田端
田端文士村記念館
所在地:北区田端6−1−2(JR山手線田端駅)
HP:http://www.kitabunka.or.jp/data/bunka/bunsimura/
入場料:無料
開園:10:00〜17:00 月曜日閉館 



田端文士村記念館
 


 1896(明治29)年に開業した国鉄(現・JR)田端駅。
 その後、1900(明治33)年に洋画家・小杉未醒(放庵/1881〜1964)が住み始めたのを皮切りに、板谷波山(陶芸家/1872〜1947)、岡倉天心(1862〜1913)、芥川龍之介(1892〜1927)、室生犀星(1889〜1962)、竹久夢二(1884〜1934)、菊池寛(1888〜1948)らの文士が次々とこの地に移り住み、大正から昭和にかけて〈文士村〉となった という。
 田端というと、現在のJRの駅の中でも地味なほうだけに、こんなにもたくさんの文士が? と疑問を持ちたくもなるが、地味で閑静だからこそ、多くの人たちが住んだのであろう。

 この田端文士村記念館では、そうした田端にゆかりのある文士を紹介している。彼らの絵画や彫刻、あるいは書籍や原稿といった品々が、田端転入に近い時期の写真とともに展示されている。この展示自体は小規模で、気楽に見れるものなので、多少物足りないかもしれない。

 記念館でもらったパンフレットを見てみると、文士ゆかりの地を訪ねる散歩コースが紹介されていた。ちょうど天気もよく暖かかったので、せっかくの機会だから、ちょっと歩いてみることにした。
  



東覚寺 右のほうに行くと田端八幡がある
 


 記念館から住宅街に入っていく。細い道や坂が多い。
 ゆかりの地(旧居)とはいっても、現在では普通の民家や商店になっていて、とくにそれを示す碑があるわけではないが、ここを文士たちが歩いたのかと思うと、なんとなく感慨深くなる。

 散策の途中、東覚寺を通りかかった。ここには赤紙仁王で知られる金剛力士像がある。赤紙仁王は…写真を見れば明らかな通り、体中に赤い札がはりつけてある。
  



赤紙仁王
 


 身体の悪い人が、疾患のある部分と同じ箇所に赤い札をはりつけて祈願すると治るそうである。なるほど。
  

 

大龍寺
 


 さらに歩いていると、大龍寺にやってきた。ここは正岡子規(1867〜1902)の墓所のある場所である。
 墓所に入ると、正面に板谷波山の墓があった。正直言うと、恥ずかしいことに僕は板谷波山の名前はまったく知らなかった。ついさっき記念館で見たばかりだった(^^;)
  



板谷波山の墓
 


 さて、お目当ての正岡子規の墓はどこだろう。左手のやや奥のところに発見した。
 正岡子規のことは今さら言うまでもないだろう。彼は残念ながら田端に住んだことはないのだが、この地に葬られていることから、一応は田端にゆかりがある 文士だということになるわけである。
 



正岡子規の墓
 


 小一時間ばかりの文学散歩を終えて、僕は田端を後にした。
  

(2006年3月17日)


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