たかがクルマのことだけど
車もこないのに赤信号で待っている人はバカか
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池田清彦さんの『他人と関わらずに生きるには』(新潮文庫、平成18年5月)を楽しく読んだ。反語的な表現だからオヤッと思うタイトルに思わずひきずり込まれた。でも、交通法規を遵守するドライブバーとしては「車もこないのに赤信号で待っている人はバカである」というタイトルにムカッとした。これを真に受けて実行してひかれる人も出るのではないか。池田さんは他人の世話にならず、自己責任の下に行動することのたとえでこんなタイトルをつけたようだ。また、信号を守っていればいいという安易な姿勢を批判するのに猫や犬を持ち出すのも納得できない。動物と人間を同視するのは生物学者だからだろう。
むしろ、タイトルを「青信号だからといってまわりを確かめずに渡る人はバカである」としたほうが内容を正しく示している。信号があるから従うにせよ、赤信号でも突っ込んでくる車は多い。それを確かめてから渡ることのほうが自己責任の徹底である。池田さんはこの文章で、幼児が横断歩道を並んで渡っているところに車が突っ込んだ事故を例にあげている。歩行者のスピード感覚と車の速度は大きくずれる。また、足腰の不自由な人と健康な人の歩く速さも異なるし、子どもや老人の視角(視る角度)は意外に狭い。だから、車が来ないと思い込んで渡ってひかれる人も多い。そういう現実を忘れた反語表現はいかがなものだろうか。
クルマの運転にしても「まわりに人や車がいなければ合図するのはバカである 」と言いたいのだろうか。この本では触れていないから池田さんには無関係である。むしろ、そういう勝手な判断で行動するから、合図をすべきときにも実行しないのではないか。無駄に思えても手順として守るべきことを忘れてはなるまい。法とかマナーは相手がいるいないで守ったり破るものではないはずである。
池田さんはこの本で建設的な意見を多く述べていてわたしもうなずけるものがあった。一見、アナーキスト(無政府主義者)と思ったが、国家を否定するのでなく、「国家を道具」とみなして役割を制約するだけだある。先に取り上げたタイトルは、昔はやった「赤信号みんなで渡れば恐くない」と似た誤解を生むようで残念である。タイトルを「青信号だからといってまわりを確かめずに渡る人はバカである」としたほうが池田さんの意見に合うような気がする。
【補記】
読書録は「本の紹介」にまとめています。池田さんの本を読んでの感想は5月14日にまとめました。
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