カトマンズ |
ダルバール広場
Durbar Square |
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カトマンズ・ダルバール広場
中央がバサンタプール・タワー
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2007年1月から2年間の予定でネパールの首都カトマンズに住んでいる。すでに生活は1年を超え、これまでにもいろいろな場所を訪ねることができた。
ネパール最大の都市カトマンズは人口150万人を越すネパール最大の都市である。近代化の進む大都市でありながら、古い町並みや寺院がここかしこに点在する。文明と伝統が不思議に交じり合ったこの町の魅力を、ここでは紹介することにしたい。
カトマンズの町を歩くと、歴史を身近に感じる。そのネパールの歴史は、確実に実証されているところでは、5世紀から9世紀にかけてカトマンズを支配したリッチャヴィ王朝が最初である。その後、13世紀にカトマンズを支配したマッラ王朝によって、ネワール文化が華開いた。とくに、15世紀からはカトマンズ盆地内に、カトマンズ、バドガウン(バクタプール)、パタン(ラリトプール)の3つの王朝が並立し、芸術・文化を競い合って隆盛を極めた。
その後、ネパール西部ゴルカの王プリトゥビ・ナラヤン・シャハ(1723〜75/在位1742〜75)が、1769年にカトマンズ盆地を制圧。シャハ王朝を打ち立てる。2代シンハ・プラタープ・シャハ(在位1775〜77)、3代ラナ・バハドゥル・シャハ(1775〜1805/在位1777〜99)にかけてネパールの統一を実現する。2008年4月に実施された選挙の結果、ネパールは王政を廃止し、共和国としてのスタートを切ることとなった。12代250年に渡るシャハ王朝が終わったのである。
マッラ王朝からシャハ王朝にかけて、ネパール王国の王宮として永らく栄えたのが現在カトマンズの中心に位置するダルバール広場である。
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ニューロード門
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とある平日の午後。ダルバール広場を訪ねてみた。ダルバール広場の東にあるニューロード門からダルバール広場へ向かう。
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ニューロード
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そこからはニューロード(New
Road)と呼ばれる道が続いている。“新しい道”という名前にしては古いのが気になるが、1934年の大地震の後に整備されたという道で、できた当時はもちろん新しかったのだろう。現在このニューロードには電器屋が並び、さながらカトマンズの秋葉原といった趣き。
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ダルバール広場入り口のジュダ・シャムシェール・ラナ像
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ニューロードのつきあたりから一人の銅像がニューロードを見下ろしている。てっきりシャハ王朝初代プリトゥビ・ナラヤン王かネパール近代化の父トリブヴァン王(1906〜55/在位1911〜55)あたりの銅像だと思っていたが、ネパール宰相ジュダ・シャムシェール・
ジャンガ・バハドゥール・ラナ(1875〜1952)の像だそうだ。ラナ家は1846年から1951年まで約100年もの間ネパールを実質的に支配した一族である。ネパールで人気のコメディアン、マハ・コンビ(参照)のネタに、このジュダ・シャムシェール像が酔っ払いと絡むというものがあった。
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ダルバール広場料金所
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ここからがいよいよダルバール広場である。しかしその前に、外国人はチケットカウンターで入場チケットを購入しなければならない。一人200ルピー(約400円)。この国で200ルピーもあれば、ちょっとしたレストランで定食が食べられるのだから、決してバカにならない値段である。もっとも、ここの係員は相当ルーズ。すでに何10回もダルバール広場に来ているが、一度も止められたことがない。先日、日本から訪ねてきた母親が和服姿でここを通った時も大丈夫だった。だから、払いたくない人はそ知らぬ顔で堂々と通り過ぎるべし。
ただ、今回写真を撮っていたところ、係員が近寄ってきたので、怪しまれたようである。
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ダルバール広場入り口
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ダルバール広場の入り口には2匹の狛犬が座っている。いや、狛犬ではなく獅子だろうか。
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バサンタプール広場の市場
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ダルバール広場に入ると、バサンタプール広場(Basantapur
Square)がある。ここはいつ来ても市場が連なっている。土産物などを売っているのだが、ひやかしているだけでもなかなか楽しい。ここの売り子さんたちはチベット人が多く、一度興味を示すとしつこく付きまとってくるのが難点。何でもここでは物々交換に応じてくれるらしい。旅先で不要になった日本製品はここに置いて帰るといいかもしれない。
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世界遺産認定の碑
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ダルバール広場が王宮となったのは、シャハ王朝の前のマッラ王朝(1220〜1769)の頃。現在残っている建物の多くは、17世紀から18世紀にかけて建てられたものである。1934年の大地震で大きな被害を受け、その後再建されたものも多いが、1979年には世界文化遺産にも指定されている。それだけに、なかなか見所の多い場所である。
さっそく観て歩くことにしよう。
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◆クマリの館(Kumari Bahal) |
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クマリの館
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ニューロードから入ってそのままダルバール広場を横切ると、左手に彫刻を施した3階建ての建物が見える。これがクマリの館。ここには生き神・クマリ(Kumari)が住んでいる。クマリは、ネワール族の由緒正しい家庭の家に生まれた幼女の中から選ばれた女神で、初潮が始まると交代させられる。クマリは9月のインドラ・ジャットラなどの祭りの時のみこの家から出ることを許されている。
ネパールの俗語で、処女のことを「クマリ」と言ったりもする。日本に比べれば相当に性に関して厳格なこの国。結婚するまでクマリなんて女性は多い。ちなみにクマリの男性形は「クマール」
である。
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クマリの館中庭
3階の窓からクマリが顔を出す
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クマリの館の建物は1757年にジャヤ・プラカーシュ・マッラ王(在位1735〜46、1750〜68)によって建てられた。一説には、ロリコンだったマッラ王が、死んでしまった少女への償いのために幼女を神として祀ったのだとか…。
クマリの館の中庭に入り、拝観料を払うとクマリが2階の窓から顔を出し、作り笑いを浮かべくれる。ただし、写真撮影は禁止。拝観料を払わなくても、団体客がいる時に一緒に入れば、便乗して観ることができたりする。現に僕も2回ほどおこぼれに預かったことがある。
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せっかく買ったのでクマリの絵葉書を紹介
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クマリの館の入り口でおばちゃんがクマリの絵葉書を売っていた。写真が撮れないなら代わりに絵葉書でも買おうかと思ったら、1枚20ルピー(約40円)だという。その辺の土産物屋で買っても絵葉書は1枚10ルピー(約20円)。「高いじゃないか。」と言ったら、あっさりと「10ルピーでいいよ。」だって。いい加減なものである。
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◆トライロキャ・モハン・ナラヤン寺院(Trailokya
Mohan Narayan Temple) |
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トライロキャ・モハン・ナラヤン寺院
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クマリの館のすぐ近くにあるのがトライロキャ・モハン・ナラヤン寺院。ナラヤン神(ビシュヌ神)を祀る三重塔である。
1680年にバールティベンドラ・マッラ王によって建てられた。
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ガルーダ像
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この寺院の特徴としては、西側にあるガルーダ像だろうか。ガルーダは、翼をつけた鳥人で、ビシュヌ神の乗り物である。
膝をついて両手をあわせている。ネパール語で「ナマステ」とあいさつをする時、このガルーダのように両手を合わせる。
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◆カスタマンダップ寺院(Kasthamandap) |
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カスタマンダップ寺院
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トライロキャ・モハン・ナラヤン寺院からさらに西に行ったところにカスタマンダップ寺院がある。カスタマンダップ(Kasthamandap)とは「木の家」の意味で、これがカトマンズ(Kathmandu)の由来になったそうである。
このカスタマンダップ寺院が建てられたのは12世紀頃とのことで、現在残っている寺院の中ではネパール最古のものである。伝説によると、一本の沙羅の木から彫られたものだそう
だ。ただし、ほとんどの部分は1630年に改築されている。最初、ここは巡礼宿として建てられ、後にシャハ王朝の時代に、聖者ゴラクナートを祀る寺院に改築された
。
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入り口には2頭の獅子が
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カスタマンダップ寺院の入り口には青銅の獅子が座っている。
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ゴラクナート像
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カスタマンダップ寺院の中心部に祀られた像は聖者ゴラクナートの像。ゴラクナートはシャハ王家の守護神である。
また、建物の4隅にはガネーシュ像がある。ガネーシュはゾウの頭をした神様で、現世利益の神としてネパールでも人気がある。かつてはオウム真理教もこのガネーシュをマスコット・キャラクターにしており、1990年の総選挙の際にはガネーシュの着ぐるみが駅前に立っていたのを思い出す。
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ガネーシュ像
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◆シンハ・サッタル(Singh Sattal) |
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シンハ・サッタル
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カスタマンダップ寺院の南にあるシンハ・サッタルは、カスタマンダップ寺院が作られた際にその余った木材で建てられたといわれている。ということは、こ
こも12世紀に作られたのだろうか?
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シンハ・サッタル
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「シンハ」とはライオン(獅子)のこと。シンハ・サッタルの4隅には獅子像が配置されている。
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◆アショク・ビナヤク(Ashok Binayak) |
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アショク・ビナヤク
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カスタマンダップ寺院のすぐ北側に小さな祠がある。ここがアショク・ビナヤク。ここにもガネーシュ神がいる。本当に小さいのだが、ガネーシュ神を祭る4大寺院のうちのひとつということで、常に参詣の人が絶えない。
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ガネーシュ像にお祈りする女性
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ガネーシュ神というと、お供にネズミがいることが多い。ここにもいないかと思って探してみたら、カスタマンダップ寺院の壁際、ちょうどガネーシュ像の正面に金色のネズミを見つけた。
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金色のネズミ
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◆マジュデワル〈シヴァ寺院〉(Maju Deval) |
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マジュデワル寺院
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さらに北に向かう。大きな三重塔が、マジュデワル(シヴァ寺院)。ここは、この辺りで一番高い建物なので、基壇の上に上ってしばし休憩するのがよい。「ここにいると時間の過ぎるのを忘れる」といろいろなガイドブックに書いてあるが、まったくその通り。下を行きかう人々を見下ろしていると、
確かに飽きることがない。
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ガッディ・バイタックを見下ろす
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この寺院は1690年、バクタプールのプパティドラ・マッラ王の母によって建てられた。
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シヴァ・パールヴァティー寺院を見下ろす
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このマジュデワル寺院の壁の彫刻を眺めていたところ、男女の性の営みを描いた交合図のあるのを発見した。ネパール人の性のモラルは、日本人に比べて厳格だと思っていたが、かつてはこんなにも奔放だったのか。なんせ3Pまであったりする
のだから。
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マジュデワルの彫刻
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マジュデワル寺院の東にはシカラ様式の小さな尖塔が建っている。これは、シヴァ神の従者であるカーム・デーヴを祀ったもの。
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カーム・デーヴの尖塔
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◆シヴァ・パルヴァティ寺院(Shiva-Parvati Temple) |
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シヴァ・パルヴァティ寺院
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マジュデワル寺院から広場をはさんで北にあるのがシバ・パルヴァティ寺院。
1700年代後半に、シャハ王朝3代バハドゥル・シャハ王によって建てられた。寺院の前がステージになっていて、時々イベントが開かれる。
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シヴァ神とパルヴァティ妃
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2階の窓からシヴァ神とその妃パルヴァティが顔を覗かせているのがこの寺院の特徴。よく観ると、シヴァ神が妃の胸を触っているということを、先日学生に教えてもらった。
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◆ナラヤン寺院(Narayan Temple) |
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ナラヤン寺院
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シヴァ・パルヴァティ寺院のすぐ左側にナラヤン寺院がある。トライロキャ・モハン寺院もやはりナラヤン寺院だったが、こっちのほうがやや大きい。
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◆ガッディ・バイタック(Gaddhi Baithak) |
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ガッディ・バイタック
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シバ・パルヴァティ寺院の東側にある白い建物はガッディ・バイタック。1908年に宮殿として建てられたものだが、西洋建築なので、周りのネワール様式の建物とは一風変わった印象を受ける。
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◆バグワティ寺院(Bhagwati
Temple) |
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バグワティ寺院
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ガッディ・バイタックのすぐ左にはお土産物屋が軒を連ねているが、その建物自体がバグワティ寺院という由緒あるお寺であったりする。
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ジャガト・ジャヤ・マッラ王によって建てられた寺で、もともとはナラヤン像が祀られていた。しかし、1766年に像が盗まれ、シャハ王朝初代プリ
トゥビ・ナラヤン王が代わりにバグワティ像を安置したという。
上を見上げると、派手な装飾が施されているのがわかる。とりわけ、北の広場に面した3階のバルコニーは、金色を用いひときわめだっている。
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バルコニーの装飾
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◆ストーン・ビシュヌ寺院(Stone Vishnu Temple) |
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ビシュヌ寺院
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バグワティ寺院のすぐ向かいにあるのがビシュヌ寺院。レンガの建物の上に、石造りの祠が載っている。
ビシュヌ寺院は広場の中にもう一つあるが、こちらは石造りなのでストーン・ビシュヌ寺院と呼ばれている。
たいていのお寺は中には入れないようになっている。扉が閉まっていて中のご神体が見えないものも多い。しかし、この寺院の場合は、中に入れるようになっている。
さっそく覗いてみた。ビシュヌ神が祀られているはずである。
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ビシュヌ寺院の内部
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なんと、内部はがらんとしている。思わず、「何も無いからがらん(伽藍)堂」という駄洒落を浮かべてしまった。
近くにいた人が教えてくれたが、10数年前に盗まれてしまって行方不明になっているのだそうだ。
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タレジュの鐘
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ビシュヌ寺院の左には大きな鐘がある。タレジュの鐘(Taleju Bell)と呼ばれ、1797年にラナ・バハドゥル王が寺院に取り付けたもの
。現在でもデグダレジュ寺院でプジャ(お祈り)がある際に鳴らされるそうである。
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◆サラスワーティ寺院(Saraswati
Temple) |
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サラスワーティ寺院
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ビシュヌ寺院のすぐ隣にある小さなお寺は、サラスワーティ寺院。サラスワーティは、教育や音楽の女神で、手にはギターを持っている。つまり、日本でいうところの弁財天にあたる神様である。
「チゴイネルワイゼン」を作曲したスペインの作曲家パブロ・デ・サラサーテ(1844〜1908)とはもちろん関係ないのだろう。
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サラスワーティ?
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中のご神体は拝むことができなかったが、壁にはサラスワーティと思しき神様が彫ってあった。
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行商のおばちゃんたち
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サラスワーティ寺院の上では、行商のおばちゃんがチベタン・ポシェットを売っていた。いろいろ話てくれたことでもあるし、3個200ルピーで買ってあげた。
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◆チャシン・デガ〈クリシュナ寺院〉(Chasin Dega〈Krishna Temple〉) |
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クリシュナ寺院
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さらにその隣にはチャシン・デガ(クリシュナ寺院)がある。8角形の立派な寺院である。1648年にプラタップ・マッラ王(在位1641〜74)によって建てられた。
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サドゥーたち
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この寺はサドゥー(修行僧)お気に入りの場所らしく、いつ来ても、何人かが休んでいる。写真を撮れと、誘ってきたりするが、要注意。後で100ドル要求された人もいるとか。10ルピーも払えば十分だと思うが、それもケチってこっそり撮影しておいた。
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大太鼓
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すぐ右隣の建物の2階には18世紀から2個の大きな太鼓がしまってある。この太鼓が鳴らされるのは秋のダサイン祭りの時だけだそうだ。
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◆プラタップ・マッラ王の石柱(King Pratap Malla's Column) |
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プラタップ・マッラ王の石柱
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そこから東のほうに行くとハヌマーン・ドカがある。ハヌマーン・ドカについてはまた後日改めて紹介することにしたい。そこに行く途中に、高い石柱がそびえている
が、これはプラタップ・マッラ王によって1670年に建てられたもの。
プラタップ・マッラ王の像を中心に、2人の妻と5人の息子の像がある。
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プラタップ・マッラ王とその家族の像
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◆セト・バイラブ(Seto Bhairab) |
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セト・バイラブ
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プラタップ・マッラ王の石柱の向かいの壁に格子がある。そこにはセト(白い)・バイラブの巨大な顔が隠れている。バイラブとはシヴァ神の化身の一つで、恐るべき者(畏怖者)という意味。
この顔はラナ・バハドゥル・シャハ王の1794年に作られたもの。秋のインドラ・ジャットラ祭の際に8日間だけ公開され、口にネパールの地酒チャンが注がれる。
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写真ではまったくわかりませんね
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ちなみに、ネパール航空(元・ロイヤルネパール航空)のシンボルマークになっているのが、このセト・バイラブである。
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ネパール航空のシンボルマーク
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◆デグタレジュ寺院(Degutaleju Temple) |
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デグタレジュ寺院
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セト・バイラブのすぐ左隣がデグタレジュ寺院。先に見た大鐘は、ここでプジャ(お祈り)が行われる際に鳴らされるそうである。
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◆ジャガナート寺院(Jagannath Temple) |
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ジャガナート寺院
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プラタップ・マッラ王の石柱のすぐ横はジャガナート寺院。マヘンドラ・マッラ王(在位1560〜74)の1563年に創建された寺である。この寺の壁には、さまざまな彫刻が施されている。
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壁の彫刻
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マジュデワル寺院と同様、エロチックな男女の交合を描いたもの数多くあることで有名。
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他にもいろいろあるので、ぜひとも自分で探してもらいたい。
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◆カーラ・バイラブ(Kala Bhairab) |
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カーラ・バイラブ
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ダルバール広場の中でも、ひときわ印象に残るのが、カーラ(黒い)・バイラブ像であろう。カーラ・バイラブはシヴァ神の化身の一つで、恐怖の神。どことなくユーモラスで可愛らしい姿をしている。しかしよく見ると、右手で刀を振り上げ、左手には生首をぶら下げ、さらには誰かを足蹴にしていて恐ろしい。この像は一つの石から掘り出されたものとのこと。
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◆インドラプル寺院(Indrapur Temple) |
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インドラプル寺院
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カーラ・バイラブのすぐ東にあるのがインドラプル寺院。
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◆ビシュヌ寺院(Vishnu Temple) |
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ビシュヌ寺院
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インドラプル寺院のすぐ隣がビシュヌ寺院。この寺院はプラタップ・マッラ王の時代(17世紀後半)にはすでに存在していたことがわかっている。
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◆プラタップ・マッラ王の石碑(Stone
Inscription) |
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プラタップ・マッラ王の石碑
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広場の東側には旧王宮の壁が続いているが、ちょうどビシュヌ寺院の向かいあたりに、石碑が置かれている。これはプラタップ・マッラ王によって1664年に設置されたものである。女神カ
ーリーに捧げた碑文が、15ヶ国語で描かれているそうである。
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15ヶ国語の中には英語とフランス語でかかれた部分もあるそうで、それはどうやら石碑の左の下のほうの部分に書かれているようだ。
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中央の噴水
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伝説によれば、この15ヶ国語すべてを読める者がいれば、中央の噴水からミルクが吹き出るとのこと。もちろん僕には1ヶ国語とて読むことができない。
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◆カゲシュワル寺院(Kageshwar Temple) |
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カゲシュワル寺院
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赤いレンガの建物の上に白い尖塔が乗っているのがカゲシュワル寺院。そもそも1681年に建設されたが、1934年の大地震で大破。その後再建された。赤いレンガの部分がネワール様式、上の白い部分がインドのシカラ様式とのこと。
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◆コティリンゲシュワール・マハデーブ寺院(Kotilingeshwar Mahadev Temple) |
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コティリンゲシュワール・マハデーブ寺院
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出口に近づいてきた。広場の北西にあるコティリンゲシュワール・マハデーブ寺院。16世紀マヘンドラ・マッラ王の時代に立てられた寺院で、四角い建物の上にドームがついている。
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牛の石像
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すぐ西側に牛の石像をみつけた。牛はシヴァ神の従者であるから、この寺もシヴァ神を祭っているということである。
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◆マハビシュヌ寺院(Mahavishnu Temple) |
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マハビシュヌ寺院
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広場の一番北にあるのがマハビシュヌ寺院。ジャガト・ジャヤ・マッラ王によって建てられ、1934年の大地震の際に被害を受けている。
屋根の上には金色の飾りがついている。
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ビシュヌ像
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◆マヘンドレスワル寺院(Mahendreshwar Temple) |
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マヘンドレスワル寺院
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広場を出て、北側の向かいにマヘンドレスワル寺院がある。1561年、マヘンドラ・マッラ王の時代に建てられた。
現在、門の改修工事の最中であった。
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門を改修工事中
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ここではご本尊を拝むことができる。建物の中央にシヴァ神の像が安置されている。
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シヴァ神像
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このお寺の周りにもいろいろな像などが安置されている。たとえば、門の足元には獅子の像が。
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北東にある像はカーム・デーブ像だとのことである。
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カーム・デーブ像
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◆タレジュ寺院(Taleju Temple) |
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タレジュ寺院
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広場を出て、そのまま参堂を東に向かい、ダルバール広場のほうを見ると、広場の東に立派な寺院の姿を見ることができる。それがタレジュ寺院。ダルバール広場の寺院の中では最大の寺院だが、現在一般公開はされていない。ただ、10月頃のダサイン祭の時のみ中に入ることができるそうだ。
1564年、マヘンドラ・マッラ王によって建てられた。祀られている女神タレジュ・バワニはもともと南インドの神であったが、後にマッラ王朝の守護神となったそうである。
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◆タナ・デワル寺院(Tana Deval
Temple) |
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タナ・デワル寺院入り口
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東の突き当たりにはタナ・デワル寺院がある。
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タナ・デワル寺院
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この寺院の見所は、市中に彫られたアスタ・マトリカの像。千手観音とでもいった感じの神様である。
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アスタ・マトリカの彫刻
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◆マカン・トーレ(Makhan Tole) |
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ビシュヌ寺院
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広場から出て北東に向かう通りをマカン・トーレと言う。ここはお土産物屋や市場などが連なるにぎやかな場所である。
そこの北側に小さなビシュヌ寺院があり、そこにはガルーダ像がひざまずいている。ダルバール広場のトライロキャ・モハン・ナラヤン寺院にあるガルーダ像に比べると素朴な印象を与えるが、こちらのほうが古く、10世紀に建てられたものだそうだ。
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ガルーダ像
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通りの入り口には、やはり獅子像がある。どことなくエジプトのスフィンクスを思わせる姿をしている。
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北参堂の獅子像
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このまま北のほうに抜けると店がたくさん連なるインドラ・チョークに出る。次は、そこを見ることにしよう。
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インドラ・チョークへの道
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(2008年7月5日) |