思うこと 第91話           2006年5月11日 記       

メイヨー兄弟の“あっぱれな”病院からの去り方 

 現在メイヨークリニックにはメイヨー兄弟の親戚縁者で病院の企画経営に携わっているものは一人もいない。これは、兄弟が、自分達が作り上げた病院を去る時の強い意志による。 2人とも元気なうちに病院を退職し、去るにあったって病院からメイヨー兄弟との個人的な関係を払拭し(病院は個人の持ち物ではなく、メイヨー財団というガラス張りの組織を作り、そこが運営するシステムはその以前に完成させていた)、運営を次の世代にまかせて、病院を去った。 それは、1928年、兄ウイルが67歳の時で、300万ドルの予算(当時の貨幣価値では天文学的な金額だったらしい)と2年の歳月を費やした念願のプラマービル(右写真)が完成したのをみとどけたしばらく後に、皆に退職を告げたのであった。兄弟はロチェスターにあった自宅もクリニックに寄贈し、今、それはメイヨーの森として、市民や職員の憩いの場となっている。 去った後は、兄弟と家族はアリゾナ州に居を移して1939年に相次いで亡くなるまでそこで余生を過ごしたのであるが、その間メイヨークリニックの運営には一切口を出さなかった。 みごとというほかない。 だからこそ、メイヨークリニックは、自立し、発展しつづけたのである。 『思うこと 第88話』で、メイヨー兄弟のこの病院を設立して以来の理念、 " Mayo's mission is to provide the best care to every patient every day through integurated clinical practice, education, and research." のことにふれたが、兄弟の跡を継いだものたちは、この理念を守り育ててきた。 兄弟のあざやかな退職のしかたが、当時すでに世界一の名声を得ていたメイヨークリニックを、今日のさらなる発展へと飛躍させる基を築いたといえよう。

左が兄ウイリアム メイヨー(愛称ウイル)、右が弟チャールズ メイヨー(愛称チャーリー)