大瀬崎と煌きの丘から見る富士山
2006年09月23日


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目次

        千本松原と沼津港
千本浜から富士山が見える方向(手前が愛鷹山で本日は見えない)
千本松原に作られた防潮堤。砂浜がこれで消え、泳げなくなった。
千本浜海岸から見える大瀬崎。近くに見えるがクルマで1時間はかかる(ズーム)。
沼津港内港から見える富士山の方向(本日は見えない)。父が仕事をして眺めていた市場から写す。
沼津港の内港と外港をつなぐ水門。左側にあった内港と狩野川を結ぶ航路と水門は埋め立てられた。
狩野川河口から見る伊豆の山々(手前は我入道の堤防)
旧沼津魚市場事務所の裏には寿司屋が多い(焼き魚を探すのが大変だ)
        ルーツをたどって
久連からの富士山(標準)。中央右が沼津の中心部
久連から口野方向を眺める(右から大回りして中央左が千本浜方向)
久連からの富士山(広角)
古宇からの富士山(ズーム)
古宇からの富士山(最大ズーム)
      大瀬崎の山中にある喫茶店
アザセボラの看板(2005/03/13撮影)
アザセボラから眺めた富士山(2005/03/13撮影)
       戸田村井田地区
井田地区の観光案内。民宿があるが泊まったことはない
煌めきの丘から見る富士山。この景色を眺めるために独身時代はオフロード走行を何度もした。
赤や白のサルビアが植えられている
ふろく:本年7月16日の千本浜
千本浜海岸から片浜海岸を眺める。片浜海岸は米軍が富士山の演習場へ向かう上陸ポイントだった。
千本浜から沼津港外港を望む。強風も加わり泳ぐ人はいない。
千本浜防潮堤から大瀬崎を望む。
千本浜海岸から正面左に大瀬崎を眺めて育った。


 ●千本浜から大瀬崎へ向かう
 ●親子三代で富士山を眺める
 ●アザセボラに立ち寄る
 ●戸田の煌きの丘
 ●ルーツなどどうでもいいこと



あらかじめ弁解を
 いつもは観光気分の旅行記ですが、今回は亡父の墓参りのついでに立ち寄った大瀬崎周辺の印象を掲載しています。富士山を見て生まれ育ち、富士山に見送られて去った父への想い出も含まれているので内容的には面白くないことをお断りしておきます。
 また、以前まとめた「沼津の中の伊豆」を説明する写真集として編みましたので観光ガイドにはなっていないこともお断りしておきます。



●千本浜から大瀬崎へ向かう

 今月は旧御用邸の火事や木負(きしょう)に係留されていたスカンジナビアの沈没などなにかと沼津の話題が続いた。彼岸の墓参りに出向いたついでにそれを確かめ、大瀬崎(おせざき)に向かうとカーブが続く狭い海岸道に家族はうんざりしている。
 大瀬崎は、わたしが育った千本浜海岸から正面左に突き出す岬である。クルマを使うとかれこれ1時間要し、道幅が狭いから沼津に出向いてもめったに寄らない。それでも、昨年3月に伊豆半島を半周したとき妻と立ち寄った。それ以前にも「暮らし」に入れてある「沼津の中の伊豆」をまとめるために妻と何度も出かけてきたがカーブが続くから嫌われているルートだ。
 夕暮れ前の富士山を写しながら久連(くずら)、古宇(こう)、江梨(えなし)と停車すると家族は黙り込む。千本浜から見上げるなだらかな富士山とちがい、海の上に突き出す葛飾北斎風の細く尖った富士山である。

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●親子三代で富士山を眺める

 そういえば、今年亡くなった父に作文の途中で、祖父が生まれた久連(くずら)から富士山が見えるか確かめたこともある。その後に実際に出向き父の言うとおり千本浜以上にくっきり見えた。
 ひと旗上げるために家を出た次男の祖父は身をもちくだし、長男の父はその後始末に追われたけれど祖父を悪く言わないのも不思議だった。叔父に言わせると祖父が生きていた頃は親子で言い争いが絶えなかったようだ。
 そういえばわたしも父と言い争いをして弟妹に煙たがれた。ともあれ、ここへ出向く前に父が勤めた魚市場に立ち寄ったが、市場からは富士山が毎日見えたことに気づいた。祖父も父も富士山を仰ぎながら何を考えたのだろう。孫が横浜で富士山を眺めるのを祖父は苦笑してるのだろうか。

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アザセボラに立ち寄る

 大瀬崎の海岸を無視して戸田(へだ)へ向かう山道を登ると家族はうんざりして声も出さない。高台の山側にある喫茶店「アザセボラ」の前にクルマを停めても出ようとしない。看板は出ていても電光掲示板も消え、人の気配がしないからだろう。家族を置いて急な階段を登って店内をのぞくとガランとしている。閉まっているからつぶれたわけでもなさそうである。ここに至るまで予告案内も数枚出ていた。字(あざ)の名をそのまま使うズボラな店主だから、営業日も不定期なのだろうか。彼岸だから墓参でもしているのかもしれない。
 「ここから眺める富士山はすごく奇麗よ」と妻が子どもに言い出しても、林に囲まれた駐車場では子どもはわかるまい。高台に突き出した店から眺めれば海をはさんでそびえ立つ富士山がくっきり見えるのだ。「やっぱり店をやめたのね」とまた妻が言い出す。「趣味だけじゃ店は維持できないもの」と経営評論家の発言がうっとうしい。せかせかせず、のんびりしているのが沼津の中の伊豆の気質で、わたしもそれを引き継いでいる。

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●戸田の煌き(キラメキ)の丘

 日も暮れ始めたのでそのまま先に進み、旧戸田村の井田へ向かうと道幅も広がり家族はにぎやかになった。昨年4月から戸田村は沼津市と合併したが、道の整備は沼津市内より進んでいる。大瀬崎のまわりも道の拡幅工事が進み、曲がりくねった道は山を削って真っ直に変わりつつある。
 井田地区は25年前は陸の孤島と呼ばれ、大瀬崎から戸田に向かう道はオフロード走行を強いられたものだ。井田にある高台の駐車場(煌きの丘)にクルマを停めると妻がフッとため息をもらした。緊張を強いられる山道からやっと解放されたという安堵のようだ。
 強風の中を娘と富士山の写真を撮ると呆れている。切り立った岬の彼方にくっきり富士山が浮き立つ場所だ。眼下には白い観光船が大きな白波を立てて戸田港にユーターンした。何度か家族を連れてきたが山道走行の苦い思いでしかなくて忘れられているようだ。近くには明神池や井田松江古墳群もあるのだが、わたしは立ち寄ったことがない。赤と白のサルビアが奇麗に植えられていた。

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●ルーツなどどうでもいいこと

 先に進んでも山道嫌いの家族の反発が増すので、同じ道を沼津市内に戻った。反対方向にもアザセボラの案内看板が出ているのに気づいて「季節はずれに営業したって来る客も少ないから休業なのね、秩父や山梨だって5時前に店を閉めるから」と妻が言い出す。
 同乗している横浜育ちの娘や息子には親父のルーツなどどうでもいいことのようだ。富士山を見て育った孫にやさしかった祖父が、白い雪に覆われくっきりした富士山にみとられてあわただしく去ったということだけで十分である。灯がやけにまぶしい沼津の町の灯を眺めてわたしの祖父は何を思ってふるさとを去ったのだろう。狭い世界にくすぶっていられなかったのだろうか。


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