川越
川越城
所在地: 川越市郭町2−13−1(川越市駅・川越駅・本川越駅徒歩20分)
HP:http://museum.city.kawagoe.saitama.jp/hommaru/
入場料: (本丸御殿)一般300円 大学生・高校生150円 
開館:9:00〜17: 00 月曜閉館



 川越城本丸御殿
 


 東京から隣の埼玉県は川越に出かけてきた。川越には日本の100名城にも選ばれている川越城がある。
 川越へは西武線の特急小江戸号に乗って出かけた。高田馬場から本川越へは1時間弱。旅行気分を味わうまもなく、本川越駅に到着した。
   



西武線特急小江戸号
 


  特急の名前にもなっているが、川越は「小江戸」と呼ばれている。それは、川越が江戸からも近く、江戸の文化がいち早く伝わったことに由来しているそうなのだが、現在では江戸時代の町並みを残すという意味でのほうがしっくり来る。
  



本川越駅前
 


 川越城へは、駅前の道を北へ歩いていく。
 しばらく歩くと、何ともレトロな街並みに出くわした。「大正浪漫夢通り」というらしい。
  



大正浪漫夢通り
 


 やがて、古い蔵造りの家が建ち並ぶいわゆる「蔵造り通り」に入った。
 なるほど、確かに建物は古いのだが、あまりに車が多すぎる。とてもじゃないが、江戸時代に帰った気分にはなれない。
  





蔵造り通り
 


 ふと見上げると、川越の名物「時の鐘」がそびえていた。まさしく川越のシンボル。
 大老・酒井勝忠(1587〜1662)が川越藩主だった時代(1627〜34年)に建設された。その後たびたび焼失し、現在のものは1894(明治27)年の再建。現在でも1日4回、時を知らす鐘が鳴らされる。高さは16メートルの堂々とした姿 だ。
   





時の鐘
 


 時の鐘の下には薬師神社がある。もともとは常蓮寺であったが、明治維新の際に薬師神社となった。行基(668〜749)の作による薬師如来が本尊とのことである。特に眼病にご利益があるという。
 右奥にある稲荷神社は出世・開運・合格に著しいご利益があるそうだ。
   



薬師神社本殿


稲荷神社


薬師神社から見た時の鐘
 


 川越地ビール「COEDO」が売られていたので、さっそく買って飲んでみた。
  



時の鐘と地ビール「COEDO」
 


 蔵造り通りの終わり近くに国の重要文化財・大沢家住宅がある。
 川越は1893(明治26)年に川越大火に見舞われており、時の鐘を始め多くの建物が焼失している。大沢家住宅は防火を目的とする土蔵造りであったため、火災を免れ現存。川越最古ばかりか関東地方最古の現存蔵造り住宅ということである。
 1792(寛政4)年の建設。1階は民芸品屋になっている。
    



大沢家住宅
 


 札の辻の交差点を右折して、川越城址を目指す。
 川越城を建てたのは太田道真(太田資清/1411〜88)、道灌(1432〜86)父子。川越市役所の前には太田道灌の像が建つ。そこはまた、川越城の大手門跡でもある。
   



大手門跡と太田道灌公像


太田道灌公像
 


 川越城は上杉持朝(1416〜67)の命により、1457(長禄元)年、太田道真・道灌父子によって建設された。当時の名は「河越城」。持朝が初代・川越城主となった。
 その後、北条氏綱(1487〜1541)との間で4度に渡る河越城の戦いが繰り広げられた末に、北条氏の支配下に入る。
 北条氏滅亡後は、川越藩の藩主として、酒井重忠が入城。その後頻繁に藩主は変わるが、松平信綱(1596〜1662)や柳沢吉保 (1658〜1714)といった有力大名が藩主に就いている。

 明治以降、大半の建物は取り壊された。また、堀もほとんど全て埋められている。
 川越城唯一残された堀跡が、中ノ門堀跡である。2008(平成20)年から2009年にかけて整備工事が行われ、見学することができるようになっている。
       





 中ノ門堀跡
 


 川越城の建物は明治維新後の廃城令でほぼすべてが取り壊された。唯一、現存しているのが本丸御殿である。
 本丸御殿は、1848(嘉永元)年に建てられている。建築当時は16棟、1025坪の規模を誇っていたが、現在は玄関・大広間部分と家老詰所のみとなっている。
     





本丸御殿
 


 本丸御殿に入ってみた。板張りの廊下が部屋を取り囲んでいる。立派だが案外質素で、それが武家らしくも感じる。
        



東廊下


大広間


西廊下
 


 西側に接する家老詰所は、1873(明治6)年、上福岡市の福田屋の分家に移築され、1987(昭和62)年まで母屋として使われていた。その後、当時とほど近い場所に再び移築された。
   



家老詰所


家老たちの会議の様子を人形で再現
 


 家老詰所から見た裏庭。奥に見える学校は、映画「ウォーターボーイズ」で有名になった川越高校。
 縁側から奥に向かって瓦が埋め込んであるが、これは当時の廊下の柱の位置を示しているそうだ。
  



裏庭
 


 川越城の数少ない遺構は、本丸御殿の南にもあった。
 それが富士見櫓跡。もっとも、櫓は現存していない。川越城には天守閣は建てられず、この富士見櫓が天守の代わりを務めていた。
   





富士見櫓跡
 


 富士見櫓に登ってみた。
 特に何もない。名前からすれば、当時は富士山までもが観られたようなのだが、現在は木が生い茂り、よくわからない。
    







富士見櫓
 


 富士見櫓の跡地には御嶽神社などの祠が建っているばかりである。
  



御嶽神社(左)と浅間神社
 

富士見稲荷
 


 富士見櫓跡の前には田曲輪門跡を示す石碑が建っていた。
  



田曲輪門跡
 

   
 本丸御殿の東にある三芳野神社もまた、かつては川越城の敷地であった。天神曲輪に位置している。
 ここは童謡「通りゃんせ」の舞台となった天神様とのことである。
   



三芳野天神社
 

    
 川越までは東京からたった1時間。そんな近場にも関わらず、こんな歴史的な町がある。わざわざ奈良や京都に行かなくたっていいのではないか。
    

(2013年5月22日)


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