お台場
船の科学館
所在地:品川区東八潮3−1(新交通ゆりかもめ 船の科学館駅)
HP:http://www.funenokagakukan.or.jp/
入場料:大人700円 子供400円(洋蹄丸・宗谷共通 大人1000円 子供600円)
開館:10:00〜17:00(土・日・祝日・夏季は10:00〜18:00)



船の科学館
 


 インド人一家を案内してお台場へやって来た。
 自分が行きたかったので、「船の科学館」へ連れて来た。ここにくるのは、考えてみると小学校の時の遠足以来かもしれない。20年ぶりなので懐かしい。新交通ゆりかもめが でき、「船の科学館駅」もできたので、当時よりもアクセスは容易になった。
 
 この船の科学館は、笹川良一(1899〜1995)によって1962年に設立された日本船舶振興会(現・日本財団)が、1974年にオープンした博物館である。笹川と言えば、「財界の黒幕」「右翼のドン」などとも称された昭和の怪人だが、僕らの世代にとっては、「一日一善」や「戸締り用心火の用心」のテレビコマーシャルでお馴染みの人物であった。
  

 

「船の科学館」表札
笹川良一筆
 


 実は、僕は小学生当時、この船の科学館の笹川良一の個人崇拝というか、個人宣伝というのがどうも好きではなかった。
 その一例が船の博物館入り口の向かいにある「孝子の像」(写真下)。これは若き日の笹川良一が年老いた母親を背負い、758段の階段を上ってお宮参りをした際の彫像である。
 台座には、

  わが母への讃歌 笹川良一作
  母背おい宮のきざはし かぞえても かぞえつくせぬ 母の恩恵

 確かに美談かもしれないが、このような像を作ってこれ見よがしに飾るところがどうも気にいらない…。一個ならまだしも、同じものが博物館の裏手にもあるし、虎ノ門の日本財団本部の前にもある。まだ他にも同じものがあるそうだ。
 確か博物館入り口入って正面の所には同じ場面を描いた絵が飾ってあった記憶があるが、さすがに今はそれは無かった。笹川亡き後作家の曽野綾子(1931〜)が日本財団の2代目会長となって(2005年退任)から、笹川色が薄められた際に取り除かれたのであろうか。
 


孝子の像
 

 多少批判めいたことを書いてしまったが、この博物館が楽しい場所だと言うのは動かしがたい事実であって、だからこそわざわざ外国人に見せようとまで思ったのである。

 船の科学館は、まずそれ自体が船の形をしている。今回は行かなかったが、煙突の部分は展望台にもなっている。
 博物館の敷地には例えば、飛行艇や潜水艇などが置かれていて、入場料を払わなくても楽しめるようになっている。
 


深海大気潜水服JIM
 

 博物館内には、有史以来の船舶の歴史が、豊富な模型や実物によって展示されている。
 とりたてて船舶に興味があるわけではないが、深海探査船や戦艦の模型などは、見ていて飽きない。また、博物館の3階は丸ごと「和船」のコーナーになっている。
 


浅間丸模型
 


タンカーのブロック(実物)
 



戦艦
右は「大和」
 


 船の科学館に接した海には南極観測船“宗谷”が係留され、展示されている。宗谷は、1938(昭和13)年に建造され、1956(昭和31)年11月からは日本最初の南極観測船として、1962(昭和37)年まで活躍している。
 何と言っても映画「南極物語」(1983年フジテレビ/学研/蔵原プロ)にも描かれた第1次南極越冬隊の物語は有名である。1958(昭和33)年2月、越冬隊員の引き揚げの際に、樺太犬15頭が置き去りにされ、翌年の1月にタロとジロの2頭が生存しているのが確認され、日本中に感動を与えた。ちなみに今年2006年にはハリウッドでもリメイクされている。
 



南極観測船宗谷
  


 この宗谷の中も見学することができる。入っての感想は、意外と狭いというもの。この中に100名近い南極観測隊員と15頭の犬が過ごしていたと言うのもにわかには信じがたい。
 それにしても、「南極物語」のエピソードを始めとするこの船の数奇な運命を知っていると、とにかく感慨深いものがある。宗谷の前身は海軍の特殊艦であったが、それを思わせる部分はなかなか見当たらない。1943(昭和18)年1月28日早朝、アメリカ軍の潜水艦の魚雷を受けるも、不発だったために難を逃れたというエピソードも…。いずれにせよ、帝国海軍の軍艦で今日まで残っているのはそうはないだろうから、そういう意味でも貴重な存在と言えるのではないか。
 


宗谷操舵室
 
 

樺太犬の犬小屋
 

 船の科学館の敷地内にはもう一隻船が係留されている。それが羊蹄丸(ようていまる)。
 これは、青森と函館を結ぶ青函連絡船として1965(昭和40)年から青函トンネルの開通する1988(昭和63)年まで活躍した船である。現在、船内は海をテーマとしたパビリオンとなっている。
 

 

羊蹄丸
 


 中でも、「青函ワールド」が面白い。昭和30年代の青森の様子や、青森駅が再現されている。
 現在では青函トンネルのおかげで、北海道にも気軽に電車で渡ることができるようになったのだが、演歌にも歌われたように、連絡線はどことなくロマンがある。
 



青森の町の様子
 


連絡船


 様々な船を見たり乗ったり、大変勉強になる時間であった。こうなると本当の船に乗ってみたくなる。
  
 そんなわけで、帰りは海上バスで日の出桟橋へ出ることにした。
  

(2006年4月17日)


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