湯島散策
2008年04月12日
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古本屋めぐりで神保町に出向いたついでに駿河台を登ってお茶の水駅まで女房と歩いた。昔から楽器店が軒を並べる通りは新学期も始まり若者であふれている。楽器に手を出さない女房がもの珍し気に足を止めるのも意外である。東京育ちのくせに学生街に縁のない女房には珍しい場所のようだ。ミニギターやミニアコーディオンにあれこれ興味を示すのも不思議だ。神田川をまたいで湯島聖堂に向うときょとんとし、異空間に連れて行かれるような警戒を示す。
医科歯科大病院前の通りを歩くと「こんな道は歩いたことがないわ、開札口を出て高い橋を渡った記憶しかない」と女房がつぶやく。
「電車で式場へ行き来したのはおまえだけだ。思い出して案内しろ」と言えば女房は頭をかかえる。
26年前のことだから無理とあきらめ、階段を登って湯島聖堂の前の通りへ出ても女房は異界をさまよっている。ここまで来ておめおめと帰れるものか。
先月は年金記録を確めるために結婚式の記録をひっぱり出した。互いの当時の住所や勤務先だけでなく、知り合って結婚に至る行動記録やあいさつの原稿、引越しの手順あるいは新婚旅行の行動計画まで綴ってある。その成果もあって社会保険庁で3時間待たされたものの訂正は15分で済んだ。それを機会に一緒になった《いきさつ》とか、互いの《プロフィール紹介》それに《主賓あいさつ》を読み直して苦笑したものである。自分のことだから謙遜して書いたのに、それに気づかずそのまま読む上司もいるものだ。もっともダメな部下だから褒めようもなかったのだろう。秀才は無理でも意欲的とか真摯(しんし)に仕事に取り組むという常套句(じょうとうく)もあるだろうに。
ともあれ、わたしは目移りするたちだから紹介されてlケ月もたたぬうちに式場選びをした。「式場が空いていたから一緒になった」と子どもに言えば、「もう少しマシな答えはないの」と娘が笑う。わたしは可愛いだけで一緒になるほどロマンチストではない。娘よ、後に引けないふんぎりがついて身を固める男もいるのだ。予約も打合せも結婚式もすべてクルマで出向いたわたしはお茶の水駅から歩いたことはない。でも妻は衣装合わせや結婚式当日も電車で出向いたのである。まして女性はちやほやされたことと結婚式は忘れないというのにどうしたことだ。
医科歯科大病院の壁にそって先に進むと大通りに出た。26年目でも面影が残る広い通りである。左折すれば当時はそれほどぱっとしなかった私学共済会館が《東京ガーデンパレス》と名を変えてで−んとそびえている。「式のあとに名前を変えたという通知があったわ」と女房が言いだしたが半信半疑のままだ。「もっと地味だったし、駐車場もあったっけ・・・」とおろおろする。「あんたはクルマの渋滞で予定時刻に来ないし、『新郎さんはどうしたんでしょ』と言われて針のむしろだった」と蒸し返す始末だ。どうでもいいことだけは覚えていやがる・・・。
女房はお茶の水駅の《聖堂口》を使って行き来したから今回の経路は初めてのようだ。また方向オンチだからしかたない。でも式場のまわりぐらい記憶があってもよさそうなものである。帰宅後に私学共済《湯島会館》が東京ガーデンパレスに変ったのをウエブサイトで確めても相変らず半信半疑である。建物の大きさも変ったからにしてもまったく頑固者である。どこに行くにも亭主に下調べさせ、五十肩の亭主にハンドルを握らせるやつだ。それにしても結婚式場ぐらい覚えていてもよさそうなものだが・・・。
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