scene*7


「ご無事で、あなた」
そう告げてセオドウィンが夫の唇に口づける。

 東谷の領主夫妻が互いを固く抱きしめあうのを、ローハンの王子は間近で見ていた。かれの腕には、もうすぐ二歳になる従弟のエオメルが抱かれている。
セオデン王が自ら指揮を取る大規模なオーク掃討軍が組織され、今日がその出陣の日なのだ。ローハンの主だった武将はみな軍に参加しているが、世継ぎの王子は国王代理としてエドラスに留まることになっていた。
軍列が遠ざかっていくのを見送ると、叔母が振り向いて微笑んだ。
「エオメルはずっといい子にしていたのね。王子殿下が抱いていてくれたからでしょう。昼食の用意をするから、もう少し遊び相手をしてもらえる?」
「いいですよ」とセオドレドは頷いた。

 エオメルと積み木を積んだりくずしたりしながら、セオドレドは物思いに耽った。
本当は自分も軍に参加したかったのだ。だが女性や子どもたちと一緒に居残りを命じられたので、ガッカリしていた。
−−まあ、わたしには見送ってくれる恋人もいないし・・・。
戦場に向かう騎士と、はなむけの接吻を捧げる美女の光景。
(いいなあ。いつかわたしも)と羨ましく眺めていた思春期の王子である。
−−それには結果を出さないと。次の機会に必ず活躍して、ゴンドールにまで響くような戦功をあげたい。そして、誰もが注目するすごい美人を恋人にするんだ・・・。
わたしはこの国の王子なのだから。少年らしい自尊心でそんな夢想をめぐらせていると、小さなてのひらが、かれの頬をぺたんぺたんと叩いた。
「あ。エオメル・・・」
おとなしく遊んでいた従弟が、いつのまにかかれの膝に這い登っている。
「しぇおにーちゃ!」
「なんだい?もう積み木に飽きたかな。抱っこ?」
尋ねると、エオメルはにぱあっと笑った。
そしていきなりかれの唇にぶっちゅーと口をくっつけたのである。
(・・・う・・・!)
びっくりして固まるセオドレドの頬を両手で抱えながら、エオメルがちゅうちゅう唇に吸いついてくる。
−−ミ、ミルクくさい。
呆然とそんなことを思いながら、幼い従弟にファーストキスを奪われてしまったローハン王子だった。

*

「それがなんだって言うんです」
すっかり成長したエオメルが肉をちぎりながらかれを横目で見る。
マークの第二軍団と第三軍団が共に遠征してきた野営の地である。従兄弟たちは並んで焚き火を囲み、夕食を摂っていた。
「なんだじゃない。人の唇を奪っておいて酷い奴だ」
「知りませんよ、そんなこと」
「初めてだったんだぞ。初キスはうんとロマンチックに、たおやかな姫君と、とか色々期待を膨らませていたのに、よりによって相手はきみだ。しかもあとで聞いたら、きみは何でも真似したがり屋で、両親のふるまいを見ているうちに、すっかりキスを覚えて東谷中の人間としてたっていうじゃないか!おまけにだ、目を離した隙に馬ともチュパチュパ」
「ちょっと、止めてください大声で・・・」
困惑して従弟がかれを制する。セオドレドはかまわず続けた。
「そんな人も馬もごっちゃなきみに、わたしの大事なファーストキスを!」
エオメルはため息をついた。もう四十になろうというのに、この人は。
「今更言われても困ります。子どものしたことなんだから」
「だから教えてやってるんだ。これで自分の罪がわかったろう」
罪って・・・。呆れながらもエオメルは「はい、わかりました」と頷いた。
「きみは償うべきだ」
「そうですね」
多少理不尽なことを言われても、心から王子を敬愛している東谷の現領主である。かれの言葉には素直に従うのが習い性になっているのだ。
「そろそろ、その時期が来たと思っていた」
セオドレドがそう言ってかれの腕を掴む。
「殿下、なんですか」
そのまま引っ張られて立ち上がり、テントの方に連れて行かれた。

「なんですかって、決まってるだろう。償いとしてキスの続きをさせてもらうよ」
「はあ?」
そう告げるセオドレドの声に笑みが混じっている。
エオメルはよくわからずに、ぐいぐい引かれるまま王子について行った。
20071125up



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