ラスト部分は映画設定です

PASSION ~Rohirrim's love burst its sluices like a great torrent,tonight



 月が空の真上に昇るころ、緑の丘の黄金館を遠く離れて、ローハン国第三軍団長エオメルは西エムネトの荒野を愛馬とともに駆けていた。

 いつからか、かれは軍務以外の時間にもひとりエドラスをはなれ、このマークの国の平野を馬を駆って彷徨うようになっていた。
まだ若いこのロヒアリムは長い金髪をなびかせた長身の青年で、王家の紋章をあしらった厚い皮の胴衣とマントを羽織っただけの軽装だった。
兜も槍も所持していないが、腰のベルトには長剣を提げている。

 ローハンの宮城であるエドラスには、彼の居場所がないのだった。
宮殿にいれば、我が物顔に振舞う蛇の舌グリマと、その讒言に惑わされかつての英知と剛勇を失った老国王セオデン、老王を案じるあまり苦悩に青ざめ、萎れた花のように生気のない妹らの姿が、いやでも目に入る。
エオメルはかれらを見ていたくなかった。

 かつて両親が相次いで身罷ったのちに、エオメルは妹エオウィンとともに伯父王のもとにひきとられ、わが子同様に育てられた。
そして伯父とその世継ぎの君である従兄のセオドレドに心からの忠誠を奉げてきたのである。
だがいまでは、あれほど慈しんでくれた伯父は、かれがその膝元に近づこうとするだけで顔を背ける。

 かれら兄妹の母セオドウィンはセオデンの妹であり王女だったが、東谷の領主だった父は血筋としては傍系である。
それゆえ、エオメルは自らをわきまえ、王と王子に対してあくまで臣下の立場であることを忘れなかった。
王がグリマなどという得体の知れぬ男を異常なほど重用し、その専横が目に余るようになっても、かれは主君にあの男を取り除けてくれと進言することがためらわれた。

 その結果、いつしかセオデン王は、グリマなしでは夜も日も明けぬほどの耽溺ぶりを見せるようになり、ローハンの国事はほとんどすべて、蛇の舌がささやく言葉を、抜け殻と化した老王が繰り返すだけという有様に成り果てたのだった。
セオデン王がエオメルの瞳をまともに見ることがなくなって久しい。
伯父は甥の顔を見分けているのかどうかさえも疑わしかった。

 そして従兄のセオドレドの姿もしばらく見ていなかった。
マークの第二軍団長である王子は、頻繁に出没するオークや霧降り山脈を越えて襲ってくる褐色人らの敵を掃討すべく、出撃につぐ出撃を重ねているのだ。
エドラスにたったひとり妹を残しているのはつらいが、暗い王宮の中では、もはやエオメルはまともに息をすることすら出来ない気がするのだった。



 かれは疾駆する馬の足並みが鈍ってきたのを感じた。
愛馬は強壮で我慢強かったが、連夜何処に往くとも知れぬ主人の遠駆けにつき合わされているのだ。
「よしよし、疲れたか」かれは馬の首を軽くはたきながら、左方に立ち木のつらなりがあるのに気づいた。
「あの林で一休みするとしよう。たしか泉があるはずだ。水が飲めるぞ」
馬首をめぐらせ、かれは木立の中に馬を進めた。

 愛馬とともにのどを潤し、手綱を枝に結わえる。
剣を手挟んだベルトをはずして草の上におき、エオメルは地面に身を投げ出して寝転がった。
葉陰のあいだから、雲に霞んだ淡い月が見え隠れしている。
目を閉じて、風にゆれる水面のせせらぎを聞き、緑葉が醸す林の香気を吸い込んだ。
そうやって心を澄まし、身の内にたまった鬱屈を掃き清めたいとかれは思った。

 いつのまにか眠りこんでいた。
ふいにエオメルは、近づいてくる蹄の響きに気づいた。
すばやく身を起こし、そろそろと手を伸ばして愛剣グースヴィネの柄を握る。
音を立てずに鞘から抜いた刀身が、月あかりに鈍く光ったそのとき、騎乗した黒い影がエオメルの眼前に立ちふさがった。
剣を振りかざしたかれにむかって、馬上の主が澄んだ声で「エオメル!」と呼ばわった。
「王子殿下・・・」
それはかれの従兄、ローハンの世継ぎの君であるセオドレドだった。
エオメルは腕を下ろして剣を鞘に収めた。

 セオドレドは秀麗な面に笑みを浮かべて従弟を見やった。
王子は手綱を引いて泉に向かうと馬に水を飲ませ、自らも冷たい水面をすくって洗顔した。
ゴンドール貴族出身の祖母の血筋が優っているのか、王子は武骨な性分の者が多いマークの騎士の中では、洗練された物腰の貴公子である。

「これはエント川の支流の一部だ。ずいぶん遠くまで駆けてきたものだな、従弟殿?」
「どうしてわたしの居場所がわかったのですか」とエオメルは訊ねた。
「遠征から戻ってすぐ、王宮のテラスから東に向かって馬を駆る君の姿が見えた。だから急いで軍装を解いて追ってきたんだ。途中で見失ったがこの馬に任せておけば、いずれ君の元に連れて行ってくれるだろうと思ってね」
かれらの馬はエオル王の愛馬として知られたフェラロフの血を引いた、兄弟馬なのだ。
二匹の馬は逞しい首を擦りつけあい、挨拶を交わしていた。
毛並みはともに純白である。

 セオドレドは木の根元に腰を下ろすと、エオメルにも座るよう促した。
「顔を合わせるのは久しぶりだね。今夜は一緒に酒が飲めると思っていたのに、エドラスに着いたら君もエオウィンもいないんだから」
王子はうち沈んだ表情の従弟を気遣わしげに見ながら言った。
「エオウィンも?」
王宮に残っているものとばかり思っていた妹の不在を知ったエオメルが、不安げに問いかける。

「乳母の館に遊びにいったそうだ」
王子の答えを聞いて、かれは安堵した。
美しい妹は身の程を知らぬ蛇の舌に、しつこくつきまとわれ続けている。
そのことも、いずれ何とかしなくてはと思いながら解決できないでいた。
「グリマの辛気臭い面を見ながらじゃ、酒がまずくなる」
セオドレドが笑いながら言った。
「君と一緒なら、泉の水も甘露になるというものだが。ずっと駆け通しで、正直腹が減った」

「干した肉ならありますよ」
エオメルは立ち上がって馬の鞍に結わえておいた袋を取ってきた。
その中の干肉を幾切れかを王子に手渡し、自分も口にする。
硬い肉を歯でちぎりながらセオドレドがたずねた。
「君も夕食はまだだったんだろう?ろくに弁当も持たずに、こんな僻地までピクニックに出かけてきたのか?」
「殿下が戻られるとは知らなかったので・・・エドラスでお待ちしていればよかった」
エオメルはうつむいて答えた。

「じゃあ食べ損ねた夕飯の埋め合わせに、明日の朝食にはつきあってもらえるのかな。うんと豪勢にしたいものだね。熱いシチューと厚切りベーコン、焼きたてのパンにたっぷりバターと蜂蜜をつけて−−あと酒も欲しいな」
王子が従弟を見やって問いかける。
「戻るんだろう?」
「・・・戻ります。朝食につきあいましょう」
エオメルは軽くうなづいて答えた。
「ならいいが」セオドレドがそっとため息をつく。
「平野を駆け抜けていく君の姿をテラスから見つけたとき、そのまま君が帰ってこないような気がしたんだ。だから、追いかけずにはいられなかった」

「セオドレド殿下」
エオメルは従兄を見つめて言った。
「わたしはこのマークの国に生まれたことが誇りです。わたしはどこにも行きません。祖国のほかに、わたしの生きる場所はないのです」
一途な声音で訴える。
だがすぐにかれは視線を落としてつけ加えた。
「−−王が、わたしを無用のものだと仰せにならなければ」

「よせ」
セオドレドが表情を引き締めて従弟を見やる。
「父にとって君とエオウィンは、我が子も同然だ。たとえ、蛇の舌がどのような讒言を弄しようとそれはゆるがん」
エオメルは敬愛する世継ぎの君の視線を受け止めた。
そして頬に笑みを浮かべた。
「はい。王子の言葉を信じます」



「だいぶ冷えてまいりました。殿下、そろそろ戻られますか」
ローハンはもともと温暖な気候の土地だが、やはり二月下旬の夜気は冷たく、尋ねたエオメルの息も白かった。
セオドレドは厚い皮のマントにくるまって草の上に横になっていた。
「いや、一眠りしてから帰ればいいさ。もう少し休みたい」
もはや黄金の輝きも失せた宮殿で寝苦しい思いをするくらいなら、従弟と二人きりで野宿するほうがましだと王子は思ってた。
エドラスで、息の詰まるような思いを味わっているのはセオドレドも同じである。

 エオメルは、目を閉じたセオドレドの白い顔に視線をあてた。
王子の頬が以前よりずいぶん削げたようだと気づく。
敵の出没が頻繁なことと、蛇の舌の差し金もあって、王子はこのところ王宮に腰を落ち着ける暇もなく、頻繁に遠征を重ねている。
疲労の蓄積もかなりなものだろう、とかれは思った。 

 「お痩せになりましたか」
そっと手を伸ばして貌に触れると、「なんて熱い手だ」とセオドレドがつぶやいた。
そして王子は猫のように、顔を従兄の掌にこすりつける仕草をした。
エオメルは子どものころ、妹がよく「どうしてセオ兄様と手をつなぐと、いつもひんやりして冷たいのかしら」と不思議がっていたことを思い出した。
かれは妹に「王になる方だからだ。それだけ血が貴いんだ」と答えていた。

「田舎者ですから体温が高いんでしょう」
王子の頬を撫でながらかれは言った。
「いや」
セオドレドは目を開けて従弟を見つめた。
「わたしは以前から君とエオウィンの肌の熱さに、はるかなエオセオド国、かつてドラゴンを倒したという我等が始祖の血脈を感じていた。それはゴンドールの血が強く出たわたしや父には、あまり受け継がれていないらしい・・・エオメル、君は既にマーク随一の勇者だが、もしその頭上に王冠を戴いたなら、近来にない偉大な王になるだろう」

「殿下」
王子の言葉に、エオメルは仰天して手を引っ込めた。
「なにを馬鹿なことを。わたしの頭上に王冠とはなんのことです。そのようなこと、起こるはずもありません。この国のお世継ぎはセオドレド王子ただ一人と決まっています。もし殿下が、わたしの心中にそんな野望が宿っているのではとお疑いならば、わたしはいますぐこの命を絶って潔白を証明いたします」
顔を高潮させて従弟が言い募る。王子は笑い声をあげて制した。
「君の心を疑ったことなどないさ。わたしはただ、北方の偉大な血を、君が受け継いでいると言いたかっただけで−−まあ、もういい」

 王子は身を起こすとかれの腕を軽くつかんだ。
なおも何か言いたげな相手をなだめるように微笑む。
その従弟のかたい腕からは、布地を通しても熱い体温と、命の脈動が伝わってきた。
「暗い時代だ。四方から迫る来る闇が我々を覆いつくそうとしている。疑いと猜疑に倦んでいるのはわたしも同じだ。だが、わたしは君とエオウィンのことは心の底から信じているのだよ」
エオメルは王子の言葉に熱心に頷いた。

「エオメル、君はわたしに命を捧げてもいいと言ったな」
「はい」
かれは当然のように答える。
その大きな瞳は、強い忠誠を宿して輝いていた。
「では、これもわたしの物なのか?」
セオドレドは冗談めかして呟きながら、冷たい指先で従弟の唇をなでた。
エオメルが何も言わず相手を見つめ、王子はその視線に無言の同意を見て取った。



 エオメルの意思を試すように、セオドレドが乱暴に唇を貪る。
深く差し入れて相手の舌をからめ捕り、その根元を強く噛んで従弟の息を詰まらせた。
唇を離し、王子が羽織っていたマントを地面に広げる。
従弟を突き飛ばしてその上に転がすと、長いプラチナブロンドの髪が広がった。

 互いの衣服を脱がせあい、指で相手の筋肉の流れを確かめる。
素肌に唇を這わせ、荒い息を交わしながら、騎士国の戦士たちは絡み、もつれた。
セオドレドが従弟の後腔を探りあて、指で荒々しくこじ開けようとする。
かれは自ら腰を浮かせて許した。
自分では触れたことのない秘部を、王子の冷たい指でかき回されながら、エオメルは相手の金髪を指に絡めて月の光で透かし見た。
その髪はかれと同じ質、同じ色をしていた。

 熱心に探っていた指が引き抜かれ、足を抱えあげられる。
そして強引に突き入れられたとき、エオメルは王子の髪を両手でくしゃくしゃにかき乱していた。
「セオドレド・・・!」
顎をのけぞらせてその名を呼ぶ。
まだ十分な愛撫も与えられてはいず、かれがその身をゆだねきっているのでなければ、それは随分性急なやりかただった。
だが、同じくエオルの血を分かち合う、この世継ぎの王子のほかに、自分の血肉と魂を捧げる相手はないことを、かれは知っていた。

 朧に霞む月の下で、従弟と交わりながら王子が告げた。
「決して忘れるな、エオメル−−わたしの肌の感触と、脈打つ鼓動を。誇り高きエオルの血が、わたしたちを分かちがたく結び付けていることを」
撃ち込まれるリズムに合わせて、抑えきれない喘ぎが漏れる。
エオメルは首を打ち振って王子の言葉に肯いた。
無理に埋め込まれたものに内壁を擦られ、抜き差しを繰り返されるのは快感と苦痛の混交だった。
えもいわれぬ感覚に溺れつつ、かれはセオドレドがこの行為を自分以上に愉しんでくれるように願っていた。

 自分のために身体を開き、されるがままに耐えている従弟の、精悍な美貌を見下ろしながら、セオドレドは愛を込めて囁いた。
「生れ落ちたそのときから、わたしは君のもので、君はわたしのものなのだ・・・」
ローハンの王子と従弟の騎士団長は、夜が明けるまでたがいの肉と体液を、痛みと悦楽を混ぜあうことに没頭し、ともに誓い合い癒しあった。



 翌朝、先に目を覚ましたのは王子のほうだった。
東のかた、エミン・ムイルの山塊の向こうに朝日が昇り出で、暗い林のなかにも日差しが差し込んでいる。
朝方になってようやく交歓に飽きた二人は、体温を奪われぬようマントを巻きつけ、相手の身体を抱きしめあって眠りについた。
わずかな睡眠で起床できたのは、王子の戦士としての鋭敏さゆえである。
エオメルには言わないでいたが、アイゼンの浅瀬付近の集落でしばしば敵の姿が目撃されている報告を、王子は昨日のうちに受け取っていた。
日が高くなる前に、黄金館に帰還し再び出陣しなければならないセオドレドだった。

 従弟はまだ深い眠りに落ちたままだ。
王子は相手を起こさぬよう、からんでいた腕をそっとほどいた。
マントから抜け出し、すばやく身支度を調える。
「わたしは一足先に戻るよ、エオメル。朝食の約束は夕食に繰上げだ。夜には帰るから、そのときに」
小さな声で語りかけ、エオメルの額に口づけた。
しばしその無防備な寝顔を見つめたのちに、セオドレドは愛馬を引いてその場を去った。





 セオドレド率いる第二軍団は、アイゼン川でオークの待ち伏せにあい、激しい戦闘となった。

 厚くたれこめた雲が全天を覆いつくし、ロヒアリムとオークの双方に強い雨が降り注ぐ。
数にして数倍の敵を相手に、リダーマークの騎士たちは長剣をふるい、槍を繰り出して勇敢に戦い続けたが、連戦に疲弊したかれらに勝機は訪れなかった。

 雨に打たれ、泥にまみれて敵と剣を交えていたセオドレドは、ふいに妙にあたりの視界が開けていることに気づいた。
王子のまわりには、もはや立って戦っている味方は誰もいなかった。
部下たちは皆、すでに泥土に身を沈めて息絶えていた。
そして数人のオークが、孤立無援のかれを取り囲んでうなり声を上げている。
「残っているのはわたしだけか・・・?」
セオドレドは動揺した。
その一瞬の空隙をついてオークが左右から鋭く切りかかってきた。
王子は右からの攻撃を剣で受け止め、身をよじって左からの突きを逃れようとしたが、間に合わなかった。

 脇腹の肉を抉られる感触とともに、灼熱の苦痛がかれを襲った。
セオドレドには今の一撃が致命的なものだとわかった。
平衡感覚を失って膝をつき、そのまま顔から泥の中に突っ伏した。
身のうちから、引き潮のようにすべての気力が失われていく。
オークが勝利の歓声を上げているのが遠く聞こえた。
王子は自分が助からないことを悟った。
ローハンの世継ぎ、セオデンの息子セオドレドはアイゼン川のほとりで討ち死にし、フレアラフの家系はかれの代で絶えるのだ。

 倒れたまま動かない相手を、オークは死んだものと合点してとどめを刺すことなく引き上げていったが、秀麗な貌を泥にうずめたかれは、それでもまだ生きていた。
その脳裏には、乾いた風が吹き抜ける緑の丘のメドゥセルド、エドラスの黄金館で王子を迎える人々の姿が浮かんでいた。
生まれ育った宮殿に、かれの父、かれの民、かれの従弟妹たちが居並んでいる。

 命の糸を繋ぎとめようと、はかない抵抗を試みながら王子は待った。
愛する者がかれを見つけ、居るべき場所へ連れ戻してくれることを。
死が逃れがたいものだとしても、いま一度愛する者にまみえることをかれは望んだ。


 そしてその願いはかなえられた。


20040524UP