若武者」は、一高生を若武者に喩える。
 「仄燃ゆる憧憬懐き 磯の邊に立ちて思へば」(昭和14年「仄燃ゆる」1番)
 「緋縅着けし若武者は 鎧に花の香をのせて」(明治42年「緋縅着けし」1番)
 「緋縅しるき若武者の そびらの梅に風ぞ吹く」(明治38年「王師の金鼓」5番)
  
(あて)あえか千々に匂へる 美しき花を手折ると」
 「あえか」は、触れれば落ちそうな。「千々に匂へる」は、学ぶべき学問技芸の多いことをいう。「美しき花」は、藝文の花。最高水準の学問技芸。「手折ると」は、芸文の花を手折ろうと。真理の追究のために学問技芸を学ぼうと。
 「丘にも花は咲きにしを あてなる花は咲きにしを」(昭和22年「りょうりょうと」1番)
 「藝文の花咲きみだれ 思想の潮湧きめぐる」(明治43年「藝文の花」1番)

「勇み駒轡とりつゝ 丘に馳せ登りは來しを」
 「轡」は、馬の口に含ませ、手綱を付ける道具。「丘」は、向ヶ丘。「登りは來しを」は、一高に入学したものだ。
「行けど行けど眞理は遙か 孤身(ひとりみ)思索(おもひ)もだえて  白々と夜霧流るゝ 銀杏道迷ひも果てず 破れ衣いとヾ寒きに  聞え來る友の亂聲(らんじょう)
第二節
行けども行けども真理は遠く辿りつくことは出来ない。一人孤独に悶え苦しみながら白々と夜霧が流れる彌生道をさ迷ったまま、マントに包まって凍てつく寒さを堪えていると、遠くから寮友が高唱する寮歌が聞こえて来た。ホッとして心が暖まった。

「行けど行けど眞理は遙か 孤身(ひとりみ)思索(おもひ)もだえて」
 「孤身(ひとりみ)思索(おもひ)もだえて」は、真理追究は、一人淋しく孤独に耐えながら行うものである。
 「何時の世もたゝひとりして 旅行くは運命にてある いざ野行き光追はばや」(昭和15年「清らかに」7番)
 「こめて三年をたゆみなく 淋しく強く生きよとて」(大正2年「ありとも分かぬ」3番)

「白々と夜霧流るゝ 銀杏道迷ひも果てず」
 「白々と」は、いかにも白いさま。「銀杏道」は、構内を東西に走る彌生道。

「破れ衣いとゞ寒きに 聞え來る友の亂聲(らんじょう)
 「破れ衣」は、マントと解す。「亂聲」は、雅楽で、主として舞人の出に奏する曲。拍子に捉われずに吹く笛に太鼓・鉦鼓を合奏し、乱れた声に聞える。ここでは遠く寮友が高誦する寮歌。高い声あり、低い声あり、調子はずれの寮歌だったのだろう。しかし、寒気をぬって聞える友の「亂聲」には、暖かいほのぼのとした親しみの情が感じられる。
聖戦(みいくさ)も四年にあまり 新しき姿求めむ ひたよする潮とゞろと この丘に迫り濯へば 傳統(つたへ)なる法火(ともし)かゝげて 頬紅く集ふ健兒ら」
第三節
支那事変は4年を過ぎ、戦時体制下の波が、この向ヶ丘にも直接、轟音を立てて押し寄せて来て統制が強まったので、自治を守るために新しい自治を模索していこう。一高健児は、伝統の自治の灯に頬を照り輝かせながら、自治を一生懸命に守っている。

聖戦(みいくさ)も四年にあまり 新しき姿求めむ」
 「聖戦」は、昭和12年7月7日盧溝橋で始まった支那事変。「四年にあまり」は、足かけ4年あまりの意。満で言えば3年半である。「新しき姿」は、国家の新体制運動のこととも解することもできるが、ここでは新体制運動の下で、如何に自治を守っていくか、模索する新しい自治の姿をいうと解す。

「ひたよする潮とゞろと この丘に迫り濯へば」
 「ひたよする潮とゞろと」は、戦時体制下の波が向ヶ丘にも大きな音を立てて襲ってきたこと。「とゞろ」は、轟き響くさま。「この丘」は、向ヶ丘。「濯へば」は、戦時体制下の波が向ヶ丘の岸に押し寄せてきたので。統制が強まったので。
  「戦時体制下の波が本格的に向陵を襲ったのは、昭和16年からであった。国家の要請として新体制運動が強く叫ばれ、物資の欠乏も日を追って厳しくなる中で、第51回紀念祭に寮の飾り物を行うべきかどうか、紀念祭を公開とすべきかどうかの2点が、具体的な論議の中心であった。」(「向陵誌」昭和15年度ー同16年2月紀念祭)

傳統(つたへ)なる法火(ともし)かゝげて 頰紅く集ふ健兒(をのこ)ら」
 「伝統なる法火」は、自治。「法火」は、自治の教え。仏教の法燈に自治燈をなぞらえる。「頬紅く」は、自治の灯に頬を照り輝かせて。自治を守ろうと一生懸命なさまをいう。

 「「第四節(想第三節のこと)はこの寮歌の主題をなし、『聖戦も四年にあまり、新しき姿求めむ、ひたよする潮とゞろと、この丘に迫り濯へば』と、まず日中戦争の長期化を指摘、(慨嘆とも感激ともあらわな主観を避けている)然し次の三行で、戦局の拡大か不拡大か、何れにせよ日本が新なる局面を迎えねばならなくなったことと、その向陵に及ぼす影響を言外に憂えている。だが、当時、この青春の俊秀集団を守るもの ー 否彼等の拠り所とするものは、伝統の自治の法火のみであった。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
「あゝ今宵別れの祭 燃えあがる篝火めぐり はふり落つ涙ぬぐひて 白晶の酒杯かはし 日の本の若き生命の 永劫(とことは)の榮を祈らむ」 終に、今宵、別れの紀念祭がやってきた。赤々と燃え上る篝火を囲んで、溢れる涙を拭い、酒を酌み交しながら、前途ある日本の若き青年が、何時までも元気で健やかであるように祈ろう。

「あゝ今宵別れの祭 燃えあがる篝火めぐり」
 「別れの祭」は、紀念祭。「燃えあがる篝火」は、寮歌祭の篝火。第51回紀念祭では、2月2日夕、安倍校長も参加して、盛大に寮歌祭を行った。
 「(2月2日)午後4時半 寮歌祭
 閉門と同時に、飾り物を壊し、資材の回収が行われたが、懸念された飾り物焼却の火の手は寮庭のどこからも上がらなかった。
 先輩寮生たちは、第一雨天体操場前の大寮歌祭に駈けつけ、篝火を囲んで十重二十重に人の輪はふくれた。輪の中に手拍子をとりながら寮歌を口ずさんでいる安倍校長の白髪を見出して、先輩・寮生の意気はとみに高まり、紀念祭のフィナーレを飾る寮歌と太鼓の響は延々4時間に及んだ。」(「向陵誌」昭和15年度ー16年2月2日紀念祭寮歌祭) 玉杯は、なんと先輩のアンコールも含め六唱したそうである。感激興奮の程が察せられる。

「はふり落つ涙ぬぐひて 白晶の酒杯かはし 日の本の若き生命の 永劫の榮を祈らむ」
 「はふり」は、溢りで、あふれる。「白晶」は、硝子製のコップのことか。あるいは白い瀬戸物の湯呑。後者と解す。いずれにしろ粗末な杯という意味である。「玉杯」といわないところに、日米戦争前夜の昭和16年という時代を感じる。
 「日の本の若き生命」は、何時戦場に赴き命を落とすかもしれない日本の若き青年をいう。「生命」に、その意をこめる。
 「『白晶』は辞書に見えない語であるが、『白い水晶』の意か。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 昭和15年8月1日、東京市、「ぜいたくは敵だ!」の立看板。東京府、食堂・料理屋等で米食使用禁止。
 
 「終節の紀念祭の夜は、生命の象徴である篝火をかこみ、『はふり落つ涙ぬぐい(ひ)て白晶の酒杯かはし」と、兵役のない今の学生達には、想像もできぬ胸底からの複雑な思いと、それを一瞬に圧縮した時おのずから湧いて健児の頬を伝う涙を歌う。それは自らの個の生命の上に、次の『日の本の若き生命の、永劫の榮を祈らむ』という悠久の生命への帰一につながっているからであろう。思えば、この前後の寮生諸兄の上に、重く蔽いかぶさった国家権力による青春の不可避の断絶に対する心理を今、深々と思いかえさずには居られない。さ(そ)うした無数の前世代達の犠牲の上に、今の若い人達の、兵役の義務もない世界一の自由がもたらされたことを、彼等は少しでも知っているであろうか。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 
                        

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