時間がなかなか経たないと、余計なことを始めるのが人間の常。携帯電話を取り出します。画面を見ると珍しく通話可能になっています。
ここで独り住まいの私がまず思い出したのは、携帯電話を勧めてくれた山道具屋の主人。月に何度かは店に行き、その度にコーヒーをご馳走になるほど懇意になった人。今回早めにビバークと決めたのも、彼の「ビバークの勧め」が頭の片隅にあったからかも知れません。
電話しようとして、すぐに思い直しました。道案内を請おうというのでしょうか? 日原まで車で1時間ちょっとの場所に住んでいるとはいえ、目印の定かでないここに来るのは不可能な話です。
私は路を失ってビバークしているのですから、遭難状態ということになります。捜索隊でも組まないと来るわけにはいきません。夜の遭難通報は迷惑な話でしょうし、実際は朝からの捜索になるでしょう。
明るくなれば道を見出せるだろうとビバークしたのに、ここでジタバタしては意味がありません。それに何事も経験。 ああ、電話しなくて良かった。
静けさの中、落ち葉の落ちる音や虫の歩き回る音なども気になり出し、ラジオをつけました。ヘッドランプは明るさを失ったので予備の電池と交換しましたが、つけっ放しでは朝まで持ちますまい。
ロウソクを取り出し、コッヘルの中で火を灯します。闇の中には私の姿だけが浮かび上がっていることでしょう。周りにいる生き物達が客で、私は檻の中で姿をさらしている動物の立場です。
本来熊は人と遭うことを避ける動物。山で鈴などで音を出しながら歩くのも、熊が前もって人の存在に気づき、人が通り過ぎるまで隠れたりしていてくれるのを期待してのこと。
ところが今は、こちらが動けずにいながら、ラジオや灯火でこちらの存在を知らせているのですから、少し話は違い、薄気味悪いものです。
ところでロウソクの灯もあと3、4時間で確実に消えるでしょう。となると、灯が消え、ラジオの電池が切れるのを起きていて悲観するよりも、眠っていて気付かぬほうが精神衛生上、良さそうです。
そこで10時頃、少し睡眠作用のある風邪薬を2錠飲みました。またロウソクの炎に虫が寄り付き始めたので、夏の湿原歩きで使った蚊取り線香の残りに火を点けます。発する臭いが、熊さん達大型獣のお好みに合わないことを期待して。
更に、ラジオの音が寝るにはうるさいので、耳栓をします。ラジオを消しゃあ耳栓は不要だろうにと言いたいところですが、臆病者の私にはラジオの音が周りにひそむ(?)何者かへの心強い防波堤。消すわけにはまいりません。
最後に雨具を防寒具代わりに着込んでマットを敷き、寝袋にもぐり込んで、1番下に敷いていたシートでぐるりと身体全体を包みました。
暫くして頭がボンヤリし始めたものの、神経を使いすぎたのか、なかなか眠れません。11時に最後の切り札の睡眠導入剤を1錠飲みました。
万が一熊が私に目をつけたとしても、彼(彼女?)が忍び寄って来る気配を感じつつ過ごすよりも、襲われてから気付くほうが、臆病な私には有難いことに思われます。それに羆(ヒグマ)ならぬ月の輪熊なのですから、殺すまでしつこくはやりますまい。
ナニ、今の睡眠剤は眠りを誘うものの、眠りを深く、長持ちさせる効果は少ないので、蝋燭の灯が消える頃には目が覚めてしまう? そうなったら暗闇の中でどうする? ウ〜ム。 ・・・ そのときはその時。
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