会津若松


磐越西線 明治32年開業:現存



岩越鉄道の手で、郡山〜会津若松間が開通したのが明治32年7月。 そこから先、新潟に向けての路線建設は、当初の喜多方経由の 計画が、資金難から、坂下経由にいったん変更された。 しかし、地元の反対で、結局は計画通り、明治37年1月に喜多方までが開通 (明治39年には、国有化により、国鉄岩越線となる)。 この時点で、会津若松は折り返し構造となったが、もし坂下経由になっていたら、 地理的に言ってスイッチバックにはならなかったであろう。 大正15年には、直進側に線路が延ばされ、その後45年の歳月をかけて、 上越線の小出と結ばれることとなる(昭和46年、只見線として全通)。 なお、駅に隣接して、扇型の機関庫やターンテーブルが未だ残る会津若松運転所があり、 復活した蒸気機関車、D51498やC57180の姿を、ときどき見ることが出来る。
*写真は、昭和48年頃撮影。七日町方面から進入するC11牽引の客車列車であるが、 当時はすでに只見線・会津線の旅客列車は完全DC化されていたはずなので、 入換作業中であろうと思われる。


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