失敗山日記 U−2
とび出した大型獣 in 田代岱湿原
(秋田・岩手県境、乳頭山付近,96年10月12日)
by 山へ行っちゃあいけない男(登山不適格者?)
 
その2
  その動物はガホガホという聞き慣れない吠え声を上げて、短い斜面を転がるように駆け下ります。その一瞬に、いくつかの考えが私の脳裏をよぎりました。
 標高1200mの場所に野良犬がいるだろうか? それとも登山者の連れて来た犬だろうか? しかし吠え声が犬にしては変だ。太い足と前後に波打つ背中は熊を連想させるが、灰色っぽい熊なんているだろうか?

 前日からの疲れのたまった頭ではその程度まで考えるのが精一杯。何者であるかがまとまらぬうちに、その動物は7、8mの距離に近づいていました。とはいえ、そのまま進めば、今度は私から遠ざかっていくはずなので、危機感はあまりなかったのです。

 ところが彼(彼女?)は器用にカクッと向きを変え、今度は私めがけて突進します。上目づかいに2度目の吠え声を上げながら。
 私が
「逃げなくては!」
と、体の向きを左に変えながら1歩を踏み出しかけたとき、彼は早くも足元まで迫っていました。
 しかし次の瞬間、彼は私を嘲うかのように、再びカクッと向きを変えました。衝突は避けられました。
 ホッと気のゆるんだ僅かの間に、丈の低い草の中を彼はすごいスピードで離れていきました。体の向きを変えようとしていた私は、彼の動きが一瞬視界から外れ、その姿を見失ってしまいました。

 走り去ったのか、それとも数m先の潅木の蔭に潜んでいるのか、それさえも分からぬままに、しばらくは呆然としていました。勿論彼が何者であるかも分からぬままに。

 少し落ち着いたところで、そろそろ山から降りなければなりません。ところがそれはさっきの動物が消えた方向のようです。
 こんなとき、1人旅は心細いものです。またけがをしたときにも1人では困るので、用心深く行動しなくてはなりません。1時間ほど遠回りして、乳頭山近くからの別の道を降りようかと決めかけたとき、その方向から女性の声が近づいて来ます。
 夕暮れもそう遠くない時刻を考えると、この女性グループは私のいる場所を通って、さっき動物の消えた方向に降るのでしょう。となると、彼女らに今見た正体不明の動物のことを話して、不安がらせるのも気が引けますし、かといって、黙っていて襲われでもしたら後味が悪いでしょう。
 こんな時余計な責任感を感じてしまうのが、小心者の損な性分。結局私が彼女らの露払いをするつもりで、下山することにしました。
 またその辺から出て来はしないかとの不安も初めの数分で、高度はどんどん下がっていきます。

 ところであの動物が犬でも熊でもないとすると、いったい何だったのでしょうか? 猪は東北北部にはいないそうですし、もっと茶色っぽいと思われます。
 またカモシカには立派な角があり、陸上選手などの細く引き締まった足を”カモシカのような足”にたとえることからすれば、これも違うようです。では何だったのでしょうか? 

 1時間ほどで登山口に戻りました。登山口の孫六の湯の主人に、田代岱で見た動物のことを話してみると、青ジシ(=カモシカ)ではないかということでした。とはいえ決定打がないまま、そこをあとにしました。

 
*連載の読み物のように、1日1ページずつ読んでいただくのが私の希望です。
 
   
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