日本一周第1回「いい日旅立ち」 |
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初日「想い出の九十九里浜〜千葉県〜」 | |||
2006年6月26日(月) |
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6:57 早稲田 →(東西線・東葉線)→ 東葉勝田台/勝田台 →(京成線)→ 成田 8:28 |
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成田に降り立ったのは、まだ早朝といってもいい時間だった。これまでにも海外旅行の際に、成田空港を利用するために成田に来たことはあったが、それ以外の目的でここに来るのは初めてである。確かに、近場の観光地は意外と行かないものだ。 さっそく成田不動こと成田山新勝寺をめざすことにした。両側にお土産物屋がならぶ観光地めいた参道を歩いていると、遠くにそれらしきものが見えてきた。後でわかったのだが、この時見えたのは大本堂と三重塔であったようだ。20分ほどで入り口にたどり着いた。 |
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◆成田山新勝寺(成田不動)(HP) | |||
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門前の敷地では巨大な建造物を建設中だった。2009年の「成田山開基1070年記念事業」として「総門」を建設中なのだそうである。 2009年が1070年記念ということは、開山は939(天慶2)年ということになる。そもそも、成田不動は平将門(903〜40)の乱平定祈願のために開基されたもので、その願適ってか、翌年の940(天慶3)年には乱は平定されている。 |
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とりあえず中へ入ろう。急な階段を登り、1830(文政13)年建設で国の重要文化財の仁王門を通って境内へ入る。まだ9:00前と早い時間なので、観光客もまばら。じっくり見学できそうである。 1968(昭和43)年に建立された大本堂は、まさに“大”本堂といった感じの堂々とした建物で、御本尊の不動明王を祀っている。 |
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先ほど参道から見えた三重塔は国の重要文化財である。1712(明徳2)年に建立され、色鮮やか。高さは25メートルというからそう高い建物ではない。むしろ、すぐ近くにある高さ32.6メートルの大本堂と比べて小さく見えるぐらいだ。 |
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同じく重要文化財に指定されているのが釈迦堂で、こちらは1858(安政5)年の建立。もともとは本堂で、現在の本堂ができた際にこちらに移された。釈迦如来を御本尊として安置している。 |
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重文ではないが、一切経蔵には様々な経典が収められている。これを廻すと、経典を読んだのと同じご利益があるのだとか。 ところで、マニ車というものが現在僕の住んでいるネパールの仏教寺院に見られる。これも廻すとやはりご利益があるというもので、発想としては同じなのだろう。 この一切経蔵の中には4〜5000巻もの経典が収められているとか…。僕なんか生涯かけてもお経を一冊たりとも読むとは思えないから、こんな機会にでも廻してみたい気もするのだが、文化財のため現在それはできない。 |
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本堂の裏手の階段を登ったところにもいろいろな建物がある。 まずは重要文化財の額堂。1861(文久元)年の建立。参詣に来た人たちの絵馬や額をかけるための建物である。 |
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改修工事中の立派な建物があった。こちらは光明堂でやはり重要文化財。1701(元禄14)年建立のやはり旧本堂。つまり、成田不動の中には新旧3つの本堂が現存しているということになる。 工事中なのはこれも2009年の開基1070年記念事業の一環なのだろう。 |
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境内の一番奥には平和の大塔が堂々とそびえ立っていた。高さ58メートルで1984(昭和59)年の建立。真言密教の教えを象徴する塔とのことである。中は見学―いや参拝することが可能で、2階には不動明王像が安置されている。 |
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気づいたら小一時間ほど経っていた。雨はまだあがっていなかったが、観光客の姿もだいぶ増えてきている。そろそろ次の目的地へ向かうことにしよう。 |
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帰り際に「二宮尊徳翁開眼之地」という碑を見つけた。二宮尊徳(二宮金次郎/1787〜1856)といえば、薪を背負って行商(?)しながら本を読んでいた少年時代の像で有名である。最近はあまり見かけないが、僕が子供の頃はまだあちらこちらにあったように思う…。尊徳は43歳の時、成田不動にこもって21日間の断食修行を行ったことがあるそうである。 |
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◆成田羊羹資料館・お不動様旧跡庭園(HP) | |||
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成田不動の参道を、成田駅のほうへ引き返している途中、「成田羊羹資料館」なるものの案内板を見つけた。もとより僕は羊羹が大好きである。せっかくなので覗いてみることにした。 成田には「なごみの米屋」総本店があり、銘菓として羊羹が有名だそうである。成田不動は一時期ここ成田村の名主・諸岡三郎左衛門の屋敷内にあったこともあるそうだが、この諸岡の子孫は代々米屋を営み、諸岡長蔵(1879〜1969)の代の1899(明治32)年に羊羹を販売し始めた。この資料館はその米屋総本店の裏にある小じんまりとした資料館である。 |
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米屋のみならず、羊羹の歴史についてもふれられていて興味深い。また、創業者・諸岡長蔵の部屋も再現されている。せっかくだから羊羹をお土産に買いたかったのだが、何しろ今日は旅の初日。こんな調子で買っていたら鞄がいくつあっても足りないと、よしておいた。 |
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米屋の工場のすぐ裏手には小さな庭園がある。「お不動様旧跡庭園」というその庭園は、かつて成田不動が奉安されていた場所である。案内板によると、 成田不動があったのは室町時代中期から1566(永禄9)年までとのこと。現在は、そのことを示す記念碑 (写真上左方)が立っている。なお、なごみの米屋のHPによると、この地は「なごみの米屋の原点であり、聖地」であるそうだ。 |
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米屋の創業者・諸岡長蔵の彫像も建っている。「今日一日の感謝と明日への反省をこめて、沈む夕日にいつまでも合掌していたい」という長蔵の遺訓によって、西向きに建てられ たそうだ。 また、ここには石の不動様が設置されている。1989(平成元)年の米屋創業90周年を記念して、成田山の不動尊を分霊、1992(平成4)年に設置された。水資源を後世まで守るために「平成水守不動尊」と名づけられた。 |
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10:32 成田 →(成田線)→ 千葉 →(外房線)→ 上総一ノ宮 11:55 |
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成田不動の次にどこに行くかは実は決めていなかった。路線図を見たところ割と近くに「上総一ノ宮」という駅がある。観光地っぽいので、足を伸ばすことにした。 |
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〈上総一ノ宮〉 | |||
◆玉前神社 | |||
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上総一ノ宮駅から歩いて8分ほどで玉前神社に出た。駅名からもわかるように、上総の国の一ノ宮。東京で言えば、武蔵の国一ノ宮の氷川神社にあたる神社というわけだ。 予想に反して、駅は小じんまりとしていた。いやむしろ、寂れた感じすらする。玉前神社もやはり閑散としている。先に訪れた成田不動の華やかさとは雲泥の差 。 それはそうと、この玉前神社の祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)。鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の乳母にして妻。初代・神武天皇の母に当たる。そんなわけで、安産・子育ての神ということになっている。 玉前神社の名は「延喜式」(927年完成、967年施行)や「日本三代実録」(901年完成)にもすでに名前が見えるというから由緒正しい神社である。社殿は北条氏と里見氏が戦った天正の変で罹災し、1582(天正10)年に里見義頼(1543〜87)によって再建。現在のものは1687(貞享4)年に作られたものである。 |
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本殿右手の赤い舞台は神楽殿。「上総神楽」が現在でも年7回奉納されている。 |
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神楽殿のすぐ左には古びた錨があり、「獲錨記念碑」が立っている。明治末に九十九里浜から引き上げられたもの。東郷平八郎(1848〜1934)が篆額を記している。 |
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境内にある「子宝子授けいちょう」は雄株と雌株の間に子供のいちょうが育っているもので、手で触れると子宝に恵まれるとのこと。当面その予定はなさそうだが、一応触っておいた。ご利益はともかくとして、何だか微笑ましい。 |
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12:46 上総一ノ宮 →(外房線)→ 大網 →(東金線)→ 成東 →(総武線)→ 銚子 14:43 |
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〈銚子〉 |
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この日の宿泊地を決めるに当たって、僕は迷わず太平洋岸を選んだ。翌年に赴任する予定のネパールは海の無い国である。ということは、来年からしばらくは海を見ることはない。当然新鮮な海産物を食べることもできなくなる。今のうちに思う存分海を堪能しておきた い。そこで僕は初日の宿を銚子に取った。銚子には大学時代のサークルの合宿で来たことがあったが、その時以来で懐かしい。まさに、「想い出の九十九里浜」である。 銚子駅に着いた途端にホームで磯の香りがした。しかし、外の雨は本降りで、とても海岸に行こうという気にはならなかった。 |
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夕方になると雨があがったようだった。お待ちかねの夕食の時間。もちろん海の幸を食べるために町へ出た。 銚子の名物は「岩がき」。牡蠣といえばシーズンは冬だが、岩がきは夏が旬なのだという。大振りの岩がきで日本酒を飲む。これぞ日本人でなくてはできない贅沢ではないか。 |
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日本一周第1日目はこうして日本酒のほろ酔いの中に更けていった。 |
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ああ人生に涙あり〜茨城県〜 | |||