地名 |
徳寿宮
덕수궁 Deoksugung |
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徳寿宮中和殿
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ソウル市庁の隣りに「五大古宮」のひとつ徳寿宮がある。
徳寿宮は、李氏朝鮮9大王・成宗(1457〜94/在位1469〜94)の兄である月山大君(1455〜88)の邸宅であった。月山大君は病気だったため、弟の成宗が王位を継いでいる。
その後、豊臣秀吉による文禄の役で避難先からソウルに戻ってきた14代王・宣祖(1552〜1608/在位1567〜1608)が、戦火で荒廃した景福宮の代わりの臨時の王宮「貞陵洞行宮」とした。次の15代王・光海君の時に「慶運宮」と改められ、大韓帝国の時代になってその2代王・純宗(1874〜1926/在位1910〜26)が長寿を祈願して「徳寿宮」と命名した。
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大漢門
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徳寿宮の入口は大漢門(テハンムン)。今でこそ正門の扱いだが、もともとは東門である大安門であった。1904年に火災で消失し、1906年に再建された際に大漢門と改称された。ちなみに本来の正門は中和門の前にあった仁化門(イナムン)であったそうだ。
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禁川橋
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大漢門をくぐると禁川(クムチョン)があり、橋がかかっている。門から入ってすぐのところに川があるのは他の王宮と共通している。これは風水に基づいているそうである。
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下馬碑
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禁川橋の手前に古い碑が建っている。「下馬碑」で、「大小人員皆下馬」と書かれている。王宮に入る者は身分の上下にかかわらず下馬しなければならないという意味であるが、こうした下馬碑が現存しているのはここだけだそうである。本来はこの場所ではなく、正門の中にあったと推測されている。
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中和門
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大漢門から道なりに進むと右手に中和門が見える。本来の正門はこの中和門の前にあったとされる。中和門は、徳寿宮の正殿である中和殿の正門にあたる。
中和門は1902年創建。1904年の火災で焼失の後、1906年に再建された。その後、1982年には大幅に改装されている。本来であれば、中和門の両側には建物がなければならないのだが、やはり焼失しており、現在は単独の建物になっている。
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中和門の後ろに中和殿が見える
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中和殿は、徳寿宮の正殿で1902年創建。他の建物同様に1904年に焼失し1906年再建された。
中和殿では、王の即位式や外国使節の歓迎儀式などの公式行事が行われた。
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御座
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天井の龍
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中和殿には御座が設置されており、天井には龍の彫り物が施されている。
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即祚堂
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中和殿の裏には即祚堂(チュクチョダン)がある。15代王・光海君と16代王・仁祖(1595〜1649/在位1623〜49)の即位式が行われた。1904年の火災で焼失後、昔御堂、咸寧殿と共にその年のうちに再建された。
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昔御堂
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即祚堂の隣の昔御堂は、徳寿宮の中で唯一2階建ての建物である。文禄の役の際に14代王・宣祖が移り住み、崩御するまでの16年間を暮らしている。
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昔御堂の内部
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昔御堂には彩色が施されておらず、地味な印象を受ける。
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凌明殿
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浚明堂(チュンミョンダン)は即祚堂とつながっている。1897年に再建されたと推測される。
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温突の煙突?
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凌明堂の裏に謎のオブジェがあった。ひょっとしたら温突(オンドル)の煙突だろうか?
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徳弘殿
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徳弘殿(トクホンジョン)は1911年の建設。王が外国の施設や高官と接見する際の接見所であった。
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徳弘殿の内装
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徳弘殿の内装は西洋文化の影響を受けたものとのことである。
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咸寧殿
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咸寧殿(ハムニョンジョン)
は王の寝室。李氏朝鮮最後の王にし大韓帝国初代皇帝・高宗(1852〜1919/在位1863〜97〈李氏朝鮮〉1897〜1907〈大韓帝国〉)が国の平安を祈願し「咸寧殿」と名付けた。中心を境に、東側が皇帝の部屋、西側が皇后の部屋になっている。
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静観軒
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徳弘殿・咸寧殿の裏手にある静観軒(チョングァンホン)は少々変違った雰囲気。1900年にロシアの建築技師イワノビッチ・セラディン・サバティンによって設計された。高宗が茶会を開催したり音楽を鑑賞した休憩所であった。
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世宗大王像
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徳寿宮に建つ像は4代王・世宗(1397〜1450/在位1418〜50)。ハングルを制定するなど、李氏朝鮮の歴代の王の中でも最も優れた王だと言われている。
像が左手に持っているのは「訓民正音」なるハングルの解例本だそうである。
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石造殿
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敷地内に唯一石造りの建物があるが、これは石造殿(ソクチョジョン)。1900年に着工し、1910年に完成したヨーロッパの新古典主義様式の建築。イギリス人技師J・R・ハーディングによる設計。
1946年、日本の植民地支配から解放された朝鮮半島の将来を論議するため米ソ共同委員会の最初の予備会談がここで開催されたそうである。
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石造殿別館
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石造殿の西側にある別館は1937年健蔵。日本統治時代、日本の近代美術品などを展示する美術館として使用されていた現在は徳寿宮美術館(国立現代美術館別館)として、朝鮮の美術品を展示している。
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仰俯日
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石造殿の前には仰俯日(アンブイルグ)があるが、これは要するに日時計。釜のような形をしていることから仰俯日と命名された。1437年、世宗の時代に蒋英実(チャン・ヨンシル/1390頃〜1450頃)が最初に作り、現在のものは17世紀後半に作られた。韓国の国宝に指定されている。
もっとも、この日は雪模様で日時計はまったく意味をなしてはいなかったが…。
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光明門
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行きは中和門を使ったので、帰りは光明門(クァンミョンムン)から出た。
光明門は現在は中和門の左手にあるが、もともとは:咸寧殿の南側にあった。1897年建設、1904年焼失後再建されている。1938年に石造殿別館が建設されたことで、現在地に移された。
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神機箭機火車
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興天寺銅鐘
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自撃漏
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現在、光明門には神機箭機火車(シンギチョンギファチャ)、興天寺(フンチョンサ)銅鐘、水時計の自撃漏(チャギョンヌ)が展示されている。
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(2010年2月11日) |