思うこと 第280話 2009年4月21日 記
郷中教育について−その5−
ボーイスカウト制度と『 郷中教育』−その2
『思うこと 第145話 郷中教育について−その3−』においてボースカウト制度と『郷中教育』の関連に関して論じたが、そのことに関連して、今回、ボーイスカウト鹿児島県連盟総務委員長の西 昌平様から次の様な極めて貴重な情報をメールでお寄せいただいた。 私はぜひともこの情報をこの私のホームページで紹介したいと思い、西 昌平様にお願いしたところ、ご快諾を得たので以下に紹介する。
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ボーイスカウト鹿児島県連盟総務委員長 西 昌平
私どもの鹿児島第18団の団委員長(県護国神社神職)から添付の資料提供がありましたので、話題として送信いたしました。
先生が気にかけておられた「郷中教育とボーイスカウト」の答えの参考にはなりませんが、ボーイスカウト運動に於ける乃木大将の影響は大きなものがあると私は思っております。ただ、軍事訓練的との誤解を恐れてのことか、表だってその功績を取り上げることはあまりありません。
1.学習院院長としてボーイスカウトの教育手法による青少年教育を実践されたことで、教育現場に於ける評価に大きく影響を与えていると思われること。
2.皇孫がボーイスカウト活動とその考えやベーデン・パウエルという人物像について触れる機会となったこと。
3.三島通陽などこの運動の発展に寄与した人材に影響を与えていること。
など他にも種々あろうかと考えております。
今回お届けした資料は新発見的なものではありませんが、高山宮司の講演の中でB-Pから見た乃木像が語られており、「殉死」に対するB-Pの考えや表現に興味を引かれます。
郷中教育とボーイスカウトとの関係については、先生が参照されたHPを私も存じておりましたが、日本連盟ではB-Pが郷中教育を参考にしたという件は確証が無いとのスタンスで、この話は「伝」として位置づけており、ボーイスカウトの説明会や講習会ではこの件を取り上げることはありません。
しかしながら、鹿児島でボーイスカウト運動を展開する私どもに取っては(心の中にしまい込んだ)「誇り」としております。
また、日本ペンクラブ会員の方でこの件を調査されている方もおられます。実証できるところまで来たら発表されるとのことでした。
この運動には多くの薩摩・鹿児島ゆかりの人物が関わっておられます。先生もご存じのこととは存じますが、その一部を書かせていただいて終わりにいたします。
ボースカウト運動を通して青少年教育に携わる私ども鹿児島の指導者は多くの先達を誇りに、当時の情熱や思いを受け継いで行かなければならないと思っております。
2015年には世界ジャンボリーが山口県で開催されます。私ども鹿児島県連盟はイギリススカウトの受け入れ県を担当することになりました。これもまた何かの縁と思い取り組んで行かなくてはならないと思っております。今後ともボーイスカウト運動へのご理解ご支援をお願い申し上げます。
ご多用の中、突然のメールに時間をお割きいただき誠にありがとうございました。
(1)牧野伸顕(BS教育を研究し調査を命じ日本に伝えた当時の文部大臣)
牧野は大久保利通の次男。牧野の妻は三島通庸の娘。三島通庸も 薩摩の士族で西郷・大久保に見出され,明治初期には県令として多くの土木工事を推進し,後に初代警視総監。那須野ヶ原開拓事業を行い現在のBS日本連盟那須営場に繋がる。4代三島通陽総長は孫。牧野の娘雪子は吉田茂の妻,現麻生首相と繋がる。
(2)秋月左都夫
秋月は牧野の義兄。高鍋出身の薩摩藩士で外交官になる前は鹿児島医学校で学んでいる。牧野文部大臣がイギリスのボーイスカウト関係資料をベルギー大使で義兄の秋月に依頼するのもおもしろい。
(3)その他薩摩関連
第6代松方三郎総長は薩摩藩士で明治の元勲松方正義の子。
他にも,多くの鹿児島縁の人物がこの運動の伝搬・発展に関係しておられます。
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