山歩きから得たもの
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つぶやき(計画について)
スキャンするのが面倒で写真は北アルプス、八ヶ岳、秩父に絞りましたが、 ここへ向かうまでに丹沢や奥多摩で足ならしをし、装備を試して出向きました。 泣き言を並べて友人には迷惑をかけっぱなしでした。 |
【つぶやき】1979年3月11日(日)記入、2000年10月28日補正、入力
気の向くままにその場その場を過ごそうと決めたときがある。「一言多くて何でも参加したがる世代」と呼ばれたことのある僕ゆえに、就職したぐらいでなびきたくもなかった。
そんなたわいないきっかけで僕の旅は始まった。ダラダラ続けるうちに山歩きをしていた。直接のきっかけは山男のスタイルが華やいでいたことだ。夜行列車でもてるのは山男だった。いっぱしの求道者を気取り、哲学者ばりの言辞をもてあそぶのが気に入った。キザな口ぶりに反撥もした。当時の僕は血の気が多かった。コイツラだけに良い子ちゃんぶらせておくものか!なんていつも思った。
回数を増すようになって、僕は、そんな格好(かっこう)よさなど山にないのを味わされた。スタイルや言葉で山に出かけるべきでないことを感じた。そうだからといって足を洗おうともしなかった。山歩きには、気の合うともだちと、共通の趣味や話題をもてるだけで充実感があった。
山を歩くとともに山に関する本を読んだことがある。しかし、多くは違和感を覚えさすものだった。それは、精神論や技術論にはしり、ありふれた人間のごくつまらない動機を捨象した、縄張り意識の濃厚なものにすぎなかった。
そんな本の中で、今でも気に入っているのはウインパーの『アルプス登攀記』である。記憶は薄れているが内容はこんなものだったと思う。「人間は山に登ることに何かと理由をつけたがるものだが、登山が役に立つことといったら、人間をより慎重にさせるというぐらいにすぎない」といったところである。
失敗を繰り返すたびに山に応じた接し方があることを感じさせられた。それに加え、計画というものを考え直させた。社会人である限り、たとえそれが遊びにすぎないとしても、失敗をある程度見越して行動せざるを得ない。
僕は山男になりきるつもりなど毛頭なかったが、山を歩きたいと思った。そこには妥協を強いられるものだ。逆説的になるが、仕事の失敗とその他の領域の失敗の区別は、本人が思うほど他人はしてくれないことを知るべきであろう。
僕は、事故が起きたとき早く助けてもらうことと曲がりなりにも自分が何をするのか明らかにする、ひとことでいえば「自己保身」のために、大まかな計画をたてて事前に上司に連絡してきた。そうこうしているうちに細かい計画になり、今ではそれが貴重な記録になっている。
もっとも、こういうことは各人の気質や考え方に作用されるようで、長年の相棒は、「計画なんてものがあると行動がガンジガラメになって味気ない」とか、「俺の考えと計画など両立しない」などとぼやいたものだ。
山歩きに熱中した期間で、僅かなりとも役に立ったのは計画書作りをしてきたことぐらいである。そして、ぼやいてばかりいた相棒が自ら計画書を作成し、僕をそそのかしてきたのも可笑しかった。僕が、いささかでも他人を変化させたといったらこんなことぐらいしかない。
相棒はことあるごとに僕を「わがまま」だと非難する。計画を立てた者が簡単にやぶるからだという。もともと守らない計画など無駄だともいう。
共同して何かをしようとする場合、計画は一種の契約である。だから、互いが守らねばならないことを僕も充分知っている。しかし、それは完璧な契約ではない。というのは、山歩きにあっては、自然条件や体調に大きく作用されるものであり、気分によっても左右されるからだ。むしろ、契約と断定するのは早計であって、「申し合わせ」といったほうが適切かもしれない。
我々にあっては、計画は最大限の行動範囲を意味した。つまり、計画は暴走の歯止めとして機能してきた。天候に恵まれ、体調も良くて予定外の行動をしたことも僅かながらある。しかし、それは例外に属する。冬から春にかけて八ヶ岳の稜線を何度か縦走したが、軽い凍傷とか滑走などのわずかなつまづきもあったものの、おおむね達成できたのもあらかじめ計画を立てたからだ思う。
我々は互いに気分屋である。ともすれば格好を気にして無理をしてしまうことも多い。それを抑制したのは、たとえ消極的にせよ、事前にルートの概要を知悉(ちしつ)し、それなりの装備を用意して体調を整えたことを忘れてはならない。過去のデータや反省もそれなりに有益であったし、経験の積み重ねが臆病な我々に精神的・体力的な裏付けを与えもした。
こんなことを思い出すたび、自己弁護を伴いつつも、僕には計画が無駄だったなどと思わなくさせる。実のところ歯止めがなかったらどうなっていただろう。また、計画と実行を比較することなく山に向かっていたら、新たな感激など見過ごしてしまったにちがいない。
休日を前にして、これもしよう、あれもしよう、あれもこれもなんて盛り沢山の計画を立てるものだ。しかし、これは普段無為に時を過ごしていることの裏返しにすぎない。普段の行動というものはちょっとやそっとでは変わらない。僕を含めてたいていの人間は、安易なものにはしりやすく、日常の判断や行動様式を他の空間に持ち込んでいる。
また、遊びの計画というものは大風呂敷になりがちである。そこに普段の行動とまったく逆なものを組み込もうとするからである。計画は理想であってはならない。もともと不可能なものをとりあげても実行に無理が伴う。
山歩きというと、たいていの人は、日常とかかわりのないものとか、それを拒絶するものとして受け取りがちである。しかし、それは大きな錯覚である。人間の営みである限り、いつでも日常の処し方や立ち振る舞いが片鱗を見せ、これが気分や行動に影響するものである。
遊びの計画はあくまで予定にすぎない。条件が変われば変更しうるものでなければならない。そうしなければ、計画を守るために自分を危険にさらすことになる。
計画を立てるのは、最大限に愉しむためのメニューであり、あらかじめルートを頭に入れるための下準備にすぎない。あまりに計画を重視すると失敗につながる。山歩きは自然条件や体調に左右されるものだ。僕は、計画に固執したばかりに、雨の中を無理して歩いて道を見失って戻ることもできなかったこととか、日程に追われて通常より速いペースで歩いて雪の斜面でスリップしたり足が痙攣して大慌てしたことも、計画以上の時間を歩いてばてきった苦い思い出もある。不注意な行動は無理をしたとき出てくるものだ。
遊びと計画を対比すること自体がナンセンス(無意味)のように僕は思っている。たいていの人は思考の過程で図式化してしまう。遊びイコール自由、計画イコール仕事、遊びは仕事でない。ゆえに、自由と計画は成立しないという三段論法で済ませる。
遊びは、自分のわがままや趣味に没頭する側面では自由であるが、それを徹底して愉しむときは苦痛を伴い、気の合う仲間との行動であっても妥協や協調が要求される面もある。また、山を遊びの対象にするときは、自然条件と体調を付け加える必要がある。それゆえ、遊びイコール自由という論法は成り立たない。
また、仕事がいつも計画どおりに運営されるとか、不自由なものと考えるのもナンセンスだ。計画どおり行動してもうまくいくとは限らないし、計画に自分なりの特性やリズムを加味したほうがうまくいくこともある。まして、仕事を不自由としてとらえるのは、他人に拘束されていることから生じるものであって、自分に適していると感じたり、熱中したとき苦痛と感じないこともある。
僕は自分の経験だけに固執しようとは思わない。しかし、経験は自分を知らしめるバロメーター(ものさし)であるがゆえに大切にすべきだと感じる。人間は、経験に固執して排他的で独断的な思考をしたり、経験を無視して机上の空論をもてあそびたがる。どちらも人間として不毛な営みである。経験は、歯止めとしてあるのでなく、乗り越える目安としてとらえるべきではなかろうか。そういうものとして、我々は経験というものを扱ったほうが有益である。
このごろ、僕は発想の転換を図っている。今までは計画を基準にして、やり残したものを悔やんでばかりいた。しかし、それは自分をいたずらに傷つけるばかりであって、前進を阻(はば)ませることが多かった。これからは、計画を立てたもののうちどれだけ実行できたか、そして、それは自分なりに満足できるものかという観点でとらえようと思う。こういうやり方は自己弁護や自己欺瞞(ぎまん)に結びつきがちにせよ、僕はそうしようと試みる。
あれも、これもと思うことは誰にもできる。困難なのは実行することである。実行を伴わない思考は人間を口舌の徒にさせやすい。それだけのことだ。
4年ほど山歩きに熱中し、身につけたものといったらごくありふれたことの追認にすぎない。自分のことは自分で責任をとるということにつきる。また、計画にこだわらずそのときを悔いのないものとすることにすぎない。そして、他人にそれを吹聴(ふいちょう)したり、強要するなどもってのほかということだ。