日本一周第3回「白い雲のように」 |
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第12日目「そして、神戸〜兵庫県・大阪府〜」 | |||
2006年8月16日(水) |
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◆甲子園球場(HP) | |||
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甲子園での高校野球、早実VS福井商の試合は8:30試合開始。朝早くにも関わらず大変な賑わいで、アルプス席が試合開始30分前に売り切れてしまったw(゜o゜)w |
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実は僕には高校野球観戦のジンクスがあった。それは「ビールを飲んだ試合は勝つ」というもの。今年に入ってから都大会を含め早実の試合を8試合見ているが、観戦中にビールを飲んだ5試合は全部勝っている。一方、飲まなかった試合は2敗1引き分け…。 そんなわけで、今日も当然ビールを飲んだ。 |
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先制したのは福井商だった。5回表、2死満塁から4番江守のタイムリーでまず1点。 一方の早実は6回裏、1死から檜垣が安打、盗塁で1死2塁。後藤のタイムリー3塁打で同点に追いついた。ここでラッキーボーイ船橋、ライトスタンドへ鮮やかなツーランホームラン。さらにエース斎藤もレフトスタンドにソロアーチ。早実 が一気に逆転。やはりビールの効果はあったようだ。 結局、早実は7−1でベスト8に進出を決めた。試合後の準々決勝の組み合わせ抽選の結果、次は18日第1試合、日大山形と今治西の勝者と対戦ということになった。 |
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試合後は神戸へ出た。神戸牛を食べたい。友人に教えてもらった三宮「モーリヤ」へ。目の前の鉄板で焼いてくれる。 |
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ちなみに120グラムに赤ワインとコーヒーをつけてしめて4300円だった(^O^)V |
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◆北野異人館街(HP) |
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食後は北野の異人館街へ出た。 この辺りには明治・大正期に建てられた洋風建築が多く残り、1980年に「神戸市北野町山本通伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。重要伝統的建造物群に指定された34棟の洋風建築を始めとして多くの異人館が残っている。そのうちのいくつかは一般公開もされている。 なぜ神戸に異人館が多いのか。それは、1858年に日米修好通商条約が結ばれた後、神戸は函館、新潟、横浜、長崎とともに開港され、外国人居留地が作られたことに由来する。外国人居留地ということで、第二次大戦時にも空襲から免れ、現在に至る。 |
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「香りの館・オランダ家」は旧オランダ領事館。 「香りの家」と呼ばれるのは、様々なアンケートの項目に答えると、その人にあった世界で唯一の香水を調合してくれるからだという。 |
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オランダ館のチケットは、デンマーク館、ウィーン・オーストリアの家の2つのテーマ館と共通券になっているので、そっちのほうにも行ってみた。 デンマーク館は、北欧デンマークの歴史や文化を紹介している。 |
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デンマークのバイキング博物館やアンデルセン博物館の協力も仰いでおり、バイキング船や、コペンハーゲンにある人魚像のミニチュアも展示されている。 |
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ウィーン・オーストリアの家は19世紀後半の帰属の家を再現し、オーストリアの文化を紹介する。 |
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特に作曲家モーツァルト(1756〜91)がテーマとなっており、部屋が再現されていたり、手紙などの資料が展示されている。 |
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うろこの家は国指定の登録文化財。1905(明治38)年に外国人向けの高級借家として建てられ、異人館の中では最初に公開された。 建物の外壁が魚の鱗に似ているのが名前の由来。 |
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建物の中はアンティークなどが展示されていて見ごたえがある。 また、併設された「うろこ美術館」にはマティス(1869〜1954)、ユトリロ(1883〜1955)、キスリング(1891〜1953)らヨーロッパ・ロシアの近現代美術を収集している。
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さらに3階からは神戸港が一望できる。 |
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山手八番館は明治後期の建築。 ロダンやルノアールのブロンズなどの西洋美術の他、ガンダーラ石仏などの東洋美術も収蔵している。 |
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入口の両脇には、天燈鬼像(右側)、龍燈鬼像(左側)が建つ。 |
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北野外国人倶楽部は、神戸開港以来、外国人の社交の場として栄えた。 |
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建物の中は当時の会員制の倶楽部を再現している。 |
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坂の上の異人館(旧中国領事館)は、中国の政治家・王兆銘(1883〜1944)が1940年に南京に親日政府を樹立した際に、中国領事館として神戸に建てられた。 |
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異人館の中では唯一の東洋的な異人館。 内装もオリエンタルな雰囲気に満ちている。 |
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英国館は、イギリス人医師フデセック博士の旧宅。1907(明治40)年に建てられた。 |
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建物の内外はフデセック博士当時のままに保存されているとのことで、確かにイギリスの雰囲気。 |
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洋館長屋(仏蘭西館)は、1904(明治37)年の建築。2つの家が左右対称に並び、もともとは外人向けアパートとして建てられた。 |
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現在はアール・ヌーヴォーを始め、フランス美術が展示されている。 骨董品も展示されているが、珍しいものとしては、ルイ・ヴィトンの旅行用トランクだろうか。 |
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ベンの家は、イギリスの狩猟家ベン・アリソンの旧宅で1902(明治35)年の建築。建築当時のまま残されているという。 |
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狩猟家の家らしく、様々な動物の剥製が展示されているが、今となってはワシントン条約の関係もあってこれだけのコレクションを揃えることは不可能ではない だろうか。 |
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旧パナマ領事館(旧ヒルトン邸)は、戦後パナマ領事館として使用された当時が再現されている。 |
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カルロス領事の執務室の他、ダイニングやベッドルームなどが公開されている。 |
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ラインの館は1915(大正4)年にフランス人J・R・ドレウェル夫人の邸宅として建てられた。永らくドイツ人が居住していたが、近年神戸市が所有者となって公開されるようになったそうだ。 |
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風見鶏の館として知られる旧トーマス邸は、1909(明治42)年にドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマスの自宅として建てられた。現在では国の重要文化財にも選ばれている。 |
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屋根の上にある風見鶏がシンボルとして知られている。 1977年にNHK連続テレビ小説「風見鶏」の舞台となり広く知られるようになったそうだ。 |
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1995年1月17日の阪神淡路大震災ではほぼ全壊という被害を受けたが、元の素材の70%以上を用いて再建され、重要文化財も取り消されずに済んだそうだ。 |
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風見鶏の館の隣にある萌黄の館。1903(明治36)年アメリカ総領事ハンター・シャープの邸宅として建築された。その後1944年から78年まで神戸電鉄の小林秀雄社長が住んだことで、1980年に「小林家住宅(旧シャープ住宅)」という名称で重要文化財に指定された。 |
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この建物はもともとは「白い異人館」と呼ばれていたが、1989年に創建当時の萌黄色に変更されたそうである。 |
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萌黄の館もやはり阪神淡路大震災の被害を受けた。3本の赤煉瓦煙突が全て落下してしまった。そのうちの一本は、庭に突き刺さったままの状態で保存されている。 ちなみに他の2本はそれぞれ庭とメイド室に落下して粉々になってしまったそうだ。 |
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夜は大阪に戻り、大阪桐蔭戦前夜にも行ったショットバーで一人祝勝会となった。 |
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AMBITIOUS JAPAN〜埼玉県・大阪府〜 | 名古屋のひとよ〜愛知県・岐阜県・滋賀県〜 | ||
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