思うこと 第190話 2007年2月18日 記
私のHPに答えた若者達の感性に感動
私は、昨年7月、私のHPのエッセイの欄に『若者教育のためのホームページの威力』という投稿文を紹介した。その中で、“若者教育を目的に”何故私が慣れないホームページ作りに取り組んだのか、そしてその結果どのような効果があったかについて熱い思いを語った。今回は、臨床研修で少人数で3週間ずつ回ってきている医学部5年生の学生グループ(通称“ポリクリ学生グループ”)に私のHPを読んで感想文を書いてくれないかと頼んだところ、早速書いてきてくれた。それを読んで、私は学生諸君からいろいろ教えてもらえ、エネルギーをもらった。そして、感動した。出来れば、この感想文を私のHPに紹介したいと思い、相談したところ、快諾を得たので、6名の感想文をそれぞれ匿名で紹介する。
学生Aの感想文:
納先生のホームページは3内科をポリクリで回ることとなって初めて拝見させていただきました。噂ではかねがね聞いていましたが、自分の目で見てみると先生の視野の広さ、着眼点のユニークさ、そして思慮の深さが伝わってきてとても面白く勉強になりました。そして先生の興味を持ったらすぐに大量に本を買い込み勉強されているお姿には自分もかくありたいとただただ感心させられました。「オシム監督について」や「硫黄島からの手紙について」など私も大変関心があり興味深く拝見させていただき共感するところ多々ありましたが、今回ホームページの感想としては最も印象深かった「郷中教育について」先生のお書きになったことについて書きたいと思います。
まず、私にとって印象的だったのは『現在日本の教育現場では「郷中教育」の重要性が説かれている。この「郷中教育」の原点は鹿児島藩(薩摩藩)で行われていた「郷中教育」に他ならない。薩摩の「郷中教育」に似たものとしては会津藩の「什」があるのみである。』という一節でした。私の出身は京都でありますが祖母が会津出身で、昔から戊辰戦争の話や正月放送され話題になった白虎隊の悲劇の話を聞いてきたこともあり、なんとなく自分のルーツは会津なんだという意識がありました。その会津と今住んでいる薩摩のみ郷中教育を行っていたということにとても興味を惹かれました。これは余談なんですが、加治屋町方限から輩出された偉人の中に満州軍総司令長官となった大山巌元帥がいますが、第二次大戦中に妻の山川捨松の故郷である会津に大山巌の娘と孫たちが疎開してきました。その疎開先が私の祖母の家でして大山巌の孫たちと少女時代をともに過ごしたそうです。私にとってはそのことも会津や薩摩との縁を感じずにはいれません。
さて、私は少年時代に現在は資料館である会津藩校「日新館」を訪れた際、訳も分からず座らされ「什の掟」を朗読させられた事があります。「什」は日新館に入学する前、6歳になると学区ごとに十名ほどで編成した仲間のことで「什の掟」は武士の子としての心構えであり、仲間の掟です。年長者を敬うように、嘘は言ってはいけない、卑怯なことはしてはいけない、など侍の子として守らなければならないことの7か条で、最後に「ならぬことはならぬものです」と締めくくられます。一日の終わりに什の仲間宅に集い、什の掟を唱えて仲間の行動や言動を話し合い、年長者である什長が掟に背いた者がいないか問いただし、什の掟に背いた子供は大変厳しい処罰を受けたそうです。什の掟は年長者への尊敬の念、自立の心、仲間への思いやりを育むという重要な道徳教育となっていたようです。そして、什の掟に代表される幼少時からの徳育と文武両道を目指す藩風があいまって、人としての品性を重んじる会津藩独自の士風が培われたようです。一方、薩摩の郷中教育でもやはり『「武士道の義の実践」と「心身鍛錬」が中心で、「嘘を言うな」「負けるな」「弱いものいじめをするな」「質実剛健たれ」の教えが繰り返したたきこまれた。』『一日のほとんどを同じ年頃や少し年上の人たちと一緒に過ごしながら心身を鍛え、躾・武芸を身につけ、勉学に勤しんだ。』と先生もお書きになっていますが、中味はずいぶん厳しい「しつけ教育」でしたが、『教育の方法は、各郷中で独特のものが工夫され、会員相互がなんでも心から話しあえる会である反面、各自が日常守るべき規約を定めて、違反した人は、処罰するという厳しいものでもあった。』と、会津と薩摩の武士の教育方法がとても似通っていたことを知り驚きました。
内憂外患の幕末動乱の時代、会津と薩摩が戊辰戦争で壮絶な戦いを繰り広げたのは皮肉なことでしたが、最後の最後まで徳川将軍家に忠義を貫き通した会津と時代の先を見ていた薩摩が武士の誇りをかけて相まみえることになったのは当然といえば当然だったのかもしれません。そして、明治維新の主役を担った薩摩と敗れはしたが屈することなく近代日本の礎を築く人物を次々と輩出した会津。どちらも武士道の義や心の教育を重んじた結果なのでしょう。
今、教育の危機が叫ばれていますが、郷中教育や什の掟は現代にも通じるものがあると思います。教育にかけた会津や薩摩の意気込みに学び、教育と徳育の融合を目指すなら、一つの光明となるかもしれないと思います。先生は何かしら「郷中教育」の精神みたいなものに満ちた教育を受けてこられたとお書きになられています。そういった心の教育の上に国民教育があるのが本来あるべき姿なのではないでしょうか。
最後になりましたが、納教授のホームページで語られる内容のユニークさ、知識の幅広さ、考察の深さにはただただ圧倒されるのみでした。退官された後もぜひ更新し続けていただき今後もわれわれ後輩に道をお示しくださる事を楽しみにしております。
学生Bの感想文:
第一週目の月曜日に、納教授がすぐに読むようにとおっしゃられた、思うこと第9回の「いわゆる“大名行列・教授回診”を廃止」を読みました。第三内科独特の回診方法と、その誕生のきっかけが患者様からの提案からだったという内容は、確かに理想的でしたが、あまりに独特で、僕にとってにわかには信じがたいものでした。翌日、実際の回診を体験して、回診の効率のよさが、医療者側の時間的な効率ではなく、患者側からみた、リラックスして回診を受けられ、時間もしっかりとることができるという効率の良さであるということ、また、全体の流れがはっきりしていて、完成されたものであるということを感じて、納教授のみならず、第三内科全体の実行力に驚きを覚えました。
「夢追って三十余年」は、ホームページだけでなく、DVDでも拝見することができ、講演の臨場感を肌で感じることができました。その中でも特に私の心に刻まれたのは、「人の3倍仕事をするのは当たり前だが、家族との生活を人の2倍充実させてこそ男の子、九州男児」というお言葉でした。私も九州男児の端くれとして、この心意気を常に持って、自分を律して生きていこうと強く思いました。また、納教授の師であられる井形先生が、「納君と共に勉強できたことは光栄であります」と述べられたことに、私もいつか自分の師となる先生にこのようなお言葉をかけていただけたらどんなにか幸せだろうかと思い、最後にお二人が握手を交わされたシーンでは、ホームページにもある、守破離の精神と「出るくいを打たない、伸ばすのを邪魔しないだけ」という教育に対する信念が連綿と受け継がれているからこそ、このような場面が出来上がるのだと感動しました。
個人的に印象深かったのは、「芝に学ぶ」のところです。観察し、考察し、文献を紐解くことで原因を究明して対策を講じる。これはまさに医に直結する姿勢であり、先生が学生に三内科で体現しておられる疾患への取り組み方の基本姿勢を分かりやすく示してくださっているのだと感じました。
私にとって、ただただ驚嘆するしかできないことは、教授の趣味に対する情熱の傾けようであります。先生の情熱と、感動する心を見習いたいものです。
学生Cの感想文:
納先生のホームページを読ませて頂いて勉強になりました。先生のホームページで「患者さんのために医学・医療は存在する」という言葉は私がポリクリを通してまさに感じ、考えていたことでした。
ポリクリを通して、私は医学知識も人間的にも未熟であり、患者さんの理学所見やお話を聞く事は患者さんに負担がかかるのではないかと思い、最初は正直怖くて、どのように接していいのかずっと葛藤していましたが、自分の勉強した医学知識を患者さんにとって適切な時期・方法で患者さんに提供する事、患者さんにとって不利益にならないように広い知識をもち、患者さんに安心してもらう事が大切であり、そのために私が身に付けるべき事は日常から基本的な聴診・触診・打診・神経学的所見などの理学所見を正確に取る事、患者さんのお話をしっかり聞く事、自分ができる事を毎日増やしていく事だと、やっと考えをまとめる事ができました。
思う事の第83話で、人生で一番大切なことは「出会いを大事にする」ことで、出会えばいいというわけでなく、出会った時、その人との出会いがすばらしい出会いであると感じ、飛び込む勇気を持つ心だと私も思います。
またそのすばらしい出会いを大切にできるかは、その人次第であり、貪欲になって自分の利益ばかりを考えないことからすばらしい出会いは始まると最近感じていて、先生のホームページを見させていただいて、自分の利益ばかり考えていると、すばらしい出会いを自ら捨ててしまうのだなと改めて感じました。
納先生の留学時代において、「仕事を人の3倍するのは、男にとって当たり前のことでありますが、家族にとって掛け替えのない大切な留学生活を、人の2、3倍充実したものにできてこそ」というのは、納先生が臨床講義でお話していただいたときからずっと覚えていました。
先生の講義でお話を伺うまでは、体力面などで男性に対して、正直うらやましく思い、羨ましく思うあまり、男性に負けないようにしっかり仕事をしたいと考えている自分がいました。しかし、仕事だけを頑張ったとしても、自分のそばにいてくれる家族や大切な人を幸せにできなければ、たとえ立派な業績を残したとしても、喜びを一番分かち合いたい家族と喜びを分かち合うことはできないのだなと気づき、悲しくなりました。
私は男性をうらやましく思う部分はまだありますが、男性に負けたくないという気持ちは殆どなくなりました。女性だからこそ理解できる患者さんの気持ち、患者さんが女性の医師だからこそ頼りたくなる部分を支えていけるように、これからも私は成長していこうと思います。
ホームページを読ませて頂いて本当によかったです。ありがとうございました。
学生Dの感想文:
私は、「守破離」という言葉を全く知りませんでした。この言葉の意味を考えることで自分は、まず最初の「守る」ということができていないということを認識しました。
私は、最近は、人の模倣をする前になにかしら自分で独自性を求めてみてから模倣をやらないと独自性がなくなると思い、新しいことをやろうとする時、人の助言などを素直に聞けなくなっていました。その結果、何をやってもなかなか上達もせず、独自性といえるようなものも得れませんでした。だからまた模倣から始めていましたが、どうやって独自性が生まれるかわからず疑問を残したままでした。「守破離」という言葉について考えても、なるほどと思いながらも最初はもやもやしたものが残ったままでした。そこでピカソのことを思い出しました。ピカソの絵は、誰かの模倣をすることからはからは生まれないものだと思っていましたが、よく考えるとピカソにも写実的な絵を描いていた時期があり、その後の独自性(「破」や「離」)としてゲルニカなどの絵があるのだと気づきました。
守破離という言葉を肝に銘じながら、守るということを最初にやることが上達への近道であり、独自性を持つためにも近道だと考え、これからはおろそかにせずにいこうと思います。先生が「出会いの大切さ」についても触れておられましたがこの言葉との出会いは私にとって大切な出会いになりました。
納先生の絵のなかで私は、流氷とオーロラという日本画が一番好きになりました。ほかの絵もですがこの絵を見て、力強さを感じるとともに、先生の絵のこの群青を使った深い色は改めてきれいだと思いました。そしてこんなきれいな景色とオーロラを見に行きたくなりました。
学生Eの感想文:
納教授のHPを拝見させていただいて、先生が「出会い」と「夢」を本当に大切にされているのだなと感じました。「出会い」でいえば、先生は井形先生、日野原先生、山村先生、など人格者と出会われ、その先生方の考え方を大切に守られてきたことに感銘を受けました。また、教室は医局員のために存在すると、医局員を大切に育てられてこられ、人を大切にする信念に心を打たれました。第3内科は一人一人の個性が大事にされ、のびのびと活躍できる場だと感じました。私の出身高校の教育方針も第3内科の姿勢とに似たものがあったように思いました。私の高校では、時間や服装については厳しかったですが、あとは自己責任と自由な雰囲気で、人数も少なかったせいか先生方は一人一人に対し、それぞれあった指導をされていたことを思い出しました。いつも熱く指導してくださり私のことを叱咤激励してくださった先生がいたからこそ、そのような先生に出会えたからこそ今の私があると思っています。私も納先生をはじめ、素晴らしい先生方との出会いを大事に、人の恩を忘れず、素晴らしいと感じた信念を受け継ぎながら、今後の人生を歩んでいこうと思います。
また、「夢」でいえば、先生は本当にたくさんの目標を掲げられ、医学では聖路加病院や東大国内留学、メイヨークリニック、そして鹿児島大学で、臨床だけでなく果敢に筋ジストロフィーやHAMの解明や治療という目標に向かって日々努力されていくそのエネルギーに圧倒されました。医学以外でも、先生は自転車での日本縦断、タイワンツバメシジミの生態調査、ゴルフ、ボウリング、日本画など、趣味の域を越え本格的に活動されており、人生の楽しみ方が徹底的であって、暇はできるものではなく作るものなのだと、感じました。わたしは、昼間は時間を有効に使い切れておらず、夜慌てて徹夜してしまうことがしばしばであるので、先生の時間の使われ方には勉強になりました。わたしは音楽が好きで、バイオリンを習っているのですが、なかなか練習できずにいました。先生を見習って時間の使い方を工夫し、練習の時間を確保し、ドクターになってからも続けていこうと思います。私も趣味の域を超えて、もっと本格的に音楽の勉強をして、技術と表現方法を学んでいきたいです。
話は変わりますが、先生が描かれた「夕日に燃える桜島の噴煙」には、以前三宅美術館の展覧会の際、桜島のもつエネルギーに圧巻されましたが、今回今村分院で再度拝見した際は、この櫻島は納先生ご自身を表わしているのでは、と思いました。あのどっしりと構えている櫻島は先生の心の豊かさと心の器を、あっという間に空を埋め尽くしていきそうな紅々とした噴煙は先生の情熱を表わしているのではないかと。最近色に興味があり、マチスの絵を見に行ったのですが、マチスによると色と線と形はそれぞれ別のものではないそうです。マチスの絵は決して綺麗と思われる絵ではなかったのですが、その大胆な構図や、形、色遣いに、逆に引き寄せられていく感じがしました。色は単に色ではなく、色自体に意味があるといったような絵だったと思います。先生の絵を考えますと、私の勝手な想像かもしれませんが、先生は自分の表現したい雰囲気を色に託しているのではないかと思います。様々なバリエーションに富んだ群青の世界、紅の世界が解き放つ雰囲気は、先生の感動そのものを表していて、色の人の心に与える力を感じます。そして、絵の中で色同士が調和しており、先生の絵は周りの空間とは隔絶された美の結晶のように感じました。もっとゆっくりじっくり眺めていたかったです。これからも先生の絵、HPを楽しみにしています。
学生Fの感想文:
納先生のHPは数年前からよく読んでいたので、今回、そのHPに対する感想を納先生に提出する機会が与えられたことをすごく嬉しく思っている。納先生のHPは、医療界、経済界、絵、ゴルフ、ボーリング、その他日常の些細な出来事にいたるまで、様々なテーマに対してストレートにわかりやすく語られているので、活字嫌いの私でも本当に興味を持って読むことが出来る。
その中でも私が最も考えさせられたのが、人との出会いについての考え方である。HPの山村雄一先生の最後のメッセージに『人生で一番大切なことは「出会いを大事にする」ことです。よく、“出会いの大切さ”について語る人がいるが、出会えばいいというものではない。私の人生にとって、赤堀四郎先生との出会いは私の人生を決める出会いであった。しかし、当時、毎日大勢の人が赤堀四郎先生に会っているわけで、私だけが出会ったわけではない。いいかい、出会った時、その人との出会いがすばらしい出会いであると感じ、飛び込んだ私も偉かったのであって、これこそが、大事なことなんだ。いいか、肝に銘じてほしい。』というのがある。納先生自身「雷に打たれたように感動した」と述べられているが、私も全く同じだった。
そもそも私はいわゆる普通の医学生ではない。神戸大学経営学部を卒業し、トヨタ自動車株式会社で4年間勤務した。しかし、弟の急死という全く予期しない事態が発生したため、27歳でそれまで積み上げてきたものを完全にリセットして生まれて初めて医者になろうと決意し、28歳の時、鹿児島大学医学部に入学した。しかし入学してからは、それまでは想像もしてなかったものに苦労することになった。自分がいわゆる普通の医学生ではないということにコンプレックスを抱くようになったのである。まわりのいわゆる普通の二十歳前後の医学生にも、逆に学年は上だが年齢は下の医学生や先生にも、気をつかわれるというのが非常に辛かった。そんなことから、人と深く接することを避ける癖がついてきた。思い返してみると、神戸大学、トヨタ自動車時代は、自分が「すごい!」と思う人がいれば、何の迷いもなく飛び込んでいくということを自然にやっていた。しかしいつからかそれが出来なくなり、それと同時に自分の成長も完全に停止してしまったように思う。おそらくこの数年間でとてつもない大損をしただろう。
山村先生ならびに納先生の出会いに対する考え方は、私に「今からでも遅くない!もう一度、すばらしい出会いが出来るように頑張れ!」と強烈なメッセージを送ってくれているような気がする。つまり、納先生のHP自体が、私の人生にとって一つの大きな出会いとなっているのだと思う。
以上ポリクリで当科にきた6人の学生の感想文を紹介したが、実は、学生が私に感謝してくれている以上に私は彼らに感謝している。若い感性での考え方を通して、私にすごいエネルギーを与えてくれたからである。
なんとすばらしい感性を持っている若者たちであろうか!
あと1ヶ月あまりで定年退職を迎えるにあたり、学生との直接の接点は激減するが、でも、これまで以上に私のホームページを通じて、また、HPに設置してあるダイレクトメールを通じて、より広い層の、より多くの方々に語りかけ、また、読まれた方々からメールの形でエネルギーをもらって行けたらと思っている。