名古屋 |
名古屋城 |
所在地:愛知県名古屋市中区本丸1−1 (地下鉄名城線市役所駅) |
HP:http://www.nagoyajo.naka.nagoya.jp/ |
入場料:大人500円 中学生以下100円 |
開園:9:00〜16:30 |
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名古屋城
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翌日桑名でかるたの全国大会があるので、名古屋に泊まることになった。せっかくだから、名古屋のシンボルを見学しておきたいと思い名古屋城を訪ねてみた。
「尾張名古屋は城で持つ」という言葉があまりにも有名。これは「伊勢音頭」の一節とのことだが、それだけこの城が名古屋人の心のよりどころとなっているのであろう。
江戸幕府を開いた徳川家康(1543〜1616)が、東海道の要所として1612(慶長17)年に築城した平城。その後250年に渡って尾張徳川家の居城として栄えた。現在のお城の大半は、1945(昭和20)年の名古屋空襲の際に金の鯱もろとも焼失。1959(昭和34)年に再建された。
災いを逃れた3つの櫓と、3つの門や、襖絵の多くが重要文化財に指定されている。
さて、名古屋城だが。その容貌はさすがは名古屋人の誇り。姫路城、熊本城(大阪城という説も)と共に「日本三名城」というだけあって、とにかく美しい! の一言に尽きる。ちなみの上の写真は表二之門から入ったあたりから撮影したものである。
再建された城というのは、内部はコンクリート製で、博物館になっていたりして、あまり歴史の重みが感じられないのだが、せっかくだから、天守閣にも登ることにした。エレベーターもあるが、それ
ではあまりに味気ないので、もちろん階段で上った。
地階には金の鯱の実物大レプリカが飾られていたが、2.5メールとデカイ。最上階のみやげ物やは予想通り鯱グッズだらけであった^^ その中には、10分の1の鯱の模型があったが、価格は1万円であった。
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(2006年3月11日) |
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桜と名古屋城天守閣
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2013年4月。7年ぶりに名古屋城を訪ねた。東京の桜はすでに散り始めていたが、名古屋はちょうど桜が満開。名古屋城の周りもピンクに彩られていた。
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名城公園
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地下鉄の名城公園駅で降りると、目の前に名城公園があった。ここは、名古屋城の二の丸・三の丸の跡地であり、現在の名古屋城の北側にあたる。1931(昭和6)年に開園している。
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名城公園
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オランダ風車
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名城公園もまた桜の名所で、桜が咲き誇っている。公園の中央にはオランダ風車が回っていた。
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公園を横切り、名古屋城へ向かう。
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名古屋城天守閣
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名古屋城には東門から入った。
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東門
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すると、名勝二の丸庭園が広がっている。
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二の丸庭園
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現在の名古屋城を建てたのは徳川家康だが、そもそもこの地に城を建てたのは今川氏であった。当時は那古野城といった。1532(享禄5)年、織田信秀(1510〜51)が今川氏豊(1522〜)を追放し、ここを居城としている。織田信長(1534〜82)が生まれたのも那古野城内であった。
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那古野城跡
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二の丸庭園の一角に「青松葉事件の碑」が建っている。
青松葉事件とは、幕末の1868(慶應4)年、鳥羽伏見の合戦で幕府側が敗北した後、尾張藩内において佐幕派によるクーデターの動きがあった。尾張藩14代藩主・徳川慶勝(1824〜83)によ
り佐幕派の藩士14名が斬首された。
「青松葉事件の碑」は、昭和の始め、ここから100m南の処刑地後に建てられていたが、その後行方不明になったため、この地に復元されたそうである。
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青松葉事件の碑
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名古屋城を支配したのは尾張徳川家であった。尾張徳川家は、徳川幕府を支える御三家の一員であり、藩祖・徳川義直(1601〜50)は家康の9男に当たる。その義直はその著書「軍書合鑑」で「王命に依り催さるる事」と、その勤王の精神を
書き残している。代々尾張藩氏はこの言葉を家訓として伝え、そのため尾張徳川家からはついに一人も将軍を出すことがなかった。
「藩訓秘伝の碑」にはその「王命に依り催さるる事」が刻まれている。
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藩訓秘伝の碑
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また、「加藤清正石曳きの像」がある。加藤清正(1562〜1611)は、1610(慶長15)年、徳川家康に願い出て、天守閣の石垣の工事を請け負った。
そして、わずか3ヶ月で工事を完成させたのだが、清正は巨石を運ぶ際に石の上に乗って気勢をあげたという。像はその時の姿を表している。
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清正公石曳きの像
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天守閣をはじめとする遺構の大半は、1945年の空襲で焼失した。表二之門は、数少ない江戸時代から残る門で、現在国の重要文化財に指定されている。
前回、名古屋城に来た時はここを潜ったので、今日は敢えて違うところから入ろう。
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表二之門
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名古屋城が築かれたのは1612(慶長17)年。つまり、昨年が築城400年に当たる。それを記念してだろうか、重要文化財の西南隅櫓が改修工事の最中であった。
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西南隅櫓(工事中)
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西南隅櫓の向かいの土塀は「大手馬出跡」とある。
もともとここには堀があったが、現在では埋め立てられていてその跡は見えない。
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大手馬出跡
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名古屋城の正門は1910(明治43)年に旧江戸城内の蓮池御門を移築したものだが、第二次世界大戦で焼失。1959(昭和34)年、天守閣と共に再建された。
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正門
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正門前の西の丸広場にある榧(かや)の木は、樹齢600年以上を経た天然記念物。藩祖・義直が大坂の陣(1614・15年)に出るに当って、その実を食膳に供したと伝えられる。
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天然記念物の榧(かや)
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本丸を右に見て北へ進む。
お城の中も桜が満開で、天守閣と一緒に見る桜は華やかだ。
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天守閣と桜
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西の丸と、その北の御深井丸(おふけまる)の接するところにある堀は「鵜の首」といって、城内に入り込んだ構造。防衛上の工夫なのだそうだ。
そこも桜が綺麗。
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鵜の首
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御深井丸から見た天守閣
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御深井丸にあるプレハブには「名古屋城本丸御殿復元工事木材加工場・原寸場」とある。現在、本丸御殿の復元工事がなされているが、その工事の様子を見学できるようになっている。
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名古屋城本丸御殿復元工事木材加工場・原寸場
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本丸の北に並ぶ石は旧名古屋城天守閣の基礎土台石。1959年に天守閣が再建される際に、ここに移された。
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天守閣基礎石
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本丸の北にある門は「不明門」。
ここから本丸に入ることにした。
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不明門
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不明門から入ってすぐのところにある木は「御殿椿」。尾張藩秘蔵の名椿であったそうで、1945年の空襲で焼失したかと思われていたが、焼けた幹の下から再び新芽が伸びて復活した。現在のものは1955年頃に原木から接ぎ木、育成したものである。
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御殿椿
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それでは天守閣に入ろう。
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天守閣入口
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天守閣は1959年の再建のコンクリート製。中は博物館となっている。
名古屋といえば鯱(しゃちほこ)。入口はいると、実物大の鯱が出迎えてくれる。
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金の鯱
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7階の展望台にあがってみた。
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天守閣から見た名城公園
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天守閣を降りて、本丸の中を散策。
石垣のあちらこちらに記号のようなものが描かれている。これは「刻文」といい、築城工事を分担した大名と家臣のしるしである。他の大名家の石と間違えないようにするためだったという。
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石垣
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本丸の中も工事中だった。かつて名古屋城の本丸には、本丸御殿があった。1930(昭和5)年には国宝にも指定されていたが、空襲により天守閣と共に焼失し
ている。
2009年から復元工事が始まり、2013年5月に玄関・表書院部分の公開が始まるそうである。
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本丸御殿
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本丸に残る創建当時の建物は、現在改修中の西南隅櫓と、東南隅櫓がある。
また、御深井丸にも西北隅櫓があるのだが、うっかりして観るのを忘れてしまった(>_<)
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東南隅櫓
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名古屋城の散策を終え、帰りは正門から出た。
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正門
外から見た様子
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外堀沿いに歩いてみた。
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地下鉄市役所駅まで歩いたが、市役所駅の入口はお城の門の形をしている。なんでも名古屋城の高麗門を模したものらしい。
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市役所駅入口
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(2013年4月4日) |