2005年3月11日予算特別委員会総括代表質疑 30人学級実現、学校での日の丸君が代強制の撤廃、少子化対策などを提案し知事と激論 午後六時四十七分開講 ○樺山委員長 休憩前に引き続き委員会を開きます。 質疑を続行いたします。 曽根はじめ理事の発言を許します。 ●自民・公明のまちがった福祉論に反論 ○曽根委員 質問に先立って、先ほど、自民党、公明党の委員から、日本共産党の見解に対する全く事実と異なった内容の質疑が行われた問題について、何点かに絞って発言します。 第一に、自民党の県民一人当たりの福祉予算の比較についてですが、使われた数字は、政令都市を抱える大きな県についてのみ抽出して比較したものです。これは到底、公正な比較とはいえないものです。それは、政令都市を抱えた道府県の場合、通常の県が行っている福祉施策の多くが政令市の仕事とされており、大幅に福祉予算が低くなっています。通常の府県行政を行っている東京都と比較すること自体ごまかしであることは、予算分析のイロハの問題です。 ちなみに、政令市を抱えていない府県の場合、一人当たり福祉関係費では、鳥取県など三県が七万円台、青森県など三県が六万円台と、東京都よりも高い県が少なくないのです。東京と同じ五万円台の県は十五県もあるのです。 次に、公明党の質問の問題ですが、第一に、福祉費の構成比については既に昨年の第四回定例会の討論で問題を明らかにしているものであり、まず、批判する前にこれをよく読んでいただきたいと思います。すなわち、行政サービスというものは、一知事の時代でつくられるものではなく、長い都政の蓄積があって初めて成り立つものです。 その点で見れば、問われるのは、前任の知事から引き継いだ知事がそれをどれだけ拡充してきたかということではありませんか。 もう一度紹介しますと、美濃部都政は、福祉費の構成比を三・二%から六・五%に二倍加させ、予算額では十二倍加させました。鈴木都政は〇・四%、青島都政は二%伸ばしたのに対して、石原都政はどうか。一九九九年度から二〇〇三年度についての決算数字で見れば、構成比を八・四%から七・九%に減らしたのです。金額でも、六百三十四億円と一割も減らしました。これが冷厳な事実です。 第二に、福祉関係費と土木関係費の逆転問題は、一般会計決算の間違いのない数字であり、石原知事が編成した二〇〇〇年度と二〇〇三年度を比較したものです。これは現に都政を運営している知事のもとで都民の税金がどのように使われているのかを明らかにする上で、当然の比較方法です。 決算を使う意味は、都が当初予算では投資経費を低く抑え、福祉費の構成比が高くなるようにしておいて、補正予算で投資経費を大幅に積み増しする一方、福祉費は毎年一割以上使い残しますから、決算数字が最も事実を正確に示すものです。 石原知事のもとで、一般会計決算において福祉関連費と土木費が逆転し、土木費が福祉関連費を上回ったことは紛れもない事実なのです。 第三に、都債の問題ですが、他の自治体は交付税交付団体であることから、借金をしても国が基本的に面倒を見てくれること、国がこうしたやり方を通して公共事業を押しつけていることから、東京より高い起債依存度になるのです。これも地方財政を見る場合のイロハではありませんか。起債残高が来年度予算案では一千億円減少するとしましたが、実は、都債の残高は、来年度は減りますが、またふえ続け、四年後の二〇〇八年には一千五百億円ふえて、七兆円の大台に達するという推計も出されているのです。まさに公明党の議論こそ、都合のよい数字をあげつらったというそしりを免れません。 以上、この委員会で取り上げられた一部を紹介しましたが、いずれも議論は事実とは大きくかけはなれたものであり、ためにする議論といわれても過言ではないことを厳しく指摘しておくものです。 ●30人学級の実現もとめて それでは、予定した質問に入ります。 最初に、都民共通の願いである三十人学級について質問します。 三十人を含む少人数学級実施県は、二〇〇一年度に文部省が都道府県独自の定数改善を認めて以来ふえ続け、とりわけこの二年間で一気に広がりました。 パネルを用意したので、ぜひ見ていただきたい。 最新情報をもとにパネルをつくりました。二〇〇五年度の予定を含め、実施道府県が四十五に上ります。黄色が小学校一年のみで七県、ヤマブキ色が二学年実施で十七県、ピンク色は三学年以上で十三県、オレンジ色が中学校実施で五県、赤いところが小学校全学年実施の三県です。 では、各県の資料を今お配りしております。知事、見てください。この地図で未実施は東京都と香川県だけです。 我が都議団はすべての道府県に少人数学級の調査を行い、一〇〇%回答をいただきました。資料として主な県の回答を今お配りしております。 この調査ではっきりわかったのは、一部これから実施や分析中のところを除いて、すべての実施県で、少人数学級は、学習面でも生活面でも、これまでの四十人学級から大きく前進したと評価されていることです。 まず、学習面での効果はどうか。北海道は、一人一人のよさや可能性を発揮する機会がふえ、意欲的に学習に取り組んでいる、意欲、関心、理解、習熟度が把握しやすいなど。群馬県では、個々の児童生徒に適した学習指導を行うことにより、基礎基本の定着が図られるとともに、成就感を持ち、学ぶ楽しさを味わうことができているなど。兵庫県は、意見や考えを発言する機会がふえ、児童自身が自信を持ち、挙手する意欲の向上につながったなどなど。島根県、声かけや机間指導、ノートなどの評価の時間にゆとりがあり、一人一人に行き届いた指導ができ、個別指導の充実が図られた。高知県、学級担任が子どもたちに目が行き届きやすくなり、一人一人により多くかかわることができ、学習のつまずきに対応できる。 各県の担当者が既に学校から反応を集めていたり、この調査のために実施校に問い合わせたりして書いてくれたものです。学校からの歓迎の声が実によく伝わってくるじゃありませんか。 この全国からの成果の報告をどう受けとめていますか。東京の古いやり方にしがみついているより、少人数学級がすぐれていると思いませんか、いかがですか。 ○横山教育長 学級編制をどうするかというのは、これはいいとか悪いという話ではなくて、政策的な判断の問題です。これは私、東京都がひとりいっているわけではなくて、例えば、これはもともと学級編制について、これは国の方の中央教育審議会で議論され、それを受けた研究会でも議論されているわけです。 その中で、例えば平成十二年五月十九日、文部科学省の教職員配置の在り方等に関する調査研究協力者会議、この報告の中では、学級編制基準の弾力化について、児童生徒の社会性を育成する場として、また、児童生徒が互いに切磋琢磨する場として、学級には一定の規模が必要である。また、同報告では、国が定める学級編制の標準については、現行どおりの上限四十人とすることが妥当であると、必ずしも東京都だけがいっているわけではないということです。 ○曽根委員 その話は二〇〇〇年の、平成十二年の教員定数の七次改善を決めるための文部省の検討報告でしょう。これですよね。 この結論が、学級定数については定説はないが、現行どおり四十人のままにして、教員をふやすのは習熟度別少人数指導でカバーするということだったわけで、それで五年間やってきた結果、大変な行き詰まりを起こしていると、少人数学級の道を各県とも歩み始めた。 その結果、大きな成果が上がっているんだということを今申し上げたわけですが、四十人学級にしがみついている根拠が、この失敗した大もとの協力者会議によっているということをあなたがいって、どうするんですか。 つまりほかに何の根拠も持ち合わせていないということじゃないですか。 この方針、協力者会議の報告に従って五年間やってきて、うまくいかないからこそ、全県、ほとんど全部の県が少人数学級に踏み出しているんですよ。もう一度答えてください。 ○横山教育長 これは私の手元に、実は教育社会学を専攻している千葉大学の明石教授が書かれた「学級の集団的機能を見直す」という書物がございますが、その中に、少人数学級は果たしてよいのか、こういう項がございます。その中で、少人数学級は果たしていいんだろうか、小規模の単学級の学校では既に二十五人前後の学級が多くあった、ここでは必ずしも大規模の多人数学級より小規模の方が授業の理解度が高かったとはいえない、あるいは、少人数の学級では、人数が少ないため、子どもの学級内での地位が固定され、クラスが活性化されない、こういう否定的な意見の方が多かった。あるいは、子どもにしてみれば、学級の人数が多いとさまざまな人と友達になれる。 結局、結論としていっていることは、少人数学級を考えるとき、これまで私が常々いっているように、生活集団と学習集団の違いをはっきり自覚した上で物を考えるべきだというのが結論でございます。 ○曽根委員 私は、先ほど各県の報告の中で学習効果というところを申し上げたわけです。この学習効果という点で、既に欧米なんかでは少人数指導では学力が伸びないということは既に実証されているんですよ。欧米では、六〇年代にこぞって、今東京でやっているような、到達度や能力別に学習させる、いわゆるトラッキングという教育に力を入れてきました。 しかし、八〇年ごろには効果が疑わしいとされて、その後二十年ほどすっかり下火になっているんです。その後に出てきたのが、競争させたり到達別に分けるんじゃなくて、少人数のクラスでグループで協同学習をさせる教育法です。 先ほども話題になりましたが、五年前の二〇〇〇年の、OECD、経済開発機構が三十二カ国の十五歳を対象に行った、読解リテラシーとか数学リテラシー、科学リテラシーなど、二十一世紀に必要な考える力を問う国際学力比較テストで、今でも能力別教育を進めているドイツやスイス、オーストリアなどが軒並み下位に転落して、トラッキングの敗北といわれました。断トツ、トップだったのは、グループによる協同学習を徹底して取り入れたフィンランドだったんです。欧米各国は今こぞって、この新たな教育の方向へと向かっているんです。 ちょうどそのときに、なぜか日本では急速にこの二〇〇一年から、この協力者会議の方針に基づいて、少人数学級ではなく、習熟度別指導が文科省によって推し進められた。しかし、五年たたずして、今全国で続々と習熟度別指導の行き詰まりと挫折が広がっているんですよ。 だからこそ国も、一昨年になって、少人数指導のための教員定数の加配を少人数学級に振りかえてもよいという通達を出さざるを得なかったじゃないですか。これを見れば、習熟度別少人数指導よりも、少人数学級の優位性は学習面においてももはや明確ではありませんか。もう一度お答えください。 ○横山教育長 非常に一面的な物の見方で、まず、後々議論するんでしょうけれども、今は学習効果の話ですね。そうですね。 ○曽根委員 もちろんです。 ○横山教育長 昨年の三月に、これは教育政策研究所、ここが少人数学級、ある学級における学習効果という面から調査がございまして、その結論的には、この調査結果から見れば、学級規模の縮小という点についての明確な有効性は認められず、学年教科や単元などに応じ習熟度別の少人数指導を取り入れるなど、臨機応変に指導方法を工夫していくことが有効ではないかと思われる、これが国の研究所の結論でございます。 ○曽根委員 教育長は本会議でもこの国の調査を持ち出して、学力の形成においては少人数指導が有効であるという結果が明らかになったというような主張をしましたが、とにかく自分に都合の良い部分だけを利用しているんじゃないですか。(発言する者あり)いや、違いますよ。 この国の調査は、まず前提があるわけですよ。 小学校の四年生、六年生の算数の二けたの割り算とか分数の割り算、こういう小さい部分的な単元についてのみ調査しているんです。それから中学校二年生の数学と英語のそれぞれやっぱり一部単元だけを短期間調査して、いろんなタイプ別のいわば調査をしたわけですよ。 しかし、こういう方法をやると、短期間の調査ですから、習熟度別指導方法で、例えばよくいわれている学力格差がグループ間で開いてしまうとか、子どもの間に差別感や無力感が生まれてしまうとか、それから非常に調整が難しい− −学年で同じ時間に同じ学科をやらなければなりませんから。そういう困難さがこの調査では全く反映されないんですよ。 しかも重大なのは、この調査では、少人数学級が一番効果があるといわれている小学校低学年をわざわざ調査対象から外しているんですよ、小学校の一、二年生を。つまり調査の前提自体が、習熟度別は弊害が出ないように、少人数学級は優位性が出ないように、最初から仕組まれている。 そういう中でも、この限られた部分調査の中でも、この判定の学力テストがありますね。これの平均点を比べればどうか。短期間の中ですけれども、四十人学級よりもほとんどの場合、少人数指導や少人数学級が平均点が高かったんです。つまり少人数の学習という効果は短期間でもはっきりこの調査であらわれた。 私がいっているのは、少人数指導、少人数学級をどちらが優位かといったときに、学校生活全体で今歓迎されているのはなぜかということですよ、全国で。 それは、習熟度別少人数指導というのは特定の教科だけしかやらないんですよ。ですから、ほかの教科は全部大人数の学級のままだったりするわけです。 しかし、少人数学級というのは、学校生活基礎単位、学級そのものが少人数化するわけですから、全教科にわたって学習効果が上がる。だから、歓迎されているんですよ。こういうことも、全然現場のことを考えないでいっているから、見えないんですよ、実態が。 教育長が期待されている生活面の方でも、これははっきりしているんですよ。 生活面での効果についてですが、少人数学級の優位性がもう既に明らかになっているということは、繰り返し本会議などでも私たちはいってきました。 それで、各県の調査でも、生活面の方も収録しておきましたので、幾つかピックアップしてみたいと思います。 北海道では、「学級内で活躍の場がふえ、自己認識のよい機会となった」。青森県「学級に落ち着きが感じられるようになった」。山形県「不登校児童数の減少、欠席日数の減少」。神奈川県「掃除や係活動などで一人一人が活躍できる場や機会が広がるので、自主性を育てるのに効果的である」。長野県「生活指導の面で心に悩みを抱える子どもたちにきめ細やかな対処を早目にすることができる」。富山県「あいさつ、手洗いを守ることなど、基本的な生活習慣の定着に向けて、家庭との連携をより密接に図りながら身につけさせることができるようになった」などなどですよ。 見てのとおり、どの県も、生活面でもやっぱり今までよりよくなったと、その効果を認めているじゃありませんか。 いつも教育長は、子どもの社会性を養うには四十人学級の規模が必要だとか繰り返していますけれども、少人数学級を実施した県では、子どもの社会性を育てる生活面でも、四十人学級より大きく改善されたと報告しているんですよ。 この明らかな成果を全国から、なぜ正面から受けとめて、学ぼうとしないんですか、教育長。 ○横山教育長 学級を考える場合、今先生の方から、やっと生活集団としての効果の話が出ましたが、今おっしゃった各県、多分それは教員からのアンケートだと思うんですね。 私どもがいつも学級について物を考える場合に、必ずしも教師と児童生徒−−この関係もそれは無論大事ですよ。し かし、児童生徒同士のかかわりの中でやっぱり成長していくという面が非常に私は強いと思います。例えば小学校、中学校でまさに生涯の友ができるとか、非常に私どもみずから経験しているわけですよ、小学校、中学校時代に。そういう両をなぜ強調しないのか。 極端にいえば、少なければ先生は日が届く、それはあり得るかもしれませんが、学級というのは仲よしクラブじゃないんですよ。教育をしている場で、したがって、学級が持つ機能というものを考えた上で、学級編制というのは政策的に決めるものだろうと私は思っております。 ○曽根委員 横山教育長の個人的考えは、それはそれで結構ですよ。私たちの調査でも、幾つかの県が人間関係の固定化を心配したり、それから切磋琢磨の機会が足りなくなるんじゃないかという心配があるということは、私たちの調査でも、ほかの調査項目で出てきているんです。 しかし、だからといって、少人数学級を、じゃ、やめようかという話ではなくて、例えば切磋琢磨や人間関係は小さくならないように、学年間や学年全体の交流の場をつくるとか、学校全体の交流の場をふやすとか、こういう形で解決できるというふうにいっているわけですよ。そうすれば、十分に解決できる。 つまり人数が少なくなる、三十人学級の場合は十五人の学級が出てくることがあり得ますね。しかし、こういう部分的な問題を理由にして、さんざん問題にして、今現実に四十人や、場合によっては四十人を超える学級で子どもたちが学んでいることの困難さ、このことを放置していい理由があるのかということですよ。あるわけないじゃないですか。 だからこそ、全国は少人数学級に踏み出しながら、そこで起きそうな問題、心配される問題は解決しているんです。 例えば十五人や十六人になってしまう三十人から三十五人の間の学級を−−単学級の場合ですよ。それは、例えば山梨県では、そこに先生は配置しますけれども、学級を二つに分けてもいいし、副担任でつけてもいい。どちらでも、その学校のその学級の子どもたちの状態を見て、学校で判断していいですよというところが結構あるんですよ。山梨県はそれでも八割方は学級を分ける方に先生を使っている。幾らでも解決の方法はあるんです、その間題は。 生活面でも、全国の経験では、やはり少人数学級の優位性は明らかなんですよ。 私は、先ほど横山教育長が二〇〇〇年の七次改善のための協力者会議の検討報告、これを持ち出したので、あえて申し上げますけれども、この検討会議の文書には、学級編制基準の弾力化というところにこう書いてありますね。「各都道府県教育委員会が定める具体的な学級編制の基準については、都道府県の政策判断によっては、教職員定数全体を活用して、例えば県内全ての学校について国の定める標準を下回る一律の学級編制基準とすること、小学校、中学校別や小学校の低学年と中高学年別、地域の実態等に応じて学級編制基準を定めること等も可能とする必要がある」と。 つまり、各都道府県で学級編制基準を四十人を下回る人数に改変することはできますよと。しかし、国が決める四十人の基準は、これは国が半分人件費を持たなきゃならないから、変えられませんよということをいっているわけでしょう。 そして私、この議事録も調べたんですよ。そうしたら、こういうふうにいっているんですね。 この第一回の協力者会議の議事録ですが、「三十人学級については何がしかの動きがある。これを実際に実施することになれば、膨大な財政負担を伴うこととなり、行政の立場からは、現下の財政状況では抱え切れないといわざるを得ない」と。 要するに金の話なんですよ、国の方は。人件費の負担を持たなきゃならない、四十人から三十人に国の方で改善すれば負担がかかる。しかし、都道府県は独自の判断でやってもいいですよと。 あなたがこれしか根拠がないというんだったら、まさに東京都は独白の根拠を何も持たずに、いまだに国のこれ(協力者会議報告)にしがみついている。 国は金が出せないからということで四十人をやっているだけじゃないですか。学級定数についての定説はないといっているじゃないですか。ほかに根拠があるというなら、いってくださいよ。 ○横山教育長 今いみじくもおっしゃったように、少人数学級が都道府県の判断で可能となるような法改正がなされました。都道府県の判断でですよ。私どもは教育効果という視点から考えて、四十人学級が生活集団としては妥当であろうと教育委員会で議論し、判断をしたわけです。都道府県としての判断をしたわけです。 ただし、先ほど来訪があったように、学習集団としては、現実に理解度に非常に差がある以上、やはり今の理解度が非常に混在した一体の学級よりは、習熟度別で分ける方がはるかに基礎基本の走者が図られる。現にこれは図られているわけですから。そういうふうに教育枠を分けた上で、都道府県、東京都独自の判断としてやっているということでございます。 ○曽根理事 東京都がやっている習熟度別指導についても、欧米でも、日本の中でも行き詰まっていて、だからこそ、そのための定数を小学校を少人数学級に撮りかえさせてほしいという各県からの要請があって、結局は文科省は認めたじゃないですか。それで一気に広がって、あと二つしか残っていないんですよ。生活面だって、先ほど申し上げたとおりですよ。 それで、結局は、その根拠は根本的に何かと問えば、横山さんの個人的な教育観と、あとは国の基準しかないじゃないですか。東京都が、それじゃ国と別に、独自の基準があるんですか。ないんでしょう。全然出てこないじゃないですか。私そんな答えにならない話ばかりじや、とんでもないことだと思いますよ。 大体、石原知事もこの三十人学級には大変否定的で、そして、都教委の判断が妥当だといってこられました。 しかも、知事は先日の本会議で、三十人学級を求める都民の願いを取り上げた我が党の質問に対して、これは共産党のごくごく限られた支持者の意見であると述べています。とんでもありません。 三十人学級を含めた行き届いた教育を求める署名は毎年届けられて、昨年十二月も、百二十万人の署名が積み上げられているんです。知事はそんなことも知らないんでしょうか。 行政からだって、声が上がっています。多摩市長会の十七年度予算への要望は、「国の学級編制の弾力化を踏まえ、少人数の学級編制が可能となるよう、一学級四十人という東京都の学級編制基準の見直しを図られたい、また、そのための財政負担の拡大を国に対して働きかけられたい」というものです。 小学校校長会も、昨年、「一、二年生一学級内児童定数を、都として三十人程度にしていただきたい」との要望を出しました。 知事、これでも三十人学級を求める声がごく一部だといい張るんでしょうか。ちゃんと答えていただきたい。 ○石原知事 まず、あなたがしきりに引用されるアンケートなるものが、その対象が教員に限ってのものだったら、これは全然問題にならないと思います。もっと複合的、重層的な方々を対象にしたアンケートをもって引いていただきたい。 それから、さきの本会議においても答弁しましたとおり、学級編制基準をどう決めるかは、横山教育長が申しましたとおり、あくまでもこれは要するに教育委員会の責任、判断によるものであります。あなたは何か横山教育長の独断のようにいいましたけれども、東京都は幸いにして、このところにきて非常に優秀な、重層的な教育委員をそろえることができました。あなたがその教育委員会の判断というものを是とされないなら、やっぱりその教育委員に対するあなたの否定でしょうけれども、私は大変いい顔ぶれがそろって、しかも、(「知事のお気に入りだから」と発言する者あり)うるさいな、黙ってろ。中教委で今一番マークされているのは、東京都の教育委員会を代表する横山教育長なんですよ。あなたはやっばりそういうインサイドの情報というものをご存じないから。 それから、申し上げたいことはたくさんありますけれども、これはあなたに村する回答にかわるかどうかわからないが、私は日本の−−主にあなたが論じられたのは小学校です。小学校、中学校という教育課程、義務教育の課程で本質的に間違いがあると思う。それは、この段階では徹底した詰め込み教育をしなきゃだめなんです。そして、感性ができ、情念が育っていく高校の段階で、もっと選択の幅のあるカリキュラムを組まなきゃだめなんですよ。 あなたはしきりに子どもの差別感、無力感といいますけれども、大体都教組で最後はゴールインする前にみんなで手をつながせて入る‥こういうばかなことをやっている教育というのは世界じゅうないんです。 徹底した詰め込み教育というのは、私も体験がありますけれども、ある詔勅が出たら、とにかくその暗記を強いられた。それから天皇の名前も、神武から始まって非常に暗記を強いられた。しかし、そういうむだなようで一つのノルマというのを課されることは、生徒の数が多ければ多いほど、要するに相対感が出てくるんです。そこで、やっぱり自分はこれには劣るけれども、これには努力しよう、そういう競争意識が出てくるので、(発言する者あり)大事な答えをしているんだよ。人のいうことを聞きなさいよ。(曽根委員「じゃ、答えてくださいよ。共産党の支持者だけの声なのかと聞いているんですよ」と呼ぶ)そうですよ。 ○曽根委員 知事の、あくまでそういう認識だというなら、あえて申し上げますけれども、これは東京の都議会以外では超党派で進められていることなんですよ。私、全国の道府県議会で各党の議員さんが少人数学級について何を主張しているかを調べてみました。 例えば福島県議会では、自民党の議員さんが、小学校一年から三年まで、三十人学級を実施するのに≡十億円かかるという答弁を聞いて、その上で、再質問でこう述べています。「県はことしも一兆円以上の予算規模です。小泉内閣でも米百俵、長岡藩の話も出たとおり、教育には骨太の予算編成でも使ってよろしいのではないか。失礼ないい方ですが、たかだか三十億なら、全員三十人学級でもよろしいんではないかと私は思います」、こういうふうにいっています。 大阪では公明党の議員さんが、「子ども一人一人に注目し」(発言する者あり)こういっているんですよ。「画一的な知識の切り売りではなく、子どもたちの知恵をはぐくみ、個性を伸ばす教育のためには、少人数学級の実現に向けた取り組みが欠かせません」と述べて、人件費が府の負担になることについても、「教育が国家百年の大計であるといわれるように、次代を担う子どもたちこそが宝であることを考えると、本府においても、小学校でより少人数の学級編制を本格導入する時期が来ている」と訴えているんです。 北海道議会では、民主党の議員さんが「来年度から少人数学級を本格的に導入しようとする道教委の姿勢は変革の一歩として評価できるものであり、今後の充実拡大に大いに期待を寄せるものであります」と述べているんですよ。 (発言する者あり)そういう野次を入れていますけれども、東京だって、どうなんですか。 公明党は、九八年の二十一世紀東京改革プランで、一学級四十人編制を早期に二十五・三十人体制へ改善を行いますと、公約しているんじゃありませんか。 民主党も(発言する者あり)そんなことないですよ。民主党は、昨年の参議院選挙のマニフェストに入っているじゃありませんか。前回の都議選の東京政策でも、小学校において、個に応じたきめ細かい教育を推進するため、三十人学級、複数担任制の完全実施に向け取り組みますと・・・。どうして公約を守らないんですか。 知事、聞いてくださいよ。私、ぜひこの機会に、大阪府の太田房江知事のことを紹介したいんです。太田房江知事は議会でこういうふうにいっています。「子どもたちに生きる力、とりわけ学習習慣の定着を図って、確かな学力をつけさせたい、これは府民の切実な願いであると選挙を通じてひしひしと感じ」たとしながら、「特定の教科での少人数指導の充実に努めてきたけれども、とりわけ低学年では生活集団と学習集団を一致させて、学級の機能を生かした少人数でのきめ細かな指導が有効であるということが明らかになってきた。」こういうことから、少人数学級の導入を決断したと答えているんです。 知事、この全国の取り組み、そして東京でも、もうこれは都民の大きな世論である少人数学級を、東京の子どもたちのために今こそ知事が決断すべきときじゃないでしょうか。もう一度お答えいただきたい。 ○石原知事 私は太田さんと同じ姿勢で、東京の教育委員会を支持いたします。 ○曽根委員 本当に都の教育委員会は支持されるんでしょうけれども、郡民だとか教育現場の声とか全国の努力とかは全く見ようとも聞こうともしない、とんでもない姿勢ですよ。この時代に、知事こそが時代おくれの守旧派じゃないですか。全国に広がっているんですよ、もう。 私は、いまこそ都議会が、ちゃんとしたチェック機能を果たして、三十人学級実現の扉を開く必要があると、知事がこういう状態ですから、このことを強く申し述べまして、次の質問に移りたいと思います。 ●次に、日の丸・君が代の強制問題についてです。 ことしも全都の学校で卒業式、入学式の時期を迎えました。本来、卒業式は、子どもたちがそれぞれの教育課程を修了し、上の学校に進学したり、社会に巣立っていく、そのことを心から祝福する場であります。また、入学式は、これから新しい学校生晴を迎える子どもたちを祝福し、有意義な学校生活をスタートさせてもらうという、とても大切な場です。 そして、各学校では、これらの入学式、卒業式は、子どもたちの出発、巣立ちにふさわしいものとなるように、先生方や父母の方々が力を合わせて、創意と工夫を重ねることで、生徒を主役にした入学式、卒業式が営まれてきました。 ところが、この数年来、都教委の指導のもとに、この卒業式や入学式において、日の丸や君が代の強制が行われるようになり、生徒が主役の座から引きずりおろされるような事態が頻繁に起きています。それは、この日の丸の掲揚や君が代の斉唱が、生徒や学校現場、多くの父母の要望から出発したのではなく、文部科学省や都教委の押しつけから始まっていることに原因しています。 とりわけ、一昨年十月に都教委が出した通達、そして実施指針は、卒業式や入学式で日の丸を正面に掲げ、生徒や教員をその正面向きに全員座らせること、さらには起立、斉唱の仕方まで事細かに指示するもので、それまでは学校の創意工夫で行われてきた行事が部数委の管理下に置かれることになったのです。 そして、校長が個別職務命令を出して、指針どおりの式典が行われなければ教員を処分するという事態まで至りました。そのため、卒業生と在校生が対面する方式は、国旗に正面を向くことにならないため、禁止されたり、生徒が作成した卒業制作についても、国旗が掲げられないという理由で正面に飾ることを禁止するなどが各地でおきました。 養護学校では、フロア形式の卒業証書の授与が儀式的行事にふさわしくないということで、壇上方式に切りかえさせられました。そのため、スロープがわざわざつくられ、障害をもった生徒が壇上に行くために、長いスロープを登らされる、補装具をつければ自力で歩ける訓練をしていた子どもも車いすに乗せられるということまで、いや応なしに行われました。 しかも、都教委は、卒業式が実施指針どおりにやられているかどうかを調べるために、当日の日の丸の位置や君が代の斉唱状況を監視したり、保護者の起立状況まで調べていたんです。 このような異常きわまりないやり方に対して、父母や学校関係者、生徒、事態を憂えた都民から一斉に批判の声が上げられるのは当然のなりゆきでした。 マスコミの世論調査では、昨年七月、東京新聞が君が代斉唱時の起立を教職者に義務づけた都教委の通達の是非について調査したところ、行き過ぎだ、義務づけるべきでないと否定的に答えた人が七割に達しました。 また、ある新聞は、学校や生徒には自主性を求めながら、国旗・国歌を押しつける。文科省が進めている方針は自己矛盾に満ちている。締めつけを強めるようなことは中止すべきだと指摘しました。 私は知事に伺いますが、保護者や生徒から次のような声が相次いでいます。 「祝福を受けるべき門出の日に恩師を処分してまで国旗や国歌への統一された態度を指導してくる国に、私たちの子どもたちは親しみや愛情を持てるのでしょうか」「ただ服従を強いるような人権感覚のない教育を認めることはできません」「生徒を主人公とする卒業式や入学式を工夫を凝らしてつくつてきた学校が、処分をちらつかせた強制のもとにつぶされていく現状を憂えずにはいられません」「卒業式はだれのためにあるのか」「強制はやめてほしい」 知事、こういう保護者や生徒の声をどう受けとめますか。 ○横山教育長 今、いろんな声の紹介がございましたが、私どもの方には、例えば盲・ろう・養護学校の卒業式については、ああいう巌粛な卒業式をやっていただいて、本当に感激したという、そういう多くの声も寄せられております。特に、卒業式あるいは入学式における国旗・国歌を掲揚した厳粛な式というものを初めて見た、高等学校において、こんな声もかなり寄せられております。 余りにも一方的な声ばかり紹介されると、やっぱり私どもとしては心外でございます。 〔発言する者あり〕 ○曽根委員 数育長、とんでもない認識ですよ。通達でがんじがらめに縛っていることに対して、みんな怒っているんです。あなたがいうように、本当にそれが感動的なものになるんだったら、自主的に学校の判断に任せればいいことじゃないですか。それを一律に全部上から決めていくから、大問題になっているんですよ。 大体、知事は、昨年十一月八日の「報道ステーション」で、国旗・国歌の扱いについて、どこの国だって自由に任せてやっていませんよとおっしゃいましたが、これは認識違いなんです。イギリスでは、国旗の掲揚も国歌の斉唱も行われていませんし、アメリカでは、国旗への敬礼を子どもに強制することは、信教の自由を保障した合衆国憲法に違反するという最高裁の判決が出されています。このほかにも、日本と同じ第二次大戦で敗戦国であるドイツでは、国歌は入学式や卒業式のような機会にも通常演奏されていませんし、カナダでは学校の判断に任されています。 ここから見ても、東京都が進めている日の丸・君が代の強制というのは、世界の中でも異常なんです。だから、多くの都民が事態を憂えて、批判の声を上げているわけじゃありませんか。日本の中でも、東京都のように、大量の処分までやって押しつけようとする自治体はまだありませんよ。 知事、チューリヒの日本人学校の卒業生の保護者の方から、こういう手紙が来ています。「海外で生活していて、スイスに限らず、私たちが実際に経験した限りにおいて、その国の国旗や国歌を強制されるということは一度もありませんでした。」「都立学校でこのような強制が行われているということは、グローバルに活躍する人材を育てる二十一世紀の教育にふさわしくありません」と。 入学式や卒業式での国旗掲揚及び国歌斉唱の実施を求めた通達及び実施指針は撤回すべきじゃないかと思いますが、知事、どうですか、見解を述べてください。 〔横山教育長発言を求む〕 ○曽根委員 知事、ぜひ。逃げるんですか。 ○横山教育長 何といいますか、入学式、卒業式で、東京都が独断で勝手な解釈をし、やっているようなことをいっていますが、学習指導要領というのに基づいて公教育は行われているわけで、その学習指導要領の中で、卒業式、入学式については、こう明確に書いてあるわけです。その卒業式において、その意義を踏まえ、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする、こう明記されているわけです。ましてや、この学習指導要領というのは、判例的にも法規性を有する。ということは、私どもは、公立の学校において、この学習指導要領に基づいて教育がなされることを指導する責務を負っているんです、私どもは。 現実に、これまでの歴史の中で、そういう方針を示さなかったがゆえに、いろいろの学校で混乱が起こった。その混乱を正常化するために通達を出したわけで、決してこれは強制でも何でもなくて、少なくとも学校教育の正常化へ向けた取り組みの一環にすぎないわけでございます。 ○曽根委員 教育長は強制は行われていないといいますが、実際には強制されているんですよ。国旗・国歌の尊重の仕方というのは、一人一人のやり方があります。事細かな規定でがんじがらめにするということは、民主主義国家にあってはならないことです。 一つは、教師としての義務ということを今おっしゃいましたが、そもそも日本の国旗・国歌に日の丸・君が代を制定するに当たっては、賛否両論、大変な議論がありました。天皇のために死ねといわれて戦地に行き、たくさんの人が戦死したんです。その忌まわしい記憶がまだ日の丸・君が代と結びついている人がたくさんいるわけですよ。だからこそ、国旗・国歌の制定に当たって、当時の小渕首相は衆議院の本会議で、義務づけを行うことは考えておらず、国民の生活に何ら影響や変化が生じることにならないと明確に答弁しているんです。 ここに、法制定当時の衆議院文教委員会での質疑の議事録があります。質問は我が党の石井郁子議員が行ったもので、答弁は当時の有馬文部大臣が行っているものです。文部大臣はこういっています。 「その人に、本当に内心の自由で嫌だといっていることを無理やりにする、口をこじあけてでもやるとかよく話がありますが、それは子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても、無理やりに口をこじあける、これは許されないと思う」というふうに答えています。 つまり、教員に対して強制を、個人の内心の自由まで侵して、教員に対して斉唱することを、口をこじあけるようなやり方で強制することはやってはいけないというふうに大臣は明確に答弁しているんです。 この大臣答弁というのは、法制定のときに行われたもので、法律に準ずる力を持っているはずです。都教委はこれを当然守る義務がありますよね。 ○横山教育長 強制、強制というのは、例えば、責務のない方に実施を強要することは強制でしょう。責務があるんですよ、教員には。その責務のある教員に対して、学習指導要領に基づいて責務を果たしていただきたいと申し上げているだけでございます。 ○曽根委員 私の聞いていることにちゃんと答えてほしいんですが、大臣は、教員に対しても、無理やり口をこじあける、これは許されないとまでいっているんですよ。 だって、立って歌わなければ処分ですよ。それで、三回処分になったら大変なことになるとなっているわけでしょう。そこまでやるということは、まさに口をこじあけることじゃないですか。これが強制でなくて何なんですか。大臣答弁を踏み破るということなんですか、都教委は。どうなんですか。 ○横山教育長 私どもは教員に対して、当然、公教育に携わる教員に対して、学習指導要領に基づいた学習指導をしてほしいと、こういっているだけでございます。 ○曽根委員 大臣答弁は、じゃ、守るということですね。 ○横山教育長 記憶は定かではございませんが、有馬大臣が、そういう学習指導要領に違反する教員の行為については、当然処分の対象となるということもおっしゃっているはずでございます。 ○曽根委員 教員に対して、学習指導要領で国旗・国歌の指導について、それは指導要領の中に規定があるのは事実です。しかし、私が申し上げているのは、日の丸・君が代については、戦前の忌まわしい体験や、肉親が受けた被災体験など、どうしても歌えない、伴奏できないという先生もいるんですよ。その人たちに内心の自由まで踏みにじって強制すること、処分するというようなことがあってはならないと。これは大臣答弁を踏まえれば、あってはならないことなんですよ。このことを申し上げておきたいと思うんです。 ○横山教育長 主義主張に基づいて卒業式においてピアノ伴奏を拒否した教員がおられまして、これに対して職務命令違反で処分をいたしました。これにつきまして、処分が妥当である、正当であるという判決がおりておりますので…。 ○曽根委員 裁判で闘って、判決で出たからといって、じゃあ憲法の内心の自由、十九条が踏み破られていいことにはならないんですよ。(発言する者あり)教員といえども、一人の個人としての内心の自由は断固として守られるべきだ。憲法の内心の自由というのは、絶対的な権利として憲法解釈でも確定しているんです。こういうことを改めて申し上げておきますよ。 それから、さらに重大なことがあるんですが、都教委が、先生に対する指導という名をかりて、子どもたちにまで日の丸・君が代を強制している問題なんです。 実際に、生徒が歌わなかったのは先生の指導不足だとして、厳重注意などの処分が行われました。また、歌わないと先生が処分されるからと校長先生にいわれて、本心に反して起立したという学校もあります。 これは明らかに、憲法が保障する内心の自由の侵害に当たるものです。だからこそ、朝日新聞などは、好きな先生が処分されるなら、生徒は立ちたくなくても立つと思う、でも、そこまでして立たせたいのかという厳しい批判の声を載せたではありませんか。 生徒自身が自分の考えで起立しなかったり歌わなかったりした場合、先生は指導責任や結果責任を問われているんじゃないですか。そういうことはやらない、やっていないといえますか。 ○横山教育長 今、事実の誤認がございますので…。 子どもたちが卒業式で起立をしなかったがゆえをもって教員を処分したことはございません。ただ、これは多分、板橋高校の例だと思いますが、例えば、卒業式であるクラスのほとんどの子が立たない、起立をしない、私はこれは異常だと思いますよ。例えば、一人二人の子どもがいろんな理由で立たない、これは当然あり得ると思います。 ただ、ほとんどが、少なくとも昨年まで立っていた学校で、当該年度になってあるクラスの子どもがほとんど立たない、これは私は異常だと思うし、一方で、教員には国旗・国歌について指導する責務がございますので、だから、教員に対して、どうなっているんだという指導をしただけなんです。処分はいたしておりません。 ○曽根委員 それじゃ、教育長は、生徒が立たなかったことをもって、教員を、結果責任を問うて処分することはしないということですね、厳重注意などの。立たなかったことをもって処分するというようなことはしないと。どうなんですか、そこをはっきりいってください。 ○横山教育長 子どもたちが起立をしなかった理由によるんじゃないでしょうか。たとえば、教師が明らかに自分の意図に基づいて国旗・国歌をないがしろにする教育をした結果、そうなったら、やはりこれは問題だと思いますよ。 ○曽根委員 その子どもたちが建たなかった問題について、都教委が学校に踏み込んで調査したり、そして結局は、都教委が教育委員会が入って行って、教員の側に指導の問題があったとなれば、結果責任を問う。こういうあなた方の考え方は、全く異常です。(発言するものあり) 大体、そうやって教員の処分を振りかざして、歌いたくない子どもたちまで無理やり歌わせるばかりか、今、それがもっとエスカレートして、町田市では、ほかの歌と 同じ声量で歌うように通達まで出ているんですよ。町田の市教委ですけれども。 例えばお聞きしますけれども、町田の市教委の、君が代をほかの歌と同じ声量までちゃんと指導するようにという通達が出ているんですが、これについては適切だと言えるんですか。 ○横山教育長 確かに、町田市教育委員会が平成16年12月に、卒業式、入学式において児童生徒が国歌を他の式歌と同じ声量で歌うことができるよう指導する旨の通知を出したことは承知いたしております。 このことは、町田市における卒業式、入学式を学習指導要領に基づき、適正に実施することを求めたものでございまして、町田市教育委員会の対応に何ら問題はないと考えております。 特にこれは、市議会のやり取りでしょうが、三月十日の新聞に、町田市教委の山田教育長の談話と言うか、答弁が載っておりますが、式の実態を見ても、指導が十分にされていないということで通知を出した。この思いは私は十分理解できます。 ○曽根委員 都教委が、町田の市教委の、この声量まで指導の中身に加えてくるという通達を当然のものということになると、国旗・国歌の指導について、どの程度の大きさで歌うということまで指導の中に入ってくるということになりますよ。 子どもが歌う、歌わないというのは、これは強制はできないというのは、国会答弁に出ていますよね。で、昨年、一昨年、私も文教委員会で確認しました。しかし、歌いたくない子どもにも、ほかの歌と同じ程度の声量で歌うまで指導しろと、教員を指導させるという、そこに目標を持たせるということになれば、まさに口をこじあけさせるということになるんですよ。(「ならないよ」と呼び、その他発言する者あり)そうじゃないですか。 そして、それが指導できなかったら、教員は指導力不足ということになるでしょう。違いますか。 ○横山教育長 どうしてそこまで深く物を考えて見なければいけないのか、私にはちょっと理解できませんが、多分、町田市の教育長の心情をおもんばかれぼ、歌うなら大きな声で歌いなさいよと、そういうことだろうと思っています。 ○曽根委員 何か普通のことのようにいっていますが、とんでもありませんよ。この短期間の間に物すごいエスカレートしたんですよ。もともとは、国旗・国歌を学校で扱うことは学校の判断でできました。しかし、これが一律にやるようになった、やらせられるようになった。次は、国旗、日の丸を正面に掲げるとか、全員それに向かって座れとか、形が締め上げられた。それから今度は、教員が立って歌わないと処分になると。次は、教員だけじゃない、生徒が立って歌わないと教員の方に指導が行く。そして今度は、個別職務命令で、生徒に国旗・国歌をきちんと指導しないと職務命令違反になって、今度は指導だけじゃなくて、処分が来るというふうに、どんどんどんどんエスカレートしているじゃないですか。 この内心の自由を、まさに生徒の内心の自由を踏みにじるという無法がまかり通るようになってしまうんですよ、このままでは。 大体、知事は、あなたが守るべき憲法を守らないという態度をとっておいて、そのもとで、都教委が一片の通達を、それも私にいわせれば憲法違反の通達を至上のものとして押しつける、これは都政のゆがみのきわみですよ。 国会の文教委員会で、政府委員は、最終的に子どもたちがその指導をどう受けとめるのかということは、これは教育の結果の問題でございますので、そこまで学習指導要領は義務づけておりませんと明確に答えているんです。 しかも、知事も、昨年十一月八日のテレビ朝日の「報道ステーション」で、「先生は少なくとも指導するの、強制じゃないよ、そういう指導をしてくださいっていう通達をしているわけだから」と指導の必要性をいった上で、「生徒がそれに従うか従わないかは別だ」と、「生徒が座っているのは勝手ですよ」と見解を述べています。そうですよね、知事。 子どもたちの心の中まで踏み込んでとやかくいうことは、何人も行ってはならないということですよね。知事、これは確認してください。 ○石原知事 しかし、国歌斉唱のときに座っている生徒を立たして国歌を歌わせるというのは、やっぱり教員としての大事な指導だと私は思います。 ○曽根委員 私が確認したいのは、生徒が座っているのは勝手ですよと。先生が説得しても、最終的に生徒がそこで座って、歌いませんといったときには、それは生徒の最終的な、その生徒自身の内心の自由ですから、これは侵せませんよね。勝手ですよね、これは。つまり、自由ですよ。どうですか。 ○石原知事 しかし、教育の過程で、その生徒の、要するに、それは内心による選択であろうと、やっぱりそれを立たしめる、立たせて歌わせるということで、彼は新しく得ているものがあるでしょう。 それを指導するのがやっぱり教員の責任じゃないですか。 ○曽根委員 やっぱり本音が出たといわざるを得ませんよ。(石原知事「本音だよ」と呼ぶ)だから、本音が出たといっているんですよ。 つまり、生徒が歌わないというのは勝手ですよ、という時点から、もう既に、生徒が歌うまでとにかく指導しろという形で、先生も生徒も強制しているんですよ、これは。知事や教育長がどういいわけしようと、都が生徒の内心の自由を踏みにじっていることば明白な事実です、これは。憲法も踏みにじるものです。これは直ちに改めるべきですよ。 もう一つ、生徒たちが日の丸・君が代の問題について、いわば正しい認識を持つということの問題についてなんですけど、都教委は、日の丸・君が代の意義について指導することの必要性を繰り返し今もいわれましたが、しかし、先ほども述べたように、そもそも日の丸・君が代の法制化に当たっては、国が強制しないことを国民に約束した背景には、この間題で国民の中に根深い不一致があったからにほかなりません。それは、日の丸・君が代が、戦争や戦前の専制的な支配と深く結びついていたことだとか、このことの反省なしに、今、日の丸・君が代の復権が進められていること、 さらには、この君が代の歌詞に少なくない国民が疑義を感じていたからにほかならないわけです。 国旗・国歌を学ぶ場合、大事なことは、この日の丸・君が代が制定された経過や、国会で義務づけをしないという首相答弁があったことなどを事実としてきちんと学ぶ、そして、憲法が定める内心の自由が深くかかわっていることを正しく学習することは、私は重要なことだと思いますが、いかがですか。 ○横山教育長 学習指導要領に、私は当然だと思うんですが、国旗・国歌に対して正しい認識を持たせ−−これは国旗・国歌法で定められた国歌であり国旗ですからね。だから、これに対して、国旗を尊重する態度を育てる、これが教師が指導すべき内容になっているわけです。 だから、私は、こういう国旗・国歌を尊重する態度が、やっぱり国際社会の中で生きていく日本国民として、我が国の国旗二凶歌、それとともに諸外国の国旗・国歌に対する正しい認識とそれらを尊重する態度を育てることは、極めて重要であると思っています。 ○曽根委員 諸外国の国旗・国歌も我が国の国旗・国歌も正しい認識を持つと。それは、国旗・国歌の制定に関して、やはり一方のいい分だけに沿った歴史観、認識だけではなく、どういう議論があったのか、なぜそのとき政府が強制しないと約束をしたのか、こういうことも含めて、そして、これは最終的には憲法の内心の自由にかかわっているものなんだと教えるのは当然のことだと思うんです。 私、この春卒業されるある都立高校の生徒さんからメールをいただきまして、卒業式で強制が行われないようにしてほしいという訴えがありました。で、お話を開いたんですが、彼は全く自分で、一緒に卒業する仲間二十一人に、今度の卒業式での、国旗、国歌の斉唱−−国歌斉唱についてどう思うかということを聞いてみたんだそうです。そうしたら、二十一人中、十五名が回答してくれたと。そして、起立、斉唱するというのが六人、起立のみするが歌わないというのが四人、着席のままで貫くというのが二人、その他状況を見るというのが一人、どちらでもいいというのが二人と。 今の卒業生の一つの断面ですよ。 で、その立って歌うという人の理由の中には、戦時中、愛国心に燃えて戦った方々の志を少しでも受け継げたらと思うとか、そういう生徒もいます。それはそれぞれの考えがあるわけですよ。サッカーの試合でも、自分たちのチームを応援するためにも、一つにまとまるために国歌は大切だと思うという人もいます。 しかし、それよりもはるかに多くの生徒さんが、歌詞の内容に同意できないと。それから、教育委員会の半強制的なやり方に同意できない。また、国歌を歌わないことが他人に害を与えるとは思えないと。先生に迷惑をかけないために起立はするが、天皇を崇拝するのはおかしい。君が代の歌詞の中身についていっているんだと思うんです。というふうに、それぞれが考えて、こういうそれぞれの考え方を持つわけです。 私は、間もなく卒業を迎える高校生が、このように一人一人が個としての成長の中で考えを持つというのは当然だし、むしろ喜ばしいことだと思うんです。一人一人が自分の考えを持つことはね。それを否定したら教育じゃありませんよ、これは。 しかし、その中で絶対に許してならないのは、先生が処分されるから立たざるを得ないとか、こういう生徒の心の中に圧迫や傷を残すことは絶対にあってはならない、教育では。 このことが現実にいっぱい行われているから、私はいっているんですが、子どもたちに、生徒たちに−−このことだけはいってくれと彼からいわれたんですが、その先生たちを、生徒が行った不起立や斉唱しないということを理由に先生を処分しないでほしい、厳重注意とか、そういう指導をしないでほしいというふうにいっていました。どうですか。 ○横山教育長 今、子どもたちの、数人の子どもたちの心情といいますか、それをご披露いただきましたけれども、その子どもたちのまさにそれは内心ですよね。内心ですよ。だから、その内心について私どもはとやかくいうつもりは全くございません。 それで特に、処分といいますが、子どもたちが立たないことによって、そのゆえをもって処分したことはないんですよ、それは。ただ、やっぱり普通の常識からいって異常な事態が起これば、これは何だろうと思うのは当然じゃないでしょうか。したがって、その先生たちが国旗・国歌についてどういう指導をされているのかトその事情を聞く、あるいはそれは校長が指導する、当然のことだと思っています。 ○曽根委員 先生がどういう指導を卒業生の人たちにしたのか、その中に踏み込んで調査すること自体が重大な問題ですよ。しかも、先生が、君たちが立って歌うか歌わないかは内心の自由の問題であり、憲法上の権利の問題なんだというふうに教えることだって、これは憲法を教えているのにもかかわらず、国旗・国歌を正しく指導しなかったといって、憲法を教えること自体が制限される危険があるからこそ、私はいっているんですよ。 こんなことは教育の場にあってならないんですよ。 大体、卒業式、入学式は、本当に子どもたちの成長を願って、成長を祝って、その前途を祝福すべき式典であり、そのことを台なしにしてしまうような、こういう日の丸・君が代の強制はやめさせるために、また、憲法が保障する内心の自由を守るために、私たちは全力を尽くすことを改めて申し述べておきたいと思います。 ●次に、福祉の拡充について、ぜひ提案したいと思うんです。 まず、深刻な少子化克服に向けた経済的支援の強化、中でも乳幼児医療費助成の所得制限の撤廃及び小中学生の医療費無料化について提案をいたします。 合計特殊出生率を九三年の一・六五から一・九まで回復させたフランスでは、家族担当大臣が、若いカップルの二組に一組は、もう一人子どもが欲しいと考えており、その望みをかなえるよう手助けするのが国家の責任ですと発言しています。子育てに国が援助するのは当然だという思想が根づいております。その中で、二十種類に及ぶきめ細かな公的手当が位置づけられています。 具体的には、妊娠七カ月で十万円以上の出産手当、誕生から三歳までは育児基本手当として月二万円余り、親が仕事を続けるか、一部休むか、全部休むかで金額が異なる加算手当が最高で月四万七千円ほど支給されます。十人歳までの学齢期の子どもには、毎年三万三千円程度の新学年手当、さらに、子どもが二人以上の場合は、二十歳になるまで、子どもの数に応じた家族手当があります。フランスでは、子育てにかかわる財政支出は、GDP比で公共事業費とほぼ同じ二・九%が支出されています。 これに対し日本は、公共事業費の十分の一の〇・六%という余りにもお粗末な状況です。国の姿勢を転換することが必要ですが、全国一少子化が深刻で、しかも住宅費など物価が高く、生活しづらいという東京の特性を考えれば、東京都が率先して支援を思い切って強めることが必要です。 知事は、昨年末の第四回定例会で、私の代表質問に対して、フランスはかなり思い切った金銭的なインセンティブを与えている、これは非常にサジュステイブだと答弁されました。直ちに具体化に踏み出していただきたいと思うんです。 経済的支援で都民の要望が非常に高いのは、何といっても子どもへの医療費助成です。我が党は七〇年代から一貫してこの間題に取り組んで、四度にわたって条例提案もやりました。九四年一月から乳幼児医療費助成が始まりましたが、さらに対象年齢が段階的に拡大されて、二〇〇一年十月に小学校入学前まで広がりました。二〇〇三年十二月の第四回定例会の私の代表質問以来、小学生さらに中学生の医療費無料化に踏み出すことを、私たち何度も提案してきました。 区部は既に、二十三区すべてが所得制限を撤廃しています。さらに、港区、品川区、私のおります北区、台東区を初め、東京歯科保険医協会の調査では、八区が小学生や中学生までの医療費助成に踏み出しつつあります。多摩の各自治体でも、悲願である所得制限撤廃に向けた努力が進んでいます。 自治体独自の努力で二十三区で次々始まっている、小学生、中学生の医療費無料化の意義についてどう考えておられるのか。子育て支援、次世代育成支援の拡充にとって非常にこのことは重要だと思いますが、小中の医療費無料化の意義について質問いたします。 ○幸田福祉保健局長 医療費助成の件でございますけれども、各自治体独自の医療費助成は、事業の実施主体であります各区市町村が、それぞれの地域の実情等を勘案しながら、独自の判断で対応していると理解しております。 また、東京都の乳幼児医療費助成制度は、子育てを支援する福祉施策の一環として、区市町村に対し都が補助を行っているものでありまして、対象年齢については、義務教育就学前まで段階的に拡大してきたところでございます。 子どもの年齢階層別の医療機関に受診した割合を見ますと、義務教育就学前の子どもたちは他の年齢層に比べて高いことからも、現在の対象年齢は適切なものであると認識をしております。 ○曽根委 今のような答弁では、東京都が本気になって、子育て支援、次世代育成支援の拡充に取り組む気があるのかということになります。 アレルギーとかアトピーの子どもは急増しています。長期にわたる継続的な治療が必要なだけに、小学校に入ってからの医療費の負担に苦しんでいるんです。歯科の医療費がかかるのはほとんど小学生です。小学生や中学生の医療費無料化というのは、子育て支援、次世代育成支援に取り組む自治体の姿勢をはっきり示すメッセージとなっておりまして、実施しているところでは住民から歓迎されております。 都は、今月中に東京都次世代育成支援計画をまとめることになっておりますが、乳幼児医療費助成の一層の拡充に踏み出すのは、このときをおいてほかにありません。ことし十月から、あるいはせめて二〇〇六年度から、小学生、中学生の医療費無料化に踏み出していただきたいと思いますが、答弁を求めます。 ○幸田福祉保健局長 都はこれまでも、少子化対策や子育て支援の一環として、乳幼児医療費助成制度について、対象年齢の拡大や所得制限の穏和を行ってきたところでございます。この結果、現在の対象年齢は義務教育就学前までとなっているわけでございまして、この年齢層の医療機関への受診状況は、人口十万対で見ますと、推計患者数である外来受療率、これで見ますと、十四年十月の調査では、ゼロ歳から四歳までの場合五千二十九人、これに対して五歳以降の受療率の状況は、五歳から九歳まででございますけれども、三千八百五十八人でございまして、五歳から四十九歳までと比較いたしますと、二、三千人台で推移をしております。 小中学校では、学校保健法に基づきまして、定期健康診断の実施や保健室の設置が義務づけられており、学校における体制が確立していることなどを踏まえますと、年齢制限を義務教育就学前までとするのは適切ではなかろうかと考えております。 こうしたことから、現在の対象年齢をさらに拡大する考えは持っておりません。 ○曽根委員 いろいろいったあげくに、やる気がないということですか。 今、都内の医療機関に、港区、台東区、品川区では、こういうポスターが、四月から小学生以上の医療費助成を開始しますという、このポスターが張られています。この流れは今後さらに加速することは間違いありません。 小中学生の医療費無料化についてぜひ前向きに検討していただきたい。乳幼児医療費助成の所得制限撤廃に踏み出すこととあわせて、強く求めておきたいと思います。 次に、保育の拡充についてですが、都が推進している認証保育所は、利用者の七六%が保育料の値下げを求めており、六三%が認可保育所に入りたいと、都の調査に対して回答しています。 同じ都の調査で、従事者からは、職員の数をふやしてほしい、建物、設備などの基準をもっと上げるべきだ、職員の待遇を改善してほしい、経営者に対しもっと厳しい調査を行ってほしいなどの大変厳しい意見が寄せられています。 JRの福生駅前に開設された、サラ金のアコムの子会社が経営していた認証保育所は、わずか二年で撤退いたしました。我が党の調査で、保育の内容については、別のベビーシッター会社が丸抱えの状態だったことがわかっております。 認証保育所には、B型を中心に、地域や保護者と共同して家庭的保育を進めてきた保育室から移行したものもあります。そういうところは、営利優先、マニュアル保育の企業との市場競争に巻き込まれて、大変な苦労をされています。 しかも、認証保育所はふえましたが、待機児の数は減っていません。それどころか、今現場で問題になっているのは、認証保育はゼロ歳から二歳が中心であり、認証の数がふえればふえるだけ、三蔵以上の子どもの受け皿が不足することなんです。駅ビルや雑居ビルが中心の認証保育で、わんぱく盛りの子どもたちが過ごすのは、やはり三歳以上になると無理があります。 そこで、認可保育所をふやさないと、認証保育を利用している子どもたちが三歳ぐらいになったときに行き場がなくなることになるわけで、大変なことになる、こういう認識はありませんか。 ○幸田福祉保健局長 認証保育所は、ゼロ歳児保育や延長保育など、都民要望が高いにもかかわらず認可保育所での取り組みが進んでいない都市型保育ニーズに的確に対応することを目的として創設したものでありまして、A型においては定員の二分の一以上を三歳未満児とし、B型においては三歳未満児のみを対象としておるところでございます。三歳以上児が認証保育所で少ないのは、こうした理由からでございます。 ○曽根委員 三歳児の受け皿は大変なんですよ。 保育科についても、認可保育所の場合でも二重保育をしたら十万円かかるなどという先日の答弁があり、認証保育は高くないなどともいわれていましたけれども、事実と違います、これは。 先ほど富田委員の質疑でも、認可の利用者のうち二重保育をしている人は二・六%といわれましたが、認可保育所は所得に応じた保育科です。 二重保育で十万円もかかるのは、この一一・六%の中でも、所得が比較的高い一部の人の話です。 圧倒的多くのファミリー世帯は、仮に二重保育をした場合でも、認可の方が断然安いんですよ。実際、都の調査でも、認可にできれば移りたいと答えた人の六割以上が、保育科が安いからと回答しているわけですね。何のために調査しているのかということですよ。 認可保育所をふやし、同時に、延長保育、ゼロ歳児保育の拡充を進めること、この立場にしっかり立つことが必要ではありませんか。 ○幸田福祉保健局長 国の認可保育所の保育料設定の考え方は、保育に要した費用のおおむね二分の一を利用者が負担することとしており、個々の保育料は、所得に応じて段階的に定められているところでございます。 全国的に見れば、多くの自治体が国基準に基づいて保育科を設定しておりますが、都内区市町村は利用者の負担を軽減した独自の基準を定めており、実際の徴収額は国の徴収基準の約半分、ゼロ歳児の場合の標準的な保育モデルで見ると、一人当たり月額約二十九万円の経費に対して、約九四%の二十七万円を公費で負担する結果となっております。 保育料について、基本的には、地域の実情に応じてそれぞれの区市町村が自主的に判断すべきものでありますが、こうした実態は、在宅で子育てをしている家庭との間の受益と負担の公平という観点から見ても課題があると認識をしております。 今必要なのは、認証保育所の利用者に対する保育料の負担軽減ではなくて、受益と負担の公平という点も踏まえた、すべての子育て家庭に対する支援だと認識しております。 ○曽根委員 全然質問したことに答えてないんですけど、私は、認証保育の実態、利用者の声、どちらを見ても、やっぱり認可保育所を本来の姿としてきちんとふやしてほしいという都民の声にちゃんとこたえなきやだめだということなんですよ。 そして、しかも、来年度から国は、認可保育所の整備費の補助制度を廃止して、市町村に対する交付金にすることを決めています。その場合、今、予算に組まれている保育所整備費約六億円は執行残になってしまいます。この点は、補正予算を組むことも含めて、六億円を保育所の整備促進や保育の充実のために活用すべきです。 それから、私立保育園に対するサービス推進費補助の削減は、保育の現場に深刻な問題を引き起こしております。都は今後、公立、私立保育園に対する都加算補助の削減も検討しています。こうしたことはきっばりやめて、認可保育園の運営の充実に向けて、サービス推進費及び都加算補助は拡充することを改めて求めておきます。 それでは、残った時間で、高齢者の福祉の充実についても、切実な問題ですので、ただしておきたいと思います。 小泉内閣が跨み出した大増税、負担増路線は、まさに老いも若きも負担増という、あらゆる年代に重い負担を強いるものです。知事は、我が党が不安をあおっているようなことをいわれましたけれども、新聞各紙も、「国民負担ずっしり」とか、「暮らしの負担増加の一途」、「不安は膨らむばかりだ」−−「赤旗」じゃないですよ、これは−−と、厳 しく指摘しているんです。 高齢者に対する大増税、負担増も大変なものです。生活保護まで切り下げ、国民年金だけの高齢者から厚生年金の世帯まで、搾れるだけ搾り取るというものです。既に、この一、二月分の年金から突然所得税が引かれたという、驚きと怒りの声が一斉に上がっています。所得税だけで年間何万円もふえる人が少なくありません。しかも、今後、負担は雪だるま式に膨れ上がっていきます。 年金収入、例えば二百二十六万円のひとり暮らしの高齢者で、所得税、住民税、連動して国民健康保険料、介護保険料、シルバーパスなどはね上がって、一年間に二十八万円を超える負担増になるんですよ。これはほんの一例です。 知事に伺いますが、都が二〇〇〇年に経済給付事業の一斉見直しをしたときに、こういうことになるということは想像しておられましたか。簡潔にお答えいただきたい。 ○幸田福祉保健局長 平成十五年の国民生活基礎調査で、世帯人月一人当たりの平均所得金額を見た場合、全世帯平均が二百四万七千円であるのに対し、世帯主の年齢が六十五歳以上の世帯の平均は百九十二万二千円と遜色はございません。 また、平成十五年の家計調査によると、高齢者世帯の貯蓄は一般世帯の約一・四倍、負債は約四割となっており、高齢者世帯では資産形成が進んでいることがうかがえます。 (「委員長、全然違う答弁しているじゃないか」と呼び、その他発言する者あり) 平成十七年度の税制改正における六十五歳以上の高齢者に対する住民税非課税措置の廃止も、現役世代と高齢者間の税負担の公平の確保を目的としたものであり、現在、改正法案が国会で審議されております。 この法案が成立した場合、公的年金のみを収入とする区部在住の高齢者で−−(曽根委員「データを聞いているんじゃない。二〇〇〇年のときに、どういう判断をして……」と呼ぶ)住民税が非課税となるのは、現在の二百六十六万円から、夫婦のみ世帯で、およそ二百十二万円、単身世帯でおよそ百五十五万円となると推計されております。 ○曽根委員 全くこの間の本会議と同じ紋切り型の答弁じゃないですか。時代の変化に対応できないとは、まさにこのことですよ。その上、都民の痛みに無関心。これが行政の態度かと……。 我が党には、切々とした手紙が届いているんです。本当ですよ、これ、大変なんですから。「ことしから、年金受給者に対して物すごい所得税が課せられてきたという切々たる訴えです。弱い者いじめもひど過ぎる、年寄りは早く死ねということか。こんな不合理なことが、大局的見地からの政治判断とおっしゃるかもしれませんが、余りにもひど過ぎます。政治というのは、国民を苦しめる方向に行ってはいけない。老人たちが怒っています。泣いています。年金だけを頼りに老後を暮らしている人々を苦しめてはいけません。」 これは明らかに新しい事態が生まれているんですよ。これにどう対応するか、真剣な検討が必要だというのは当然なことじゃないかと思う。 このような年金課税強化による高齢者への影響の一端が、我が党の本会議代表質問への答弁でも明らかになりました。老年者控除の廃止、公的年金等控除の縮小、非課税措置廃止の三つによる、所得税、住民税の影響だけに限ったものですが、所得税は全国で約五百万人、二千四百億円の負担増、一人当たり四万八千円の所得税の増税です。 個人都民税は約七十万人が影響を受け、平年度ベースで百億の負担増になるとの答弁がありました。一人当たり一万四千円。区民税、市民税を入れたら、およそ四倍になるのではないかと思います。一番影響が大きい、住民税非課税から新たに課税になる人が二十万人。先ほど具体的に紹介しましたが、国民健康保険料や介護保険料、シルバーパスにはね返ります。 都としてできることに全力を尽くす必要があると思います。例えば、高齢者の医療費負担の軽減です。六十五歳から六十九歳までの医療費助成を行っていたマル福がなくなって、大変な影響出ている。私たちは、廃止、縮小を現時点で凍結し、六十五歳からの制度に戻す方向で再検討する必要があると。都としてすぐできることです。 例えば、京都府は、六十五歳から、所得が低い高齢者に村する医療費助成を実施していますが、事業評価を行った結果、存続を決めました。報告書では、事業の有効性、効果について、高齢者が健やかに暮らすために安心して医療を受けることができる制度であり、中心的な役割を担っている、受益者は年々増加しており、十分な効果が上がっていると高く評価しています。そして、この東京でいえばマル福、老人医療費助成の事業を休廃止した場合の影響として、所得の少ない高齢者にとって、医療費にかかる経済的な負担から受診抑制になりかねず、高齢者の健康の保持、増進に支障を来すことが考えられると分析して、継続を決めているんです。 これこそが、私は、高齢者に村する行政の姿勢としてあるべき姿だと思います。 ほかにもいろいろ聞きたいことがあったんですが、冒頭に述べましたように、過大な投資的な経費だとか、東京都が本来負担する必要がない公共事業、むだ遣いを本気になって改めれば、財政を立て直しながら、福祉を初め中小企業対策、住宅など、都民施策の拡充を進めることができます。 そのことを申し上げて、私の質問を終わります。 (拍手) ○樺山委員長 曽根はじめ理事の発言は終わりました。 |