15 理解や共感を示す人がいるだけで
ギターに挑戦
独学のむずかしさは相談相手がいないことや間違いを指摘する人がいないことだろう。受験勉強に目標とライバルが欠かせないようなものかもしれない。目的がぐらつけば易(やす)きに流れるし、ライバルは良き相談相手でもあった。それとともに良き理解者や協力者に恵まれることも忘れてはなるまい。くじけかかったときの励ましもありがたいものだ。
ギターを始めたころは家族の冷やかな視線が気になったが、最近は弾かないと心配される始末である。財布の紐の固い妻が書店や楽器店に同行して文句も言わず支払うのも意外である。娘や息子もその日に何を弾いたとかおだても加わるのも不気味である。
目の届くところでやる分には家族の非難が和らぐ。無線やパソコンは煙たがれながらもやらないと心配されたのも不思議だった。ハンダ付けに失敗したり、パソコンをハングアップさせたわたしがイライラしていても黙って耐える家族がいるから続けられた面がある。そこがゴルフとの違いだったようだ。家族の目につかない場所でやることは反発されて長続きしなかった。
手っ取り早くギター教室へ出向けば相談相手もいて上達も早いのかもしれない。でも、見栄も加わってそういう気が起こらないのである。また、家計負担が増すだけでなく家族に見えない部分を作る元である。むしろ、不器用な親父が悪戦苦闘するのを示すだけでも子どもに刺激を与えるような気がする。わずらわしくても互いに理解と共感を深めるほうが良いようである。(2007/01/03)
【愛唱歌をつづる日々】
パソコンの利用法や駄文の連載に飽きて、詩や歌詞に私の思いを加えてブログに連載している。反応が意外に多い。たかが唄でも誰にも思い出が伴うようだ。
旅行記や読書録はホームページの反応が少ないからブログに掲載しない。小説まがいの連載もブログの反応は今ひとつである。そこで行きついたのが歌詞の解説という当たり障りのないものになった。
読者に迎合する気はない。でも、自分が関わって思い出が深いものは当然として、気に入らなかったが無視できない唄も加えている。歌詞だけでなくグループの印象まで交えているから読者も混乱するだろう。
思い出の唄が多くて、何を選ぶか迷うときがある。また、題名や歌詞をうろ覚えしてることに気づく。数冊の本を並べて調べていると妻子が呆れるのも癪である。(2005/03/22)