思うこと 第178話           2006年11月27日 記       

サムエル・ウルマンの詩 “Youth” との感動の出会い

私の大学時代の同級生のグループ・メールでサムエル・ウルマン ( Samuel Ullman ) の 「青春とは (Youth) 」という詩を知り、心底感動した。私が、常日頃思っていて、若者達に語りかけてきた内容と同じ内容をみごとな言葉で表現しており、もっと早く知っていればよかったと、わが身の浅学を悔やんだのであった。

まずは、その詩の原文(英文)を紹介しよう。

Youth

Youth is not a time of life;
it is a state of mind;
it is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees;
it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions;
it is the freshness of the deep springs of life.

Youth means a temperamental predominance of courage
over timidity of the appetite, for adventure over the love of ease.
This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty.
Nobody grows old merely by a number of years.
We grow old by deserting our ideals.

Years may wrinkle the skin,
but to give up enthusiasm wrinkles the soul.
Worry, fear, self-distrust bows the heart
and turns the spirit back to dust.

Whether sixty or sixteen,
there is in every human being's heart the lure of wonder,
the unfailing child-like appetite of what's next,
and the joy of the game of living.
In the center of your heart and my heart
there is a wireless station;
so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power
from men and from the infinite,
so long are you young .

When the aerials are down,
and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism,
then you are grown old, even at twenty,
but as long as your aerials are up,
to catch the waves of optimism,
there is hope you may die young at eighty.

上記英文原文の2種類の日本語訳を紹介する。

〔その1〕 作山宗久氏による日本語訳(角川文庫 下の写真の本より)


青春

青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときはじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥(あくた)になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。

〔その2〕 新井満氏による自由訳(講談社 下の写真の本より)


青春
とは

青春とは 真の 青春とは
若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある
薔薇色の頬 真赤な唇 しなやかな身体
そういうものは たいした問題ではない
問題にすべきは つよい意思 
ゆたかな想像力 もえあがる情熱
そういうものが あるか ないか
こんこんと湧きでる 泉のように
あなたの精神は 今日も新鮮だろうか 
いきいきしてるだろうか

臆病な精神のなかに 
青春はない
大いなる愛のために発揮される
勇気と冒険心のなかにこそ
青春はある
臆病な二十歳がいる 既にして 老人
勇気ある六十歳がいる
青春のまっただなか 
年を重ねただけで 人は老いない
夢を失ったとき はじめて老いる
歳月は 皮膚にしわを刻むが 
情熱を失ったとき 精神は
しわだらけになる
苦悩 恐怖 自己嫌悪 
それらは 精神をしぼませ
ごみくずに変えてしまう

誰にとっても大切なもの 
それは 感動する心
次は何が起こるのだろうと 
眼を輝かせる 子供のような好奇心
胸をときめかせ 未知の人生に 
挑戦する 喜び
さあ 眼をとじて 
想いうかべてみよう
あなたの心の中にある 
無線基地
青空高くそびえ立っ たくさんの
光輝くアンテナ
アンテナは 受信するだろう 
偉大な人々からのメッセージ
崇高な大自然からのメッセージ 
世界がどんなに美しく 
驚きに満ちているか
生きることが 
どんなに素晴らしいか
勇気と希望 ははえみを忘れず 
いのちのメッセージを
受信しつづけるかぎり 
あなたはいつまでも 青春

だが もしあなたの 
心のアンテナが 倒れ
雪のように冷たい皮肉と 
氷のように頑固な失望に 
おおわれるならば
たとえ二十歳であったとしても 
あなたは立派な 
老人
あなたの心のアンテナが 
今日も青空高くそびえ立ち
いのちのメッセージを 
受信しつづけるかぎり
たとえ八十歳であったとしても 
あなたはつねに 青春
青春とは 真の 青春とは
若き 肉体のなかに あるのではなく
若き 精神のなかにこそ ある

〔日本語訳 その1〕で紹介した左写真の本は、平成8年に角川書店から文庫本として初版が出版されたものである。作山宗久氏はこの訳本を1989年にTBSブリタニカ出版局から出版していたが、後に角川文庫として再出版されたとのことである。しかしながら、実は、サムエル・ウルマン氏の「Youth」の詩を日本に初めて紹介したのは、1945年8月に日本に進駐してきた連合国軍最高司令官マッカーサー元帥とのこと。マッカーサーはGHQ執務室の壁に「Youth」を掲げ、日々愛誦したといわれてる。マッカーサーが愛したこの「Youth」の詩に感動した一人の日本人、岡田義夫氏(1891〜1968) が日本語に翻訳。その後、1958年、森平三郎氏により群馬県桐生の東毛毎夕新聞に「岡田義夫訳」の「青春」が紹介された。このことによってこの詩が次第に広がったとのことである。その後、1982年、宇野収氏が日経新聞に「青春」の一部を紹介するにいたり、日本中に大反響を呼び、1985年、この詩に心を深く打たれた故宮沢次郎氏(当時トッパンムーアー且ミ長)の精力的な運動によって「青春の会」が発足、財界産業界のとトップたちの共感を呼び、その2年後、財界人200名による「青春」と作者をたたえる大会が開催されたとのこと。故・松下幸之助氏もこの「青春」の詩に感動し、国内国外の社員への訓示に使い、また、氏の書いた色紙『青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり青春は永遠にその人のものである』も残されている。1982年の宇野収氏の日経新聞での「青春」の紹介記事が端緒となって、作山宗久氏はサムエル・ウルマン氏に興味をいだき、幻の人であったサムエル・ウルマン氏の実像を明らかにすることに精力的に行動。ドイツの生地や氏が過ごしたアメリカのアラバマ州バーミンガムをも訪れ、ついに、サムエル・ウルマン氏の実像を明らかにした。「青春の詩」は、ウルマンが78歳の時で書いたものであった。サムエル・ウルマン氏は1840年4月13日、ドイツのヘヒンゲンでユダヤ人両親の長男として誕生。その後、両親とともにアメリカに移民し、後半生をアラバマ州バーミングハムで過ごす。ウルマンは、教育者として、またユダヤ教のレイラビ(精神指導者)として、実業家(金物屋として成功)として幅広く精力的な活動をし、社会事業にも熱心に取り組む。サムエル・ウルマン氏が82歳のとき、1922年に家族が発行した私家版の詩集「80年の歳月の頂から」の巻頭の詩で、作山宗久氏はこれに収められていた59篇の詩のすべてを『青春とは若さである』のタイトルの日本語訳を出版したのであった。サムエル・ウルマン氏はこの詩集が発表された2年後の1924年3月21日84歳でこの世を去っている。
もっと詳しいこの間の事情については、下写真の本に書いてある。

この『青春という名の詩』は、上述の宇野 収氏と作山宗久氏の共著で、昭和61年、産能大学出版部から初版が出され、私が購入したものは平成15年発行の第52版である。
この本は、1922年に家族が発行した私家版のサムエル・ウルマン氏の詩集「80年の歳月の頂から」にたどり着くまでの作山宗久氏の執念の探索の経過が記されいる。加えて、現存する英語の「Youth」は8種類あり、それらの異なる8種類がどのような伝播経路で書き換わっていったかを検証している。マッカーサーはGHQ執務室の壁に「Youth」を掲げ、日々愛誦し、この詩に感動した岡田義夫氏が日本語に翻訳したものが、その後日本で広く知られるようになった「Youth」である。ところが、この岡田氏の訳文のもとになったマッカーサーによる「Youth」と1922年に家族が発行した私家版のサムエル・ウルマン氏の詩集「80年の歳月の頂から」に収められているオリジナル版の「Youth」は何箇所か異なっているという。マッカーサーによる「Youth」は、1945年12月に「リーダースダイジェスト」が、“ HOW TO STAY YOUNG ”のタイトルでマッカーサー元帥が愛誦した詩として掲載紹介し、全米で話題となったため、米国で広く知られている「Youth」はオリジナル版ではなく、マッカーサー版のほうであるという。
ところで、同じタイトル・著者の本が三笠書房からも出版されている。 

〔日本語訳 その2〕で紹介した左写真の本は、新井満氏による「Youth」について語った本で、「自由訳」と断わられているように、上で紹介したようにとっても感動的な訳になっている。本のタイトルは「青春とは」となっており、2005年3月講談社から初版が出版されており、私が購入したのは2006年7月出版の第6刷であるから、とても売れている本である(定価:税抜き1000円)。





私にとって、このサムエル・ウルマン氏の「Youth」の詩との出会いは、本当に大きな出会いであり、今後私はこの詩を愛誦し続けると同時に、若者に“私の言葉で”語りかけ続けてゆきたいと思う。