好きも嫌いもひとつの人生
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【はじめに】
この作文は、いつまで経っても作文を仕上げない娘に苛立って、「原稿用紙十枚ぐらい三時間で書ける」と言ったばかりに意地で綴った自分史です。訂正に2日もかかり、口は災いのモトと悔やんでいます。
苛立ちのモトになった娘の宿題は、自分史を10枚以上書き上げることでした。自分史を綴るのが最近の流行(はやり)のようですが、年表の延長のような作文を綴ることに私は疑問を感じます。
楽しかったことばかりでなく、嫌いなことや苦手なことが今の自分とどう繋(つな)がっているかをテーマにして綴っています。その点で、この作文は通常の自分史ではないことをお断りします。
幼稚園の学芸会では、脇役の地蔵しかやらせてもらえなかった。両手を合わせて道に立っているだけだ。せりふは一言もなく、赤いよだれかけをかけて立つのもバツが悪かった。
脇役がいるから主人公が映える(はえる=引き立つ)という。でも、脇役なんて誰だってやりたくないだろう。渋々やるから楽しくもない。
なんで学芸会などやるのだろう。主人公になれなかった者には怨念(おんねん=執念深いうらみ)が残るだけだ。
平等に扱えというつもりはない。得手・不得手はあるし、誰もが主人公などというマガイモノの劇など見たくもない。不平等はどこにもあるし、否定する気もない。主人公になっていたら後悔とか口惜しさも生まれないだろう。
小学校の頃から競走は苦手だった。競走で負けたことがないという父は歯がゆかったことだろう。妹や弟も競走は得意でなかったから、父が騙しているのかもしれない。
運動会の日は気乗りがせず、病気になるよう祈った。雨降りなら順延するだけだが、病気なら出なくて済む。
どんなに努力しても解決できないことはある。芸術的な感覚とか運動能力にはそういう面がある。ヒットが打ててもホームランを打てないのと似ている。
五体満足の者が何でもできるわけではない。障害者のほうが優れた能力や才能を持つことも多い。ハンデイキャップがないばかりに自己満足で済ませているからだろう。
短距離走は苦手だが、長距離走は嫌いでなかった。瞬発力は欠けても持久力は十分ある。ナマケようと思う自分を叱咤(しった)して、走りぬくだけの意地はあった。
運動会を嫌ったのは見栄と恥が邪魔をしたのだろう。ビリはかっこう悪いとか恥ずかしいという気が先立ったようだ。負けん気だけは今も残っている。
女性も苦手だ。中途半端な女性が特に苦手だ。目鼻立ちがすっきりして、頭が良くて、スタイルも良い女性なら我慢できる。だが、たいした顔でもスタイルでもないくせに偉そうに振る舞う女性は鼻持ちならない。
どういうこともなく好きになれないタイプが男にも女にもいる。だが、同性では我慢できても、異性では耐えられないものがつきまとう。
顔つきとか容姿で人間性を決める気はない。でも、外観から判断するしかないときも多い。
話したから分かるというのも疑問だ。分かったつもりでいるだけに過ぎない。
幼なじみを思い出すと女の子ばかりだ。隣りに住んでいた幼稚園仲間、同い年のいとこ、上の妹がそうだ。近所には男の同い年も数人いたが、いずれも次男だから、祖母は初孫を一緒に遊ばせようとしなかった。
女の子といっても頭ごなしにするヤツばかりだった。顔もスタイルもそれなりで年頃になると虫も殺さぬそぶりを見せた。変わり身の早さに驚かされ、たくましさにおびえた。
中学の時に、同級生の女の子に囲まれ、鳥のはく製を押し付けられて泣かされた口惜しさと怖さがいつまで経っても消えない。
可愛がってきた下の妹でさえ、会うたびに何かと世話を焼きたがるのもバツが悪い。ドライブに連れ回り、衣服も買ってやったのに姉のような口をきく。
勉強も嫌いだ。分かっていてもできない口惜しさがつきまとう。苦手だからできないわけでもない。たまたま担当の先生と相性が合わなくて嫌いになった科目もあれば、好きでもないが誉められて自信を持った科目もある。
また、興味を持ち過ぎて教科書の範囲を飛び出し、異論に固執したばかりに評価されなかったこともある。
勉強は嫌いでも、興味とか必要性のあるものには夢中になる。アマチュア無線は三十歳を過ぎてから興味が嵩じて受験した。運転免許や簿記の試験は必要性で合格した。その気になればやれるものだ。
興味が嵩じて寄り道したことも多い。ドライブを始めてから地図を「読む」楽しさを覚えた。長距離ドライブでは地図を読んで先を推測し、燃費の計算とか休憩場所の確保に役立った。山歩きでもこの経験が役に立った。体力には限りがあるから、ペース配分は時計と地図で行った。
山歩きを始めてから気象の変化に興味が移り、その原理を知るために物理学を自習した。大気の循環とか運動法則などにはまり込んだ。花とか星の名前は今もって覚えられないが、宇宙の動きにも興味が湧いてガラにもあわない自習をした。そうゆう素地があったから、無線やパソコンに抵抗なくとけこめたのかもしれない。
理科はもともと好きではなかった。30年前の学生時代にも無線やコンピュータに興味をもったものの、何となくなじめなかった。数式アレルギーがあって、やろうとする意欲があってもなじめずに諦めたことも多い。何でとか、どうしてとこだわる癖がある私は単純に記憶するのは今も苦手だ。
仕事も好きで選んだわけではない。合格した中で一番苦しくなさそうに映ったものを選んだ。厳しくて慌ただしい経営者の生活を居候生活で知って、勤め人を選んだ。公認会計士を目指して進学したのに諦めるのも早かった。作家や研究者に憧れたものの、役人になる気はこれっぽちもなかった。
腰掛気分で仕事をしているうちに、それでメシを食っている自覚が生まれ、知識と経験が増した。やる以上は中途半端で済ませられなくて、人並みのレベルに近づいただけで、胸を張って自慢できるようなものはない。
人見知りは相変わらずある。ごますりや追従もしたくない。出世欲も欠ける。目立つ気もない。自尊心(うぬぼれか? )が高すぎるのも良し悪しだ。
生活の糧を得るための仕事と割り切っていても、遊びのために仕事を放棄する気はない。仕事中毒になるまいとしていながら、それにどっぷり漬かっている己を笑うときもある。
他人の子供をあやして(世話して)きたわりには、自分の子供に厳しいことを並べる。甘やかされて育ってきたくせに、子供を甘やかす気はない。ロクに勉強もしてこなかったのに、未だその気にならない子供を見て腹を立てる。
子供が幼い頃から外に連れまわし、落ち着きのない性格にした後ろめたさは十分ある。ドライブ、無線、キャンプ、山歩き、温泉めぐり、釣りなどに引っ張りまわした後悔もつきまとう。その金を学習塾に使ったら子供の人生もマシになったかもしれない。
クルマを買い換えず、旅行もせず、金を貯めて自宅を持てば、老後は安心なのかもしれない。でも、悔やむ気はない。親を当てにせず生きる経験も大切だと思う。
3日前のことさえ忘れる子供が、30年前に習った親父を不勉強と批難するのも腹が立つ。父親を百科辞典と間違っているのも困りものだ。
可愛くて一緒になった妻と今年で20年になる。お互いによく我慢してきたと思う。しょっちゅう喧嘩をしているわりに、何となく仲直りするのも可笑しい。
母親を当てにしてきた娘と息子が最近は皮肉を並べるようになった。病気になれば、父親を忘れても母親を呼んでいたヤツラが、「ダイエットしたら」とか、「趣味を持ったら」と小生意気なせりふを並べる。恩をアダで返すのを見ているだけで腹が立つ。今でも母に頭が上がらない私にはできないことだ。
無口でおとなしいと錯覚して一緒になった妻は筋金入りの「薩摩おごじょ」だ。親父の小言を軽く受け流す子供も、妻の噴火を恐れる。やっぱり母親は偉大だ。でも、子供と同じように亭主を扱うのも気に入らない。
島倉千代子の唄ではないが、『人生いろいろ』だろう。ああすればとか、こうしたらと悔やむのは誰にもできる。でも、私が歩んできた道を他人が真似できるわけでもない。
振り返ってみれば、ロクな人生でないことは十分自覚している。嫌なことばかり続いてきた道だって私の人生だ。【2002・1・7記す】