福井市
福井城址
所在地:福井市大手(JR線福井徒歩5分)



福井城石垣
  


 永平寺から永平寺口駅まで1時間半近く歩いて、すっかり疲れてしまったが、なんとか福井に戻ってきた。

 すでに予約してあったビジネス・ホテルにチェックインしようと思ったが、その途中、城の石垣が目についたので、立ち寄ってみた。
 福井藩(越前藩)32万石の
福井城の跡地である。
 



結城秀康像
 

  
 現在、福井城址は福井県庁になっている。城内にはただ近代的な庁舎が並ぶだけで、建物はまったく現存していない。
 正門から城内に入ってまず目に入るのは白い騎馬像。福井城を築城した結城秀康公(1574〜1607)。結城秀康は徳川家康(1543〜1616)の次男。関ヶ原合戦(1600年)の翌年、当時北ノ庄と言っていた福井に入り、築城を開始した。なお、秀康より前、ここには北ノ庄城があり、柴田勝家(1522〜83)の居城だった。勝家は、1583(天正11)年の賤ヶ岳の戦いに敗れ、妻お市の方(1547?〜83)と共にこの城に火を放ち自害している。福井市内には勝家を祀った柴田神社も現存している。
 
  



福井城天守跡
 


 福井城の天守閣は元々4層5階であったのだが、1669(寛文9)年4月に焼失して以来再建されていない。その天守跡に上ってみた。
 石垣の他には、ただ古い井戸の跡があった。これが「福の井」。説明書きによると、結城秀康が福井城を築く以前からこの地にあったといい、名井として知られていたそうである。「福井」の名前の由来もこの井戸に拠るとのこと。
 もっとも、こうした地名の由来には常に諸説があるもので、城下を流れる足羽川(あすわがわ)を「福の多い川」と見立てたという説、足羽神社に祭られている「福井の神」から取ったものなどがあって、真相は不明である。
 福井はもともと「北ノ庄」と言っていたのだが、「北」の字が「敗北」につながるので不吉であるとして、3代藩主・松平忠昌(1598〜1645) によって「福居」と改められ、その後「福井」とさらに改められたと言われている。
    



福の井
 


 ホテルは福井城の東側に面しているので、最後に福井城の周りを回ってみた。
 福井城正門から堀に添って歩いていると、2人の人物の像を見つけた。「旅立ちの像」とある。1858(安政5)年冬、物資販売ルート開拓のために長崎へ旅立つ横井小楠(1809〜69/右)と三岡八郎(のちの由利公正/1829〜1909)の姿を描いたものとのこと 。
 横井小楠は熊本出身だが、福井藩14代藩主・松平春嶽(松平慶永/1828〜90)の招きで、1858(安政5)年から1863(文久3)年まで福井に滞在。三岡八郎らを指揮して、藩政の改革に大きな影響を与えた。
 共に、明治新政府になってからも活躍した、福井の偉人である。
  


旅立ちの像
三岡八郎(由利公正/左)と横井小楠
 

 福井城の西側には中央公園があるが、ここには他にも福井が生んだ偉人たちの像が立っている。
 福井城からは御廊下橋(おろうかばし)を渡って、中央公園に行くことができる。
 この御廊下橋、もともとは屋根付きの橋であったそうだが、現在屋根は残っておらず、これを復元しようとの話もあるそうだ。
   



御廊下橋
 


 公園の入り口に立っているのが、岡田啓介(1868〜1952)像。海軍大臣にして、福井が生んだ内閣総理大臣(任期1934〜36)である。
 1936(昭和11)年2月26日の二二六事件では、当時首相だった岡田も首相官邸で襲撃を受ける。だが、この時岡田と年恰好の似ていた義弟の松尾伝蔵(1872〜1936)が代わりに殺され、難を逃れることになった。
  



岡田啓介像
 


 熊谷太三郎(1906〜92)は、元福井市長(任期1945〜59年)。福井の治水事業に功績があった。のちに参議院議員も務めている。
 「東洋の思想」(1903年)、「茶の本」(1906年)などで知られる岡倉天心(1863〜1913)も福井藩士の子として生まれている。ただし生まれたのは横浜であった。
  


熊谷太三郎像 
 


岡倉天心像
 
 
 堀の南に若き日の像があった由利公正(三岡八郎)の像もこの公園に立っている。彼は、後に初代東京都知事(任期1871〜72)になっているので、僕の故郷・東京の偉人ということにもなるわけなのだが…。
   



由利公正像
 


 こうした偉人たちの像と並んで、公園には「震災記念碑」が建っていた。1948(昭和23)年6月28日に発生した福井地震を記念して建てられたもの。
  



震災記念碑
 


 この福井地震は 、マグニチュード7.1。福井市では震度6を記録した。死者は福井県と石川県で3769人。倒壊家屋3万6184戸、焼失家屋3851戸。戦後では阪神・淡路大震災に次ぐ被害を出している。
  



福井神社鳥居
 


 近くには福井神社がある 。明治維新に功績があった松平春嶽を祀って1943(昭和18)年に創建。別格官幣社に指定されたが、これが日本で最後の指定となる。ここもやはり、福井地震では被害を蒙っている。
  



福井神社社標
 

  
 境内に建っている福井神社の社標は、神社建設当時からあったもの。大震災の際に倒壊し、堀の中へ転落したが、その後1983(昭和58)年になってから発見され、復元設置されたのだそうである。

 ホテルへのチェックインも済ませて、夕食を食べようと近所の居酒屋へ出かけた。偶然にも東京都のとあるかるた会の会長さんの御用達も店であった。
 いよいよ明日が、全国かるた福井大会。当分最後の大会だと思われる。ひと暴れしたいものだと思い、早めに床についた。
  

(2006年6月10日)

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