scene*3


 バルコニーにもたれたローハン王が、夜風にあたりながら異国の歌を口ずさんでいた。どこか懐かしく、郷愁を誘う旋律である。
柔らかに響く、低い甘い声。何時までも浸っていたいと思う声。
円柱の影でファラミアは目を閉じてその歌声を聴いていた。

 ふいに歌がやんで、相手がこちらに視線を向けた。
「執政殿か」「あ・・・失礼しました。お邪魔してはいけないかと・・・」
普段のかれらしくなく、少しうろたえた。
「意地が悪いな。下手な歌を黙って聴いているとは」
「いいえ、とてもお上手です。思わず聞き惚れてしまいました」
隣国の国王にして、かれの年下の義兄でもあるエオメルが、笑いながら肩を竦めた。「わたしに何か?」
「はい。急にお姿が見えなくなったので、エレスサール王が心配しておられます。お戻りになりますか」かれの問いに、エオメルが首を横に振る。
「いや、もう酒は充分飲んだ。今日はこのまま休むことにしよう」
そう言って歩き出そうとした足が、ふらついていた。
「わかりました。客室まで送りましょうか」「そうだな。頼む」

 エオメルに肩を貸して歩きながら尋ねる。「先ほどは、どうしてわたしに気づいたのですか」かれは気配を消すのが得意なのだ。
「なんとなく」と相手が機嫌よく答える。その長い金髪が、時折頬や首に触れるのを感じる。「そばで、誰かが一緒に歌っている気がした」
かれは何となくハッとして相手を盗み見た。「−−そうですか?」
「ああ。振り向いたら、執政殿がいた」
「それは、不思議なことですね・・・」
そういえばあの時、自分は心の中でエオメルの歌声にハミングしていたかもしれない、と気付いた。そして支えている相手の、腕にかかる贅沢な重みをことさら強く感じたのだった。
客室に向かう回廊がもっと長ければいいのに、とファラミアは思った。

「ゆっくり休んでください」
開けた客室の扉を押さえていると、一歩中に入ったエオメルが振り向いた。「朝まで一緒に過ごさないか」
「−−は・・・え?」かれは青い瞳を見開いて相手を見つめた。
「執政殿の子守唄が聴いてみたい」そう言われ腕をひっぱられる。
「あ・・・」ひどく心臓が高鳴ってうまく言葉が出てこなかった。
義弟が突っ立ったままなので、ローハン王は眉をひそめた。
「嫌ならいい。酔っ払いのたわごとだ。ゴンドールの執政殿が、わたしのお守りなどするはずないな」子どものようなすねた口調だった。
かれはようやく我に返って、相手に微笑んだ。
「わかりました、お相手しましょう。ですが、わたしは歌が下手ですよ」
そう言うと、エオメルは「嘘だろう」と笑った。ファラミアが音楽を愛しており、楽器の扱いと歌唱に秀でていることは誰もが知っている。

 酔った義兄は、いつになくかれに親密な感情を抱いたらしい。
招き入れられるままに、ファラミアは部屋の扉を閉めた。
湖に似た青い瞳の奥に、かつてない心の波立ちを感じながら。
20070821up




戻る