56 休符が無視できない

ギターに挑戦

 別宮貞徳(べっくさだのり)さんのちくま学芸文庫版『日本語のリズム 四拍子文化論』(筑摩書房・2005年)を先週から読んでいる。初出は1977年の講談社現代新書というが記憶にない。別宮さんは翻訳の日本語に何かと注文をつけられている方だ。「べっく」という名前が文句(もんく)に響く翻訳家もいるにちがいない。この本は「おたまじゃくし」が多数掲載される特異な日本語論である。ギターに手を出さなかったらきっと買わなかっただろう。

 別宮さんは和歌や短歌を取り上げて、五七五や五七五七七のリズムが四拍子であることを展開する。英語の単位は「シラブル」であってアルファベットのひとつひとつに意味はなくて組み合わせにあり、日本語は一語一語に意味をもつというのも驚いた。だから、英詩の韻(いん)をまねても日本語ではそれほど意味がないという指摘にうなずける。そして、音の句切りに立ち入って日本語のリズムを論じる。「二音節一単位の原理」というのもそうかなと思う程度だ。和歌や短歌だけでなく日本の詩歌をあれこれ取り上げておたまじゃくしを加えて展開する幅広さがある。

 それにしても、句切りの息づかいの分析はおもしろい。楽譜を眺めて今でもためらうのは休符ではじまる曲が多いことだ。別宮さんはオーケストラでヴィオラを演奏した経験もあるようで日本語学者とちがう発想がある。この本の展開は休符をどこに置くかにかかっている。 楽譜が苦手なわたしにはなじめない説明もあるが、それでもなんとなくうなずいてしまう。休符なんてとバカにしてきたが、リズムとかかわるものだと改めて考え直している。日本語の解説本をたまに目を通すがこういう視点は今まで気がつかなかった。息づかいも詩に欠かせない要素である。 (2007/03/23)