豪徳寺
豪徳寺
所在地: 世田谷区豪徳寺2−24−7(東急世田谷線宮の坂駅下車徒歩5分)



 豪徳寺山門
 


 世田谷城の本丸は、現在豪徳寺の境内となっていたあたりとのことである。
    



豪徳寺入口


 


 世田谷城址から歩いてほんの1、2分のところに参道の入口がある。
 松の並木を通り抜けた先に、立派な山門(写真一番上)がある。豪徳寺の山門は1884(明治17)年に建てられたが、関東大震災で倒壊。昭和初期に再建された。
     



参道入口


松並木
 


 山門の脇には「都史跡 井伊直弼墓」と書かれた碑が建つ。豪徳寺は、彦根藩主・井伊氏の菩提寺であった。
   



井伊直弼墓の碑
 


 山門から入ると、真っ先に目に入るのは木製の三重塔。
 2006年に建てられた新しいものだが、閑静な住宅街の真っ只中に、このような立派な三重塔があるとは。しばし見とれてしまった。
    



三重塔
 


 豪徳寺の始まりは、室町時代の1480(文明12)年。世田谷城主・吉良政忠が、伯母の弘徳院のために「弘徳院」を創建したのに始まる。
 その後、1633(寛永10)年、彦根藩主・井伊直孝(1590〜1659)が井伊氏の菩提寺として整備した。直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」から豪徳寺と名付けられた。
 寺院の中でも現存最古の仏殿は、直孝の娘・掃雲院が父の菩提を弔うために1677(延宝5)年に建立したもので、世田谷区指定の文化財。
  



仏殿
 


 豪徳寺の本堂は仏殿の裏にある。関東大震災で焼失し、コンクリートで再建されたもの。
 



豪徳寺本堂
 


 本堂の左手にある仏舎利塔は、漆喰性でヒンズー教寺院のものを思わせる。
   



仏舎利塔
 


 しかし、豪徳寺最大の見所は、仏殿の左隣の招福殿といっても過言ではない。 
 



招福殿入口


招福殿
 


 招福殿には招き猫が奉納されている。
 豪徳寺は、招き猫発祥の地という説がある。井伊直孝が、豪徳寺の前を通りがかったところ、寺の前の猫が招くようにしている。それにつられて直孝が寺の中に入ったところ、にわか雨を避けることができた。以来、直孝は豪徳寺を菩提寺としたのだそうだ。
 おそらく、その猫は単に顔を洗っていただけなのだろうとは思うが…。
   



 


 そういうことからだろうか、豪徳寺には数多くの招き猫が奉納されている。
 招福殿の外には無数の招き猫が…。
 







 


 この招き猫は、豪徳寺商店街のマスコットになっている。名づけて「たまにゃん」。そういえば数年前、彦根のゆるキャラ「ひこにゃん」が人気を博したが、彦根は井伊氏の本拠地。つまり、たまにゃんもひこにゃんもルーツは同じなのだ。
 



たまにゃん


こちらは彦根のひこにゃん
(2009年12月彦根)
 


 改めて三重塔を見てみると、いましたいました、ここにも招き猫が…。
  



三重塔


ここにも招き猫が
 


 井伊直弼の墓もある井伊家墓所へ向かう。
 彦根藩主の井伊家は、初代・井伊直政(1561〜1602)から、直弼の子の直憲(1848〜1904)まで16代(14人)続いているが、この墓所には2代直孝以下6人の墓があるだけ。他にも夫人や子といった一族の墓もある。
     



井伊家墓所入口


井伊家墓所
 


 ここに墓があるのは、井伊直孝の他には、6代・直恒(1693〜1710)、10代・直=i1727〜54)、12代・直幸(1729〜89)、15代・直弼、16代・直憲。
  



6代・直恒


2代・直孝、9代・直


12代直幸


16代・直憲
 


 井伊直弼の墓は、柵がついている。また、説明版もあり、藩主の中では別格の扱い。
 



井伊直弼の墓
 


 直弼の墓のすぐ裏には、「桜田殉難八士之碑」が建つ。桜田門外の変では、直弼の他にも4人が即死。他にも負傷した4人がその後死亡した。この碑は、その8人を祀っている。
    



桜田殉難八士之碑
 


 世田谷城址の見学のついでに訪ねた豪徳寺だったが、見所が多く満足できる場所であった。
 豪徳寺周辺は他にも歴史的なスポットが多く、絶好の散歩コースである。他の名所も機会があれば訪ねてみたい。
  

(2013年5月3日)


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