39 千里の道も一歩から
ギターに挑戦
3連休になったが天気もはっきりしないし、どこも渋滞で外に出向く気がしない。朝からギターを弾き出すと「何を弾いているのかわからない」と腱鞘炎(けんしょうえん)が直らない妻が皮肉を並べる。「直らないって八つ当たりはないでしょ、聞ける程度にはなったんだから」と娘がとりなす始末だ。
自分ではそれなりに弾けていると思っていても、なにぶん30年前の曲だから妻や子どもにわかるはずもない。わたしが気に入っていた唄はその当時でもヒットはしなかった。男のつぶやきと開き直りが入り交じった唄などヒットするはずもない。イルカが歌った「なごり雪」や「海岸通」は覚えていても、風の「はずれくじ」とか「お前だけが」は当時のファンさえ忘れているだろう。
テレビを眺めてCDを聴くだけの家族にはギターやキーボードをいじることが徒労に映るようである。物を作ったり書いて楽しむということに無縁な家族には粋狂な親父としか映らないようだ。それにしても「何を弾いているのかわからない」というのは言い過ぎだろう。
音楽の才能なんて持ち合わせていない。だからといってあきらめるつもりはない。老人ホームに収容されたとき芸のひとつも持っていたほうが楽しく過ごせるはずだ。そういう前向きな姿勢で真剣に取り組む親父をアザ笑うのも無礼である。「ローマは一日にしてならず」や「千里の道も一歩から」という格言を忘れたくないものである。(2007/02/10)
【無線の経験も役にたつ】
もうとっくにやめたアマチュア無線の経験が役にたつときがある。正月や週末の交信証集めで切り盛りした経験もバカにならない。多くの応答者をいかに短時間でさばき、交信数を増やすかを競うのがコンテストである。それはまた相手にどう印象づけ、気づいてもらうかと結びついた。つまり、送信と受信のいずれもに欠かせない気くばりだった。
人間が待てる時間は長くても10分である。短気なわたしは5分も待てばいいところだ。コンテストのひけつは応答を1分以内にとどめ、待つ人がいると意識して交信することだった。長話は禁物で簡潔に手際よくこなすことだった。また、相手を平等に扱うことも欠かせなかった。エコヒイキをすれば待つ人は去っていった。
誰もが待つのはつらい。耐える時間は短いにこしたことがない。そのためには、相手にわかるように伝えることも忘れてはならなかった。何が知りたいとか、何がわからないかをまとめずに質問したり答えるのも余計な手間や時間を増やす。そして、相手が処理しやすいように整理しておくことも欠かせない。これはコンテストに限らず無線交信の基本だった。
同じ日本語を使っていてもわかりあえないことがしばしばある。同じ言葉が多様に使われるのも日本語である。ハナは花や鼻でなく端という意味まで含むからだ。また、方言や世代によってニアンスが微妙に変わる。そして、最近は自分で勝手に決めつけて相手の意見を受け入れない人が増えた。自分が間違うように他人も錯覚するということを認めない人も多い。挙げ足とりで天狗になりたがるのも異常である。
それはともかく耐えるということも無線で身につけた。珍しい場所で発信すると誰もが交信証が欲しくて多くの無線家が殺到する。これをパイルアップと呼んだ。互いが大声をがなりたてても混乱するだけだ。こういうときは互いが平静になるまで我慢してすごすのも大切だった。あわただしときほど、ムキにならず頭を冷やして相手を思いやることも忘れてはなるまい。(2007/03/13)
【追記】この写真は若い頃に歩いた八ヶ岳の赤岳です。焦らず一歩一歩と進むというのをタップリ味わいました。