※このコンテンツでは家庭用ゲームの歴史を大まかに紹介しています。携帯用ゲームは申し訳ないのですが現在は殆ど取り上げてい
ません。
テレビゲーム大国日本、しかしテレビゲームの歴史は実は日本ではなくアメリカから始まりました。
1960年代当時、マサチューセッツ工科大学の大学院生が、全米ほとんどの大学のコンピューターに搭載されているといわれるほど人
気を博した「スペースウォー」なる宇宙戦闘艇と円盤の戦闘をシュミレートしたコンピューターゲームを発明。
(※この当時のPCは大型かつ高価な品物で一般家庭には普及していなかった。)
このスペースウォーの魅力に取り付かれた一人、ノーラン・プッシュネルがスペースウォーに改良を施し、
「コンピュータスペース」と言うコンピュータゲームを作りました。コンピュータスペースは19インチのモノクロテレビに集積回路
を接続したもので、このゲームしか遊ぶ機能しか付いていません。これはつまり、機能を特化した結果、フル装備のコンピュータ
に比べると安価に作れる特徴を持っていたのです。そしてこれこそが現在の業務用ゲームの原型となります。
その後、プッシュネルは友人と二人で250ドルずつ出し合って会社を設立。そして「ポン」というピンボールゲームを作りまし
た。1972年11月に完成したポンは片手で操作できるから、もう一方の手でビールが飲めるという売りで爆発的にヒット。
のちに会社名をアタリ社と名づけ(アタリという名前は囲碁の当たりから取られたとの事)、家庭用ゲーム機の原型ともいえる
「アタリVCS」を作り出しました。
1977年に売り出されたアタリVCS。このゲーム機は従来とは違う発想で作られていました。
それは、カセット(正確にはROMカセット/カセットカートリッジと呼ぶ)で供給されるソフトウェア
を差し込むことでさまざまなゲームを楽しめるという、現在の”ゲームに特化したコンピュータ”そのもので、
アタリVCSは売れに売れ、ブームの頂点では1年だけで約700万個、1981年までの総計では約1200万個が売り出され
全米総世帯数の15%に及ぶほどでした。
しかし、そんなブームにも陰りが見え始めます。アタリVCSが普及すると群がるようにサードパーティ(ソフト開発会社)が参入し粗
悪なゲームが市場に出回り始め、そこにノウハウを持たない他業種までが金脈を求めてサードパーティーとして参入。
いよいよ愚にもつかぬゲームが氾濫し出し、ユーザーの信用をなくしてしまいました。
またアタリVCSに参入していたメーカーのいくつかが参入後一年足らずで撤退・倒産し、ゲームソフトを捨て値で販売。
アタリ社自身も作りすぎたソフトの処分すべく大幅なディスカウントを行った模様。この影響でソフトに対する価値観が下がり、
他社もソフトを値下げせざるをえない悪循環な状況になり、参入企業の撤退・倒産が増加。
さらに同時期、パソコンの価格競争が激化しパソコンの価格が低下し、アタリVCSより高性能で価格も大差の無いゲームパソコンが
手に入るようになり、アタリVCSとパソコンのシェアが逆転。
アタリ社は巻き返しを図ろうと新型ゲーム機「7800」を発売しようとしましたが、パソコン市場の影響と、コレコ社の新鋭ゲーム機
「コレコビジョン」が既にアタリのシェアを大きく奪っており、価格設定に折り合いがつかなくなって発売したくても出来なくなり
ました。こうして一時栄華を極めたアタリ社及びアタリVCSの市場は急速に縮小していきます。(俗に言うアタリショック。)
ちなみにコレコ社もコレコビジョンの上位互換となる「ホームコンピュータ・アダム」で躓いてしまい、
他の玩具業務にシフトチェンジ。1984には陰りの見え始めたコレコビジョンの製造を終了しました。
アタリ社をはじめとするゲーム産業がアメリカのなかで急速に失速していくさなか、逆に日本ではコンピュータゲームが徐々に
頭角を現し始めてきました。株式会社タイトーが1973年、アタリ社のポンを模倣したと思われる、日本初の業務用ゲーム
「エレポン」を発売。この時タイトーを始め、トランプ、花札から玩具(光線銃など)なども販売していた株式会社任天堂、
ジュークボックスや業務用アミューズメント機器販売メーカーの株式会社セガ・エンタープライゼスもポンの模倣品を発売
していました。
その後1970年代中頃にタイトーの業務用ゲームの「ブロック崩しゲーム」が主に喫茶店等に設置されブレイク。1978年7月頃には、
タイトーが日本中を虜にした爆発的大ヒットの業務用ゲーム、「スペースインベーダー」を発売。スペースインベーダーは社
会現象にまでなり、スペースインベーダーの類似品も乱造され、日本でもようやくコンピュータゲームが娯楽の一つとして認識され
ました。
また同年代、日本でも家庭用ゲーム機が熱を帯び始め、初心声上げたのは1975年、同年9月12日にエポック社より「ポン」タイプのテ
ニスゲームを遊べるゲーム機「テレビテニス」を発売。これを皮切りに任天堂など各社はテレビテニスの類似品を販売
(「カラーテレビゲーム6」や「カラーテレビゲーム15」等)。
そして家庭用ゲーム気の先駆者のエポック社から1981年7月30日に、今度は日本初のカセット交換式家庭用ゲーム機「カセットビジョン」
を発売。当時のコンピュータ機器としては低価格(12,000〜13,500円)から当時としては異例の約40万台という驚異的な売上を記録
しました。
その後も各社が様々な家庭用ゲーム機を発売する中、1983年7月15日、任天堂から「ファミリーコンピュータ」と呼ばれる家庭
用ゲーム機が発売されました。このファミリーコンピュータ(以下ファミコンと略す)は設計思想がアタリ社のアタリVCSと同じく
”カセットで供給されるソフトを差し込む、ゲームに特化した安価(14,800円)で高性能(8ビットCPU搭載)なコンピュータ”
なのですが、アタリ社やエポック社等他の会社ゲーム機と幾つか異なる重要な点がありました。中でも十字キーのコントローラと、
商標登録による法的保護を強化した点(商標登録についてはこちらを参照)、
参入メーカーに厳しいライセンス条件を出した点です。
十字キーによる操作は圧倒的な遊びやすさでゲームの遊び方の幅を広げ、商標登録による保護で粗悪なコピー品を排除しました。
ライセンス条件ではゲーム内容について任天堂の審査を受けること、年間の製作本数を三本までにすること、そしてROMカセットは
すべて任天堂で作りその際にロイヤリティを支払うことを参入メーカーに要求しました。
厳しい条件でありましたが、それでも多数の会社がファミコン市場に参入。ソフトの一定質も保たれ(それでも酷いソフト、所謂
クソゲーも大量に量産してしまいましたが)、また様々なヒット作を生み出しました。
ファミコンの主なヒット作は業務用ゲームで大ヒットした「ドンキーコング」や株式会社ナムコの「ゼビウス」、
株式会社ハドソンの「ロードランナー」、パソコンソフトの移植では株式会社エニックスの「ポートピア連続殺人事件」などが。
ファミコンオリジナルの作品では任天堂の「スーパーマリオブラザーズ」、エニックスの「ドラゴンクエスト」など
現在でも続編が作られている作品の多くがファミコン時代に誕生していたのです。
ハード、ソフト、法整備や他サポートと、ファミコンは現在のゲーム機の基準といえるべき存在となり、ファミコンのヒットに続け
と言わんばかりに乱造された各社家庭用ゲーム機をものともせず、市場管理は大成功を収め、任天堂に巨大な利潤をもたらすシステム
となり、結果ゲーム市場は任天堂の独走態勢となりました。
1986年(昭和61年)2月21日、ファミコンの周辺機器としてフロッピーディスクの様な「クイックディスク」をソフトウェアとする
「ディスクシステム」が発売。当初はカセットよりも容量が多く、一般的でなかったデータの保存機能やディスクシステムの
ソフトなら500円で好きなソフトに書き換えが可能と言う強みがありましたが、
反面、まずファミコン以外にディスクシステム本体(15,000円)を買わなければいけないという各ご家庭の事情、
ゲーム開始までに読み込み時間がかかったり、カセットのように様々なチップを搭載することが出来なかったり、
後にファミコンのカセットの容量がディスクシステムに追いつき追い越せるようになってしまったためファミコン本体の様な普及には
至らずお役御免となりました。しかし依然ファミコンの勢いは止まらないどころか加速していきます。
更に1989年(昭和64年)4月21日に発売した携帯用ゲーム機「ゲームボーイ」&ゲームボーイ用ソフト
「テトリス」でヒット。勢いを得た任天堂は平成2年(1990年)11月21日、ファミコンと同様のカセット交換式ですがファミコ
ンをはるかに凌駕する性能を持つ16ビットCPU搭載の家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」(25,000円)を投入。
スーパーマリオやファミコン時代の人気タイトル、アーケードゲームの移植などでファミコンに飽き始めていたユーザーを
見事スーパーファミコンユーザーに移行させ、さらなる独走状態に入っていきます。
ところで、テトリスとスーパーファミコンにはちょっとしたエピソードがあったりします。
ゲームボーイ等で爆発的ヒットとなったテトリスですが、当初はセガのアーケードゲーム版のテトリスを自社の家庭用ゲーム機
メガドライブに移植して発売しようとしていました。(ちなみにセガのアーケード版テトリスも、当時の版権元であるソ連の外国貿
易協会(ELORG)からアーケード版の権利を取得していたアタリ社とライセンス契約して開発販売していました。)
そこを任天堂が、テトリスの版権元であるELORGから家庭用ゲーム機でテトリスを独占販売出来る権利を取得し、セガの家庭用ゲーム
機版テトリスを発売中止に追い込みました。これを俗に「テトリス事件」と呼びます。
同じく大ヒット商品のスーパーファミコンには家電メーカー大手のソニーの技術が多く使われており、
スーパーファミコンCD-ROMドライブ (CDのゲームが遊べるためのアダプタ。ディスクシステムのような物) もソニー中心で
開発していました。またソニーはスーパーファミコンとCDアダプタの一体化したハードを発売しようともしました。
このハードの名前は「プレイステーション」。そう現在市場に出回っているプレステとまったく同じ名前です。
プレイステーションが発売されるとスーパーファミコンはCD-ROMアダプタというおまけ的扱いとなり、逆にプレイステーションが
本命機となってしまうかもしれない…が、これはシャープから発売された「ツインファミコン」の前例からさほど
脅威とは考えていなかったようです。もっと大きな脅威はこの後に発覚することになります。
CD-ROMアダプタ及びプレイステーションの発売が近付くとCD-ROMのロイヤリティー (ソフトメーカーがハードメーカーに支払う使用
料の事) が殆どソニーに渡ってしまう等、ソニー主導となる構図になる事に任天堂アメリカ社が気付き、もしこのまま発売されたら
結果的に市場が乗っ取られることになってしまう。この件は任天堂の逆鱗に触れ、任天堂はソニーとの共同事業であるCD-ROM事業を
白紙撤回。64bitゲーム機をヨーロッパのシリコングラフィックス社と共同で開発することになりました。
これがのちの「Nintendo64」となります。
この事件でプレイステーションプロジェクトは中止となり、ソニーは大きな損失を負う事になりました。
当然任天堂との仲は犬猿の仲に。しかしソニーは倒れたままではありませんでした。久多良木を代表とするソニーゲーム
部門は復讐を込めてか、のちに出すゲーム機のコードネームを「PS-X」とし、打倒任天堂のため立ち上がることになります。
さて、ここで一度話を区切り、ファミコンからスーパーファミコン時代で任天堂以外の主な日本の家庭用ゲーム機とメーカーを取り
上げてみましょう。
「株式会社セガ・エンタープライゼス」
元はジュークボックス等を輸入販売していたアメリカの会社「レメーヤー&スチュアート社」がセガの前身で、
国産初のジュークボックスの開発販売や経て1965年(昭和40年)に「株式会社 セガ・エンタープライゼス」に。
その後上記に述べたように業務用ゲームを展開していましたが、ファミリーコンピュータが発売された1983年(昭和58年)にセガからも家庭用の8ビットゲーム機「SG-1000」が発売されました。
1984年(昭和59年)日本法人は大手コンピュータソフトメーカーCSKの傘下に入り、日本でのゲーム機メーカーとしてのセガの活動は本格化して行きます。
同年には「SC-1000U」、翌年1985年(昭和60年)には「セガ・マークV」など8ビットの家庭用ゲーム機を出しつづけ、一定のユーザーの支持を受けはしましたが、ファミコンの牙城を崩すには至りませんでした。
1988年(昭和63年)10月29日に16ビットの家庭用ゲーム機「メガドライブ」を発売。翌年の1989年(昭和64年)9月にアメリカでメガドライブは「ジェネシス」と言う名で発売されました。
日本では目立たずともアーケードからの移植作などで高い評価を得て、ゲーム機の一つと認識されたメガドラ
イブですが、アメリカでは本体価格とアメリカ人受けの多くのソフト、特に「ソニックザヘッジホッグ」
が大いに受けて日本以上に普及しました。その結果アメリカでの16ビットゲーム機対決でスタートダッシュ時の
セガは任天堂と互角の勝負を繰り広げたのでした。
その後「スーパーNES」(アメリカでのスーパーファミコンの名前)が追い上げ、首位を奪還されたものの、
ジェネシスはスーパーNESといい勝負を繰り広げていきました。
1991年12月12日にNECに続けと大容量の光メディア「CD-ROM」ドライブ「メガCD」を出すもいまいち普及せず、
次世代機に託す事になります。
尚アメリカでは次世代機よりもジェネシスの方が生き残り、長く愛され続けることになります。
「株式会社NEC ホームエレクトロニクス」
ファミコンの牙城を崩すべく、NECとハドソンが手を組み、1987年10月23日に8ビットの家庭用ゲーム機
「PC-エンジン」を発売。8ビット機とは思えぬ映像・音の美しさはコアユーザーの心をキャッチ。
ゲームソフトの形状はカセットではなくカードのような形式のHuカードを採用。ソフトは実質ハドソンが主導
権を持っており「桃太郎電鉄」「ボンバーマン」「天外魔境」と言ったヒット作を、ハドソン以外ではファミコ
ン時代の有力メーカーから多数のヒット作を出し続け多くのユーザーの獲得に成功。任天堂のライバル機として
台頭していきます。
また1988年12月4日に、世界に先駆けいち早く大容量の光メディア「CD-ROM」を採用した「CD-ROM2システム」
を発売。発売当初は57,800円と言う高価な周辺機器でしたが、ハイクオリティな映像や「音声」にはその
価格をも納得させるだけの魅力があり、のちにはコストダウンによる低価格化で普及していきます。
PCエンジンはゲームに声やアニメの要素を取り込んだり、拡張機能を充実させるなど様々な試み
をしたチャレンジゲーム機として高い評価を得ました。
「株式会社エス・エヌ・ケイ(SNK)」
新日本企画(1973年〜1986年)から社名を変更。業務用基板の「Multi Video System(MVS)」
を中心に次々とヒット作を世に送り出した。
またMVSの家庭用となる「Advanced Entertainment System(AES)」(一般的に「ネオジオ」の名称で有名)
を高価な為当初レンタルで供給されていましたが1991年7月1日から一般発売。
当時の家庭用ゲーム機では業務用ゲームをそのまま移植できるほどの性能が無い時代に、業務用ゲームをほぼそのま
ま遊べるというコンセプトはソフトの価格が一本数万円をもってしても圧倒的な魅力があり、
また格闘ゲーム全盛期も追い風となって一定の客層の支持を確立。以後2004年の生産終了まで長く愛されつづけました。
任天堂の独走が続く中、1994年(特に同年末に)、様々な会社から一斉にこれまでの家庭用ゲーム機とは一線を駕する性能
(32ビットCPU搭載、立体映像「ポリゴン」を用いた高レベルの3D描写、CGムービーやテレビアニメーションのような動画再生機能)
を誇る次世代のテレビゲーム機が発売されました。俗に言う次世代機戦争の幕開けです。
まず始めに、米の3DO社と共同で家電メーカー大手松下電器から1994年3月20日に「3DOREAL」が発売されました。
(ちなみに松下電器以外の会社からも「3DO」は発売され、三洋電機社が「3DO TRY」を販売されています。)
しかしハードの価格が非常に高く、ソフトが松下系電器屋を中心に置かれ本来ゲーム購入層の集まるゲームショップに全然置かれない、
日本人受けするキラーソフトがないなど空回りが続き結果初陣は惨敗という形で終わりました。
その後、SNKから1994年9月9日にソフトをCD-ROMで供給する「ネオジオCD」
(16bitCPUでポリゴンによる3D描写機能もなく、どちらかというとSFC世代のゲーム機ですが時期的に次世代機にカテゴライズされることもあります)が、
セガから1994年11月22日にセガサターン(SS)が、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)から1994年12月3日に
「プレイステーション」(PS)、同日メガドライブの周辺機器として32bitCPU搭載の「スーパー32X」が、
NECホームエレクトロニクスから1994年12月9日にPC-エンジンの後継機として「PC-FX」
(この機種もポリゴンによる3D描写機能こそありませんが、32bitCPUを搭載し高レベルのアニメーション機能があるので次世代機にカテゴライズされます)が、
後れて任天堂から1996年6月23日にソフトはCDROMではなく従来のカセットですが64bitCPUを搭載した「Nintendo64」(N64)が発売され、
本格的な次世代機戦争時代に突入します。
しかし、先にも述べた通り真っ先に3DOが、続いてスーパー32X、ネオジオCD、PC-FXが脱落。
ネオジオCDの敗因はROMカセットのネオジオとは異なりロード時間がどのソフトも長時間(数十秒以上)掛かってしまうという致命的な弱点があり、ソフトもSNK系列しか出ない為、従来のファンはROMカセットのネオジオを支持。
スーパー32Xはそもそも大多数が同社の次世代機セガサターンを大本命としていたので当然普及には至らずメガドライブと共に衰退。
PC-FXの敗因は2D(特にアニメーション)機能は強いがポリゴン機能が無く本格的な3D表現が出来ないと言う時代に逆行した性能だった点と、
サードパーティーを取り込めなかった点にあり、少量のマニアックなソフトしか出ず、極一部のユーザーにしか受けませんでした。そしてPC-FXを最後にNECは家庭用ゲーム機市場から撤退。家庭用ゲーム機の歴史に幕を降ろしました。
3DO、スーパー32X、PC-FX、ネオジオCD亡き後、セガのSS、SCEのPS、後続の任天堂のN64の三つ巴となっていきます。
SSは当初2Dの性能を突き詰めたハードになる予定がPSの3D性能に危機感を覚えて急遽CPUを増設(デュアルCPUですね)し、結果2D3D双方に対応したハードになり、それが功を制し同時発売の3D格闘ゲーム「バーチャファイター」を筆頭に、「バーチャファイター2」(セガ家庭用ゲーム史上初の100万本突破タイトル)、「デイトナUSA」、「セガラリーチャンピオンシップ」、「バーチャコップ」など、セガ人気のアーケード3Dゲームの移植効果や、カプコン、SNKなどの人気2Dアーケードゲームの移植等で1995年頃まではPSより優勢でしたが、
発売当時圧倒的な3D機能を誇ったPSは、任天堂に不満を抱くメーカーや任天堂と方向性の違うメーカーを高待遇で引き抜きを持ちかけ、
特にPS初期にはバーチャファイターと二分する人気のナムコの3D格闘ゲームゲーム「鉄拳」や、人気3Dレースゲーム「リッジレーサー」等でSSに対抗。SSとのマルチタイトルでも先行発売するソフトが多く、中でもPCエンジンで発売されPS版発売時には社会現象までになったコナミの「ときめきメモリアル」や様々なジャンルのソフトで拮抗し、そしてついにスクウェアと独占契約し「ファイナルファンタジー7」の発表で一気に優勢に転じます。
さらにカプコンのサバイバルホラー「バイオハザード」シリーズのヒットや、SCEの「グランツーリスモ」、「パラッパラッパー」
等、コナミの「ダンスダンスレボリューション」などのリズミカルゲーム(通称音ゲー)、それに加えSCEのライトユーザー
向けの宣伝のヒットなどで空前のPSブームとなり、国民的ゲームソフトのドラゴンクエストの発表・発売でその差は決定的になりました。
価格面でも、元からコストが高く急遽CPUを追加することになったSSは、実は最初から5000円の赤字を出すハードだったにもかかわらず、コストパフォーマンスに優れたPSとの熾烈な値下げ競争でセガの経営を逼迫させていくことになっていきます。
SSとPSより出遅れて参戦したN64は、スーパーファミコン時代までのサードパーティーを先行していたSS、PS陣営に殆ど持っていかれ、光学メディアとは違いコストのかかるROMカードリッジを採用したことや、64bitCPUを使いこなすことが困難なためにサードパーティーが非常に消極的で慢性的なソフト不足となってしまい、任天堂ファンやファミリー層以外にアピールする事が出来ず、PS人気を覆す事もなくハードの普及率はスーパーファミコン時代ほど振いませんでした。
しかしそれでもSS陣営からは10〜50万本クラスのヒット作が、N64ではマリオシリーズや「ゼルダの伝説 時のオカリナ」などの任天
堂人気タイトル、またゲームボーイで国内外異例の超ヒット作となった「ポケットモンスター」の関連作品、そして
任天堂作品の人気キャラクターが集い戦う「任天堂オールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ」等、数十万本〜100万本を
超える大ヒットソフトが何本も出るなど一強皆弱とは異なる「三強時代」となり業界全体が活気付いていました。
ちなみにアメリカではPSがトップ、続いてN64が人気で、セガサターンはスーパー32Xと共倒れとなりました。
上記の通り、三強状態と言われた市場もPSが頭一つ抜き出た存在となり、各社の苛烈な値下げ合戦の果てにハードの逆鞘に苦しめられ体力的にも厳しくなったセガは巻き返しを狙って、当時アーケードゲームで最も性能の高い自社基盤のゲームをほぼそのまま移植可能な高性能さと、インターネット機能を標準搭載した「ドリームキャスト」を1998年11月27日に発売。
湯川専務とタッキーで有名なCM等の宣伝効果でセガ史上類を見ないレベルで注目を浴びるも痛恨の本体台数不足(内蔵チップの生産の遅れ)で折角の需要に対応できず、宣伝効果が薄れた後にはソフトの不足やセガサターンまでのコアユーザーを切り捨てる戦略等が仇となり思うように普及できず、
噂のプレイステーション後継機の話題に翻弄され、そして2000年3月4日にSCEから噂のDVD再生機能とPS用ソフトの互換性を付けた高性能ハード「プレイステーション2」(PS2)が発売。
前述の機能に加え、PSに引き続きスクウェアのファイナルファンタジーシリーズや、ナムコ、カプコン、コーエー、コナミ等の人気タイトルや新規タイトルで瞬く間にDCを引き離し、
その圧倒的PS2人気の前にDCは無茶な本体の値下げをしてもいよいよ販売が振るわなくなり、結果国内ではサターンの半数以下の普及台数となってしまいました。
勝敗は決し、莫大な赤字に耐え切れず、セガは2001年1月31日にハードの販売を中止しハード業界から撤退。
長きに亘るセガの家庭用ハード事業の歴史はここで幕を閉じる事となりました。
しかし社運を賭けたソフト「シェンムー」のゲーム性や技術力、インターネット黎明期に「ファンタシースターオンライン」を始めとしたネットワークゲーム事業を成功させた実績は今なお評価されています。
その技術力を生かし、2020年現在に至るまで各ハード会社にソフトメーカーとしてソフトを供給し続けています。
PS2が市場を席巻している中、遅れて2001年9月14日に任天堂から「ゲームキューブ」(GC)が、
2002年2月22日に海外からの刺客、PC用のOS「Windows」で有名なマイクロソフト(MS)からPS2と同じくDVD再生機能(※発売当時は別売りのオプションを付けないとDVDを再生できない)とハードディスクドライブ(HDD)とブロードバンドアダプタ(BBA)を標準装備している「X-box」が発売されましたが、
かつてのファミコンからスーパーファミコンのようにPS人気をそのまま移したPS2がぶっちぎりのシェアを獲得。
GCはN64同様任天堂ファンや多人数向けの路線に加え、N64の反省点から他社メーカーのソフトも強化。中でもカプコンのバイオハザードを独占供給するなどコアユーザーへのアピールも示しました。
しかし肝心の任天堂製のゲームが思いのほか奮わず、他社メーカーはやはりPS2に力を入れ、カプコンもバイオハザード独占供給を撤回。セールスポイントに欠けたまま回生策も無くズルズルといき、
結果N64を下回る任天堂ハード史最も低い普及台数となってしまいました。
X-boxは日本の事情をまるで無視した展開と初期不良問題、日本向けソフト不足で3DO以下、PC-FX並の普及率で惨敗。
海外でのX-boxはPS2に迫る勢いで成功しています。GCは海外でも不振に終わりX-box以下となりました。
このままSCEとPSの天下と思われていた中ですが、
PS時代に出せば売れたSCEのゲームもライトユーザー離れか「みんなのシリーズ」や「グランツーリスモ」といった一部以外は売れ行きが鈍くなり、
サードのソフトはコーエーの「無双シリーズ」やカプコンの「モンスターハンター」など意欲的な作品が出つつも、それらのソフトも含め安易な続編物が多く、飽食気味なムードが漂い、
圧倒的なシェアを誇るPS2も徐々に徐々にソフトの売れ行きに暗雲が立ち込めます。
そんなゲームバブル崩壊とささやかれてきた中、2004年12月2日に発売された任天堂の携帯ゲーム機「NINTENDO DS」(DS)が大ブレイク。
二画面とタッチペンを使った独自性が大いに受け、その機能をフル活用した「脳を鍛える大人のDSトレーニング」等、
学習タイプタイプのソフトが非ゲーム層を取り込み、「NEWスーパーマリオ」や「テトリスDS」、「どうぶつの森」などで
老若男女幅広いユーザーを獲得。その勢いは留まる事を知らず、携帯ゲーム機市場が家庭用ゲーム機を喰らう逆転現象まで起こりました。
家庭用ゲーム機もこのまま手をこまねいている訳ではなく、まずMSが当時の高性能PCにも劣らない性能を持ったX-boxの後継機「XBOX360」を2005年12月10日にいち早く発売。
SCEは巨額の費用を投じて開発した次世代プロセッサCPU「Cell」と、次世代メディアのブルーレイディスクを登載した「プレイステーション3」(PS3)を2006年11月11日に、
任天堂はDS同様これまでとは異なる遊び方を重視しリモコンタイプのコントローラーで手や体全体を使う体感型ゲームの「Wii」を2006年12月2日に発売。
先行発売したXBOX360は、海外、特に北米ではFPSゲーム(一人称視点のシューティングゲーム)などで絶好調でしたが、
国内ではあいも変わらず見当違いの宣伝や国内向けキラーソフトの不足、また故障率の高さなど不安材料もあって、先代Xboxの負のイメージを払拭できず先行逃げ切りに失敗し、大苦戦。
2006年11月にHDDを外した廉価版を、2007年10月にはHDDを120Gまで増量した上位版などニーズに応じた本体を用意し、
テイルズオブシリーズやスターオーシャンシリーズなど国産の人気RPGなどを取り込み巻き返しを狙い国内100万台を突破こそしまし
たが、健闘振るわず先の国内有力2タイトルはいずれもPS3に移植されてしまいました。
2009年9月に薄型PS3の対抗しHDD120G版を1万円値下げの29800円にしたにも関わらず本体の売れ行きは低迷のしたまま、
ソフトも伸び悩みが続きます。更なる梃入れとして、2010年6月にはHDD250GBの新型の本体や4Gメモリの19800円の廉価版の本体を用
意し、また同年11月には体全体の動きを読み取り遊ぶ新世代の体感型装置「キネクト」を発売するも、残念ながら国内ではキネクトでも巻き返しにはなりませんでした。
PS3はブルーレイディスクやCPUのCellの高コストの影響で初期の本体価格が4万5000円〜約6万円と非常に高額となり、
またPS2の数倍に跳ね上がる開発費と開発の難しさから国内外問わず軒並みユーザーやメーカーの評判が悪く、
スタートダッシュ以降動きが鈍くなり、国内ではWiiに差を付けられ二番手止まり。
海外ではハードシェアが最下位に転落。PS2までの勢いは微塵もなくなりました。
かつてのマルチメディア路線の多様化と高級思考では売れないと判断したのか、「PS3はゲーム機」と強調し、
2007年11月にPS2との互換性を切ったHDD40G版をオープン価格に、2008年8月にHDD80G版を39800円と手が届く範囲の価格にして巻き返しを狙い、
人気シリーズのファイナルファンタジー13、メタルギアソリッド4などのタイトルで奮戦。
続く梃入れとして2009年9月に本体を小型化しHDDを120Gまで増量した新型を一気に1万円値下げして29980円で販売。
9月だけで国内30万台以上を売上げ、遅れた大波に乗って盛り返してきてます。29800円の値下げ効果で以後国内ではWiiと拮抗したり、
据置きでは最も売れるなど本体の売れ行きは好調ですが、人気タイトルのFF13やGT5等の売れ行きは過去のシリーズのようには伸びず、
他のタイトルも本体の勢い程の恩恵は余り感じられません。
しかし本体の売れ行きも落ち着いた後も更なる値下げと人気タイトルを継続的に出し続けた結果、
ソーシャルゲーム全盛期の中、Wii、PS3、XBOX360の時代では唯一市場の活気がある状態でした。
Wiiは直感的な遊びの「Wiiスポーツ」や体感ゲームと健康管理を融合した「Wii Fit」で、これまでゲームに無縁だった客層を見事取り込み大ヒット。
国内外共にトップシェアに返り咲きを果しました。その勢いは止まらず、携帯ゲーム機のDSを含め過去最高利益を出すなどFC〜SFC時代をも凌駕する、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いに。
しかしそんなWiiにも弱点があり、任天堂のソフトの好調さとは裏腹にサードメーカーのソフトが売れず、またPS2時代までの従来型のゲームのファンを囲い込めない等の一部不安要素が残ります。
対策として任天堂自身もこれまでのシリーズ物の新作を出したり、2009年10月に本体価格を5000円下げ薄型PS3に対抗。
WiiスポーツやWiiFitの新作など体感ゲームに加え、「Newスーパーマリオブラザーズ:がWii最大の売上を叩き出し、
サードではカプコンの大人気ソフト「モンスターハンター3」のミリオンヒットで従来型の客層にも対応しようとしていますが、
モンスターハンター3以降サード製で目ぼしいソフトが続かず沈黙。
2010年には流石のWii FitやWiiスポーツなどの人気にも陰りが見え始め、
Wii Partyやマリオシリーズの新作マリオギャラクシー2がミリオンヒットとなりますが、
Wii Fitのような爆発的ブームにはならず、サード到っては据え置きトップシェアとは思えぬほど本数も売上も低迷。
2011年もその傾向か続き、Wiiの人気に陰りが見られます。
その原因の一つに急速に市場拡大し続ける携帯電話やスマートフォン等で手軽に遊べるソーシャルゲームに客層を奪われたのが大きいと思われます。
そんなWiiに限界を感じたのか、2011年4月に任天堂がWiiの後継機を発表。発売は2012年予定、2011年6月のE3(アメリカ最大のゲームショー)に出展することになりました。
その名は「Wii U」。
PS3やXBOX360クラスの性能に近付き(カタログスペックでは2機種を上回っている部分あり)、
更に大きなタッチスクリーンの付いたコントローラが特長のハードです。
この液晶付きコントローラはクラシックコントローラ同様のボタン数があり、タッチスクリーンの他、加速度計、
ジャイロセンサー、振動機能、カメラ、マイク、スピーカー、センサー部など実に多機能。
WiiやDS以上の新しい遊び方のゲームの登場が期待され、2012年12月8日に内蔵ストレージが多めなどのWii Uプレミアムセットを31500円で、
Wii Uベーシックセットを26250円発売。
しかし慢性的なソフト不足に加え、発売済みソフトにも液晶ゲームパッドを活用しその魅力を最大限伝えるゲームが少ないなど課題が山積。
その結果Wii Uの2013年度の世界目標販売台数900万台に対し、4〜6月で世界で16万台しか売れないなど大苦戦。
値下げに否定的だった任天堂も北米で32GBタイプの本体の価格を2013年9月20日から50ドル値下げして販売。国内の値下げは現在では不明。
2014年以降には、マリオカート8、スーパーマリオメーカー、WiiU完全新規の「スプラトゥーン」などの目玉ソフトが発売されましたが不振は払拭できず、
2016年11月、任天堂からWiiUの生産を終了し、次世代機「Nintendo Switch」(※詳細は後述)に注力すると発表されました。
SCEからは2013年2月、プレイステーション4(PS4)について一部発表されました。
PS3から本体の仕様が大きく変更される模様で、Cellのような独自のチップからPCのパーツにより近い部品を採用。このためか直接的なPS3との互換性はありません。
コントローラは従来のデュアルショックをベースに小さなタッチパッド等の機能が追加、インターネット機能においてはSNS (多数のユーザーが参加できる、ブログやツイッター、フェイスブック等の「ソーシャルネットワーキングサービス」の事) や、
クラウド (PC等の自分の手元にあるコンピュータで行う処理をインターネットのサーバーに変わりに処理してもらうサービスの事) などと連動。
直接の互換性が無いPS、PS2、PS3のゲームタイトルもインターネットの配信サービス(ストリーミング)を用いて配信予定。(との事でしたが発売後ずっと音沙汰無し)
2013年6月のE3で海外での価格(北米399$、欧州399ユーロ)や本体のデザインやスペック等の発表され、
2013年11月15日にカナダで、同年同月29日にアメリカ、欧州等で発売され、国内では2014年2月22日に価格は税抜39,980円で発売。
海外では予想以上の好調な売れ行きでPSやPS2よりも普及速度が速く、今世代ハード暫定世界累計トップシェアとなりました。
一方国内では家庭用ゲーム機がスマホの台頭で押されている中、発売日も世界で最も遅く宣伝も控えめで、
ソフトもキラーソフトもなければ数も慢性的に不足し、発売初週こそ堅調な出だしでしたが早くも伸び悩み失速。
近年、海外の大作が国内のソフトよりも勢いがありますが、やはり国内向けソフトの充実が望まれますが、
ドラゴンクエストヒーローズ、ドラゴンクエストビルダーズ、竜が如くシリーズ、ファイナルファンタジー15、ドラゴンクエスト11など人気タイトルが発売され徐々に国内メーカーのソフトが出そろい始めています。
また2015年6月に価格を34980円に値下げ、更に2016年9月に薄型となる新型を29980円で、
そして2016年11月に、性能が向上し4kテレビやPSVR(VR=バーチャルリアリティ、ゴーグル型のディスプレイを付け仮装空間を再現する次世代の技術)に対応する新型の「PS4 Pro」を44980円で発売。
海外の好調な売り上げを背景に国内も充実し始め巻き返しを図り、
2018年1月26日には久々の据え置き機用の新作として「モンスターハンターワールド」が発売され、国内だけで200万本以上を売る大ヒットとなりました。
国内では「Nintendo Switch」にトップシシェアを奪われましたが、世界累計では1億台以上の販売を達成しています。
なおSCEは2016年4月に、ネットワーク部門を手がけるソニー・ネットワークエンタテインメントインターナショナル (SNEI)とSCEが統合され、
株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)に社名が変更されました。
MSも次世代XBOX、Xbox Oneの詳細を5月の試写会、6月のE3で発表。ハードの性能はPS4とほぼ同等で、本体全てにキネクトを同梱し、
Wiiのようなリビングでの遊び方や、従来のゲームプレイ両方を取り込こもうとしています。
北米南米欧州など13ヵ国で2013年11月22日に499ドルで発売。やや好調な出だしでしたがPS4には差をつけられてしまったため、
2014年6月9日にあえてキネクトを外した399ドルの低価格版を発売予定でシェア奪還を目指しています。
国内では2014年9月4日にキネクト同梱版を49980円、本体のみを39980円で発売。しかしと言うよりはやはりと言うか、
国内では初代Xbox並の非常に低調な出だしで、2016年6月にキネクトを外し34980円に値下げし、2016年11月に小型化と性能が向上し4k等に対応する「Xbox One S」を34980円で発売。
それでも残念ながら国内では改善の兆しは見受けられません。
2016年10月20日、任天堂は次世代機「Nintendo Switch」を発表。
据え置き機と携帯機をドッキングさせたようなゲーム機で、WiiUとは異なり、今度は本来にタッチスクリーンの6.2インチの液晶が付いており、
従来のテレビ画面に接続するほか、左右に分離するコントローラ「Joy−Con」が液晶本体に装着し携帯ゲーム機のように出来たりします。
またJoy−Conは左右別の独立したコントローラになったり、それぞれに加速度センサーとジャイロセンサーが搭載され、
モーションコントロールを使った操作ができる他、精細で表現力豊かなバイブレーション機能「HD振動」や、
物の形や動き、距離などを読み取ることのできる「モーションIRカメラ」といった新しいセンサー機能など搭載し、様々な遊び方を実現します。
2017年3月3日に29980円で発売。
性能的にはPS4やXboxOneより一世代ほど下で、ソフトはBDやDVDディスクではなくカード形式、
ダウンロードやインストールが当たり前の時代に内蔵ストレージが32GBしかない点(※SDカードなどで追加容量可)など不安な要素も見受けられますが、
据え置き期と携帯機の良い所取りの使い勝手の良さ、発売ソフトのオープンワールドの様な雰囲気の「スーパーマリオオデッセイ」や「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」、
「マリオカート8」、「スーパーマリオパーティ」、「スプラトゥーン2」、「スーパーマリオメーカー2」、「大乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL」など人気タイトルの継続的供給で大ヒット。Wii並のブームが到来し国内外ともに好調なセールを維持し続けています。
特に国内はPS4を抜きトップシェアに返り咲きました。
2019年9月20日に液晶付き本体とコントローラを一体化させた、携帯用ハード風の廉価版「Nintendo Switch Lite」を19,980円(税別)で発売。
ソフトもリング状の専用コントローラを使ったWii Fitのような体感型エクササイズソフトの「リングフィット アドベンチャー」、「ポケットモンスター ソード・シールド」等のヒット作を出し続けて勢いをキープ。
2020年3月20日に発売された「あつまれ どうぶつの森」は国内だけで550万本以上、同年11月19日発売の「桃太郎電鉄 〜昭和 平成 令和も定番!〜」も300万本のメガヒットを記録。2021年にはゲーマー向けのタイトル「モンスターハンター ライズ」も発売。こちらも国内だけで200万本以上を売り上げ好調です。
2021年6月2日には2000万台を突破し勢いも全く衰えず、同年10月8日には有機ELディスプレイを採用したマイナーチェンジモデルを発売予定。他社ハードの追随を許しません。
2020年には年末にSIEから「PlayStation5」が、Microsoftからは「Xbox Series X」が発売予定されています。
どちらも2020年現在絶好調のAMD社の高性能CPU「Zen2」や、ロード時間の短縮などの恩恵のあるHDDよりも高速処理のストレージ「SSD」を標準搭載予定。
4K対応やXbox Series Xはこれまで発売されたXboxシリーズの互換対応など発表されています。
2020年11月10日にMicrosoftから「Xbox Series X」と、「Xbox Series S」が発売。価格は「Series X」が49,800円、性能を一部落とした「Series S」が29,800円。
Series Xはミドルクラスかそれ以上のパソコン並のスペックを実現し、Series Sも次世代機として十二分な性能と低価格を実現。
歴代Xboxの互換性を有し、定額で多数のタイトルが遊び放題の「GAME Pass」などタイトル不足を補うサービスやを行うも、残念ながら相変わらず国内での盛り上がりには欠け、
専用タイトル不足以前に国内ではまるで認知されておらず、Xbox One同様非常にニッチな市場となっています。
オープンワールドゲームの金字塔「スカイリム」や「フォールアウト」で有名な「ベセスダ」の親会社の買収による独占タイトルの発売予定などテコ入れはしているので今後の展開次第で低空飛行を打破する可能性は十分にあるでしょう。
2020年11月12日にSIEから「PlayStation5」が発売。価格は49,980円、ディスクドライブの無いデジタル・エディションが39,980円。
XBOX Series X同様ミドルクラスのパソコン並のスペックを備えながらこの価格帯を実現してはいますが、こちらも好調とは言えず発売直後から問題山積。
発売日から今なお続く在庫不足に加え、国内では公式から転売対策もされないまま発売されたため転売の横行により入手困難が続き、
PS4との互換性を備えていますがコントローラーの〇と×ボタンの位置が逆による不便さ、専用タイトル、特に国内向けタイトルの不足、
旧SCEの国内向け有力タイトルの制作者の大量離脱、SIEジャパンスタジオの解体・再編成による事実上の規模縮小、
日本のサードパーティに独自規制を強いる国内向けを軽視した対応等々、悪い話ばかりが目立ち、品薄もタイトル不足も残念ながら当面は解消しない見通しです。
ファイナルファンタジー12等のタイトルが控えているとはいえ全く油断できないこの逆境の中、どのような対策・対応を取るのか、今後の展開に注目です。
代表的な国内家庭用ゲーム機の国内販売台数
-第三世代-
任天堂 ファミリーコンピュータ…1935万台
セガ SG-1000…40万台、セガ・マークIII…70万台
-第四世代-
任天堂 スーパーファミコン…1717万台
NEC PCエンジン…392万台
セガ メガドライブ…358万台
SNK ネオジオ…100万台
-第五世代-
SCE プレイステーション…1960万台
セガ セガサターン…580万台
任天堂 NINTENDO64…554万台
松下等 3DO…72万台
SNK ネオジオCD…55万台
NEC PC-FX…40万台
-第六世代-
SCE プレイステーション2…2198万台
任天堂 ゲームキューブ…404万台
セガ ドリームキャスト…245万台
MS XBOX…47万台
-第七世代-
任天堂 Wii…1275万台
SCE プレイステーション3…1027万台
MS Xbox360…159万台
-第八世代-
任天堂 WiiU…331万台
SCE プレイステーション4…937万台(※Pro含む)
MS Xbox One…11万台
-第九世代-
任天堂 Nintendo Switch…2206万台(※Lite含む)
SCE プレイステーション5…113万台(※デジタル・エディション含む)
MS Xbox Series X…11万台(※Series S含む)
参考文献 : 「ソニー セガ 任天堂ゲーム機最終戦争」 (エール出版社)
参考サイト : 各メーカー公式サイト
セガハード大百科、
セガ和辞典出版局、
セガの歴史 セガ年表、
ヒストリー・トピックス 1973年〜1979年セガ・アーケードゲームの夜明け、
Classic 8-bit/16-bit Topics、
任天堂大辞典、
徹夜城の多趣味の城、
All About ゲームニュース講座、
ファミ通.com、
Wikipedia、
他ゲーム関連サイト等
代表的な国内家庭用ゲーム機の国内販売台数の参考サイト :
ファミ通.com、
Wikipedia、
ゲーム業界.com等
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