杖突峠を行き来して
2006年08月18日
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目次
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●峠に出向いたころ
●杖突峠とのかかわり
●石垣りんの詩
●いずれはトンネルに変わるのか
■峠に出向いたころ
若い頃は景色を眺めるためにクルマで峠に出向いた。伊豆なら戸田峠や十国峠、箱根なら乙女峠や箱根峠、富士山なら篭坂峠や御坂峠、八ケ岳なら麦草峠、奥多摩なら柳沢峠などへ何度も出かけた。無線をしていたときもクルマを確実に止めれる峠を選んで出向いた。それも加わり、オートバイを運転しないのに今でもツーリング雑誌で峠を眺める。
峠という字は国字だ。漢字ではない。山頂(ピーク)でなく、山の合間を行き来する部分で鞍部(コル)ともいう。山を縦走しているころはせっかく高く登ったのに下ったり上がったりを強いられる峠はシャクの種だった。でも、峠は他所(よそ)と結びつく場所である。生活に関わる重い荷を背負い、息をはずませ、あえぎながら一息つく場所だったにちがいない。景色がどうこうより、そこを行き来して互いの生活を成り立たせた場所だろう。集落を見守る鎮守の森とは異なって、異郷との関わりに気を引き締めた場所なのだろう。
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■杖突峠とのかかわり
杖突峠は、高遠町の絵島屋敷や桜見物を終えて茅野市へ抜ける通りすがりに眺めた八ケ岳の威容に感激した30余年前からのつきあいだ。通り抜けるだけでなく、そこに止まってまわりを眺めるための場所である。高遠や駒ヶ根へ連れて行って以来、同乗する妻には中央道を走行するたびに車窓から見上げる峠の茶屋がランドマークになっている。
わたしは八ヶ岳が見える峠というだけで立ち寄るわけではない。それなら、麦草峠や大門峠で足りる。その峠を行き来したという極めて個人的な感傷と古巣に戻るような安堵感が交ざっている。冷や汗をかき、通り抜けた自負や爽快感も伴う。それを語り合えることも楽しい。そういう場所のひとつが杖突峠だ。
上高地や黒四ダムを訪れた帰途にこどもを連れて杖突峠に出向いた。子どもには9年ぶりで2度目の場所だが静か過ぎて落ち着かない場所だったようだ。建物の数は増えたが開業時刻を過ぎても店を閉じているのも淋しい。
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■石垣りんの詩
最近手に入れた石垣りんの詩集『表札など』(1968年思潮社、童話屋2000年復刊)には、「杖突峠」という詩が含まれていて驚いた。そこから眺める八ケ岳の威容を賛美しつつも彼女らしい辛辣な落ちもある詩だ。彼女は景色よりそこを行き来してきた老女をモチーフにしている。
杖突峠という高みに登ると
八ヶ岳連峯が一望にひらけ
雪をまとつた山が
はるかに横たわっていた。
(中略)
晴天の下
鼻をつまんで大きく美しいものに耐えた。
(石垣りん「杖突峠」より引用)
石垣さんの詩には『表札』や『しじみ』に顕著だが、ドキッとさせられるスパイスがふりまかれている。
「杖突峠」はそれほど知られた詩ではないけど、杖を付いて歩くのと急な坂を歩くをかけ合わせた隠喩(いんゆ)になっている。そして、「大きく美しいものに」なぜ鼻をつままなければならないかと悩ませられる。
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■いずれはトンネルに変わるのか
わたしが出向いた峠は出向くたびに道路が拡幅され、カーブが減って安全に通り抜けられるように改良されている。皮肉なことに、あっさり通り抜けられるようになると忘れ去られてしまうようだ。そのうち安房峠(あぼうとうげ)のようにトンネルが作られ、峠があったことさえ忘れられるのではなかろうか。快適さや安全性が優先されて忘れられていく峠も増えていくのだろう。
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