思うこと 第162話 2006年10月30日 記
パプア・ニューギニア、ソロモン巡回診療報告ーその15ー
マダンからラエへ
今朝6時過ぎ、マダン空港をラエに向けて出発した。
乗った飛行機は12人乗りのセスナ404型機。
私達4人の検診団以外には3名しか乗客はいなかったので、私は最も撮影条件の良い最後部座席3席全てを一人で占拠でき、左右どちらでもOKの位置でカメラをかまえた。機はマダン空港(下の写真の右上)を後にした。
しばらくすると、右側の窓から51師団が苦労して渡河したカンバラ河の河口と周囲の密林が見えた。
これより後は、左側の窓に張り付いた。理由は、ここからは下図に示すように日本軍51師団の地獄の退却路は我々の空路の進行方向左側になるからである。
待ち構えていたカメラの前にサラワケット山脈が現れた。急峻な山が幾重にも重なっているのが見えた。一番後方の横に連なる連峰が山脈の山頂群である。
下図が、日本軍がブソ河(Buso river)を通っていよいよ山越えを開始した付近と推定し、シャッターを押したが、ここからは頂上は望めず、幾重にも山を越えていったことになる。。
やがて機は、マーカム河(下図)の上を旋回し、
ラエの空港(Naszab airport)に着陸した。
M医務官の手配で我々を20キロ離れたホテルまで運んでくれたのは普通のタクシーではなかった。
窓が全て鉄格子で守られ、警備員付きの“GUARD DOG SECURITY”という会社の車で、結構な運賃を払わなければいけないけれど、この車でないと、武装強盗団ラスカルに襲われる可能性があり、これを利用しなければならないとのことであった。
私は最前列のシートに座らせてもらい、周囲をウオッチしながら警備員からいろいろ教えてもらった。車は、ラエに通ずる一本道を猛烈なスピードで突っ走った。車を止めようとする者がいたら、轢き殺しても罪を問われないと定められているとのこと。うっそうと茂った森を抜ける時、このあたりが武装強盗団ラスカルの最も出やすい場所だと警備員は説明してくれた。しかし、この車は100%大丈夫だという。この車は警備が完璧な上、無線で警察と緊密に連携が取れ、むしろラスカルは“GUARD DOG SECURITY”の車を恐れており、絶対に手を出さないとのこと。お金で安全を買うシステムが、必要から生まれ育っているといえる。この道の沿道にある台湾人経営の一番大きな農園の建物も鉄条網と鉄柵に囲まれ、入り口は警備員で守られていた。
今日の邦人検診はホテルの敷地内にある鉄柵と警備員に守られた豪邸にお住まいの邦人k氏ご夫妻のお宅で、楽しい団欒の中で行われた。検診団の私達も、訪れた日本人の方々もk氏の奥様の手作りの“ぜんざい”のおもてなしを受け、訪れた方々が持ってこられたバナナや手作りのお菓子も味わった。もちろん検診のほうも、いつものように田原先生と田中看護師さんの大活躍で、ここでも感謝されながら任務をはたすことができた。マダンやラエの邦人にとって、現地の医師の状況は決して満足できるものではないので、日本人の医師に相談できる事は、我々が想像していた以上に意義あることのようである。
夕食も外に出かける事を避け、このホテルのレストランでとり、オーストリア産の白ワインと赤ワインとそれに地のビールを堪能した。今日もネットに繋げることが出来ず、これで3日間、折角書いた報告書「その12」からこの「その15」の4つは、明日、ポートモレスビーに移動してからアップするしかない。今思うと、ネット環境は最初の訪問地ガダルカナルのキタノホテル(ADSL完備)が最高で、ポートモレスビーのホテルはADSLがなかったためスピードが遅く、しかも繋がったり切れたりで苦労し、そしてマダンとラエでは全く繋がらなかった。明後日からのラバウルのネット環境がよければいいがーーーー。