5 ピックもいろいろあるんだな

ギターに挑戦


 チューニングに自信がついて足りない部品が気になる。弦は1カ月に1回程度張り替えというがそれもうんざりである。6本全部というのもオックウだ。なんといっても欠かせないのは転調するための「カポタスト」と右指のツメ代わりの「ピック」である。そこで渋る妻を連れて楽器店へ向かう。

 直に飽きるからからカポタストはベルト巻きの安価なものにした。昔は割箸を輪ゴムで結わいて代用したこともある。金属製の重いカポはギターを傷つける元だ。問題はピックである。こんなものを使い込むほどギターに熱中したことはない。

 わからないから細みのピックを買い込んだ。正確には「ティアドロップ」つまり涙型というそうだ。硬さもハード、ミデアム、ソフトに分かれ色も多彩で迷った。帰ってきて本を読み直すと丸三角形の「トライアングル」がアコースティック用という。硬さはハードかミディアムが良いというのも意外だった。この他に親指にはめるサムピックやその他の指に使うピックもあるそうだ。【2006/12/27】

















               ピック                                 カポタスト(カポ)


     グループサウンズ(GS)とカレッジフォークの洗礼

 楽器が弾けないくせに音楽を語るほど恥ずかしいことはない。それを補うために連休に恩蔵茂さんの『ニッポンPOPの黄金時代 九ちゃんの登場からGSブーム終焉まで』(ベスト新書25、KKベストセラーズ、2001年)を読んだので、前々から気になっているグループサウンズ(GS)とカレッジフォークを持ち出そう。駐留軍相手の音楽から日本の若者が自らの音楽を生み出す転回点(ターニングポイント)だったと思うからだ。

 というのは、それ以前のロカビリーやウエスタンは英語の歌をベースに訳詞やこじつけをしているようでなじめないのである。日本ではビートルズの前にベンチャーズのエレクトロニックサウンド(エレキ)が果たした役割が無視できない。実のところエレキブームでわたしの音楽も始まっている。もっとも、リードギターよりエレキベースに惹かれたのだが・・・。また、恩蔵さんが「ビートルズ世代のビートルズ嫌い」というのもうなずける。あの頃は長髪とビートルズは不良扱いされたからわたしはサイモン&ガーファンクルに親しんだ。

 エレキの腕自慢が終えてからアイドル的に派生したのがタイガースやテンプターズなどのGSだった。へそ曲がりなわたしはブルーコメッツやスパイダースを好んだけれど彼らには歌謡曲とは異なる華やぎがあった。恩蔵さんはプロの作詞家や作曲家によって作られたポップスと言いつつ、GSの中に自ら作詞作曲したことも紹介している。タイガースは森本太郎の『青い鳥』、テンプターズは松崎由治の『神様お願い! 』や『おかあさん』、スパイダースはかまやつひろしの『フリフリ』などをあげる。でも、モップスやゴールデンカップスは演奏のテクニシャンだったばかりにマニアしか受け入れられなかったのも皮肉だ。

 そして、カレッジフォークもGSに劣らずわたしは関心を持った。『若者たち』を歌ったブロードサイド・フォーやザ・サベージにも惹かれていた。おもしろいのはバラード風の『いつまでもいつまでも』を歌ったサベージはエレキのコンテストの優勝者だったことである。カレッジフォークはお坊っちゃんお嬢ちゃんの音楽とみなされやすいが爽やかさもあった。

 フォークというと岡林信康を始めとするプロテストソングが持ち出されるけれどそれは限られた人たちの思い入れのような気がしてならない。むしろ、グループサウンズ(GS)とカレッジフォークになじんだ若者が歌謡曲や洋楽とは異なる音楽としてポップスを受け入れたから日本独自のフォークも生まれたのだろう。というのは、日本のフォークはロックも取り込んだ音楽のような気がする。それはまた、先日読んだ東京育ちのなぎら健壱の『日本フォーク私的大全』が関西フォークを美化するように感じる違和感でもある(2006/07/18のブログに掲載)。またまたシツコイ意見を並べてしまった。(2006/09/21)