思うこと 第317話 2020年2月8日 記
島津義弘公が初陣で勝利した岩剣城は蔵王岳ではなかった!
思うこと 第302話の『島津義弘公が初陣で勝利した岩剣城は、何と、蔵王岳であった!』は私の間違いであることが、ホームページの読者から指摘されていたので、ぜひ、その岩剣城跡の山に登って、その上で、このホームページにアップしたいと考え、その機会を狙っていたのであったが、この度、登ってきたので、ここに報告する。
下記リンクが『思うこと 第302話』です。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/omoukoto/302wa-zaoudake/302wa-zaoudake.htm
さて、岩剣城跡は蔵王岳のある加治木町の南隣の姶良町にあった。
この山が岩剣城の全貌で、手前に立っているのが『岩剣城跡登山口』の案内標識である。
ここからすこし歩いてゆくと、岩剣神社があり、
この裏が登山道入口である。
山頂は標高約225メートルと記されている。
岩剣神社の裏からしばらく登ると、いよいよ登山道入口があり、
ここから途端に坂が急斜面になり、
このようなロープで体を引っ張り上げて登らなければならないところが少なくなかった。
登りよりも、下りの方が気を使ったし、怖い感じがした場所もあった。
この案内板にある本丸跡と展望ポイントの曲輪(くるわ)からの写真を次にしめす。
岩剣城は東、西、北は刀身の様に削られた断崖になっており、北の断崖の上からの眺めこそがこの眺望である。
この岩剣城を攻めていた島津勢に対して、祁答院と蒲生の連合約2千余騎の援軍が攻めてきたので、それを迎え撃つ戦いこそが、岩剣城攻めの最大の山場となった戦いである。これを迎え撃つ任務を帯びたのが1千騎にみたない手勢しか与えられていない又史郎(島津義弘公の若いころの名前)の軍勢であった。又史郎はこの戦いで敵軍を殲滅させ、島津勢は岩剣城を陥落させたのであった。
この戦いは、又史郎の初陣であった。この戦いで、又史郎は鉄砲を使い、これが大きな威力を発揮したのであったが、これが、戦国時代における鉄砲の初めての登場であった。
以上、やっと実現した岩剣城跡登山の報告が出来て、正直ホッとしているところです。