旧制第一高等学校寮歌解説

春尚淺き

昭和12年第47回紀念祭寮歌 

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、春尚淺き武藏野の       籬落に雪は殘れども
  見よ芳草は萠えいでて     新時代(あらたなるよ)を告げむとす
  昏迷の冬今去りて       希望の曉鐘(かね)は鳴り出でぬ

2、嗚呼錦繍の夢醒めて      銀甲鎧(かふよろ)(とき)は來ぬ
  澆季の闇に蒼生は       光無き日を喘ぐとき
  我等求道(ぐどう)懈怠(けたい)して      ()新世(あらたよ)を導かむ

3、友よ衒氣の語を言ひて     曲學阿世(きょくがくあせい)追縱()ふ勿れ
  慨世の言大呼して        黄吻虹(くわうふんこう)を成す勿れ
  熱き祈りに欣求(もとむ)るは       清き眞理(まこと)(みち)なれば

4、海の彼方(あなた)蜂起(おこ)りたる     現世快樂(うつしよけらく)と呼ぶ聲は
  燎原の火と燃ゆるとも      堅き志操の搖がんや
  凛寒(しも)の威に堪ふる      松の(みどり)を我知れり

5、創業(こと)は難けれど       塵寰(じんくわん)遠き新城(にひしろ)
  闌干星の輝きて         松籟天に嘯けば
  出陣(かどで)を誓ふ男の子等の    斷腸夜半の叫びかな 

6、星霜此處に四十七       今宵祝宴(うたげ)の自治の城
  奇しき(えにし)に結ばれて      丘に上りし若人よ
  別離(わかれ)の歌を高誦(たかず)して       羽觴(うしょう)を月に飛ばさなむ
調。拍子は、イ短調4拍子で不変。
平成16年寮歌集で譜の一部が次のように変更された。下線はタイ。

1、「はるなおあさき」(1段1小節)の「お」 ミー
2、「りらくに」(1段3小節)      ファーファミーミ
3、「さりて」(3段2小節)の「り」   ミーファミー
4、「きぼーのかねは」(3段3小節) ファーファミーミラーラミー
 最後の4分音符を付点8分音符と16分音符に分け、次の小節の「なりいでぬ」の「な」を前送り。なお、「きぼーの」の部分は、「りらくに」と同じメロでディである。
5、「なりいでぬ」(3段4小節)    弱起とするため上述のように「な」を3小節に前送りして、ドードシーシラーに変更。すなわち、「りいでぬ」を「なーいでぬ」と変更した。「筑紫の富士」(明治44年)の最後「しのーぶかな」、「櫻眞白く」(大正6年)の最後「じーのうた」と歌い崩したのと同じ手法である。
短調でありながら、4拍子の寮歌の伝統的なリズムタータタータ(2×付点8分音符・16分音符)に乗って、誠に元気よく調子のよい寮歌である。ミーラーラミーミドーシ ドーシラードミー(「春尚淺き武蔵野の」)と歌いだすと、もう止まらなくなり、最後のファーファミーミラーラミー ミドードシーシラー(「羽觴を月に飛ばさなむ」)まで一気に全番を歌って、気分は羽觴と共に昇天する。暗い世の中にあって、とかく沈潜したリリシズム寮歌の多い中で、「櫻眞白く」(大正6年)、「春東海の櫻花」(昭和5年)やこの「春尚淺き」のような伝統的護国調のタータタータの寮歌は、暗くなる一方の気分を「羽觴を月に飛ばさなむ」と吹き飛ばしてくれたことであろう。今でも一高生によく愛唱され、一高寮歌祭の定番となっている。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
春尚淺き武藏野の 籬落に雪は殘れども 見よ芳草は萠えいでて 新時代(あらたなるよ)を告げむとす 昏迷の冬今去りて 希望の曉鐘(かね)は鳴り出でぬ 1番歌詞 武蔵野の春は、まだ浅く、垣根には雪が残っているけれども、野を見てみよ。雪の下から香しい新芽が出て、待望の春を告げている。時あたかも、国際的な孤立から脱却し、希望の暁鐘が鳴り出した。

「春尚淺き武蔵野の 籬落に雪は殘れども」
 1月31日(陰暦では前年12月19日の師走))の紀念祭の日は、真冬、残雪が残るというより、降雪のある時期である。「籬落」は、まがき。竹や柴などを粗く編んで作った垣。なお。昭和12年の紀念祭は、1月30日夕に全寮茶話会、1月31日に記念式典、2月1日に一般公開された。

「見よ芳草は萠えいでて 新時代(あらたなるよを告げんとす」
 「芳草」は若草。「新時代」は春。具体的には日独防共協定をいう。昭和11年12月31日のワシントン海軍軍縮条約失効(昭和12年1月にはロンドン軍縮会議からの脱退通告)により日英米の協調体制(ワシントン体制)は終焉した。日本は国際的孤立を避けるため、昭和11年11月25日、日独防共協定(翌年伊参加)を結び、日独伊枢軸体制の新しい時代を迎えた。
 「理知咲けるラインのほとり 藝術なすローマの丘に 東帝國の精神の文化 見よ今し流れ出づるを」 (同年昭和12年寮歌「新墾の」追懐3番)
 
「昏迷の冬今去りて 希望の曉鐘は鳴り出でぬ」
 英米と対立し国際的に孤立したのを「混迷の冬」、日独防共協定調印による独伊との枢軸形成を「希望の暁鐘は今鳴り出でぬ」という。「曉鐘」は、夜明けの鐘。前の句の「新時代」が来たことを告げる鐘である。
嗚呼錦繍の夢醒めて 銀甲鎧(かふよろ)(とき)は來ぬ 澆季の闇に蒼生は 光無き日を喘ぐとき 我等求道(ぐどう)懈怠(けたい)して ()新世(あらたよ)を導かむ 2番歌詞 一高生は、軟弱な文芸や贅沢を捨て、今こそ尚武の心を発揮すべき時である。国民は、神も仏もない闇となった末の世に、光りを求めて喘いでいる。我等一高生が、世を照らす光り、すなわち真理を求める努力を怠れば、誰が世を正すことができるというのか。

「嗚呼錦繍の夢醒めて」
 「錦繍」とは、錦と刺繍を施した織物。美しい詩文の字句、また美しい花や紅葉のたとえ。次の「銀甲鎧ふ秋」との対比でいえば、軟弱な文芸や贅沢になどにうつつを抜かさないでの意。「錦繍の夢」は、4番歌詞の「現世快樂」と同じような意味であろう。

「銀甲鎧ふ秋」
 「銀甲」は、尚武の精神。前句の「錦繍」に対す。

「澆季の闇に蒼生は 光無き日を喘ぐとき」
 「澆季」(「澆」は軽薄、「季」は末の意)は、世を照らす仏の教えが廃れた末法の世。闇の世である。「蒼生」は国民。「光」は、太陽の光で、宇宙の真理(仏法でいえば大日如来)。
 「かゞやきし日はしづみゆき 光なき夜は來りぬと なげく時代我は生れて」(昭和9年「綠なす」1番)
 「燃え熾る忿怒抱きて 壯大いなる日の没つ見れば」(昭和12年「遐けくも」1番)

「我等求道に懈怠して 誰が新世を導かん」
 「求道」は、仏道を求めること。転じて、真理を求めること。「新世」は、澆季の闇に光が灯った世。正義・真理が通る世。
 「げに修道の草まくら 欣求不斷の精進に」(大正4年「見よ鞦韆に」4番)
 「我おきて我をしおきて 流轉の世導くなけん」(昭和12年「武蔵野の」3番)
友よ衒氣の語を言ひて 曲學阿世(きょくがくあせい)追縱()ふ勿れ 慨世の言大呼して 黄吻虹(くわうふんこう)を成す勿れ  熱き祈りに欣求(もとむ)るは 清き眞理(まこと)(みち)なれば 3番歌詞 大きな声で、さも世を憂うるかのような言葉を発して、時勢に阿ることは止めよう。経験の少ない青二才の分際で、大業を成すなどと大口を叩くのは止めよう。我々一高生が心から求めるものは、ただひたすら精進して眞理を追究する道である。

「友よ衒氣の語を言ひて」
 「衒氣の語」は、見せびらかし自慢する文句。

「曲學阿世を追從ふ勿れ」
 「曲學阿世」は、真理を曲げた不正の学問をもって権力者や世俗におもねり人気を得ようとすること。軍国主義の時勢に阿ることは止めよう。
 中ソ抜きのサンフランシスコ平和条約締結を批判した当時の東大総長南原茂を「曲学阿世の徒」と切り返した時の首相吉田茂の言葉は有名。私自身は、戦後間もなく、刑法の尊属殺重罰が憲法違反かどうかで争われた最高裁判例で、一高出身の某裁判官が賛成意見の中で、尊属殺重罰が国民平等を定める新憲法の規定に反し違憲であると述べた裁判官に対し「曲学阿世の輩」と切り捨てたのを記憶している。 
 「曲學阿世の輩が 蠆尾の毒を攪き流し」(明治45年「天龍眠る」5番)
 「曲学阿世の語は、終戦後、吉田首相がGHQの学制改革案に附和する某大学総長に放ってから有名となったが、寮歌では、この歌の前に、明治42年(45年の松宮順氏作の『天竜眠る富士の峰』の五節に『曲学阿世の輩が』と先例がある。吉田総理は寮歌好きだったから、外務省二年後輩松宮氏(後年外務次官)のこの寮歌を、何かの機会に覚えていたかも知れない。」(井上司朗大先輩「一高寮歌私観」)

「慨世の言大呼して」
 「慨世の言」は、世を嘆き憂える言葉。悲憤慷慨。 

「黄吻虹を成す勿れ」
 「黄吻」は、黄色いくちばし。青二才。「黄」は子供の意で、ちなみに「黄口」とは、三歳以下の子供。「虹」は、ここでは「龍」のこと(雄。雌の虹は「霓」という)をいうので、「黄吻」は、雲雨を得ないで隠れている龍の子の(みずち)を踏まえる。
 三国志『呉書周瑜伝』 「蛟龍雲雨を得ば、ついに池中の物に非ざらん」
 魏曹植『七啓』 「袂を揮へば則ち九野に風を生じ、慷慨すれば則ち気は紅霓を成す。」

「熱き祈りに欣求るは 清き眞理の途なれば」
 「清き眞理の途」は、2番歌詞の「求道」。
 「熱き欣求に掌を合せ 己が力に祈らなむ」(昭和7年「吹く木枯に」4番)
 「こめて三年をたゆみなく 淋しく強く生きよとて 今はた丘の僧園に」(大正2年「ありとも分かぬ」3番)
海の彼方(あなた)蜂起(おこ)りたる 現世快樂(うつしよけらく)と呼ぶ聲は 燎原の火と燃ゆるとも 堅き志操の搖がんや 凛寒(しも)の威に堪ふる 松の(みどり)を我知れり 4番歌詞 海の彼方に起こった官能の赴くままに享楽に耽るべきだとする頽廃主義の風潮が、日本でもエロ・グロ・ナンセンスと呼ばれて流行したことがあったが、再び流行し燎原の火のように世間に広がろうとも、一高生の志操は決して揺らぐことは無い。あたかも厳寒の霜にも耐えて、緑の色を保ち続ける松のように。

「海の彼方に蜂起りたる 現世快楽と呼ぶ聲は」
 19世紀末にフランスを中心に起った頽廃主義。近代的芸術・文学論から派生し官能の赴くままに刹那的な享楽に走ったり、あるいは怠惰な生活をすることを指す。ナチスドイツは、頽廃的な近代芸術を批判し、ロマン主義的写生主義を推奨した。国内では、大正末から昭和初期に深刻化する社会不安の下、エロ・グロ・ナンセンスといった刹那的な享楽が流行したが、昭和6年の満州事変以後の軍国主義の台頭で、この頽廃的逃避的風潮は抑えられていた。しかし、昭和11年5月18日には、猟奇事件として有名な阿部定事件が起き、世の中にセンセーションを巻き起こした。また、頽廃小説家の太宰治が最初の小説「晩年」を刊行したのは昭和11年6月のことであった。過去に起こった凄まじい頽廃主義を前面に出すことで、暗澹たる今の世にも、一高生はじっと耐え抜くというのが、作者の言わんとする真意である。「蜂起りたる」の「たる」は、完了存続の助動詞「たり」の連体形。海外で起こって今も続いている意。
 「何を指すか、具体的には未詳」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 
「燎原の火と燃ゆるとも 堅き志操の搖がんや」
 「燎原の火」は、火が野原に燃え広がるように勢いの盛んなこと。特に、悪事や禍乱の蔓延るさまの形容。「燃ゆるとも」の「とも」は、動詞型活用の終止形を承けて、仮定条件を示し、下文に接続する助詞。従って、「燃ゆる」(下二連体形)は「燃ゆ」(終止形)とすべきところ、語数を五語とするために、「燃ゆる」としたか。「燃ゆるとも」は、海外で起こった頽廃主義の風潮が、日本に入ってきて燃えるように流行するようなことがあっての意(仮定)。
「志操」は、守るべき志。固い操。
「今六寮の若き血は 燎原の火の行く如く 亂れし世をば焼き果てん」(大正3年「黎明の靄」4番)

「凛寒霜の威に堪ふる 松の翠を我知れり」
 「凛寒」は、厳しい寒さ。厳寒。「松」は、常緑樹。葉は針状、姿が男性的で樹齢が長く、その葉が色を変えないことから、人の節操・長寿・繁栄などの象徴とされる。
創業(こと)は難けれど  塵寰(じんくわん)遠き新城(にひしろ)に 闌干星の輝きて 松籟天に嘯けば  出陣(かどで)を誓ふ男の子等の 斷腸夜半の叫びかな 5番歌詞 新向陵の建設には困難はあるが、濁世を遠く離れた駒場の寄宿寮の夜空には、星の光が鮮やかに煌めいている。松の梢に吹く風は天に向かって吠えているが、それは、汚れた波を浄めると誓って濁世に出陣する一高生の雄叫びであり、向ヶ丘との訣別に腸が断ちきられるような悲しい思いをしている一高生の叫びである。

「創業事は難けれど 塵寰遠き新城に 闌干星の輝きて 松籟天に嘯けば」
 新天地での自治の建設半ばにして駒場を去る紀念祭の夜の駒場の情景を表現する。「塵寰」は、俗界、汚れた世間。「闌干」は、星の光が鮮やかに煌めくさま、また涙がとめどなく流れる様にもいう。「松籟」は松に吹く風、またその音。「松」は、4番歌詞で「凛寒霜の威に堪ふる」松。一高生の固い志を喩える。

「出陣を誓ふ男の子等の 斷腸夜半の叫びかな」
 「出陣」は、世の不義不正と戦うために籠城する城から世の荒波に打って出ること。卒業して世間に出る門出。「夜半の叫び」は、向ヶ丘を去り、濁世に出陣する雄叫び。
星霜此處に四十七 今宵祝宴(うたげ)の自治の城  奇しき(えにし)に結ばれて 丘に上りし若人よ 別離(わかれ)の歌を高誦(たかず)して 羽觴(うしょう)を月に飛ばさなむ 6番歌詞 今年寄宿寮は開寮47周年を迎えた。今宵は寄宿寮の誕生を祝う紀念祭の宴の日である。人生の旅の途中に、不思議な縁で、向ヶ丘で出会った一高生よ。別れの寮歌を大きな声で歌って、杯を頭上高くかかげ、多くの友と乾杯を交わそう。

「星霜此處に四十七 今宵祝宴の自治の城」
 「星霜此處に四十七」は、開寮以来、今年で47年経ったこと。「祝宴」は、紀念祭の宴。「自治の城」は、寄宿寮。

「奇しき縁に結ばれた 丘に上りし若人よ」
 「丘」は、向ヶ丘、駒場。「上る」は入学すること。
 「しばし木蔭の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)

「別離の歌を高誦して 羽觴を月に飛ばさなん」
 士官学校の卒業式で、帽子を天高く放り投げるシーンやドイツ式ビアホールで、「プロージット!」と掛け声をかけ、皆で高々とジョッキを頭上に上げて乾杯するシーンを思い出す。「羽觴」は、雀にかたどって、翼の形をつけた杯。さかずき。雀を象った杯をみんなで高く上げれば、たくさんの雀が飛ぶ。森下東大先輩は、「羽觴を飛ばす」を、「盛んに杯をやりとりすること」と解す(「一高寮歌解説書の落穂拾い」)。方々をまわりながら友と乾杯をして杯を交わそうの意。「月に」は、高く。校庭での祝宴であれば、月の影が杯に浮ぶように杯を高くかかげて、多くの友と杯を交わそうの意となる。ちなみに、昭和12年の全寮茶話会は、1月30日イブの日に雨天体操場で催された(閉会は午後12時頃)。1月31日は、記念式の後、食堂で午餐会が開かれた。夕、アーチの前に焚火が焚かれたが夜の祝宴はなかった。2月1日は、一般公開の後、夕、飾り物を焼却した。寮歌では、紀念祭を別れの最後の日の如く歌うが、例年、三年生送別の晩餐会が紀念祭の後に開かれていた。昭和12年は2月10日に開かれ、閉会したのは午前2時であった。
 李白 『春夜宴桃李園序』 「瓊筵を開いて以て華に坐し 羽觴を飛ばして月に醉ふ
 「羽觴を飛ばせ月に醉ふ」(大正7年「悲風慘悴」2番)
 「丘の矜恃に欣悦の 羽觴あげん四十七」(昭和12年「春の日晷」6番)
                        

解説書トップ  明治の寮歌  大正の寮歌  昭和本郷の寮歌 昭和駒場の寮歌