旧制第一高等学校寮歌解説

春毎に

昭和14年第49回紀念祭寄贈歌 東大

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  1、春毎に鳥は(うた)へど
    小止(おや)みなき人世(ひとよ)の遷り
    去年の今日髻華(うず)挿頭(かざ)せし
    綠なす白檮(かし)の香りや今はたいづこ

  2、眞理(まこと)()め慕ひ(のぼ)りて
    眞理(まこと)得ず(むな)しく去りし
    愚かなる旅の子一人(ひとり)
    今宵また迷ひ來りぬ故郷(ふるさと)の丘

  6、若き子の祭なりけり
    よしさらば共に歌はん
    (わか)てかし(ことほ)ぎの酒
    我も亦せめて一夜をたヾ舞はん哉
ハ長調・4拍子、譜に変更はない。左右のMIDI演奏は同じ演奏です。
歌詞は1・2行が五・七、3行が七・七、4行が五・七・七と寮歌の歌詞としては変則。語数の少ない五・七の1・2行をゆっくりしたリズムで、逆に語数の多い3・4行は、やや速い、速いリズムとして、これを見事に起承転結の4小楽節に収めた。4段(結)の「綠なす白檮の香りや今はいづこ」はクライマックス、最初は高音部が続き、「いまはたいづこ」など舌を咬みそうだが、慣れれば爽快に歌えるようになる。軍国主義化で萎縮しがちな時節に、ソーーラーーシーードレー(「春毎に」)と、ゆったりとした、のびやかな曲がよく作れたものと感心する。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
春毎に鳥は(うた)へど  小止(おや)みなき人世(ひとよ)の遷り 去年の今日髻華(うず)挿頭(かざ)せし 綠なす白檮(かし)の香りや今はたいづこ 1番歌詞 春になれば小鳥が囀るように、季節は毎年同じように廻ってくるが、世の中は、益々自由のない世に遷り変っていく。去年の紀念祭で髪に挿した瑞々しい緑の白樫(かし)の香は、今は、どこに失せてしまったのだろうか。

「春毎に鳥は謳へど 小止みなき人世の遷り」
 支那事変が持久戦となり、英米との決戦前夜の、ますます自由のない暗い、厳しい時世となって行く世を嘆く。春が来ても小鳥のように楽しく自由に囀ることは出来ない。「小止み」は、少しの間止む。「小」(を)は接頭語。             
昭和13年 2月1日 大内兵衛ら労農派教授11名ほか24名検挙(第2次人民戦線事件)。
10月 5日 東大教授河合栄治郎の4著書発禁。
12月20日 東大総長に海軍造船中将平賀讓就任。
14年 1月28日 平賀東大総長、河合栄治郎・土方成美両教授の休職をを教授会に諮らず文相に上申(平賀粛学)

「去年の今日髻華に挿頭せし」
 「髻華」は、上代、髪や冠に挿した木の葉・花・玉など。もともとは植物の生命力を人体に移すためであったが、後には単なる飾となった。カシの葉・橘などが用いられた。
 古事記『思国歌』 「命の全けむ人は畳薦平群の山の熊白檮が葉を髻華に挿せその子」
*倭建命が大和の国を(しの)び能煩野(三重県鈴鹿郡)で、有名な「倭は國のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭しうるはし」とともに詠んだ歌。

「綠なす白檮の香りや 今はたいづこ」
 「白檮」は、今も駒場本館前に大きく聳える白樫(しらかし)の木。一高の武の象徴「柏の葉」と同じ意味に「白樫(かし)の葉」を使っている。軍国主義の波が駒場にも押し寄せ、自治・自由が失われていったことを、駒場・本館前の白樫の香に喩える。
眞理(まこと)()め慕ひ(のぼ)りて 眞理(まこと)得ず(むな)しく去りし 愚かなる旅の子一人(ひとり) 今宵また迷ひ來りぬ故郷(ふるさと)の丘 2番歌詞 一高で真理を得ようと向ヶ丘に上ったが、真理を得られず空しく向ヶ丘を下り一高を去った。いまだ眞理が得られない愚かな旅の子が一人、魂の故郷である向ヶ丘に今宵、さ迷い帰ってきた。

「眞理求め慕ひ上りて 眞理得ず空しく去りし」
 「上る」は入学、「去り」は卒業のこと。
 「眞理求め丘に上りて 眞理求め丘を下りぬ」(昭和9年「綠なす」5番)
 「綠なす眞理欣求めつゝ 萬巻書索るも空し 永久の昏迷抱きて 向陵を去る日の近きかな」(昭和12年「新墾の」序)

「愚かなる旅の子一人 今宵また迷ひ來りぬ 故郷の丘」
 「愚かなる旅の子」は、いまだ真理が得られず東大に遊学中の作詞者。「故郷の丘」は、我が思想揺籃の地である向ヶ丘。
夕星(ゆふづつ)(きら)めく時計臺(うてな) 仰ぎつゝたゆたふ心 ひたぶるに涙あふれて 白き()のかぎろふ窓に幻靑し 3番歌詞 夜空に宵の明星が輝く時計台を仰ぎながら、この先どうなるのかと不安に襲われ、とめどなく涙が溢れてきた。白色の灯がきらきらと光る窓辺には夜霧が漂う。

「夕星の燦めく時計臺 仰ぎつゝたゆたふ心 ひたぶるに涙あふれて」
 「夕星」は、太陽が沈んで間もなく、夜空に真っ先に輝きだす宵の明星。寮歌では、北斗の星と共に、真理を黙示する星として詠われる。「たゆたふ」は、心が不安で動揺する。「ひたぶるに」は、どうしようもなく。とめどなく。

「白き灯のかぎろふ窓に幻青し」
 「白き灯のかぎろふ窓」は、寮室の電灯が昭和13年に30Wから60Wに2倍に明るくなったことを踏まえたものか、あるいは生徒主事・権力を意味するものか。向陵にも権力の影がちらつく厳しい世となったと解す。「幻青し」は、夜霧。押し寄せる軍国主義をイメージする。「窓」は時計台の窓とも寮窓ともとれるが、「時計臺 仰ぎつゝ」とあるので、時計台の窓とする。
「白き風丘の上に荒る 消たんとてかヾりのあかり」(昭和4年「彼は誰の」2番)
 この寮歌は、白檮の綠、金星の金色、窓の灯の白、幻(霧)・青雲(4番)の青、篝火の(燃ゆる)赤(5番)、月(何色?)と、夜の紀念祭の情景を色彩豊かに描写する。
 
青雲(あをぐも)のたなびく(あした) 歌ひてし友もありけれ 柏蔭(かしかげ)の月に濡れつゝ 語らへる夕もすべて(ああ)夢なれや 4番歌詞 白々と明けゆく朝、空に向かって寮歌を歌っていた友もあった。柏の木蔭で、月明かりを頼りに夜通し友と理想を語り合った夜もあった。それらは、ああ、全て夢幻だったというのか。

「青雲のたなびく朝 歌ひてし友もありけれ」
 「青雲」は、うす青い白雲。灰色の雲。一説に青空を雲に見立てていう語。ここでは、白々と明けゆく朝の雲の意か。それとも朝霧のたちこめたさまをいうか。
 万葉16 「青雲のたなびく日すら(こさめ)そほ()る」
 万葉161 「北山にたなびく雲の青雲の 星離り行き月を離れて」
「柏蔭の月に濡れつゝ 語らへる夕もすべて噫夢なれや」
 「月に濡れつゝ」は、月の光を浴びてに解した。「柏蔭」は、一高生が若き三年間を旅寝する場所。向ヶ丘。「柏」は、一高の武の象徴柏葉の柏。
 「柏蔭に憩ひし男の子」(「昭和12年「新墾の」追懷3番)
 「あゝ薄暗き樫の根に 友と理想を語りてし 三年の夢は安かりき」(明治43年「藝文の花」3番)
されど見よ燃ゆる篝火 今日も亦變らぬ色は 不死鳥の古き命を (とこと)はの若さに生かす光ならずや 5番歌詞 そうはいっても、燃えあがる篝火を見よ。昔と変わらず真っ赤に高く燃え上っているではないか。篝火の火は、古い命を焼いて永遠の若さに甦るという伝説の不死鳥の火に似て、自治が永遠の命を得て甦る希望の光ではないか。

「されど見よ燃ゆる篝火」
 「篝火」は、紀念祭の篝火。ただし、この年の記念祭は、前年の紀念祭のように篝火を囲んでの寮歌祭はなかった。昭和14年2月1日午後5時から6時頃、一般公開終了後、、茶話会(午後6時30分開始)までの間に、飾り物を焼却して篝火を焚いた。
 
「今日も亦變らぬ色は 不死鳥の古き命を 永はの若さに生かす光ならずや」
 「今日も亦變らぬ色」は、一高の伝統精神が後輩に引き継がれていることを示す。「不死鳥」は、エジプトの伝説の鳥。アラビアの砂漠にすみ、五百年生きると、その巣に火をつけて焼け死んだ後、生まれ変わるという。不死永生の象徴。「永はの若さに生かす光」は、永遠の命を得て甦る希望の光。
 「大篝火の炎のいろの中に、一高の古き伝統の不死鳥の如くよみがえるいのちをみている」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)
 「第五節以下では、作者の想念はプラスに転じて、紀念祭の燃えさかる篝火に、向陵の若き健児たちの、旧に変わらぬ『永は』の『若さ』、『不死鳥』の命を感得し、最後を『我も亦せめて一夜をたゞ舞はん哉』と締めくくっている。とはいうものの作者の心情の根底には、深刻とは言えないながらも懐疑主義が常に伏在していることは明らかで、これもまた昭和初期から満洲事変、日支事変を経て本格的な戦争へと突入する間における、鋭敏にして良心的な知識人に共通する心情であったといえよう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
若き子の祭なりけり よしさらば共に歌はん (わか)てかし(ことほ)ぎの酒  我も亦せめて一夜をたヾ舞はん哉 6番歌詞 今宵は、一高生の祭りだ。よし、それならば後輩達と一緒に寮歌を歌うことにしよう。祝いの酒を自分にも()いでくれ。自分もまた紀念祭のせめて一夜は、日頃の悩み苦しみを忘れて思いきり舞おうではないか。

「若き子の祭なりけり よしさらば共に歌はん」
 「若き子」は、一高生。「祭」は、寄宿寮の誕生を祝う紀念祭。

「分かてかし壽ぎの酒 我も亦せめて一夜をたゞ舞はん哉」
 「かし」は相手に強く念を押す助詞だが、ここでは相手に依頼する意。「我も亦せめて一夜」は、紀念祭の今宵一夜は、日頃の苦しみや悩みを忘れて。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 この二、三年の寮歌は、時局の緊迫化と共に、非常に寮生が思索的になり、学問、真理追究に、その生のより強い、否、究極的の意義を見出そうとしている跡がうかがわれる。それは出征という国家の要請と、自己の生の根源の重さとの比較から萠しているだろう。 「一高寮歌私観」から


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