鎌倉周辺


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このテーマの記録

      円覚寺
      名月院
       八幡宮

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出向いた記録

.                          鎌倉を歩く  2000/06/05 (月)

 妻と一緒に鎌倉を歩いた。北鎌倉で下車して、円覚寺・明月院・建長寺・八幡宮を経由し、小町通りをうろついて鎌倉駅までのコースだ。鎌倉を一人で歩くのは寂しい。雑談を交わしながら、その場の雰囲気で寄り道して歩くのが鎌倉の歩き方だと思う。鎌倉には三十年前から出向いているが、周りがグループで歩いているところに一人歩きは似合わない。独身時代には、藤沢から江ノ電を使って、七里ガ浜や長谷観音に出向くことが多かった。小田急線で江ノ島まで直行したり、三多摩からクルマで入るには藤沢からが便利だった。鎌倉も元町(横浜)も女の子を目当てに出向いたものだが、全く成果はなかった。年に二回、春と秋にはきちんと出向いたが、アベック(最近はペアと呼ぶようだ)にあてられてすごすご帰ったものだ。

 子供が小さい頃は、鎌倉は通りすぎる場所にすぎなかった。三浦半島を一周するドライブの入り口か出口だった。一度だけ、北鎌倉で下車して、源氏山や銭洗い弁天に立ち寄って、尾根づたいに長谷の大仏まで子供たちを歩かせたが今では全く記憶がないようだ。この尾根線は、妹や妻を歩かせてひんしゅくを買ったくらいアップダウンの多い道のりだが、幼稚園に行く前の子供たちは泣き言も並べずに歩いた。子供たちの中学一年の遠足は二人とも鎌倉だった。その直前に、家族でたまに鎌倉を歩いた。ほとんどが北鎌倉から源氏山を経由する早道のコースだ。お汁粉が目当ての散策だから、お寺に立ち寄ることはほとんどなかった。

 円覚寺は北鎌倉駅に近い。でも、たいてい駆け込み寺の東慶寺とか源氏山の入り口の浄智寺に向かうからめったに立ち寄らない。鎌倉の寺は京都のお寺と違ってどこかせせこましい。入れば、坂道が多くて敷地は狭いし、本堂に入らせてくれない寺が多い。円覚寺にもそんな雰囲気がつきまとう。久しぶりに奥まで歩いたものの特に感銘を得なかった。夜中に雨が降って懸念された天気も日差しがきつくなった。円覚寺の杉の参道を歩いていると、心地よい風が流れて、久しぶりに森林浴を味わった。仏像などにまったく興味のない妻も静かな参道に咲く花を見ては感動していた。雨上がりのせいか、アジサイの葉(花は咲いていなかった)がみずみずしかった。平日というのに円覚寺から建長寺に至る道は観光客であふれていた。ときおり人力車も走っていて華やいでいた。乗ってみたい衝動にかられたが、照れくさいのでやめた。
 
 明月院には妻と初めて出向いた。アジサイで有名な寺で、独身時代に数度出向いた割にどこにあるのか忘れていた寺だ。次の集合地の建長寺までは時間があったので、広い通りをはずして明月院に寄り道した。縁切り寺とアジサイ寺は、さだまさしの「縁切寺」の歌詞にあるのでイメージだけがこびりついている。一本道をはずすと急にひなびた雰囲気を漂わせるのが鎌倉の道だ。昨年初めて亀ケ谷戸を歩いたが、あの時は子供も妻も異空間に飛び込んだようなパニックにおちていた。何度出向いても、「こんなところに」と感じさせられるものが鎌倉にはある。

 薄皮饅頭や汁粉のある店が多いことで私と妻は感激し、寺に入る前から「また来ような」と言い合う。次の約束をしたばかりに断ることもできなかったうかつさは今もって変わっていない。木々に囲まれ、ひんやりした小道をたわいもない話を続けて歩く。女性が多くて華やいでいた。円覚寺と二百メートルしか離れていないのに、明月院はアジサイであふれていた。六月はアジサイと決めつけているので、花が咲いているだけで満足した。写真も撮ったので帰りかけると妻が奥庭を指差す。座敷のかなたに丸く切り取られた空間の奥に花が群生していた。特別拝観料を払って裏庭に行くと菖蒲が咲き乱れていた。山あいの田んぼの中に菖蒲が植えられているだけだったが、日差しがきついせいか菖蒲がうなだれているのが物淋しかった。

 建長寺に着くと、他のメンバーは立ち去っていた。ひととおり境内を歩いたものの、色違いのツツジが良く手入れされていることしか印象はなかった。扇ケ谷戸トンネルを抜けると急に西欧風の建物が増えた。休日に渋滞している道路も今日はやけにクルマが少なかった。八幡宮は源平池で時間をつぶした。歩き疲れた我々は階段を昇り降りする気も失せていた。遠足の子供たちが楽しそうに食事をしていた。ドバトを見なれているせいか、池の周りに集まる白いハトが珍しかった。池に群れる鯉の餌を目当てにハトが集まっていた。

 小町通りは何度も歩いているのに飽きない通りだ。いつもと逆方向から入ったせいか、妻は初めて歩く道だと言い出した。わき道に入ると今まで気がつかなかった小さな店もあって時間つぶしになった。いつもは人通りの多さに負けて、途中で引き返しているので妻も初めてと錯覚したようだ。いつものとおりに壱番屋でせんべいを買い込んで鎌倉駅まで向かい、本屋に寄ると言いくるめて小町通りに戻ると、さきほどより人出が増えていた。中ほどを過ぎて、先ほど通り過ごした甘味店に意を決して入ると女子供があふれていた。汁粉を飲まずに帰るのは辛かった。

 

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